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木曜日




木曜日

「クロちゃん今日もいい子でお留守番しててねぇ~。今日は美味しいごはんを買ってきてあげるから」

 にゃー

 ごはんという単語に反応したのか、爪研ぎマットから珍しく顔をあげて返事してくれる。寄ってきた滑らかな黒い毛並みを撫でながら、私はずり落ちてきた鞄を抱え直した。

 今日は決めていた不動産会社へと赴く日である。本当は水曜にでも行きたかったのだが、その日は不動産会社がお休みだったのだ。今日は溜まっていた有給を使っての行動である。

 みゃー

「んじゃいっていまーす」

 金眼が、朝日を浴びて眩しそうに細められた。




「い、たた…」

 周囲を歩き慣れていないのでついきょろきょろと余所見しながら歩いていると、真横の道から不意に現れた人とぶつかってしまう。ドンという衝撃をお尻に感じてついつい涙目になっていると、申し訳なさそうに目の前に手が差し出された。

「ごめんよ、大丈夫? 怪我してないかい? この豚が悪かったねぇ」

「おい、これは筋肉だぞ、人聞きの悪いことを言うな! …、すまんかったな、立てるか?」

 二人組のおじさん達はどちらも角刈りで厳つい感じだが、対照的なガッシリと痩せぎすという見かけに反してどちらも人が良さそうである。この年で尻餅ついてしまったことに恥ずかしさを覚えつつも、手を借りて起き上がらせてもらった。

 それにしても、私が言うのもなんだが平日の昼間から一体何をしているんだろうか。お礼を言いつつもいつもの悪い癖で素直に疑問の表情を浮かべていると、ガタイの良い方がぼかす様に頭を掻いた。

「ああ、ちょっとな…」

「実は僕達は警察でね」

「おい! お前何を!」

「まぁ直ぐに公開捜査に切り替えるってお達しが来たし、別に渋る必要もないだろ。それよりも、少し捜査に協力して頂いても?」

「え、警察ですか? …、あの、何か事件が…」

 あ゛ーくそ、と言いたげな相方を放って、既に仕事モードへと切り替えたのかドラマに出てくる様な黒い手帳を取り出している。公開捜査、私服警察、ハイツの住人、嫌な想像が頭を巡って思わず体を強ばらせて身構えていると、刑事さんは慣れているのか安心させるように微笑んだ。

「そんな緊張しなくても大丈夫、大丈夫。一応報道が出るまでは大っぴらに出来ないから簡単に言うけど、ある誘拐事件を追っててね、この近辺ってことまでは掴めてるから、その犯人の目撃情報を集めて回ってるんだ」

「あ゛ー、一応訊くがこの近くで3日以内に白いワゴン車か、ピンクのワンピースに黄色いリボンの髪飾りを付けた7歳の少女を見かけなかったか? どんな情報でもいいんだ」

 炎天下の中こうして地道に尋ねて回っているのか。真剣な様子で女の子の安否を探る姿に、一市民として協力したいとは思ったのだが、残念ながらそういった情報は持ち合わせていなかった。

「すいません、つい先日越してきたばかりで…、お力になれず」

 申し訳なくて思わず肩を落とす。

「いや、こちらこそ急に悪かったね。わざわざありがとう」

「ああ、十分だ。一応すまんが、このことは報道が流れるまでは他言せんでくれ」

「はい、分かりました」

 大丈夫だと強く頷くと、二人は来た道を手を振りながら戻って行った。

 二人の姿が見えなくなってから、流石に初めてのことだったので後から変な高揚感が湧く。なんというかそれこそテレビのようではないか。

 じりじりとアスファルトから熱気が蜃気楼を作る中、浮かれ足でふらふらと歩いていると、ふと一滴の黒い雫みたいにぽとりと心に影が落ちて来た。

「…、そういえばあの紙きれのこと相談してみとけばよかった」




「ですから、やっぱり新しいところに引っ越そうかと思うんです」

「ええっと、そりゃまた突然だね。入居前にも確認を取ったけど、今解約すると違約金の発生が結構高額となるよ。大丈夫?」

「覚悟の上です。今度のところは家賃が高くてもまともそうな所なら何処でもいいんで!!」

 ずいっと身を乗り出して気迫を伝えると、私が入居する時も相手をしてくれたおばさんは慌てて書類を幾つか用意した。その時、くたびれた服の袖から高価そうな金色の時計が現れる。相変わらず引っ詰め髪で、言ってはなんだが化粧っけもない50代のおばさんに不釣り合いに思えて見ていると、書類を整理し終えたおばさんが視線に気付いた。

「ああ、ちょっと見栄えが悪いだろう?」

「い、いえ! すみません凝視しちゃって」

「いいんだよ、私も思ってるからね。でもま、私にとって開運グッズというかお守りみたく感じててさ、何だかんだと使ってるんだよねぇ」

「ああ、分かります。話しましたっけ、私も飼い猫がいるんですが、ペットの色に合わせたグッズをお守り代わりにしたり、朝のラッキーカラーとか気にしてしまいますから」

 何だか共通点があって和やかになっていると、壁に掛けられたテレビからの音声が切り替わった。


 緊急ニュースです。資産家で有名な吉野さんの長女7歳が誘拐され、現在身代金を要求されているとの報告がありました。後程緊急記者会見が行われ――、警察は3000人体制で事態の収束に――


 ざわっと同じように来ていた客や、店員との間で話が盛り上がる。あの資産家はーと知ったかぶった薀蓄うんちくを横目に、私はこのことだったのかと思いつつ、声に出さないようにして素知らぬ風を装った。

「お金持ちは大変ですよね、あまり関係ないから他人事ですけど」

「…」

 返事が無かったので、おばさんの顔を見る。

 おばさんは食い入るように画面を見つめている。

「あのぅ…」

「ああ、ごめんよ、ハンコとかは次の物件が決まってからでいいから。今日見に行くのかい?」

「お願いします。有給は月曜まで取れたので、今の内に色んな所へ行こうかなって」

「わかったよ」

 過剰にかけられた冷房が音を立てる。緊迫した表情の中継が切り替わった。



 ―――緊急ニュースは以上で終わります―――






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