1 路上のタンポポ
ア マイ フィロソロフィ1 路上のタンポポ
無草 宗一郎
1章 全ての始まりの不登校
僕の名は笹原一樹。これは僕についての物語としか言い
ようがない話だ。
物語はどこから始めるべきか。まずは自身の家庭の話を
しようか。
僕が生まれたところは東京の立川だ。その中のあるアパ
ートに僕たち家族が住んでいる。僕の両親は普通の親だ。
父は聴覚障害者のための学校の先生をしている。母は中学
校の事務のパートをしている。
立川はうざい場所だ。人がたくさんいる。とにかくうる
さい。僕はうるさいものが嫌いだ。
しかし、今一番問題なのは僕が学校にいってない事だろ
う。
学校は小学のときから嫌いだった。いつも人がいて,人
と一緒にいるというのがいやだし、みんな仲良くの言葉が
いやだったし、かといって一人になるとまるで世界から
締め出された(しめだされた)感覚がいやだった。
同年代の人しかいなくてどこまでも閉ざされた場所で、
どこか学校には独特の空気がある。周りにひたすらあわせ
る均質性と、同年代の何かの特技をもつよう強要させられ
る少年達の感覚(少女の事は僕は男なのでよくわからない)。
それがないまぜになって強力な息苦しさがある。
小学校はなんとか行けたが、僕は中学は一日しか行かな
かった。
両親の反応は書きたくもない。あえて書くならば、父は
何も反応がなかった。あとでははから聞いたのだが、父は
あれでかなり心配してくれてたらしい。かなりの子煩悩だ
とそうだ。僕はそれを聞いてあきれてしまった。影で心配
してるだけで、だからなんだというのだ。心配したら物事
がよくなくなるのか。パレスチナの地が平和でありますよ
うにと祈ったらあの地域が平和になるとでも言うのか。
見守る姿勢は悪くないが、それにも条件というか、そも
そも見守るというのは見守る対象をまず見て、対象が壁に
ぶつかっても対象が壁を越えれると思ったら見守って、対
象が明らかに壁を越えれない時には手を貸すというのが見
守るという事だろう。
対象が壁を越えれない時に手を貸すのは心配して見守っ
てる事ではない。それは親の責務を放棄している事だ。
母は最初当たり散らして次に泣いて次に優しくなった。
もうこれ以上言いたくない。
僕は今自宅から立川の町並みを見ている。僕はこの家が
嫌いだ。父も母もいるだけですごいプレッシャーをかかっ
てしまう。家庭という場所は距離が近い分だけ、嬉しい事
も分かち合えるかもしれないが、逆に近い分嫌な事も強烈
に意識してしまう、言うなれば劇薬みたいなものだ。
このあと僕は家庭や親が悪いのではなくて子どもにとっ
て家庭しか場所がないと言うのが一番の問題という事に気
づいた。しかし、当時の僕はとにかく親が悪いと思ってい
た。
今でもホントこれは恐ろしいと思うのだが、テレビやあ
らゆるメディアで家族の大切ばかりが喧伝されて僕はそれ
を真に受け、家族は安心できるもの、しかし、実際は安心
できない、助けてくれない。だから親が悪いと思っていた。
今では悪いのは親ではなく子どもの教育を親に丸抱えさ
せる社会がおかしいと思うのだが当時はわかっていなかっ
た。
それで僕は鬱々(うつうつ)としたまま日々を過ごしていた。
-ピンポーン。
「あ、はーい」
僕は呼んでいた小説を閉じて玄関に向かった。
小説と言っても小説といってもこの頃呼んでいたのはラ
イトノベル系のキャラクター小説なのだが、この頃はこう
いうたぐいのものをよく呼んでいた。ただ、中学の3年頃
になってくると僕は重松清とかを読み始めたのだがまあ、
それはいいだろう。ちなみに僕には姉と妹がいる3人家族
だ。そして、この日本ではありがちな事にこの僕たちは仲
が良くない。姉はファンションとか友達の関係ばかり気に
する、ちょっと派手目の女性で僕と全く馬が合わなかった。
それに最近は僕は映画とか海外文学に興味を持つように
なったし、ゲームをまったくしなくなった。しかし、この
当時は当然の事ながら友達など皆無だった。つまり、僕は
家の中で完全に孤立していたのだ。
それはともかく、僕には家庭教師の先生がいる。その先
生が教える時間が今ぐらいなのだ、だから今チャイムを鳴
らしているのはおそらく先生だろう。
-がちゃ。
若い20代ぐらいの男が立っていった。ひょろりとした
体格で何か自信なさげな雰囲気を漂わせている。その人が
言った。
「あ、こんにちは笹原君。あがってもいいかな?」
「どうぞ」
やはり。想像していた通り鳴らしていたのは先生、後藤
正和だった。
後藤先生は純粋な家庭教師だ。何でも入社したてだとか、
そのため昼からはみっちり先生に教えてもらってる。
後藤先生は週五日、僕の家庭教師をしてくれる。
「さて、一樹君。先週の宿題はやったかな?」
「あ、はい」
僕は先週した宿題を提出した。たしか、金曜日したのは
世界史と数学なのだ。
「ああ、これね。採点するからちょっとまっててね」
後藤先生が採点を始めた。僕はやる事がないので外でも
見ておいた。
街は何も変わる事はなくひたすら流動し続けていく。僕
はそれを見て自分が一人取り残された気がした。街の人は
動き続けているのに自分だけ変わってないと思うのだ。
「よし!採点終わったぞ」
「あ、はい」
それで僕は後藤先生の方にいった。
「笹原君、この問い3が間違っていたし、、問い7や8も...
...」
「あ、そうですか......」
僕は後藤先生の解答をひたすら聞いた。
僕は今地理の授業を受けている。それが一通り終わった
ところで後藤先生から休憩がはいった。
「はい、お疲れさん。今から十分休憩をしますからお茶でも
のんで来なよ」
「............」
でも、僕は動く気はなかった。代わりにこんな事をいっ
てみた。
「先生.........」
「ん?なんだい?」
僕はかねてから言いたい事を先生に言っておきたかった。
いや、誰でもいいから言っときたかった。その中で一番近
くにいたのが先生だっただけなのだ。
「......先生、僕の将来はどうなるのですか?将来の事を考え
ると頭がおかしくなります。それほど将来の事が不安でし
ょうがないんです。それもあるし、この家にいる事自体嫌
です。家族がとにかくいやです。ぼくはこれから、どうす
ればいいんでしょう。将来も不安だし、家族とも折り合い
がつかないし、本当にどうすればいいんでしょう」
「はは......」
先生は困ったように笑った。
「まあ、だいじょうぶだと思うよ。この期間がいつまでも続
くわけではないと思うから、君は若いからわからないと思
うけど生きてればいい事があるよ。だからそんなに考えす
ぎない方がいいよ」
「はぁ............」
僕はそういうものかな?と思っていた。しかし、心の中
ではまったくそれに納得できなかった。人から言われた事
を納得できずに頷いてしまうというのは僕の最高級に悪い
ところだ。今も、納得できずに頷いてしまって、あとでも
っと言っておけばよかった!と後悔ばかりしてる。でもあ
とで後悔しても遅いのだ。今、瞬間言わなければいけない
のだ。しかし、当時はまだ中学生だ。知識や人生経験もな
く自分がやってるずるい行為にもある程度許されるだろう。
だが、20過ぎてからはそうはいかない。
それはともかく、僕は先生の答えに心底納得できずにま
た、勉強を始めた。
僕は今自室にいる。もう日は沈み街は誘惑するかのよう
に鮮やかな光を輝きださせている。
それはともかく、僕が住んでるマンションを紹介しよう。
僕たちが住んでいるのは立川中心市街のマンションに住
んでいる。よく、こんな汚いところにマンションを建てよ
うとするのか僕はよくわからないのだけど、とにかくマン
ションが建った。まあ、そのおかげでここから見える街の
流れを見れてよいが今は僕たちが住んでる部屋割りを話す。
玄関からはいって、ちょうど右に風呂場とトイレ、左の
キッチンがあり、正面に一本の道がある。その道に4つの
扉があるのだが、右手前にリビングがあり、右奥に両親の
部屋が、左手前に姉妹の部屋と左奥に僕の部屋がある。
そして両親の部屋と僕の部屋はリビングでつながってい
る。そんなつまらない場所に僕は住んでいる。
僕は今、江藤中学にいる。江藤中学とは僕が住んでる場
所の近くにある公立の学校だ。
それはともかくその江藤中のとある一室に僕はいた。そ
の部屋はマリンの部屋と言う。ここにはスクールカウンセ
ラーがいて僕は週に一回ここに来るのだ。
ここのカウンセラーは生徒の悩みとか聞いてくれてるら
しい、しかし、僕の見たところだとかしましい女子達が来
たぐらいなもので、週一回とはいえ、ほとんど生徒を見な
かった。
僕は今ここにいてカウンセラーと対面している。もう、
このカウンセラーの名前は忘れてしまった、ただ、年の若
い女性だという事は覚えている。とにかく、対面している
が、何も言葉が浮かんでこないのだ。
「笹原君。笹原君が好きなものは何?」
「......本」
「じゃあ、今度好きな本もってきて、それを読もうよ」
というのがファーストコンタクトの時交わした会話だ。
それで今は本をもってきて読んでる。
「それ、おもしろい?」
「......うん」
「............」
沈黙が降りてくる。いつもは普通にあるので何ともない
けど、話をすると沈黙が上に飛ばされる。そして、話が終
えると降りてくる。僕はマリンの部屋に来て何度もこうい
う目に合った。
しかし、カウンセラーの人は懲りずに話しかけてくる。
「笹原君はそんな日本が好きなら将来は作家さんになれる
といいね」
「............」
これを聞いて僕はかなりあきれてしまった。この当時は
中学生だったけど、作家には普通はなれないし、他に言う
事はないのか?と思ったのだ。
多分、あのカウンセラーも困っていたのだろう、不登校
の子にどう話せばいいのか困って、それであんなことを言
ったのだろう。
正直言って僕はこんな事ばかり言うカウンセラーを見下
していた。子供心にもわかるお世辞しか言えない、しかも
そのお世辞はかなり下手な事をするカウンセラーを見下し
ていたのだ。
それで僕は黙々と本を呼んでいた。マリンの部屋に来て
も充実した感じをもてないまま、ぶすぶすとくすぶり続け
る事になるのだ。
その後母が自動車で僕を迎えにきてくれたのだ。母はど
うだった?と聞いて僕は別にと答える日々。
ただ、僕が考えていたのは、どうして僕はカウンセラー
の人と仲良くできないんだろう?という事だけだった。ど
うやったらカウンセラーを信用できるのかを考えていた。
カウンセラーは何でも話してくれていいよ、といい。僕
も何か話そうと思うのだが、言葉が浮かんでこない。そも
そも、どうしてカウンセラーを信用する事がわからなかっ
た。僕はカウンセラーの人となりをまったく知らないし、
そういう人に対してどうやって信用して話すという事がわ
からなかった。
しかし、カウンセラーとか精神科医の著作を呼んでいる
と人が普通にカウンセラーに話している姿を書いているの
で、カウンセラーを信用できない僕が異常なのかと思った
のだが、今は180度考えが違う。
昔の僕の考えが正しかった。カウンセラーというのは端
的に言って異常な存在なのだ。
本来の人間関係は出会って話をしてその後関係が深まっ
たりするのが誰もが抱いてる人間関係だろう。その時、関
係が深まるのに必要なものは何か?という問いにはそれは
人によって様々だが、しかし、だいたい次の事が関係を深
くしたいという要素ではなかろうか。
つまり、その人は自分にとって利益を引き出すかどうか、
だ。
ここで言う利益はただの自分のステータスという事では
なくて、例えば相手の優しい言葉遣いが自分にとって安心
できるという、事もここで言う利益の一つだ。
そしていくら自分が利益ばかり追求しても相手は一向に
見向きしなくなるという事に気づいたら人間関係の端緒を
つかむ事になる。そう、自分が相手を査定する立場である
と同様に相手も自分を査定するのだから、相手と友人同士
になりたかったら自分が相手を満足してもらえるようなも
のを与えないといけないのだ。そうしたら相手もこちらに
向いてくれる。人間関係はそういうものなのだ。
これが通常の人間関係ができるあり方だろう。これがわ
かればカウンセラーというのはどこかおかしいという事に
気づくはずだ。
カウンセラーはこちらが与えないのにはなしを聞いてく
れる。いや、与えるものはある。それは金だ。金でこちら
の話を聞いてくれるのだ。
普通に考えればわかると思うが、仮に金を払って友達に
なってもその友情は長続きするか?
いや、普通に考えればわかる事だけど、それははたして
友情と言えるのか?と普通なら考えるだろう。
ここで普通、普通って言うのを疑問視する方もいよう。
普通はそんなに普通なのか?と考えられた方もいるだろう。
その気持ちはわかります。確かに僕もことあるごとに普通
という方は好きではないが、ここで考えなければならない
のは金で友情を買うという状況なのだ。
この状況を考えてあなたはおかしいと思わないのか?
僕はおかしいと思う。どう考えても異常だろうと思う。
この状況で『異常』を使わずしていつ『異常』を使うのか
疑問に思うほど異常だと思う。
資本主義の発展でいろんなものを商売にして言ったが、
ここで一番商品にしてはいけないものを商売にしてしまっ
たのだ。それがカウンセラーというものだ。
人間は基本的に自信の欲望に基づいて生きているから、
だからこそ、人間関係を商品にしてはいけない。人間関係
を金で買ってはいけない。人間関係というものは自分の利
益を優先すると必ずしっぺ返しを受けるものだ。若い人は
それを学ばなくてはならない。そして、人に与え続ける事
によって、ようやく人に認めて貰える。そういう事が真の
絆というものではないか。カウンセラーや精神科医は金で
買うから親しくなれないし、なにより若い人だと人間関係
の試行錯誤を奪うからその罪は重い。
精神科医は投薬で治療する分カウンセラーより危険度は
少ないが、それでもそれは薬をくれる人ぐらいの認識でい
いと思う。最近、よく話を聞く精神科医もいるが、そうい
う人は信用してはいけない。適当に話して、さっさと切り
上げるのがベターだろう。
もちろんベストはそういう人達関わらない事だ。しかし、
関わらざるを得ない場合もあるから、(特にカウンセラーは
僕はもうなくなってもいいと思うが、精神科医は投薬によ
ってなおる場合や、寝れる場合もあるから精神科医はあっ
てもいいと思う)そのときは話半分に聞いておくとよい。
それはともかく、僕は母の車の中でどうすればカウンセ
ラーと打ち解けれるのか?僕に友達ができるのか、を考え
ていた。
今ならわかるのだが、この当時の僕はカウンセラーに過
度に期待をしていたのはやはり自分が他人に合わせたり、
他人を愛する事に気後れを感じていたからなのだろう。
この当時の僕に言いたいのだが、やはり自分が愛される
には自分が率先して人を愛さなくてはダメだ、という事だ。
この事がわかった時に友達を作れるスタートラインに立つ
のだ。