16 凱旋
「はぁああああ~~」
一人になり、ようやく深く息を吐きだせた。
息を吐きだすと身体の緊張も同時にほぐれてゆく。
ついでに顔を覆っていた布を解く。
吸収速乾性のある布だからこそ額に汗をかいてもすぐさま蒸発させてくれて助かった。パンツ素材でなければでびしょびしょになり不快になっただろう。
今もさらさらな状態を保っているけれど、今はとにかくあらゆる圧迫感から逃れたかった。
どっと襲いくる精神的な疲れに、ついその場で横になる。
こんなにも人と話したのは初めての事だった
かなりの疲労感があるけれど、その疲れは、どこか嬉しく、そして楽しかった。
顔もつい勝手にニヤニヤとしてしまう。
「なんだかわからぬでござるが……とりあえずイケメンと仲良くなれたし、ポニテさんとも知り合いになれた。それにとうとう街にも入れそうでござる。
なんだかいいようにしてくれるようでござるし。よかったでござる。
あぁ……イケメン殿はパンの話もしてたでござるから、ここにきてようやくちゃんとした料理が食べられるでござるなぁ……」
これまで食べてきたご飯は、素材そのまま&塩。
もちろん熟成させてみたりと工夫もしたし発酵調味料なども作ってみるチャレンジはした。
だけれどきちんとした道具もなく知識も中途半端な状態でやってみた結果は腐敗するばかり。結局、素材を無駄にするだけになってしまったので、潔く諦めて素材の味をできるだけ活かして食べきる事にしていたのだ。
俺の工夫でできる調味料の幅は、塩と香草、果汁に皮。そして木の煙を利用するくらいしかなく、どうしても似たような味わいになる事が多かった。
素材を活かす調理法も悪くはないけれど、やはり『料理』は食事という行為を楽しむ為に多種多様な味の幅がある方が好ましい。
「さて……では、拙者は楽しい冬を過ごすためにも、あの蜥蜴を綺麗に加工して価値を最大限にあげるでござる!
む~ん! 正直どうしたら良いかは分からぬでござるが適当にやってみるでござる!」
地竜の前に立ち腕を組み観察する。
落とし穴に埋めてしまっていた為に、かなり汚れている。
まだ血は固まっていないようだから肉もしっかり加工すれば食べる事ができそうだ。マズイけど。
「う~ん……やっぱり見た目綺麗にするのが一番でござろうか?
普段は疲れるからやらぬでござるが……価値があると言われれば是が非でも綺麗にしなくてはなりませぬな!
とにかく全力の本気で頑張るでござるよ! はぁぁぁっ!!」
魔力を集中し水の固まりを作り出す。
地竜は水に覆われ、水の固まりの内部は激しく動き始める。
「美味しいご飯がたべたぁい! その為にも蜥蜴よ! 水と空気の力で綺麗になるでござる! むぉおおお! 超振動バブルウォッシャァアーー!」
水の中にぷかりと浮かんだ地竜は、洗濯機のように渦を巻く水の流れでぐるぐる回りながら洗浄されてゆく。
もちろんこの世界でそんな事をして加工していく者など居はしない。
マコトは日本で一般的に知られている技術を魔法で転用し、そして最大限利用して、一事が万事この調子で地竜の素材を最高級品へと導いてゆくのだった。
--*--*--
私とアリサはマコト殿と別れてからテオ達を追いかけた。
「しかしマコト殿は物凄い力を持っていたね。」
「そうね」
「あの水の刃を見たかい? 地竜がまるで果物のようにスパっと!」
「えぇ。」
「この国……いや、他国においても、あれほどの使い手はいないだろうね」
「だと思うわ。」
私は移動の間じゅうマコト殿がいかに有能であるかを語る。
アリサは耳にタコができるほどに繰り返し聞かされうんざりしつつも生返事を返している様子だ。
私も興奮はしているけれど、ただ思い付きのまま話しているのではない。
これは誰にでもできる洗脳。
繰り返しによる『刷り込み』だ。
私はアリサが話しかけられ続けた程度で自分を放り出す事は出来ないシュチュエーションを利用し、何度も言い聞かせて出来る限りマコト殿の情報を秘匿しておくようマインドコントロールをかけているのだ。
アリサも繰り返し聞かされれば、少しずつ聞かされている事のハードルが上がり、国家規模での危険性の話に代わっていてもそれに気付くことなく自然と『そう』なのだと思ってしまうだろう。
実際マコト殿は国家規模で有用であるがために、危険でもあるから事実だ。
そして刷り込まれたことでマコト殿に関わる事自体が危険であると認識していれば、人は敢えてそこに近づこうとはしなくなるものだ。
自分の思惑通りに進める為の姑息な手ではあるけれど、これはもはや必要悪なのだ。
私は貴族として人心操作を学ばされている。
いかに自分の思うように人を動かすか。これは貴族であれば勉強しなくてはならないこと。必要不可欠な知識。
そして私は学んだ事を活かす能力に長けていた。
例えば私の小隊の隊員は皆、痛みを勲章と思い誇る性質になっている。
だが昔はそうではなかった。私が訓練の中に色々と織り交ぜて教育したのだ。
その結果。見事に痛みは勲章であると思うようになった。素晴らしい。
そんな私と一緒に行動していれば、いかにアリサと言えど簡単な意識操作から逃れる術は無い。
私がアリサに関して狙ったのは『察しの良いテオに知られないよう。マコト殿に関わる事を可能な限り黙らせておくこと』が目的だ。
マコト殿を私が主導する形で街に迎え入れる準備を整えるまでの間。可能な限り邪魔をさせずに自分のペースで場を整えておきたかったのである。
アリサがテオ殿にマコト殿の事を黙り続ける事は、まずありえ無い。必ず話す。
どれだけ刷り込みを行おうが、必ずアリサはマコト殿の事をテオ殿に報告するだろう。
だが街への帰還までの間。そしてできることなら帰還してからも数日は黙っていてくれるだけで大きなアドバンテージを得る事が出来る。
それを願っての行動だった。
もちろん私は私欲の為にそうするのではない。貴族の利の為でもない。貴族の利の為であればもっと直接的な方法を取る。
もちろん多少の私欲はあれど、今回の件は一介のハンターが関わるにはあまりに問題が大きすぎるのだ。
テオ殿がどう動くか分からないが、もしマコト殿がハンターと関わるようになり、その力のまま頭角を現してしまえば嫌がおうにも権力争いは発生する。
そして権力争いが起きれば、今のマコト殿は全てを捨てて逃げ出す可能性が高い。いや逃げるだろう。
だからこそ秘匿すべきなのだ。
多少の事が起きても逃げ出さない程の信頼関係という檻が完成してから、少しずつマコト殿の望む方向で頭出しをして馴染ませてゆくのが最良だろうと判断した。だから今はどんな可能性も潰すべきではない。
幸いな事に城壁都市カーディアには、警戒すべき権力は数える程しかない。
大きなところでは『騎士団』『領主』『ハンターギルド』の3つ。
騎士団は王族。領主は貴族、ハンターギルドは民間権力者に繋がる。
私は騎士団であり、そして貴族でもある。どちらに与することもできるし、どちらにつくかはその時の風を見て決めるべきだろうと思う。ハンターギルドの民間勢力は、どうやってもアリサとテオ殿が関わってくることになるだろう。
ふふふ。
アリサに罵倒されるのも楽しそうだけれど、テオ殿にじっくり嬲られるのもソレはソレでたまらない物がある。
是非ねっとりと叱りつけて欲しいものだ。
おっと、いけない。その為にもしっかりと今は刷り込みを――
こうしてアリサは元々コミュニケーションを得意としていなかった事もあり、マイラの刷り込みを容易に受け入れてしまうのだった。
3日後にテオ達に追いついてからも街に帰還するまでマコトの事をテオに話す事は無かった。
テオも、もちろんアリサが何かを懸念している違和感に気づいていたが騎士団の目もあり、黙っているアリサを突く事は出来ずマイラの思惑の通りの結果となった。
赤熊の毛皮と素材をもって街へと戻った騎士団とアリサ達は、負傷者は出たものの死者無しで赤熊を倒すという成果を上げ、稀に見る凱旋となった。
その成果は街に熱を帯びさせる。
そしてその熱に誘われるように、マイラの知る事のない一人の少女が動き出すのだった。
「貴女がテオねっ! 待ちに待ち、待ちわびたわ!」
街の入り口近くのハンターギルド内に響き渡る声。
扉を開くと同時に開口一番の大声。
声を聞いてすぐさま顔を大いに顰める受け付けの男と、ギルドに居合わせたハンター達数人。
その顔は皆『まただよ』と思っているであろうことが声に出さなくても容易に分かる。
そんなハンター達とは対照的に急に名指しされ呆気にとられた表情を浮かべるテオ。そして急に呼び止めた少女を訝しむアリサに、状況を把握しようと様子を伺うマイラ。
「……えっと、どちらさま?」
テオは心当たりが無さそうな表情で顔を傾げて見せる。
それは年端もいかぬ少女に対する気遣いを含めた顔だった。
「私はハンターになるの! だから私を鍛えて!
2年あれば私がハンターのトップに立って見せるわ。そしてそうなったら恩は返す! 損はさせないわ!」
ツカツカと足を進めてくる少女。
少女の言葉にギルド内にいたハンター達はうんざりとした表情を浮かべる。
うんざりとした表情の他には、若気の至りを思い出して苦笑いをする者、癪に障ったような表情をする者など様々いる。
そして、テオはまだ状況が掴めない戸惑いの表情。
アリサは少女の言葉に大して癪に障ったような表情。
そしてマイラは面白い事が始まりそうだという部外者の笑みを浮かべた。
テオは小さく息を吐いてから口を開く。
「ええと……やる気があるのは結構なことだと思うわ。是非頑張って。
でもそれだけのやる気なら私は必要ないと思うから自力でなんとかなさい。」
「えぇ分かったわ! 私は自力で動く事にする。自力であなたについていくわ!」
まさか、そう返されると思ってなかったテオは頭を抱える。
少女はテオを気にすることなく独白のように言葉を続けた。
「私は貴方を見てハンターという生き方を学び、そして赤熊の毛皮を纏ったハンターのあの方の隣に立つの。」
うっとりとした表情で滔々と語り自分を愛おしむように抱きしめる少女。
「あぁ待っていてください赤熊の毛皮のお方。フリーシアはすぐに参ります。」
テオは少女の独白にうんざりしたような表情を浮かべる。
――だけれども
『赤熊の毛皮を纏ったハンター』
『赤熊の毛皮のお方』
という響きに心当たりのある人間は、厄介な事にこの場に2人もいたのだ。
マイラは表情をいたずらに変える事などしない。
だけれどもアリサの表情はそうはいかなかった。
そしてフリーシアは貴族の屋敷にメイドとして勤めていた経験から、人の表情から物事を察する能力に長けている。
こと敬愛する相手の事に関する事ならば猶更その能力に磨きがかかって当然だった。
フリーシアはうっとりとしていた表情を瞬時に切り替え、その瞳でアリサを射抜く。
「あなた……赤熊の毛皮のお方を知っているわねっ!?」
その言葉を聞いたテオもまたアリサを見る。そして何を黙っていたのか悟るのだった。
マイラは静かに『厄介な事になった』と天を仰ぐしかなかった。




