32 初恋(3次元)
「はぁ……」
「まったくもう……」
「コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロ――」
「あぁ……回ってる。世界が回ってるからぁ……あぁ~……」
イケメン殿の膝で床に押し付けられて拘束されている少女メイドと、金髪ふわふわさんに腕を取られて拘束されているポニーテールじゃないけどポニテさんの姿。
キスをされたり、そのキスがディープななにがしだったり、そう言えば自分の上にポニーテールじゃないのにポニテさんが跨っていたような気がしたりして何が何だか分からない内に、こんな状態になっていた。
ポニーテールじゃないけどポニテさんは、金髪ふわふわさんに強引に自分の上から引きずりおろされた時に揺り動かされたせいか、さらに酔いが回ったような顔をしている。少女メイドさんを見れば、そんなポニーテールじゃないけどポニテさんから一瞬たりとも視線を外す事なくブツブツと呟きながら瞬きもせずに見開いた目で睨み続けていた。
混乱しながらも今現在が異常事態なのは理解できる。
ただそれでも気持ちよかったのだ。
密着されて無理矢理押さえつけられ、逃げ場もなく唇を奪われて。
あまつさえぬらぬらと舌が絡んできて……それが、とても気持ちよかったのだ。
しかも相手はあの脳内恋人化していたポニーテールじゃないけどポニテさん。
心は既に『え? なに? なんなの? しゅき。』と、ときめき始めていた。
「まったくどうしたものか……アリサは普段からこんなに酒癖が悪いのかい?」
「いいえ……普段はこんなことはしないわ……今日は特別おかしいのよ。ゴメンなさい。」
「テオ殿。謝る相手が違うよ……よりにもよって今日でなくても。」
「御免なさい。マコトくん。うちのアリサが……」
アリサさんっていうんだ!
ここにきてようやく好意を持ったマコトはアリサの名前を覚えたのだった。
これまでも名前は耳を通過していたはずだけれど、人と話したり街に来たりとイベント盛りだくさんで、どこか熱病に侵されたが如く夢見心地状態で地に足がついていなかった為、聞き逃していたのだ。
今ようやく仄かな恋心と共に足が地に付いたのだ。
そして早速その仄かな恋心の向かうべき人がピンチに陥っていることに気づき慌てる。
「いえ……その、なんだか自分がアリサさんを不愉快にさせていたみたいですし……自分のせいで、すみません。」
「それは違うわマコトくん! この子が自分自身に向けるべき不満を貴方にぶつけただけよ! 貴方は悪い事なんてしてないわ。」
「そうだよマコト殿は何も悪くない。気に病むべきはマコト殿ではなくアリサの方だ。」
「やっぱりコロスコロスコロスコロスコロ――」
イケメン殿と金髪ふわふわさんの声に反応して一段大きくなった少女メイドさんの声。
そういえば彼女は部屋から出る時に『守ってくれる』というような事を言っていた。ある意味で今の状況は『守れなかった』とも取れるから、それが影響しているのだろうか?
ただ、それにしても『殺す』という言葉はかなり怖い物がある。
「すまないがマコト殿……ひとつこのフリーシアに声をかけて上げてくれないか? こうなると私じゃ止められないような気がするんだ。」
げんなりした顔のイケメン殿の要請で、視線を一切アリサから外さないフリーシアを見る。
もちろん少女メイドの『フリーシア』という名前も、今、イケメン殿が言ったおかげではっきりと覚えた。
ただ、自分が声をかけてどうなるのかという不安はある。
そんな思いを抱きつつも、イケメン殿の勧めと年若く可憐な少女にあまり怖い言葉は言ってほしくないという思いから声をかけてみる事にした。
「その……殺しちゃダメだと思います。」
「そんなマコト様っ!」
急に視線がこっちに向いた。
そして、朝のようにボロボロと涙が零れはじめる。
「おお、お、おお!?」
もちろん慌てる。
明らかに自分が泣かせてしまったに違いなかったからだ。
涙を零しながらフリーシアは言葉を続ける。
「それではこの阿婆擦れ女を許せというのですか!? 貴方様にあんな事をした女を見逃せとっ!? 出来ませんっ! フリーシアは許せません! この女はマコト様の唇を! あぁああああああっ!」
「お、おお、落ち着いて……」
第三者の言葉から、やっぱりキスされていたのだと思い色々な人にファーストチッスを見られていた事実に少し気恥ずかしくなる。
だけれどそれよりもフリーシアの怒りの凄まじさに、その感じた気恥ずかしさも、すぐに焦燥に切り替わる。
「そ、その。あの、たかがキスだし……」
もちろん『キスをしなれている』とか、そういう余裕からの言葉ではない。
『自分如きの』という卑下が100%の言葉だった。
フリーシアが怒る程の価値はないと言い聞かせようと思ったのだ。
「たかが!? たかがキスだなんて! マコト様の唇はそんな安い物ではありませんっ!」
「えぇ!? い、いや……安いと思います。」
「何を仰るのですかっ!」
それまで激昂していたフリーシアが、直前のやり取りの言葉を思い返したのか、ふと我に返ったように静まり返る。涙も止まっていた。
怒り100%が急に静まること程、気掛かりになることはない。
急な変化にこっそりと怯えつつ顔色を伺う。
「……マコト様はご自身の唇は安いとお思いですか?」
「え? え? あ、はい。」
「で、あれば……フリーシアとキスして頂けますか?」
「えっ?
えっ!? ええっ!? ちょ、ええっ!?」
「もしお情けを頂けるようであれば、フリーシアはマコト様のお望みの通り矛を収めます。見たことを忘れます。」
「いやいやいや……えぇ!?」
「嫌だなんてひどい……」
ボロボロと再び涙をこぼすフリーシア。
その様子に慌てて修正する。
「ち、違います。嫌って意味じゃなくて、その、えぇ? だ、だってフリーシアさんは嫌じゃないんですか? その……なんというかフリーシアさんみたいな綺麗な方が……わざわざ……自分なんかと……」
言葉に出して卑下してみると、さっき男らしくないだとか色々言われていた事も思い出してしまい、自分の言葉で落ち込み始めてしまう。
そう。自分は価値の高い物を無価値にしたり、介護されないと移動もできなかったり、助けてもらわないと食べたい物を選べないゴミ野郎なのだ。
あぁ……
そう。アリサさんに怒られて当然のゴミカス。
あぁあ、ダメ人間なのでござるぅ!
「私の事などどうでも良いのです! マコト様は私が相手ではお嫌ですか!?」
「い、え、それは……むしろ有難い位ですけど……その……自分は……」
言葉を返しながらも気分は落ち込み、どうしても顔が沈んでしまう。
返答を聞いたフリーシアは顔を上に動かした。
「トレンティーノ様。暴れたりはしません。約束致します。
ですから離して頂けませんか?」
「……わかった。」
フリーシアの拘束は解かれ、立ち上がって服のホコリを払い服を整える。
襟を正して、一度目を閉じてから小さく息を吐き、フリーシアが一歩、一歩と足を進める。
そして気が付けば、目の前に立っていた。
こうしてみると。やはり小柄な可愛らしい少女。
YESロリータNOタッチこそ相応しい少女に思える。
そんな少女が両手でそっと頬に触れてきた。
「私が相手で喜んで頂けるのですね。であれば今すぐに上書きを。」
「んえ?」
背伸びをした少女の唇が、唇に触れた。
その唇はわずかに震えているような気がした。
今回のキスは、はっきりとキスをされると認識できてのキスだった。
だけれども、もちろん身体は硬直して動かない。
すぐに唇が離れていく。
目を閉じていたフリーシアは背伸びを止めて目を開いて微笑む。
その表情を見た瞬間
『……しゅき。』
と思っていた。
フリーシアは再度目を細め、また唇を合わせてくる。
小鳥がつつくように触れ合うキスに、目の前の少女を抱きしめたい感情が生まれてくる。
何度も何度も唇が触れ合い。
『もう……自由になってもいいよね』
と、抱きしめてしまおうと手が動きだしそうになった時、フリーシアは急に離れていった。
「まったく……いつまでそうしているつもりなんだい?」
「あぁあ……マコトさまぁ~!」
イケメン殿に引き離されていた。
首根っこを掴まれて遠ざかるフリーシアが伸ばした手を取りたくなったけれど、人前に居たことも同時に思い出して動けなかった。
「はぁ……私達がどれだけ待っていたと思って……とりあえず気持ちは納まったようだし、今日はもうこれでお開きにしよう。
アリサもあの様だからね。」
イケメン殿の言葉に目を向けると、イスに座ったまま眠っているアリサの姿が目に入った。
その後ろで金髪ふわふわさんが呆れた様な顔をしながら椅子から落ちないように支えている。
「なんだか、色々とごめんねマコトくん。
うちのアリサのせいで、こんなことになって……」
「い、いえ。」
「とりあえず、今日は夜も一緒に食事をと思っていたけれど、あまりに色々ありすぎたから、ゆっくり休んでほしい。
食事の仕方は大丈夫かい? 部屋で世話係を呼べば運んでもらう事もできるよ?」
「あ。はい……大丈夫です。」
「もちろん世話係は、フリーシアには任せられない。」
「そんな! マコトさまっ!」
「え? あ、あの……」
「……流石にこんな粗相をした分の説教はしておかなきゃいけないだろう?」
イケメン殿の指した方向に目を向けると、食事と割れた皿が散乱していた。
「でも大丈夫。今日だけ。明日からはまた彼女に任せるから。」
「あ……はい。」
酷い事にはならないようで少しだけ安心する。
「私もこの子にきちんと言い聞かせておくわ。本当に今日はごめんなさい。」
「あ……いえ。」
謝罪を受け入れると、イケメン殿はフリーシアを連れ、金髪ふわふわさんはアリサを連れて移動を始めた。
自分もそれに続き、イケメン殿が支配人と一言二言交わしたのを横目で見て、解散した。
一人玄関から遠ざかっていくアリサとフリーシアの背中を眺めていると、胸がキュウと締め付けられる感覚を覚えるのだった。




