10 さらに奥へ
身体だけではなく剣に至るまで魔力での強化を施し、全身全霊をもって打ち込んだ突きがしっかりと急所を捉え突き刺さる。
感触を逃すことなく捉え続け、一撃で止めを刺すべく口から脳天にかけて突き立てたバックソードを捻り、そして身体の痛みをこらえ両手で押し込む。
視界の端に赤熊の最後の足掻きであろう爪の攻撃が見えた。
赤熊の巨体から放たれる一撃は、例え撫でられるに等しい攻撃であっても厳しいダメージを受けることは間違いなく、最後に一捻りだけ加えて深く刺さりすぎて抜けないバックソードを諦めて手放し、赤熊の一撃を躱す。赤熊は空を切った手に振り回されるようにふらりと揺れ、そして倒れた。
肩で息をしながら倒れた赤熊を見下ろすと、じわりと血が流れ出し完全に絶命している。
このマイラ・ナバロ・トレンティーノが、あの赤熊を仕留めたのだ。
「取った……取ったぞっ!」
そう宣言し片手を上げる。
全身で喜びを表現したかったけれど全力を振り絞った身体はその喜びについてきてはくれず、左肩の激しい痛みに膝から崩れ落ちてしまう。
崩れ落ちると膝が笑い始め、ようやく命のやり取りに心が怖気づき、弾き飛ばされた際に軽くない怪我を負ったことを理解した。
上がらなかった腕に、じわりと広がる痛み……左肩付近の鈍く大きな痛みは骨に異常が起きている事を知らせている。
喜びもつかの間、痛みはすぐに脂汗へと変わり流れ出る。
「ぐうぅっ……」
思わず漏れる声、顔をしかめながら周りを見れば弾き飛ばされた騎士団の仲間達も似た様な状況。さもなくば私よりも酷い姿になっている。
『堅牢』で強化した防御をこうも容易く壊す赤熊は紛れもなく化け物。力の象徴と言って過言ではなかった。
「動けない者はいるか?」
「足をやられた者が3名。その他もかなり痛めていますが辛うじて動けるかと……お見事でした。小隊長。」
苦しみの汗を流しながらも口角を上げて微笑む隊員。
他の隊員達も皆、偉業を達成した喜びを噛みしめている。
私も栄えある騎士団として誇り。
そしてその勲章である痛みを受け入れ微笑みを返す。
この痛みは勲章なのだ。
痛みこそが誉なのだ。
皆も誉の価値を分かっているようで、この勲章を満足そうにしっかりと受け入れている顔をしている。
素晴らしい事だ。
偉業達成の余韻を味わいながらも、成し遂げたからこそ偉業の成果はしっかりと持って帰らなくてはならない。
「テオ殿……我々は今、動けそうにない。それに解体の腕も自慢できるようなものでもない。すまないが赤熊の毛皮の採取を頼めるだろうか?」
既に地に降り立っている女性へと声をかけた。
「えぇわかったわ。私達で解体を進めておくから貴方たちはとりあえず動けるように手当を進めて。ここはまだ森の奥。動けなくなれば諦めることも多くなるわ。」
「助かる。」
「アリサ? 貴方もケガは無い?」
「えぇ、ちょっとぶつかっただけだから問題ないわ。」
アリサと呼ばれた女性へと目を向ける。
彼女はバスタードソードの切っ先についた赤熊の血を振り払い、そして流れるような動作で鞘に納めた。その動きからバスタードソードを長く愛用していることがわかる。
同じ長物を使う身として親近感と共に少しの対抗心も沸く。
なぜなら、いくら私が赤熊殺しの方法を伝授されていて屠ったと言え、彼女の一撃が無ければ仕留める事は到底かなわなかっただろうからだ。
騎士団小隊の攻撃では赤熊は止められなかった。
赤熊が動きを止め、怒りの咆哮を放ったのは、彼女がその剣で目を射抜いたからこそ。
少しの敗北感を覚えつつも押しとどめ、まずは礼儀の賞賛を送る。
「アリサ殿。貴方の一撃があったからこそ仕留める事が出来ました。貴方の剣に感謝を。」
心からの感謝と礼を述べると、アリサは意外そうな顔をした後、そっぽ向いてしまった。
そのような非礼な態度をとられることはこれまで無かった為、あまりの珍しさに返って呆けてしまい、そしてゾクゾクしてしまう。
それにしても彼女の使った剣は騎士団の『ベルセルク』達の戦い方に通じるものがあるように思える。私達、守りの『ナイト』とは真逆の力の使い方。
あの偉そうな態度からも、もしや身分を隠している人物である可能性もあるかと思え、話をしてみたかったのだが、どうにも難しそうだ。
あぁ、それにしても無視とはひどい。ひどいなぁ。ふふふ。
「あら? アリサ照れちゃって。」
「別に照れてなんてない。私が仕留めきれなかったのを持っていかれて悔しいだけよ。」
あぁ、やっぱり無視されてる。
ああんもう。
「わぁああ……赤熊を仕留める場に居合わせるなんて、メリナ幸運です!」
「ふふふ、本当にそうね。じゃあ早速だけど解体しましょ。傷が少ないから頑張って綺麗に皮を剥がなきゃいけないし時間もかかりそうだわ。」
--*--*--
「むぅぅ……なんだろう。怪我してる人多そうだし、あれかな? 助けた方がいいのかな? でも拙者怪我の治療とかしたことないでござるぞ?
それに急に見知らぬ人間が現れたら襲われちゃうかもしれないし……うーん……う~ん……」
マコトは悩んでいる。
もちろん動けない。
--*--*--
「ねぇ小隊長さん。もうすぐ毛皮を剥がし終わるけれど、この後はどうするの?
一応『燃える大蛇』の近くまで来ている事は伝えておくけれど、流石に負傷者を引き連れて行動は許可できないし、私は撤退を勧めるわ。赤熊の毛皮は十分な帰還理由になるでしょう?」
「確かに……もし今さらに奥へと進んで他の赤熊にでも出くわしたらと思うとゾっとする。ちなみにだが『燃える大蛇』の予想地点はここから距離はあるのか?」
「そうね……長くても半日はかからないと思う。」
「ふむ……となると、ここまで来て少しもったいない気にもなる……
例えばの話として聞いてほしいのだけれど、小隊には早く帰還を促した方がよい隊員も多いから帰還は賛成だ。だが私は肩を痛めた程度で移動に支障はない。
私とテオ殿で『燃える大蛇』の予想地点へ向かい確認して戻る。というのはいかがだろうか?」
渋い顔をするテオ。
「了承しかねるわね。
私は今回、案内人として依頼者の犠牲を出さないことを目標にしているわ。さらに奥へ進むという事は危険が待ち構えているし軽症でも手負いの人を庇う余裕はない。さらに言えば今いるここも十分に森の奥地。安全とは言えないのだから怪我人を守る手はいくらあっても足りない。だから全員で帰るべきだわ。」
「テオ殿の気遣いは痛み入る。だが我々も騎士。
本来の報告ができずに戻るというのは不名誉極まりない。その理由が尻込みととられるようであれば剣を捧げた者として尚のこと。
ここまで来て帰るのは背に傷を受けるようなもの。」
「死ねば恥もかけないわよ。恥は生きている実感だと思えばいいじゃない。いい? 私は誰も死なせない。」
静かに見合い、柔らかな会話の中でもお互いに譲らない雰囲気を発している。
言い分が平行線を辿りそうだ。
「はぁ……じゃあ私が見に行ってこようか?」
「ふむ? よいのか?」
「ちょっとアリサ。」
厳しい目を向けるテオに肩をすくめるアリサ。
「だって仕方がないでしょう?
怪我人の安全を考えればすぐに離れるべき。それに解体をして血の匂いも漂わせているから一刻も早く洗い流すべきで、血の匂いの充満するここは可能な限り早く離れる方がいい。
だけれども我儘な小隊長様は見に行きたいとおっしゃる。
議論している時間はもったいないし、一人で行かせれば後味も悪いしテオの主義に反する。
それなら私が行って見てくればいい。それくらいできる腕があるのは信じてもらってもいいでしょ?」
テオはじっとアリサを睨みつける。
アリサは平然とした顔でそれを受け流す。
「時間は刻々と過ぎ、変化は始まってるわ。
ねぇテオ。あなたが鍛えた腕を信じて。」
アリサの言葉にテオが諦めの表情を見せた。
「獣の気配に向かわないって約束できる?」
「えぇ。私は死にたくないから約束するわ。ちゃんと家に帰ってテオの作るご飯を食べたいもの。」
アリサが笑顔を作り、テオは深くため息をついた。
「……分かったわ。
私とメリナで騎士団の方々の帰り道をエスコートするわ。アリサは大変だろうけれど確認を宜しく。
でもお願い。お願いだから無理はしないで。」
「有難うテオ。」
「いいえこちらこそ。本当に気を付けてねアリサ。」
ハグをして、すぐにマイラへと向き直るアリサ。
「じゃあ、一刻も早く移動して確認して、すぐにテオ達の所に戻って合流するわよ。
いい。私が帰る判断をしたら、絶対に帰る。どれだけ目的地が近かろうともね。
私の指示に従わなければ置いていくわ。恨まないでね。貴方が選んだことよ。私はテオ程優しくはない。」
「あぁ。それで構わない。行こう。」
アリサとマイラは剣を取り、さらに森の奥へと動き出した。
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「むむっ!? ポニテさんがイケメンと二人きりで移動を!? ら、ランデブー!? ランデブーでござろうかぁ! ぎゃばあああああああっ!! そんなそんなぁああ! これは追いかけなくてはぁあああ!」
マコトはマイラが女であることなど知らないのだった。




