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始まりのサイレン

澄み渡る青空の下、最後の盛り上がりを見せる球場があった。 

第50回甲子園大会静岡県予選3回戦、私立佐倉浜学園対公立東浜高校の試合はクライマックスを迎えていた。 4対3で迎えた9回の裏1アウト2、3塁。 東浜高校の神原将尋は塁上で生還を願っていた。 


「八番、ショート、真田、くん。」


高校野球独特の女子高生マネージャーが担当する鶯嬢が次の打者を呼ぶ。

東浜の真田和人はバットの芯を手の甲で軽くたたくルーティンを行うと、ゆっくりとバッターボックスに入る。 ここまで佐倉浜学園のエース、プロ注目の中原投手に対して3打数無安打。 150キロを超えるストレートと横に鋭く曲がるスライダーに手が出なかった。


「ここまで打てないとさすがに諦めも入るんだけどな~。 なんでマサはあっさり打てるんだよ。」


そんなことを考えながら三塁を見る。 小中高と一緒に野球をやってきた神原は今日の朝まで中原のビデオを研究していたらしく3打数2安打3打点と絶好調だった。 彼は足が速いわけでも、パワーがあるわけでもない平凡な選手ながら、大一番ではめっぽう強いという特徴があった。 幼馴染がそんな成績を残していれば、負けるわけにはいかない。 そんなことを考えながらゆったりとバッティングフォームを構える。 


初球、アウトローに140キロのストレートがミットに吸い込まれ、乾いた音が鳴る。


「ストライィィィク」



「うへぇ、まじかよ。」


こんな球、公立の中堅高校が打てる球じゃないと心の中で呟きながらヤマを張ることを決める。 ここまでの三打席は全部スライダーで三振を取られている。 スライダーには絶対の自信があるようだから、アウトローのスライダーをライト方向へ、と決める。

二球目、外に逃げていく変化球が投げられる。 「来た」と心の中でガッツポーズをしながらバットを振りだす。 しかし予測よりボール二つ程外に来たため、とっさに右足を滑らせることで腰の回転を止めつつ、バットを合わせる。


カァァン!!


金属音とともに打球が1、2塁間に転がる。


「「「「「「「「「「「「突っ込めええええええええええ!!」」」」」」」」」」」」」


ベンチから3塁の神原に向けて指示の声が届く。


言われなくたって突っ込むしかないだろと、心の中で呟きながらホームへ突入する。

佐倉浜の強肩二塁手が横っ飛びをして打球を止めると、中腰のままスナップを利かせて本塁へ送球する。

本塁を触ると、鈍い痛みとともに彼の意識は無くなった。






























「今日は、もう卒業式か。」


将尋は自分の人生に不安を感じつつ、卒業後の進路ついて考えていた。

彼が佐倉浜高校の試合で左足を失ってから半年以上経っているが、未だに眠れない夜に悩まされることが多い。


「必死にやってただけなんだけどなぁ」


9回の裏のあの場面、一塁手からの送球が横に逸れ、ショートバウンドで捕球しようとした捕手を避けながら本塁にヘッドスライディングしたとき、捕手と交錯し捕手の肘が左足に直撃。 運悪く神経に影響を与えてしまったらしく、左足が完全にマヒ状態になってしまった。 そんな怪我をしながら点をもぎ取ったが、残念ながら試合は10回の表に逆転され敗退。 彼にとっては野球人生を終える試合になってしまったのだ。


「これからどうしようかなぁ。」


将来の事を考えながら、そんなことを呟く。現在は留年という形で、高校生をもう一度やる予定だが、この状態では目指せるものも限られており、そもそも野球を続けたいという願いは一生叶わなくなってしまった。


「とりあえず神社行って、それから考えるか。」


怪我以来心身が不安定になっており、それを安定させるために、といえるかどうか微妙だが、毎朝神社に通っていた。 特に下半身が治るように願っているわけではなく、どちらかといえば、今までやっていなかったことをすることで、自分自身の考え方を変えたかったのだ。


将尋の病院から車いすで10分と掛からないところに神社はあった。 この神社は階段が短く、つえを持っていけばそれほど苦にせず登れる都合のいい場所だった。 車いすを階段の横に置き、自転車用のチェーン型の鍵をつけて松葉づえを持つ。 手すりに右手を添えてゆっくりと登り始める。


「だいぶあっさり登れるようになってきたなぁ。」


自分のここ3か月の行動の成果に少し感動しながら、一歩一歩歩いていく。

お賽銭用の箱の前に立ち、10円玉を投げ入れる。 そして2度お辞儀をすると


パンッパンッ


柏手を行い、もう一度お辞儀をする。

二拝二拍手一拝

信仰しているわけではないが文化としてしないと悪い気がしてしまう。。


「最近はこういう事すら知らない人もいるってTVとか新聞でやってたけど、捏造する新聞社もあるから、本当かどうかわからないよね。」


そんな皮肉を呟きながら帰ろうとすると、神社の屋根に黄色い物体を見つけた。


「狐? いやこんな都会に狐なんていないから・・・・・あれ、消えた?」


見間違いかと思い、目をこすってから目線を戻すと狐らしき物体は消えていた。 あたかもはじめから存在していなかったかのように。




「おーい、マサぁ~!!」


そんな時、後ろからどこかで聞いたことのある声が聞こえてきた。 振り返ると、犬を連れたジャージ姿の真田が息を荒くしながら立っていた。


「また犬と一緒にランニングなんていう変なことをしてんのか?」


「変なことでもないでしょ、散歩する人がいるんだからランニングする人がいたって。 そもそもタロウの足は速いから散歩兼トレーニングにちょうどいいんだって。」


真田は毎朝この神社で折り返すランニングコースを走っているらしい。 とはいっても、知ったのは神社に通うようになったここ数か月の事だ。


「そういや、慶総経済受かったんだってな、おめでとう。」


「ありがとう、第一は一條の経済だから悔しいことは悔しいんだけどね。 まあ、慶総なら八大学野球に参加できるし、就職も強いからいっかなと思ってるよ。」


「お前は昔から頭良かったからなぁ、俺の頭は野球にしか使ってこなかったからさっぱりだ。」


「そんなことないでしょ、マサは勉強しないだけで、明らかに僕より頭いいじゃないか。 高校入った時の実力テスト一位が東浜単願のマサだって聞いたときは本気で驚いたよ。」


公立高校の東浜には明治高校という県内トップクラスの進学校と合わせて受けることが多く、そこから落ちて入学する人も少なくない。入学後の試験は、明治高校落ちが上位を占められている。


「んなもん、試験終えても勉強したかどうかの差だろ。 カズトはそれ以降もしっかり勉強したから有名大学受かったんだし。」


「そうかもしれないけどさ。 なんか自分より頭いい人に言われると微妙だなぁ。 それよりマサは来年何処受けることにしたの?」


「大学かぁ、その辺はちょっと親と相談してからにしようと思ってる。」


「大変だろうし、いつでも相談乗るからね。」


人によっては嫌味になりかねない言葉だ。 しかし彼のまっすぐな気持ちがよく伝わってくるため、嫌味が全く感じられない。 そんな彼の真剣な言葉に苦笑しながら頷きつつ、ランニングに戻るように伝える。


「じゃあね」 「じゃあな」


その言葉とともに、くるりと背を向けて走っていく真田。


「俺もそろそろ帰るかぁ。」


そうつぶやくと、自らの車椅子の元へ戻る。 杖を手放し、車椅子に乗る。 朝に来た道を戻るだけだが、少しだけ億劫な気持ちになる。 真田の人生を羨むわけではない。 彼の人生は彼の努力の結晶であり、自分が努力を怠った結果、足が遅い選手になり、タッチを掻い潜るのに失敗した。 それが怪我につながっただけだ。 論理的にはわかっていた、いや、わかっているつもりだった。 自分がこの立場になってみて初めて自分には抑えきれない感情が、情動があふれてきた。 


「くそぅ、なんで俺なんだよぉ・・・・」


いつの間にか鼻は詰まり、顔をぐしゃぐしゃにして歩いていた。













あれから10年がたった。今俺はスポーツトレーナーとして働いている。とはいっても理論畑の人間だ。自らが体を動かせないことが良い方向に働いたのか悪い方向に働いたのかは分からない。ただ身体をまるで機械のように構造と動きから分析できるようになった。その能力を研究所の教授は存分に使ってくれており、給料もいいので文句はない。


だからと言って心の奥底に残るドロドロとした固まりが消えることはない。これは永遠に無くなることはないだろう。今を幸せに生きるなんてありきたりな言葉を受け入れられる人間は、元々受け入れられる程度の悩みだった、もしくはそう思える幸福な環境にいたのだと感じてしまう。衣食足りて礼節を知る、この言葉が人間というものを正確に表している。善人は善人たる環境をもって善人になったのだ。悪人は悪人となる環境をもって悪人になってしまったのだ。どんな人間でも環境次第で悪魔にも天使にもなる。だからこそこの深く根付いた闇の花を引っこ抜くことなどできない。その生きてきた環境が俺を掴まえて離さない。振り払う事も引きちぎることもできない。それは自分を引き千切ることと同義だから…。そんな陰を感じながら研究所を退社する。




「将尋くぅぅぅん!!」


後ろからの声をかけられ、とっさに目と鼻を袖で拭い、振り向くと、黒いポニーテールをゆらゆらと揺らしながら、大きなタイヤを手で必死に回して近づいてくる存在があった。


「玲か、こんなとこまでどうした?」


新庄玲は病院でのリハビリの期間に出会った、同い年の釣り目と泣き黒子が特徴の女の子だ。 高校の頃に交通事故で両足首の切断を余儀なくされ、それ以来車椅子と共に生活をしている。将尋が怪我をしてから、同い年ということもあって、支えてくれた人だ。正式に交際しているわけではないが、非常に仲がいい。お互い怪我の事もあるため、恋愛に対して積極的にはなれないまま10年近くたってしまった。 


「久しぶりにこっちで吹いたから、将尋くんとこ寄ろうと思って。」


「そっか、じゃあとりあえず飯食いに行くか。」


そう言って彼女の後ろに回り、ゆっくりとした歩みで彼女を押す。


「今日はどんな感じだった?」


「今日は知り合いのレストランで吹いたんだけど、すっごいムスッとしたおじさんがいてね、すっごく良かったの。」


「ムスッとしてるのによかったのか?」


「そうなの、ずうっとぶすっとしちゃってさ。私の演奏聞いてからも変わらなくて、最後には私の事バカにしてきたの。」


そんなことを笑顔で言う。本当にこの子はわからない、分かり合えないかもしれない。ただそれが人間らしくて好ましく感じる。


「明らかに体の悪い私の実力を批判してくれたんだよ?それって単純に実力だけ見てくれているじゃない。私はそれが嬉しいんだ。」


そういう彼女の顔は何よりも輝いていた。俺のような薄汚れた衛星などではなく、月でもなく、まるで太陽のように。


顔を少しだけ赤らめながら俺は、少し恋愛感情を出してもよいのかという感情が湧き出るが、彼女の幸せを考えて、そっと心の奥にしまう。



そんな時、玲の真剣な声が聞こえる。




「聖尋君、あれやばいよ!!」


玲の指を指した方向を見ると、道路に黄色い物体とそれを追いかける女の子の姿があった。

そこにゆらゆら蛇行したトラックが突っ込んでくる。


言葉を発する前に自分の腕を必死に回して、車椅子ごと女の子の下へ突っ込もうとする。そんな玲の車椅子を全力で止めると、すぐに駆け出す。周囲の景色が突如スローになり、自分の動きも遅くなる。この視界は2回目だ、高校野球最後の試合の悪夢を思い出す。だが今回は都合がいい。左足を引きずりながら今出来る限界の速さで走ると、車の軌道と女の子を助けるための軌道が赤い線となって表示される。これならいけると確信し、女の子と黄色い物体を抱きしめると、その瞬間白い壁がぶつかってくる。女の子に衝撃がかからないようはねられた瞬間に衝撃が自分に来るように動く。瞬時に自分の体が飛び上がり、回転を始める。肩から着地する際に逆方向へ女の子を放り投げ、慣性の法則に逆らおうと試みる。その瞬間目の前が真っ赤に染まるが、女の子は無事だとなぜか確信できた。


「ああ、おういうえつあつおありかあ(まぁ、こういう結末もありかな)」


そう考えながら一緒に帰っていた少女を見る。泣きそうな声を出す玲を見て、告白しなかったことを少し後悔しながらも、なぜだろうか満足という感情が湧き出てくる。そんな彼が最後に見たのは、玲の泣き顔と、その肩に乗る二足歩行の狐だった。














「…んっと、あれ、家なのか。」


目を覚まし周囲を見渡す。するとすぐに返事が返ってきて驚いた。


「将尋~、早く準備しなさ~い。もう班の子来ちゃうわよ~。」


班?いったい何のことを言っているのだろう。そんな疑問を持ちながら立ち上がる。脳からの指令が無駄なく体へと広がっていく。こんな感覚はずっと持っていなかった、いや持つことは出来ていなかった。そんなことを考えていると、母親らしき人物が扉を開けて現れた。どう見ても母親の顔より肌がきれいで、まるで昔の母親のようだ。


「あれ、いつの間に退院できてたんだっけ?」


ふとそんなことを呟く。


「あんた何言ってるの?退院って、私別に怪我も病気もしてないわよ。」


「あ、そうだよね、勘違いだ。」


そういうと、ふーんと呟きながら台所へと戻っていく。自分よりも大きくなっている母親、班、なにより体が思った通りに動いているという事実。いつの間にか床へぽたぽたと水滴が落ちていた。何がどうなっているのかは分からない。ただ、俺は小さく健康な体を持っているという事実が認識出来た。


俺はまた野球が出来るのか…。


読んでいただきありがとうございます。

多忙なため筆が遅いかと思われますが、よろしくお願いいたします。

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