3XXX年 礼賛堂内部・暗赤と鮮紅
中へ入った俺と乃幸の眼前に、広々とした展示場が映る。
礼賛堂の中は、昔は違ったのかも分からないが、今では極東やその他の地域から運ばれてきた歴史的価値のある品物を展示する博物館じみた場所となっている。
「ほー……」
乃幸の感嘆。
「……!」
俺はといえば、ただただ絶句していた。
あった。あったのである。
目の前に、ずっとずっと見たかったソレが。
“枯種”の大太刀を始めとする武装と軍服。その原本である《枯種/》が。
「うおおお……!」
歓喜の声をあげながら、俺はそれらが展示されているショーケースまで走――歩いた。ギリギリのところで思いとどまった。礼賛堂の中では、走ったりは厳禁だからな。予習はバッチリだぜ。
「すげえ……やっぱり、すげえっ……!」
“枯種”は、座者の配下の一体である。
こいつは、全身が枯木のようになった人間だ。恐ろしい速度の斬撃と体術。そして《枯種/》の原本から繰り出される原本符牒。それらを用いて、勇者や天使ご一行の進路を妨げ続けた者。
けれども、最後には倒された。悪は滅びる、ってヤツだな。
そして、その得物であるこの錆び切った大太刀と軍服、枯種の原本である《枯種/》は、世界を巡り巡って、この礼賛堂へ送られてきた。
実を言えば、俺が今日ここを訪れた最大の理由が、この“枯種”の武装を見るためなんだ。いやあ、人気あるんだこいつが。世界に隠れている、座者達のマニアには。
そう、マニア!
座者一味は、最後の最後まで“謎”そのものだった。その神秘性とミステリアス性に……ああ、意味いっしょか。まあとにかく、妙な魅力があったんだよ。
彼らが、座者達が掲げた悪は、どこか廃れていた。
退廃の正義、というべきか。
大敗の正義……はただ韻を踏んでるだけで、言葉としては無意味だな。事実に基づいてもいないだろうし。
それよりももっと座者一味に似合うのは、大敗の中で諦観仕切った悪。恐らくはこの言葉だ。
と言ったら、ちょっとカッコつけすぎかな。まあ全部、俺が勝手に集めた資料を元に勝手に妄想した座者達の像なんだけどよ。
ま、俺が座者達のマニアの一人をしている理由は、けっこうシンプルだけどさ。
カッコよかったんだ。ただただ、彼らは。
特に、この“枯種”は。
軍服に身を包み、目元は帽子で隠れる。長身痩躯で、スラリとした大太刀を自在に操り、更には《枯種/》の原本ときた!
くう、なんか、痺れるんだよなぁ。直詩努桜にとって、好み過ぎる化け物だぜ。
あの《枯種/》の原本も、パッと見ればただのちょっとだけ綺麗な石コロなんだけどよ。あの、枯種の本質が凝縮した塊は、俺の目にはなによりもキラキラ輝いて映ってるぜ。俺もあんな原本が欲しかったな……。
“霧姫”や“永劫の魔術師”とかに熱中している奴らもいるけど、俺はやっぱり“枯種”だなあ。いや、俺調べによれば、一番人気は“霧姫”らしいけどよ。中でも、ヨミの方が――――
「努桜? ぬおー? じきしぬーっ? 起きてるーーーっ?」
集中しすぎて、乃幸の言葉を全く聞いてなかった。
「なんだ?」
「見てみて、すっごく綺麗な人達っ」
小声で言い、乃幸はそっと目配せした。
その視線の先を向くと、
「おお……」
確かに。綺麗な女の人達だった。
「すっごいね、なんかほんとすっごいねっ」
興奮したように、乃幸。
「お、落ち着けよ」
俺達の視線の先にいるのは、赤い長髪の女性が二人だ。二人とも、ひとつのショーケースを前になにやら話し込んでいる様子。
赤髪と言っても、彼女達二人は違う赤色だった。
まるで頭から喀血をかぶったかのような鮮紅の髪と、
まるで頭から吐血をかぶったかのような暗赤の髪。
対だ。
俺の中に浮かんだ感想が、それだった。
いつの間にやら、俺はその二人の横顔をポーっと見つめていた。
人外めいた美しさ、と言ってしまうのが一番早いかもしれない。それに、二人とも顔がよく似ている。双子と言われても納得する程に、いや、本当に彼女達は双子なのかもしれない。暗赤の髪の女性の方は、眼鏡をかけているという違いがあるけれども。
「あら」
鮮紅の女性の方が、俺達の視線に気付いたようだった。
「フフ」
にこりと、笑みをくれた。一種の艶めかしさを含んだ、笑顔を。
「え、知り合い? ぬおーの知り合いっ?」
「し、知らんぞ。俺はあんな美人な姉ちゃん知らんぞ!?」
あたふたと、俺達。
すると、その鮮紅の女性が、すたすたと俺達の方へ歩いてきたではないか。
緊張が度を越しそうになる俺と乃幸。
俺達の目の前まで歩き、おもむろにその女性は口を開く。
「私の顔を、気に入ってくれたのかしら?」
「え、ええ! それはもう! すっごく綺麗だなーって私思っちゃって」
乃幸は大慌てで言う。テンパリまくってるけれども本心のようだ。
「フフ、アナタもジュウブン、綺麗よ?」
嬉しそうに微笑し、鮮紅の女性は言う。
女神だ、と俺は錯覚した。案外その通りなのかもしれない。
「私はエニンと言うの。そしてアッチの眼鏡がクシス」
鮮紅の姉ちゃんがエニンさんで、暗赤の姉ちゃんがクシスさんというらしい。
「く、久々津乃幸です!」
「直詩、ぬいぉ、努桜です」
なんてこった。冷静さを演出しようと思ったらこれだよ。
「じきしぬー! そんな噛み方ってないよ!」
「うるせえっ、噛んだもんはしょうがないだろ」
慌てふためく俺達若造二人組へ、エニンさんは鮮紅の瞳を細める。そして、言う。
「ノサチちゃんとヌオウくんは、今日はここへ、ナニカを見に来たの? それともフラリと立ち寄っただけ?」
「お、俺、いや僕は“枯種”の武装を見に来ました!」
「私はその付添です!」
答える俺達に、エニンさんは「枯種の、ネエ……」と微笑する。
「エニンさん達は、今日は如何様なご用件なのですか?」
妙な敬語で、乃幸は尋ねた。
「私達が見に来たのは、アレよ」
言って、エニンさんはひとつのショーケースを指さした。
彼女が指さしたのは、“座者”の偶像。鎮座する座者の姿の像が立っているスペース。
「へ、座者のですか?」
「エエ。私達はフラリと立ち寄った口なの。偶々近くを通りかかったものだから。
というかクシスっ、アンタもいい加減コッチに来たらどうなの」
と、エニンさんは座者の偶像の前に佇むクシスさんを呼んだ。
「エニン達がこっちに来ようよ」
気だるそうにクシスさんは言う。
とても嫌そうだった。動くのメンドイって感じだ。
「まったく。サッサと来なさい」
エニンさんは気が強そうなつり目だけれど、クシスさんはどこか寝ぼけ眼だ。
顔は似ているのに、雰囲気はまるで違う。
「……分かったよ。“肉塊”」
吐き捨てるようにクシスさんがそう言うと、
「あら」
空気が、変わった。
「あらアラ、クシス?」
エニンさんの笑顔が瓦解した。そして現れる、怒りの表情。
アンノウンという言葉は、エニンさんにとってどうしようもない程に禁句だったらしい。
「う……」
なにより、怖かった。
ぎゅ、と俺の服が誰かに掴まれる。
「っ……!」
乃幸か。頼りにしてくれてるのは嬉しいけど、俺もめちゃくちゃ怖い。
「その言葉は頂けないわねえ、クシス?」
凄味のある声で、けれども表面上は穏やかにエニンさんは言う。完全にプッツンしている。
「私は事実を述べただけだけど?」
応じるように不敵な笑みを浮かべるクシスさん。
エニンさんの激怒を真っ向から受けているのに、ケロっとしている。すごい。
このままでは、なんかすごいケンカが起きそうだった。
でも、俺が割って入る余地はまるでない。俺達以外のお客さん達は、なんだかすごい遠くに行っちゃったし。これ警備員が来るんじゃないのか。
いやでも、警備員は果たしてクシスさんとエニンさんを止められるのか。無理な気がする。だって怖いもの。
「いけません、いけませんよ。クシスにエニン」
考え込む俺の背後から、エニンさん達を宥める声が聞こえた。
見ると、真っ黒な髪の小柄な少女が立っている。
黒い礼服を着た、まるで葬送の帰りのように真っ黒な姿をした一人の少女。そのどす黒い、陰鬱な夜を閉じ込めたかのような瞳を俺達の方に向け、夜魔のように……なんかその、どことなく色っぽい笑顔を浮かべている。
「まったく貴女方は、目を離せばすぐに喧嘩をふっかけあう」
彼女の浮かべる笑顔は、妙だった。
半泣きのような、半笑いのような。
どちらともつかず、どちらともとれる奇妙な表情。
まるで、道化だ。
「すみませんね、お二方。不安になったことでしょう。
ですがご安心を。この二人は喧嘩するほど仲が良い、を地で行くような者達です故」
と、彼女は俺達に笑いかける。今度はまともな笑顔だった。お綺麗でした。
「エールフト……アンタどこ行ってたの?」
横やりを入れられ、エニンさんは憮然とした声で言う。
「興味深いものが多かったので、好奇心の導くままに彷徨っていました」
恐らくはエールフト、と言う名の彼女が答える。
「申し遅れました。私、名をエールフトと言います」
エールフトさんであっているようだ。
「く、久々津乃幸です……」
乃幸は、まだ少し怯えている風だった。
パーソナルスペースをガン無視とばかりに、俺の近くにひっついている。照れる。
「直詩努桜です」
今度は噛まなかったぜ。
「ずいぶん、仲がよろしいようで。将来を誓い合った者達とお見受けします」
と、エールフトさん。
多分、乃幸が俺にひっついていることを言っているのだろう。からかうように微笑している。
「妬けるわあ」
「うん……」
エニンさんとクシスさんまで。
先程の険悪さなど、もう微塵もなかった。
「ち、違いますよ。俺と乃幸はそんなんじゃっ……」
均整な顔立ちの三人に見つめられ、俺は頬が紅潮するのを感じた。
「なっ」と俺は乃幸を見る。
「……」
わあ、顔真っ赤っかだ。俺よりも真っ赤っかだ。
「幸多からんことを」
とどめとばかりに、エールフトさんが祝福する。
「花束とかいる?
私、綺麗な花がたくさん咲いている場所を知っているのよねえ」
「私、惚れ薬作れるよ? 使う? 燃え上がるよ?」
エニンさんとクシスさんが悪ノリしてきた。
「え、あっと、その」
待って。待って!
まだ早いから、結婚とかまだ早いからっ……て、「まだ」ってなんだよ俺ぇ!
「はい……」
しおらしく笑う乃幸。何に対しての「はい」だそれは。
分からんぞ、俺には分からんぞ。
けど自分が照れていることは分かる。あー、ぜってえ今顔真っ赤だわ。恥ずかしい……。
乃幸も自分のペースを取り戻してきたのか。明るい声で、
「そ、その、エールフトさんやエニンさん、クシスさん達だって、恋人とかいそうな気がします。だってお綺麗ですしっ」
と聞いてのけた。
すげえよ、乃幸。俺じゃその質問はできない。
ま、まあ、確かにエニンさん達美人だし、俺も気になるところじゃあるけどよ……。
「バラバラになった」
最初に言ったのは、クシスさんだった。
ものすごく悲劇的なことを、淡々と仰った。
「え、あ……す、すみません」
踏み入っちゃいけないことだ、と俺は悟った。乃幸も、恐らくは同じことを思っただろう。
「……っ…………」
俯き、クシスさんは悲しげに表情を歪め……あれ、笑ってね?
「ぷぷ」
クシスさん笑ってる。確信した。
バラバラになった恋人のことを思い出して笑ってる。
「え、も、もしかして……嘘、なんですか?」
むしろ嘘であってほしい。
嫌じゃん? 最愛の恋人がバラバラになった光景を思い出して笑うとか、なんか嫌じゃん?
愛が歪み過ぎてるよ。もし本当だとしたら。
「うん、嘘……ウソ」
安心したぜ。クシスさんは歪んじゃいなかった。
「クシスの話なんて、真面目に聞くだけ損よ」
と、エニンさん。
「さて、私は……」
「エニンも、いないよ」
エニンさんが話しだす前に、クシスさんが先に言った。
「ちょっと! いないってことはないわよっ、いたわよちゃんと!」
「だってエニン、一方的だったじゃん? ロゼッタに取られちゃってたじゃん?」
「あれは取られたッて言わないの! そもそもロゼッタだって一方的だったわよ! 愛があるとかなんとか言ってたけど、アレはただの束縛だった。傀儡みたいに扱っちゃってまったくもうっ」
ドロドロしてそうな予感がしたから、俺は口を噤んだ。
口を挟んだら、思わぬ地雷を踏んでしまいそうだったから。
「止めなさい。みっともないですよ」
再び言い争いになりかけたエニンさんとクシスさんを、エールフトさんが止める。
「りょーかい」
「はあ……」
大人しく言うことを聞く二人。
どうにも、立場はエールフトさんの方が上らしい。姉だろうか、いやでも似てないな。
それじゃあ上司か? でもなんのだ?
「ちなみに私はいませんよ?」
なんとなく、俺はすんなりと納得できた。
エールフトさんは、そのようなイメージが湧かない。
なんでも一人で完結していそうだ。なんか、確固たる自分の世界があるというか、心象風景をずっと眺めてそうっていうか……なんだろうか。分からん。
「どうです? 私とかは、」
と、エールフトさんが近寄り俺の胸板に触れてきました。びっくりです。
彼女は小柄だから、自然見上げる形になります。近くで見れば見る程、綺麗で。
頭が真っ白になりました。
「……」
ちょ、止めてくださいっ。
見てます、乃幸が俺を見てますからっ。
冷たい目で見ていますからっ!
「エールフト、あんまり他人の恋人を誑かさない方が良いわよ」
エニンさんが止めてくれました。
「横恋慕ほど楽しいものはないのですがね。悲劇にも喜劇にも殺戮劇にも成り得ますから」
最後は勘弁してほしい。
「……」
乃幸が、服の裾をひっそりと握ってきた。
「では、私達はそろそろ行きましょう。別の用事がありますので」
「それじゃあ、《/命令/再会》」
そう言い、エールフトさんは俺の頬に軽く手を触れた。意味ありげに嗤う。
「えあ」
心が震えた。きっと照れたからだ。正直、キスされるかと思った。
今感じているこの冷たい視線は、きっと乃幸だろう。
そして、彼女達三人はどこかへと去って行った。
入口へ、ではない。礼賛堂の奥へと三人は歩んで行った。
礼賛堂の中は広いので、別のスペースへ見学なりなんなりをしに行ったのかもしれない。
「じゃ、俺達も他のを見ようか」
言って、俺は乃幸と手をつなぐ。
とても自然な流れで、彼女の手をとることができた。
◇
展示物を存分に堪能し、俺達は帰宅することにした。
外に出ると、遠い空では陽が落ちかけている。
礼賛堂前の〈幻開の群桜〉が、夜へと移ろう世界の最中に、ぼうと光を放っている。
「あ」
ふと、〈幻開の群桜〉の中に佇むエニンさん達の姿が目に入った。
劫に舞い落ちる桜の花弁が、ただでさえ綺麗なあの三人を更に引き立たせている。
「絵になるなあ……」
はあ、と思わずため息を吐く。
「綺麗だもんね、三人ともねっ」
少し不機嫌に、乃幸。
「はは……」
苦笑いし、俺はふと、エニンさん達の方へ足を向けた。
「え、どうしたの? 努桜?」
「いや、さ、いちおう別れの挨拶ぐらいはしておこうかなって」
少し話しただけなのに。
正直な話、俺はもう一度彼女達と触れ合ってみたかったのかもしれない。
惹かれる、どこか、惹かれるのだ。
まるで、まるで、なんだろうか。憧れのものを見ているかのような。
自らの命令権を持つ者達を見ているかのような。
それは男が女に抱く性欲にも似ている。だが違う。
それは捕食者が被食者に抱く食欲にも似ている。けれどもそうであるはずがない。彼女達は自分と同じ、同じ、同じ、同じ、同じ、同じ、
「努桜?」
いけない。どうにも疲れていたようだった。思考が先に進んでくれなかった。
彼女達は自分と同じ人間、そう俺は思いたかったんだ。ただそれだけの話だ。
近付く。
近付いている。
俺は、彼女達に近付けている。
幸福だった。至上だった。至福だった。
俺は、戸惑う乃幸と共に、遠巻きに桜下の彼女達を眺め始めた。
まるで、まるで、舞台で演じる者達を見るかのように俺は見た。
幻影の桜の、泡沫の花弁が落ちる中、誰かに見せつけるように内緒話を行う彼女達三人を見た。
「はーあ、順調に私達は減っていってるわあ……」
エニンさんは言う。そして彼女は続けて言う。
「ヴィフェは枯種の悪あがきで四肢が吹き飛んで瀕死、エノアはナギと相討ち……あーあ」
沈んだ声だった。しごくつまらなそうな声だった。
「あ、そういえばネヴェスは?」
「旅をしてるよ。相変わらず、あの悪趣味な空音を響き渡らせながら」
エニンさんの問いと、クシスさんの答え。
「つまんないわあ……なーんか、つまんない……」
エニンさんが退屈そうに言う。
「博士が、面白いものを創造ろうとしているよ」
「なにそれ?」
「人形」
「ふーん……寄ってみようかしら」
雑談。
「望みは叶いましたから。後は、私達の好きにしてもいいとのこと」
脳に響く、エールフトさんの声。
その後、三人はしばらくの間他愛もない雑談を交わし続けた。
知らない名ばかりがでてくる、まるで別の世界の別の物語を聞いているような、ような、
「それで、」
エールフトさんが、ふと、“こっち”を向く。
「アナタ達は、」
エールフトさんの言葉に、エニンさんが続く。そして最後に、
「いつまで、聞くつもり?」
クシスさんが、その気だるげな視線を俺達に寄越した。
六の瞳が、俺達を刺し貫く。
つい数時間前に礼賛堂内で話した三人とは、その雰囲気がまるで異なる。
恐怖が、俺を覚ました。
「ひっ……!」
身体の奥底が冷えるような目だった。
怒りではない。あの三人は盗み聞きされたことはなんとも思っていない。
なんとも、なんとも思って――本当に、“俺達のことなんてなんとも思っていない目”だ。
まるで路上に転がる石コロを、道端に生える雑草を、何の気なしに眺める目だ。
エニンさんはクシスさんはエールフトさんは――あいつらは、
自らの行動への疑問も、相手に対する憐憫も、持っていない。
倫理道徳観念そのものを破棄している奴らだ……!
「逃げる、逃げるぞ乃幸……!!」
湧き上がる恐怖に竦みそうになる足を振るい立たせて俺は乃幸に言った。
「う、ぅあ……」
乃幸は硬直している。
ヘビに睨まれたカエルのように、微動だに出来ずにいる。
当然だ、ヘビとは比べ物にならない程の圧倒的捕食者に見つめられているのだろうから。
「私の命令をきちんと聞いたのですね。良い子です」
エールフトさんが初対面時の道化のような笑みを浮かべる。
命令? 命令ってなんだ? いつされた?
「少しばかりの暇つぶしを、と思いまして。なにぶん、退屈に侵されているのです私達は」
ワケの分からないことを言って、エールフトさんが俺の瞳を覗きこむ。
そして口を、
「ヌオウさん。あなたは結局、《/混合種》なのですよ」
動かし、て
え? な ん? だ この感覚 は
「その言葉、自虐よねぇ……」
エニ、さんが、 肩をすく め
頭が すごく 痺 れ
て
「え、あ ぉ、え」
身 が
戻
やっぱり、追いかけちゃ
だめ だった、 ん だ。
「努桜!? ねえどうしちゃったの努桜!?」
乃幸 の 乃幸の 声 が乃幸の のこえが聞こえ る――――ぁ。
◇
少年の身体が、見る見るうちに膨れ上がる。
「努桜!? ねえどうしちゃったの努桜!?」
瞳に涙を浮かべた哀れな少女が、すがるような必死さで少年に呼び掛ける。
少年の身体は膨張し、変色する。真白に変わる。
手足が生えただけの巨大な白の塊となり、その頭部にあたるところから、少年の頭部がぽつんと生えている。それは、見紛うことなき化け物だった。
「あ ぎ 」
一口に、少女の喉から上は喰い千切られた。
無くなってしまった頭部と胴体の境目から生じる、噴水のような幾筋もの鮮紅の噴血。どさり、と少女の胴体は地に倒れ伏し、以後動かなくなった。
少女にとって、それはあまりにもあっけない最期だったろう。彼女はもっと幸せな未来を夢想していたはずだと言うのに。嘆くための口は、彼女が好意を抱いていた少年が咀嚼し嚥下してしまった。
「なんとまあ、大変なことに」
白々しくエールフトは言い、虚空に手を突き入れる。引き抜かれた時、その手中には大鎌があった。
エニンは余裕ぶった笑みを浮かべ、なにもせず棒立ちしている。
ぼりぼりばりばり、と白い化け物は少女の身体を喰っている。
「あの食べ方、やっぱり品が無いわあ。同じ種として恥ずかしい限りよ」
嘲るように、エニンが言う。
白の化け物は、一通り少女の身体を貪った後、くるりとエニン達の方を振り向いた。
「見境なし、ですね。やはり」
と、エールフトが大鎌を構える。すると、クシスが一歩出て、
「いいよ。私がやる」
言って、その手のひらに本を顕現させる。
「《/剣》」
クシスの周囲の空間が歪曲し、一本の暗赤の刃が形作られる。
「《/発動》」
暗赤の刃が、真白の化け物ごと幻影の空間を斬り裂いた。
“触れない”桜達に、わずかに切れ込みが走る。が、すぐに全部塞がった。
真っ赤な鮮血を噴出しながら、どさりと化け物は斃れる。
「原本、どうする? 破壊しとく?」
エニンが聞く。
「良いよ、壊して。蒐集の価値は無い」
クシスが答える。
「了解」とエニンは言い、白い化け物の、少年の頭部の部分へその手を刺し込む。そして中身を掻きまわし、手を引き抜く。
一個の、鈍い輝きを放つ石コロが握られていた。
「じゃあねえ」
言って、エニンはその石を握り潰した。
白い化け物がサラサラとかき消え始め、やがてその姿は跡形もなくなった。
「この子はどうする?」
「放置します。幻影の中で人が貪り殺されたという謎の怪事件として後世に残されるのも、また一興というもの」
こうして、正体を現した少年はいとも容易く葬られ、少女はその身を喰われた。
三番目と六番目と九番目が、少年と少女を戯れの標的としたがために。