一日前
月曜日。昨日の内にどうしても月曜火曜と休ませてくれと上司と真中に連絡をしておいた。上司からは評価が下がるのは確定と言われたが、何故か体調を慮る言葉と共に、渋々許可してくれた。真中にも同じ様に気遣われたが、そんなに体調が悪そうな声をしているのかと思わず笑ってしまった。まぁ運が悪ければ明日はこの世にいないのだ、評価もあまり気にならないし体調が悪そうというのも当然だと頷ける。
さて、あと会えていないのは富さん達と櫟さんと…、102号室の市野仁さんは会っていないけどどうなんだろうか。でも声が聞こえていた可能性もあるし…。
行動範囲的にぐらいだよね、引越し業者さんは何度か会ったけど一応話しといた方がいいかな。あとは--
昨日ホームセンターに行った時に買ったものを取り出していると、ピンポーンと部屋のベルが鳴った。
珍しいと思いつつ、昨日と同じように覗き穴から外を伺う。
富さんと命君がいた
緊張で乾いた唇をぺろりと舐め、ドアを開ける。
「朝なのに急に来ちゃってごめんなさいね」
「いえ、大丈夫ですよ。どうやら暑くて体調を崩してしまったみたいで、明日までお休みを頂いてたんです」
「あら、そうなの? 大丈夫? それじゃあ直ぐに帰るけれど…」
今なら分かる。相変わらず富さんはその上品な仮面に隠すのが上手だ。
「大丈夫です、風邪とかじゃなくて貧血みたいなものなんで。それよりも用件って何でしょうか?」
「ごめんなさいね、ええ、用件って程じゃないんだけど、三竹さんが飼っているペットを教えて頂きたくって。ほら、態々ペット可のハイツを選んだでしょう? 私も金魚を買っているのだけれど、どうせなら色々な動物に触れさせてあげたいじゃない?」
白々しい。白々しい白々しい。手を引かれている命君は、相変わらずぼんやりとした澄んだ目を虚空に向けている。
「私がこのハイツに決めたのは、恥ずかしながらお金が無かったからなんです。実は寮が完成したんで木曜には引っ越す予定なんですけど…。だからペットは飼ってないんです、命君ごめんね?」
前と同じようにしゃがんで目線を合わせた。でも、手を伸ばしたりはしない。それでも命君を見ていると思うものがある。
私の命は死んだのに何故生きてるの?
「あらほんと? じゃあ私が見たのは別の人だったのかしら? 確か猫を連れていた気がしたのだけれど…」
「気のせいですよ。まぁ私はありふれた容姿ですしね。なんなら部屋を確認してみます? 汚いんですけど」
「…いいかしら? ふふ、お宅訪問なんて久しぶりだからドキドキするわ、三竹さんありがとうね」
「いえいえ」
玄関に命君を置いておくあたり、アレルギーを警戒しているのだろう。もし富さんが犯人だった場合、その執念深さが悍ましい。
だがどれだけ痕跡を探してもない筈だ。一つを除いて毛の一本まで残さず思い出しそうになるものは処分したのだから。
ベランダ付近まで確認されたが、結局は何も見つからないようだった。そもそもほとんどがダンボールに詰められて殺風景な部屋だ。隠れる場所も何もない。
その時、急に命君がリビングへと入って来た。
慌てて富さんが命君の背を押して、足早にお暇するわねと呟く。
私がその何処か滑稽な慌て様をぼんやりと見ていると、顔だけ振り返った命君がすっと私に手を振った。
「ばいばい、さよならだね、ばいばい」
後ろで、冷蔵庫が低い機械音を立てた。
◇
「櫟さん、こんばんは」
「やぁ、どうしたんだい? いえ、実は木曜日に引っ越すことになりまして。慌ただしいのですがお世話になったので挨拶だけしておこかなと」
「そうなのかい、いやぁ、ようやく華がやって来たと思ったのに残念だなぁ。いや、こんなこと言うと彼女にバレたら怒られてしまうかな、あっはっは」
「彼女さんとは長いんですか?」
「ああ、そうだよ。もう10年以上一緒に居るさ。彼女は良いとこの生まれでね」
「へぇ、そうなんですね」
平気な顔で嘘を吐く。設定を喜々と騙る様は真実を知ってしまった今不気味に思えて仕方がない。それとも彼の中では本当のことなんだろうか?
「そういえば櫟さんはペットを飼っていませんでしたよね。折角珍しいペット可のハイツですのに、飼われないんですか?」
「ああ…、ほら、彼女が俺に構ってくれなくなるだろ? あと…」
「あと?」
「あんまり煩いとさ、ほら、邪魔でしょ? ようやく静かな生活を手に入れたんだ、煩くされるのは嫌いなんだよ。ね? 三竹さんも分かるでしょ?」
◇
あー誰がお前を殺したんだろうねー
でもそれも明日分かる。クロ、もう少し待っててね