3XXX年 礼賛堂と幻開の群桜
「遂に、来たぜ……!」
感激に打ち震える俺、
名前は直詩努桜。
なぜ俺が感動のあまりに震えてるのかって?
来ちまったからだよ。
ここ、〈礼賛堂〉に!
見ろよ、この巨大で荘厳な面持ち! 西洋の教会のようにも見えるが、極東風の意匠も所々に見られる。和洋折衷ってヤツだ。ふっ、痺れるったらありゃしねえ。
「……やったぜ。生まれて早十数年、この場所を訪れるために生きてきたと言っても過言じゃなかった」
「大げさね」
隣で冷めたことを言うのが、幼馴染の久々津乃幸。
男のロマンが分からない、なんというか面倒な奴だ。
今日、礼賛堂を訪れるのだって、本当は俺一人だけで来る予定だったってのに、こともあろうにこいつがついて来やがった。まあ、チケットはもともと二人分あったんだけどよ。
今俺達は、歩きで礼賛堂に向かっている。
もうすぐ、見えてくるはずだ。パンフレットにはそう書いてあった。
そろそろ、見える。かつての――――見えた!
「本とかで見たことはあるけど、実際に見るとすごいね! ジキシヌ!」
「ジキシヌは止めてくれよ」
ソレを見て興奮する乃幸の言葉に、俺は顔をしかめる。
ジキシヌ、というのはあだ名だ。主に乃幸や乃幸、乃幸が使う。
「えー? いいじゃんジキシヌ、じきしぬーっ」
面白がって乃幸は連呼する。
俺は、嫌がってるってのにこいつは……ったく、楽しそうに笑いやがって。
ちなみに俺がそのあだ名を拒む理由は、……なんつーか、直死ぬ、みたいで嫌じゃん? すぐ死にそうじゃん? 俺は死なねえよ。易々と死ぬような時代は終わったんだ。座者は、もう倒されたんだ。“勇者さま”に。
うん、だから今の世界は平和過ぎる程に平和、世の中は平和が一番よね。
しみじみとしたところで、俺はもう一度、ソレを眺めた。
ソレとは、視界いっぱいに広がる桜達のことだ。
淡い桃の花弁をさらさらと風が運んでいる光景。うん、絶景なるかな……。
俺と乃幸が今立っているのは、礼賛堂の本堂の入口の前。
〈幻開の群桜〉っていう、夢みたいで非現実的な場所。
どうして、ここが非現実なのかって言うと、年がら年中桜が咲いているんだ。桜はずっと桃の花弁を付け続け、もちろん木自体が枯れたりもしない。
もう、これだけで非現実だ。
でも、それだけじゃない。
ここの桜は、ただの桜じゃない。
“触れない”桜さ。
幻の桜が、ここには咲き乱れている。
視覚は、きちんと桜の姿を認識するけど、本当にするだけ。
目に映るだけの、ここら一帯の空間に固着した、永遠に消えない幻影群。
それが、この〈幻開の群桜〉。
全然関係ないが、俺の名前にも桜が使われている。なにかの縁なのかもしれないな。
いや、まあ、結構色んな人が名前や名字に桜って入ってるけどよ。かの、極東の――
「すっごーーーい!」
驚く乃幸の声が、物思いに耽る俺の耳に届く。
そんな彼女に、俺は自慢げに言った。
「遠い遠い昔の、とある英雄が為したシギのザンシらしいぜ」
「市議の惨死? サスペンスなの?」
「お前、頭の中に花でも咲かせてんの?」
奇天烈な乃幸の返答に、俺からのちょっぴりきつい返し。
けど、乃幸はそのぐらいで凹む子じゃない。それを分かっているから、俺も言える。
「あー、良いのかなそんなこと言ってー。いーいのかなー? 努桜のお父さんとお母さんの前で、私えげつない泣き方をして同情を誘っちゃおっかなー。十対零で、努桜が起こられると思うなー」
ほらな。俺の両親を引き合いに出しやがる。
あーあ、父さんも母さんも乃幸のことを気に入ってるから。ゼッタイに俺よりも乃幸に愛情を注いでやがるだろうし。
「……なにが、目当てだ?」
「謝罪を、要求する」
荘厳な表情で、乃幸。
「ごめん」
「素直だねえ、ジキシヌは。えらいえらい」
よしよし、と俺の頭を撫でようとする伸びる乃幸の手。
「ガキじゃねえんだ、止めてくれよ」
気恥ずかしいから、俺はその手を掴んだ。
「う」
細い、腕。俺と乃幸の視線が交差する。
「……」
乃幸の表情は桜に染まり、忽ちの内に場は静止した――じゃねえ。
「な、なんで固まんだよそこでっ」
「え、あっ、い、いや、努桜の手、おっきいなあ、とか、なんとか……思っちゃって、その……えへへ」
言って、乃幸は俺から目をそらす。ほんのりと紅潮した頬が、目に残った。
ちっ。俺まで妙な感覚になっちまったよ。調子が狂っちまう。
「話、戻そっか」
小さく、乃幸。
「ああ……〈幻開の群桜〉を成した人間のこと、だな」
「そーそー、私擬の残滓」
まだ少し違う気がする。
「至技の、だよ」
「ふむふむ。……ふむ?」
「その者にとっての、至上の技のこと。言ってしまえば必殺技だ」
俺の言葉に、乃幸は腑に落ちない顔を浮かべた。そして、
「ねえ、努桜」
彼女の発する質問は、予想がつく。
「でもさ、これで人を倒せるの? 綺麗なだけだよ?」
そう、これでは誰も倒せないのである。
万桜の幻影を、永続的に空間に固着させる。
ソレだけでは、誰も死なない。一時的に相手は困惑し、攻撃に躊躇はするだろうけども。
ただ、この至技がそんなちゃちなことを目的としているようには、俺には思えない。
「それで、良かったんだと思う。この至技を放った者にとっては」
ワケ知り顔で、俺は言う。もちろん、この至技を為した人間の本心は知るわけない。ただの予想だ。
この〈幻開の群桜〉を発動した男は、桜が吹雪くところを死に場所に欲した。
自らの名の一部である、桜の中で死にたかったのだ。
ハザクラは、護皇筆頭であり上位序列者として数えられた極東の英雄は。
ゆえに、自らの死に場所を、自らの至技として発動した。
案の定、乃幸はぽかんとしている。
「……分かんない」
「分からんだろうよ。男と男が全身全霊で対峙する際に生じる浪漫を、君のような乙女にはなっ」
からかう俺に、乃幸はふくれっ面をする。
「どーせ私は女ですよ、うら若き乙女ですよー」
拗ねてしまった。
「言い過ぎた、……かも。ごめん」
すかさず俺は謝った。彼女を怒らせるのは、俺の精神衛生上良くない。悲しませるのは、もっての他だ。
「……この桜の幻影を放った男は、ここでもう一人の男に倒されるんだ」
「へ、そうなの?」
「おいおい。極東では結構有名な話なんだぜ。乃幸も極東に住んでるんだから、ハザクラの話ぐらいは知っておくと話のタネぐらいにはなんじゃねえの」
「うーん……」
実際のところ、乃幸が知らないのは無理のない話だが。
なにしろ何百年、へたすりゃ軽く千年以上は昔の、知る人ぞ知るお伽噺である。それこそ歴史マニアとか、好きな奴しか知らないことだろう。
ハザクラとアオエが上位序列者同士ここで殺し合った末に、ハザクラの方が斃れた。という、物語めいてしまった過去は。
「この礼賛堂は、ハザクラが斃れた後に建てられたんだ。その時代の皇が、ハザクラという英雄を礼賛するために」
「そうなの!?」
「ああ、そうなんだよ。この礼賛堂の歴史は、ハザクラが斃れた後に始まったんだ」
恐らくは事実だろう。なんせパンフレットにそう書いてあるんだからな。
「ねえ、努桜?」
「どうした?」
ふと、乃幸は疑問を浮かべたらしく、首を傾げて言った。
「英雄英雄って言うけど、具体的にさ、そのハザクラって人はなにをした人なの?」
「お……」
意外と痛いところをつくじゃないか。
そうなんだよなあ……パンフレットとかで調べた限りだと、ハザクラは英雄に違いないんだけど、上位序列者だったり、護皇の筆頭だったりの情報しか書かれてなかった。誰誰を倒したとか、なになにという化け物を倒したとかはどこにも記載されていない。
俺の知る化け物は“座者”とその一味だけだし。天使……は、勇者さまの味方だから、まあ俺達の味方と考えてもいい。天使の姿も知らんしな、俺。そもそも、“座者”の時代には、もうすでにハザクラは死んでいただろうし…………。
「つ、強かったんだよ……」
苦し紛れの返答は、実にきつかった。
「ふーん」
乃幸も、ああこいつ知らないんだな、って顔してるし……。
「と、とりあえず中に入ってみようぜ!」
分からないものは分からないんだぜ! と、俺は勢いこんで礼賛堂の入口へ向かう。
「あ、ちょっと、努桜!」
慌てて、乃幸がついてくる。
もう既にチケットは買っている。もちろん、二人分だ。数枚の銀貨――俺の全財産を犠牲にな。
入口の係員にチケットを見せて、俺と乃幸は礼賛堂の中へ足を踏み入れた。