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猫が死んだ




 ざああああ

「もう、急に雨とか勘弁してよね、天気予報もハズレっぱなしじゃん」

 ぶつくさと思わず文句を言いながら鍵を差す。夜だから、夏とはいえ流石に濡れると冷えるのだ。

 ガチャ――と開いた隙間から、もわりと熱気が流れ出た。冷えていたとはいえ、暖かさではないそのじめっとした蒸し暑い不快さに思わず眉を顰めてしまう。

「うわ、今日はぬるいから大丈夫だと思ってエアコン切ってたっけ? すぐに除湿しなきゃ。クロもバテてないといいんだけど」

 バタバタと足を疲れさせるヒールを脱ぎ、手探りで電気を探す。手首でビニル袋がゆらゆらと揺れた。

「クロー? 買ってきたよー、どこー…」

 パチンと一瞬視界を白くさせてから部屋が照らされる。

 自分の部屋なのに何かボタンをかけ違えたかのような、奇妙な違和感がいっそ峻烈に感じられた。

 ちぐはぐとした気味の悪さで、首がそわりと摩られる。


「ク、クロー?」


 不安を払拭しようと少し明るく呼ぶが、何故かにゃあといういつもの鳴き声が聞こえない。

 なんだ、どこがおかしい?

 私は違和感の源を探そうと、その場に立ち止まってぐるぐると目を動かした。

 ダンボールへとほとんど詰められて何処か殺風景ないつもの室内。ぴちょんと蛇口から零れる水音。時折揺れるカーテン。切られたエアコン。

 またもわりと足元を熱気が通った。汗がこめかみを伝う。



 ――揺れる、カーテン…?



 その時、一瞬部屋と目を焼くほどに白い光が部屋を照らした。次いで轟音が響き渡る。吹いた強風に弄ばれ雷雨に乱れ舞うカーテン、その下で蹲うずくまってピクリとも動かない黒い影。


「…え?」


 トス…と袋が手首から床に落ちた音が、どこか遠くに感じられた。「それ」が何か分かっているのに、答えを否定したい私はどこかぼんやりしたままふらつく足で一歩一歩それに近付く。ぐわんぐわんと視界が揺れるのに、可笑しなことに視線は一点に吸い付けられて外せない。



 いつの間にか私はそれを見下ろしていた。



 それは窓からぱらぱらと吹き込む雨に濡れ、どこか萎んで見える。頭が不自然なほど反り返り、ぱかっと開いた口元からは、伸ばしたまま固まった舌が覗く。

 苦しげな体勢からかまん丸に見開かれて閉じない金眼。それこそまるで人形みたい生気がなくて――― 


 信じたくなくて、嘘だと確かめようとしてそっと恐る恐るいつもの温かな筈の毛並みへと指を伸ばした。


 ひんやりと血の気の引いた指先からすら熱を奪う物体


「うそ、うそうそうそ、ヤダ、ちょっと待ってってば、ねえ!! クロ!? なんで!? 待って、死なないでっ、置いてかないでよ、どうしてっっ何がっ――うああッッ」



 クロが、死んでいる



 冷たいクロは重い。その冷たさが、今まで共に過ごした大事なあたたかい日々を、思い出を、粉々、に、壊して、いく。


 なんで私は今叫んでいる?なんでクロがこんな姿になっている?漏れ出る悲鳴を雷雨が掻き消す。私を見つめる虚ろな金眼。


 ずっと、ずっと一緒だった。私の唯一の家族だった。クロが私の心の拠り所だった。そのクロが、クロが――アア!!!


「誰が殺したの!? 一体、一体誰が!? クロが一体何をしたって言うのよッ!?」


 目の前が真っ赤に染まり、体中が沸騰しそうな程の激熱のまま、私はクロを抱いて部屋を飛び出した。そしてそのまま隣の部屋のドアを叩く。雷雨がその音すらも掻き消そうと荒れ狂う。


 ドンドンドン!!


「開けて! 開けろ! 開けなさいよ!? 居るんでしょ!? あんたじゃないの!? あんたがッ、あんたがッ!!」


 誰が殺したかなんて分からなかった。真っ赤でぐらぐらとして、このどうしようもない程の憤りが矛先を求めた。だってまだ私の腕の中に居るのだ、クロが。私の家族が。目を見開いて、苦しげな顔で私を責めているのだ。


 お前が此処に連れてきたからだ

 お前が早く帰ってこなかったから

 お前は窓を閉め忘れたんじゃないのか

 お前がお前がお前が―――


 ドン、ドン…


 手が痛くなるほど叩いて、すっと、何してるんだろうという冷えた思考が一瞬過ぎる。

 202号室は無慈悲に閉ざされたまま何の音もしない。

 私はふらふらと視線を彷徨わせた。雨に打たれるナツツバキ。どうしようもない程の心許なさから逃れたくて、私はハイツの中でまだ大丈夫に思える人の元へとふらふらと歩を進めた。

 しかし、インターホンを押す前でこんな時間に何やってるんだと躊躇する。

 101号室の櫟さん、色々情報を教えてくれて、クロを気にしてくれていた彼ならまだ――

 痺れ始めた腕でクロを抱え直し、裏手に回ることにした。電気が付いていれば、少し話を聞いて貰おう。頭がぼおっとする。そうだ、クロは一度家に置いてあげなければ。

 傘を持ってきていなかったので、裏手のナツツバキの下へと逃げるように駆け込む。雷が落ちれば、私も一緒に連れて行ってくれるだろうに。

 101号室の窓を見れば、まだ電気が点いていた。窓際に立っているだろう影が一つある。

 それは、まるで遭難した時のマッチの様に、思わずほっとした安堵感をもたらした。

 光に惹かれる虫の様に無意識にずりっと一歩進んだところで、窓際の影が増える。そこで、さっきまで居た人影は彼女さんの方だったのかと気づいた。そのままカーテンが揺れ始めたので、私は咄嗟にナツツバキの影に身を隠した。改めて考えると、自分の出で立ちは酷すぎると思い至ったのだ。

 先程までとは逆に、息を潜めて身を隠す。ぼたぼたと足元に大粒の水滴が飛び散る。


「まみ、急に降ってきたね。君と見るなら雨ですら綺麗に見えるよ」


 櫟さんの優しげな声が聞こえる。キザらしいセリフだが、それだけ愛しているのだろう。私は悪いと思いつつ、彼女さんの顔を見てみたくなる。


「そうかい? 君は雨が嫌いなものだと思っていたよ」

「ああ、俺はスーツが濡れるから嫌いだな」

「まぁまみが言うなら仕方ないけど」


 雨が掻き消しているからだろうか、櫟さんの声は聞こえる彼女さんの声が全く聞こえない。


「そろそろ風邪を引くよ。戻ろう」


 恐る恐る、私は幹から顔を覗かせる。


「まみ、まみ、まみ」


 ぞわりとした嫌悪感を堪えてクロを握り締める。

 ごぷりと胃液を飲み込んだ。

 ああ、ここは狂った人間しかいないのか


 目の間でウエディングドレスを着させられたマネキンに、愛しげに口付けて横抱きにする男。

 カクリと首が落ちて、何処か手元を思わせる二つのビー玉が私を見つめる。



 男は吐いていた嘘はどれ?






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