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伊古元亜美のショートショート集

車上の風景

作者: 伊古元亜美

ショートショートになります。(3,135字

 すっかり凍えた風を全身に浴びながら、俺は自転車のペダルを回していた。

 

 大通りを走る車のライトは、少しだけ曇ったメガネのレンズ越しにはその輪郭がぼやけて見えた。まるで祭りのイルミネーションのようで、帰り道を華やかに彩っている。

 

 癒される、とまではいかなくても、部活で疲れた夜道にこうした何気なくも美しい風景は、ひどく心に染みる気がした。

 また疲れているといっても、いやな意味ではない。むしろ充実感に包まれた、心地のいいものだった。好きな先輩にプレーを褒められたくらいで、ここまで舞い上がっているとしたら、俺は本当にお気楽だと自分でも思うが。

 

 いや、あるいは練習後に、この時期誰もやりたがらない雑巾洗いを率先したやったことで、先輩に「ありがとう」と言われたのが大きかったのか。どちらにせよ、俺が単純であるという結論からは、逃れられそうにないけども。

 外気に触れてますます赤くかじかんだ手で、俺はハンドルを握る。熱を奪われたためか、指先の動きがいつもよりのろい。反応の悪いロボットアームみたいだ。そこに熱を呼び込むように、グリップの上で何度も手を閉じては開き、を繰り返す。

 

 きらびやかな夜景と手元に映ったハンドルと指先。それこそが、俺が自転車の上から眺めている風景だった。

 

 そのまましばらく走っていると、目の前の歩道をふさぐようにして自転車が横倒しになっていることに気付いた。よく見ると、車体の下には人が倒れこんでいる。

 俺は慌てて自転車を近くに止めると、駆け寄って声をかけることにした。


「大丈夫ですか!」


 俺の声に若干の遅れを伴って男は反応する。


「ああ? ……ああ、悪いけど電話してくれねえか?」

「その前に、自転車どけますね」


 電動自転車のようで、自分のものよりずっと重い車体を引っ張り上げて、隣に並べて止めておいた。


「それで、怪我してるんですか?」

「ああ。最初は痛くなかったのに今はいてえんだ」

「怪我の直後は痛みがないことが多いですよ。後から痛覚が働いてきますからね。……歩けますか?」


 縁石に腰を下ろした男は、自分の足をさすりながら眉間にしわを寄せて語った。


「ぶつかってきた奴な、そのまま行っちまうんだよ。俺は歯が無くなっちまうし……。そもそもどうしてここにいるのかわからねえ」


 頬に差す赤みは寒さだけによるものではないらしく、俺はどうしたものかと内心で戸惑っていた。


「……まあ、一応自転車でも飲酒運転はダメですよ」


 だから、そんな言っても仕方がないようなことを言うにとどまった。しかし、とりあえずのところは傷害罪などの事件性はないらしく(ぶつかった人がいるらしいが、どうせ覚えてもいないだろう)、先の焦りは和らいで、俺は徐々に落ち着きを取り戻していった。


「それで、歯っていうのは?」

「差し歯なんだよ。どっか行っちまった」


 そういって男は足元に視線をさまよわせる。車道を走る車のライトが絶え間なく地面を照らしたが、探し物を見つけるにはやはり暗すぎた。俺は携帯のライト機能を使おうとして操作に手こずっていると「別に明かりはいらねえよ」と男が制した。俺も手伝って探してみるが、男に引っ張られて「あぶねえよ。轢かれんぞ」と気づかぬ間に車道に出ていたことに気付いた。   


 一瞬それらしきものを見つけて教えてみたものの、「これじゃねえや」と男はそれを投げ捨てる。どうやらただの石ころだったようである。

 しばらく探してみたが、結局歯は見つからなかった。そんな中、俺は切り上げるタイミングを模索していた。


「それは、ここで見つけないと困るものですか?」


 男もついに捜索作業をやめると、地面にあぐらをかくように腰を下ろした。


「いんや」


 その返事が本意かどうかは知る由もなかった。ただ、あまり長居するつもりもなかった俺はその言葉に乗ることにした。


「そういえば、電話はいります?」


 てっきり救急車を呼ぶことになるかと身構えていたのだが、割と平気そうな男の姿を見て、その選択肢は必要ないと判断した。それでも聞いたのは、一向にその場を動こうとしない男に、誰かしら迎えの人間を呼んでもらえばと考えたからだ。さすがにこのまま見捨てて帰るわけにもいかず、事態を収拾してくれる第三者の存在を、俺は期待していたのである。


「お前さん、高校生かい?」


 だから男の脈絡のない質問に、俺は内心すこぶる訝しんでいた。それでも表向きは「ええ」と素直に返答したのだが。


「新入生か?」

「まあ一年ですけど、もうすぐ二年生になりますよ」


 とりあえずさっさと事態を終わらせようと、俺は疑問を放置して質問に応えることに専念する。


「アルバイト帰りか?」

「いや、部活やってきたんです」


 そういって自転車にかけたラケットケースを指差した。男は「ふーん」としばらく納得したような仕草を見せて、最後にこう続けた。


「……お前さん、優しいね」


 どうやら助けてくれた人の情報を、知りたかっただけのようである。俺としては倒れている人を前に素通りができなかっただけで、助けようとか大層なことは考えてはいなかったのではあるが。それでもその言葉から、男の感謝の念が推し量れた気がして「ありがとうございます」と返事をした。その言葉もよく考えればおかしな返事ではあるのだろうけど、男の表情を見る限り、俺の気持ちは伝わったのではないかと思った。


「礼がしたい。飲み物でもおごらせてくれ」


 すぐ近くに屹立する自販機を見ながら男は提案した。


「やめてください。別にお礼が欲しくて助けたわけじゃないですから」


 助けた、と言うのに多少の抵抗はあったものの、その言葉は本心からだった。それはうまく言えないが、俺の善意が報酬という対価を得ることでそれそのものではいられなくなる、変容してしまうということを恐れたから―――などという理由では決してない。

 単純にさっきから帰りたくて仕方がない自分には、おごられるだけの時間すらも惜しいと感じただけである。あー早くご飯食いてえ。


 ただそんなことを知らない男はひどく感服したらしく「お前、かっけえなあ」と肩にぽんぽんと手を置いた。それでも「でもやっぱ、お礼はさせてくれねえかな」となかなか引き下がる様子はない。


「……わかりました。それなら代わりにあなたが困っている人を見つけたとき、こうして助けてあげてください。それでチャラで」


 普段は絶対に言わないであろう類のセリフがすらすらと出てくるあたり、俺は常時から相当かけ離れた状態であったらしい。具体的にそれを一言で言い現わすならば、『空腹』、である。


「……お前、やっぱかっけえなあ」


 男は感慨深そうにそう言った。


「キザなセリフは言える時に言っとこうと思いまして」


 そんな捨て台詞を残して、俺と男は別れた。

 男は自分で自転車がこげる程度には回復したらしく、これならば問題ないだろうと判断し、俺は颯爽と帰路についていた。

 帰り道にて、先の会話を反芻して「何言ってんだ……、俺は」と自らつっこみを入れる。思い返せば羞恥に苛まれてしまいそうな台詞のオンパレードではあったのだが、不思議と恥ずかしさよりも喜びの方が勝っていた。


「今日は、礼をよく言われる日だな」


 日頃の行いは、案外このような意外な形でもって現れるのかもしれない。あまり善行を積んだ覚えはないのだけれど、誰かを助けようとしてお礼を言われる、それだけでこんなにも心弾むような気分になれるとは思わなかった。

 自転車のサドルに腰かけながら、いつもと変わらぬはずの、しかしなにかが違う風景を眺める。

 

 眼前のイルミネーションに酔いしれながら、俺は恥ずかしさをかき消すように力いっぱいペダルをこいだ。上がる速度は向かい風をより強くして、俺の全身へと降りかかる。


 凍えるように寒い風に吹かれながら、しかし俺の心は温かかった。



 読了ありがとうございます。

 この話は今年6月に改正道路交通法が施行される前に書き溜めたお話ですので、一部違反行為をほのめかす描写もあります。

 無論、罰則がなければやってもいいという話でもありませんが、要はなにを言いたいかといえば、月並みですが自転車の交通ルールは守りましょうってことです。

 この点は本作の趣旨とはずれますが、一応弁明しておきます。


 2015/09/05:誤字訂正

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