25 憂惧
マコト殿の雰囲気から察するに状況が掴めないまでも、目の前の宿が高級であるという事は理解しているように見えた。
こういった反応を見るに、やはり彼は森に住む以前は文化的な生活をしていたに違いない。
私は彼の不安を払拭すべく向き直って口を開く。
「私はマコト殿には隠し事はしないから正直に言うけれど、この『旧き銀流亭』は高級宿だ。
アリサの顔やテオ殿の表情を見れば、なんとなくどの程度の高級加減かは自ずと理解できるだろう?」
私の言葉でマコト殿が顔を向けると同時に二人の開いていた口が閉じられ、同時に嫌味を含んだ笑顔が私に向けられる。
私は笑顔を作って一切気にせず続ける。
「でも費用については安心してほしい。
テオ殿が言っていたようにマコト殿の持ってきた地竜の鱗は状態も良く価値がとても高い。
ここは2泊で小金貨が1枚かかるクラスの高級宿だけれども、マコト殿の地竜の鱗であれば一冬越すとしても、鱗2枚で元が取れる算段さ。
そして私が何枚の鱗を荷物として持ったか数えていたかな?」
マコト殿は慌てて首を横に振る。
彼の場合は本当に興味を持っていなかったから数えていなかったのだろうし、私の報告も聞き流していたのだろう。
「ふふっ、やはりマコト殿は大物だね。
小物な私は怖いからちゃんと答えておくけれど、変色していない鱗が20枚、変色した鱗が20枚だよ。他に骨や肉、革も少量ずつ預からせてもらっている。
持ち出した量が多いと思ったかもしれないけれど、宿泊以外にもお金を使う機会は多い。」
私は力を抜いて情けない顔を作る。
「それに今は地竜に関しては先の報告で制限がかけられて鱗をそのまま当価値で換金できない可能性も高い。つまり多く持ち出した理由は私が足元を見られるという情けない理由。
だからこそ余裕を持たせてもらう為に多く持たせてもらったのさ。良かったかな?」
マコト殿は私の言葉が終わると同時に何度もコクコクコクコクと頷いた。
私はその反応に笑顔を返し、わざとらしくホっと息を吐く。
「あぁ良かった。
と……いうわけで、マコト殿の滞在に関わる金銭の面倒は私に一任してくれていい。
でも換金できるまでは私個人の持ち出しになるから少し窮屈な思いをさせるかもしれないけれど我慢してくれるかな?」
マコト殿は私の言葉が終わると同時に横にブンブンと首を振ってから、何度もコクコクと頷いた。
正直今の反応はよくわからないけれど、多分雰囲気からは肯定的な物を感じるから笑顔を返しておく。
「遠慮すること無いのよマコトくん。この人は地味に権力者だから、どれだけ搾り取っても大して困りはしないわ。
部屋に入ったらすぐ一番高いワインでも注文して困らせてやりなさいな。」
意趣返しだろうかマコト殿の腕を組んだテオ殿の高飛車を真似たような声が響く。
「あはは。確かに銀流亭でのワインは高くつきそうだ。でも私が鱗を3枚売ればいいだけの話だから構わないよ。
あ。もちろん1枚売る毎にかかった手数料は取らせてもらうつもりだからね?
もし色付きの手数料を取っていいのであれば、ぜひ銀流亭のワインの在庫を空にする勢いで飲んでほしいものだ。」
「 … 」
「えぇ!? 本当かい? まったくやる気を乗せるのがうまいなぁマコト殿は!
それじゃあ折角のお言葉に甘えて私も常識の範囲で少し色をつけさせてもらうね。是非じゃんじゃん無駄遣いしてくれたまえ!」
おどけながらウィンクを返しておく。
そう。滞在している間に遠慮して欲しくはないのだ。
甘い汁を吸い、居心地の良さを感じ、ここに長居したいと思ってほしいのだ。
流石テオ殿だ。
自然とマコト殿の不安を取り除いている。
「いいなぁ~……高いワインを飲む時は誘ってくれないかなぁマコトくん?
お姉さんは白ワインに目が無いのよ……誘ってくれたら銀流亭で出てこないような街の美味しい物を持っていくから。ね?」
んっ?
ん~……
あぁ……戸惑いながらもちょっと頷いちゃったよマコト殿。
「わぁ! 楽しみだなぁ!」
「その時は私も是非ご相伴に預かりたいなぁ。」
とりあえずフォローを出しておくと、ものすごい速さでマコト殿が頷いてきた。
基本的に彼は『断る』という選択肢が少ない。
断らない分、押すタイミングを間違えれば苦手意識を持たれてしまうタイプだから気を付けるべきだ。まったく。
「さぁ、なにはともあれこれからマコト殿の冬の住処。家となる部屋を見に行こうじゃないないか。」
私はこれ以上テオ殿が押し始める前に話を切り上げ足を銀流亭に向ける。
門に立っている人間に刀の柄を軽く指で触れて見せると、しっかりと教育が行き届いている門番は言葉を交わさずとも家紋を確認して道を開ける。あらかじめ私の貴族としての名、マイラ・ナバロ・トレンティーノで話をつけてあるのだから柄にある家紋を知っていて当然なのだ。
歩みを進め、小間使いの開いた屋敷の玄関をくぐり開放感のあるエントランスに足を踏み入れる。
「この銀流亭はね……特に雪に染まった街の冬景色。それを一望する眺めに定評があるんだ。」
マコト殿の様子を探る為に雑談を振りながら確認する。
緊張はしているようだけれど固くなりすぎている感はない。
どうやら門番や小間使いのような人間には多少の緊張はしていても、街を歩く人ほどの恐れは抱いていないように見えた。
恐らくだけれど『仕事として』など、そこに理由があって存在している人間に対してはそこまで警戒しないようだ。
彼については色々と知る必要があるから、いついかなる時も観察を怠ってはいけない。
「うわぁ……スゴイわねぇ……」
「このカーペット……織物よね? 私、靴汚れてなかったかしら?」
そんなテオ殿とアリサの会話に、ビクつくように確認しだすマコト殿。
確かにここは馬車で乗り付けるような人間が多いから汚れた靴で入ってくることはない。
だけれど、別にそんなことを気にする必要はない。それを咎めるような接客をしないのが銀流亭だ。
「大丈夫だよ。
もし汚したとしても彼らにきちんと仕事を提供する事になるんだし、それの対価は払っているんだから。」
一応マコト殿が恐縮しないようにフォローはしておく。
「ようこそ銀流亭へお越しくださいました。」
深々と腰を折って頭を下げる執事服を纏った支配人。
私はやってきた彼に向き直り対応する。
「あぁ。この冬は彼が世話になる。
最高の待遇を頼む。」
声は柔らかく。だけれども『不手際は看過しない』という意思を視線に乗せて支配人にぶつける。
「かしこまりました。必ずご満足いただけるよう応対させて頂きます。」
支配人はすっと顔を伏せ。再度頭を下げた。
プレッシャーの躱し方も手馴れている。私よりも上の貴族の対応もしているのだから問題はないだろう。
「差し当たりましてトレンティーノ様……ご確認願いたい事が……」
「ん?」
マコト殿に聞こえないように配慮された小声。
私は支配人に近づき言葉の続きを促す。
「本日早朝より、トレンティーノ様の家の者と名乗る者が訪ねてまいりまして、その者がお泊りになる方のお世話係と名乗っております。
確認の為にお屋敷に使いを出して所在を確認させた所、実際にトレンティーノ様が使っている人間であると確認できたので待機させておりますが……間違いはございませんでしょうか?」
「なんだと?」
思い当たる伏の無かった私は怪訝な顔しか返すことはできなかった。
だが、すぐに一つだけ思い当たる事があり、私はそれに眩暈を覚えそうなほどに衝撃を覚えた。
「まさか……それは女か?」
「はい。名前はフリーシアと。」
「――んんっ!」
変な声しか出なかった。




