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男二人



「えーっと? どちら様ですか?」

「あっ、すいません! 203号室に越してきた三竹と申します。よろしくお願いします」

「いやあ! どうもありがとう。こりゃ花蕎麦かい、おじさん大好物なんだよ、もう調査済みかい?」

「ええ!? 調査!?」

「はっは、冗談冗談」

 ワイシャツにジーンズとラフな格好で出て来た101号室の人は、初めにやにやと態とらしく肘で突っつくような雰囲気だったが、一転して爽やかに笑いだした。50歳程で短髪、少しお腹の出ている男性で縁無しの眼鏡を掛けているところから、最初は取っ付きずらい人なんじゃと思ったが、感じの良い人で安心する。

「あの、お名前を伺っても」

「ごめんごめん、櫟って言います。木偏に楽しいみたいな漢字でいちい。イチイの木って知ってる? あの漢字だよ」

「へぇー、珍しい苗字ですね」

「確かに、俺も親戚以外じゃ見たことないかも」

「やっぱり」

 年上の男性だったが、飾らない雰囲気につい気安くくすくすと笑ってしまう。

 しかし、ふとした瞬間に視界に入る隣の102号室のカーテンに、思わず肩を竦めて笑いも引っ込んでしまった。

「ん? どうしたんだい?」

「いえ、少し気になる話を聞いて…」

 流石に新参者が勝手に噂で悪く言うのは気がひける。思わずぼやかすと、櫟さんは得心したように頷いた。

「ああ、201号室の新居地婆さんの妄想話を聞いたんだろ。あんなん只の火曜サスペンス好きで暇な婆さんのホラ話だから、気にしなくていいよ。俺も越して来てから事件が起こってそりゃびびったけどさ、散々警察が怪しいってんで取り調べた上で解放されてんだから、犯人なわけないだろうに」

「そ、そうなんですね。ありがとうございます、安心しました」

「いや、お役に立てたようで何より? そりゃ女の子だし、そんな話聞いたら恐いよな」

 その言葉に相槌を打っていると、櫟さんとドアの隙間から部屋の中が少し見えた。

 ダイニングテーブルと覚しきものの上に、可愛らしい花瓶に入ったひまわりが一輪入っている。

 鮮やかな黄色が照り映える。

「ひまわり…、って、すいません、中見ちゃって! 少し意外に思ってしまってつい」

 偏見と言えば偏見だが、おじさんが花を飾っているということについつい驚いてぽろりと呟いてしまうと、照れた様に櫟さんは頭を掻いた。

「いやぁ、自分でも柄じゃないって分かってるんですけどね、彼女にどうしても見せてあげたくて」

「素敵ですね。小さな気遣いって、女性なら絶対嬉しいですよ」

「そうかな」

 言葉では謙遜しつつ、満更でもなさそうである。視界に入った左手の薬指には何も嵌っていないが、色々と事情があるのだろう。それでも幸せそうなオーラ前回の櫟さんに、あてられない内に退散することにした。

「彼女さんと一緒に暮らせるといいですね」

「え? ああ、もう一緒に同居してるんだよ。籍は入れてないけどね」

「わっ、重ね重ねすいません! 今から挨拶した方がいいですか?」

「いやいや、大丈夫。彼女は体が弱くて人見知りだから、いつも向こうの洋室で休んでるんだよ。お互い気を使っちゃうし、気持ちだけ貰っておくね」

「はい」

 リビングではしんとした静かな部屋の中でカーテンがひらひらと動いているだけだったから、てっきり誰も居ないと思ってしまっていた。色々やらかした気がして申し訳なく思いながら櫟さんと別れる。

 どうしようか、少し戸惑いながら102号室の市野仁さんのドアの前に立った。インターホンを押す指が震える。殺人犯ホラ話、窓越しに見える閉め切られたカーテンの奥で重苦しい闇が渦巻いているように思えて、夏なのに妙に背筋が寒かった。



 ピンポーン



 押した、押してしまった。焦りと後悔と恐怖と緊張と、そしてほんのちょっぴりの好奇心。

 押しておきながら心の中で出てこなくていいと念じていると、通じたのか202号室の時と同じ様に何の返答もなかった。

「かけときまーす」

 伺うように、少し安堵が滲んでしまいつつも声を掛ける。メモも2回目だと手馴れたものだ。

 現金なもので、山場を終えたと思えた私は一気に気分が晴れた気がした。

 そりゃそうだ、何で挨拶回りでこんな緊張しなきゃならないんだろう。

 浮かれつつ、メモを菓子折りを入れた袋の中に入れる。そして何の気なしに見納め気分で閉じられたままのカーテンを見た。



 隙間から男が片目を覗かせて私を見ていた







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