ただいま混乱中
夜会の広間の中央といったら、ダンスをする場所と相場は決まっている。
「で、殿下?」
私は引きつった声で呼びかけた。
「心配するな」
殿下が私に微笑みかける。
それはそれは綺麗なエメラルドグリーンの目で。
うっとり見惚れていたために、気がついた時には広間の中央まで来ていた。
「子供用のステップで。それなら踊れるだろう?」
はあっ?
この華やかな、
年頃の男女が結婚相手を求める、
裕福な未亡人が愛を探す、
享楽的な貴公子が一夜の恋を差し出す、
そんな夜会のど真ん中で――
子供用っ?!
「お前は覚えていないかもしれないが、私を相手によく踊っていたぞ」
楽しそうに言う殿下。
私もそれ、よーく覚えています。
でも、本物の王子様相手に『夜会ごっこ』という名の妄想を繰り広げていた過去なんて恥ずかし過ぎる。出来るだけ速やかに忘れたい。
「そうでしたか? 遊んでいただいた事は何となく覚えていますが……」
殿下も忘れて下さい。
「曲が始まるぞ。準備はいいか?」
「はっ? えっ? やだっ! 笑い者になるっ!」
「王太子の相手を努めるのだから、笑い者になるわけがなかろう」
そりゃあそうですけどね。
初心者向けのダンスステップを俗に『子供用のステップ』と呼ぶ。
ステップを習うのが子供、教えるのが大人という場合が殆ど。身長差があるので両手を繋いで体を離したまま踊る。
今、正に殿下と私がその状態だ。
「そう、上手。上手」
殿下、楽しそうですね。
「次、こうやってごらん」
殿下がステップを複雑なものに変える。
見よう見まねでステップを踏むと、そこでくるんと回された。
よし。もうすぐ曲が終わる。
よく頑張った、私。
「じゃ、次は難しい方のステップで一曲通してみようか」
「はい――――っ?! 衆人注視の中でのダンスレッスンって、何の罰?!」
思わず叫ぶと、殿下は頭をのけ反らせて笑った。
すぐ側を、ドレスアップした美しいお嬢様達が踊りながら通り過ぎて行く。
皆さん、少し羨ましそうな表情なのは、ひょっとしなくても殿下が相手だから。
代わってあげますよー、誰か助けて。
「上手ではないか。なぜ、ダンスが嫌いなのだ?」
殿下が問いかける。
「知らない人とあんなにくっつくの、嫌じゃありませんか?」
「それほどでも。まあ確かに、香水のきついレディに当たった時は勘弁してくれとは思うが」
「私、ダメです。考えただけで気持ち悪いです」
「潔癖症だな。知り合いならいいのか?」
「父とか、叔父とか、従兄とかなら」
「身内ばかりではないか」
殿下は少し考えてから、
「私はどうだ?」
と、訊いた。
「子供の頃、膝に乗せてやっただろう?」
「そうですね」
「試してみよう」
「や、待って下さい! 王太子殿下に『気持ち悪い』発言するはめになったら困ります」
「気持ち悪かったらそう言え。許す」
片手が離されたと思った途端、腰をぐっと抱き寄せられた。
どこかからか、女性の悲鳴が聞こえた気がする。
「気持ち悪いか?」
私は殿下の顔を見上げた。
「あ……大丈夫みたいです」
「よかった」
殿下は、私を抱き寄せたままステップを踏み出した。
気づくと三曲目が始まっていた。
同じ人と続けて踊ってちゃダメなんだよなぁと思ったけれど、相手はお偉いさんだ。
抗議できるわけもなく、叔父に救出されるまで五曲くらい踊った。
それが何を意味しているのか、鈍い私は気づくはずもなく、翌日の昼過ぎに父から仰天の事実を突き付けられるのだった。