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誰がために (1)

 

 

 

 けたたましく鳴り響いていた半鐘もやがて沈黙し、玄関口で立ち尽くしていたラグナとウルスは、二人揃ってのろのろと居間へと戻った。

 窓の外を真っ赤に染める夕焼けが、今は酷く不吉なものに見える。

 落盤か、出水か、なんにせよあれだけ半鐘が打ち鳴らされたということは、事態は相当差し迫ったものなのだろう。ラグナは思わず唇を噛みしめた。鉱山で働く人々には、ラグナの知り合いも少なからずいる。言葉こそ交わしたことはなくとも、笑顔で会釈をしてくれる者に至っては、数えきれないほどだ。


「じゃあ、ご飯を食べようか」


 ウルスが淡々と口火を切った。傍耳(かたみみ)に聞く限り冷たい物言いのようにも感じられるが、ラグナは慣れたものとばかりに、静かに頷いた。


「そうだな。確かに、いつまでもここにつっ立っていても意味がないからな」


 そうは言っても、やはり事故のことがラグナは気になって仕方がない。ウルスとともに料理の皿を食卓へと運びながらも、彼は何度も窓の外へと視線をやる。

 と、すぐ後ろで足音が立ち止まるのを聞き、ラグナは、自分が食卓の手前でうっかり足を止めてしまっていたことに気がついた。


「悪い」


 ウルスに道を譲ったラグナは、黙々と食事の準備をするウルスをじっと見つめながら、大きく息を吐き出した。


「お前は、こういう時も冷静だな」


 大したものだ、との感嘆の声を、ウルスはなんでもないとばかりに受け流す。

 もう一度溜め息をついてから、ラグナは再度窓のほうを振り向いた。


「俺も見習わなくては、と、思うのだが……、どうしても、駄目だ。鉱山のことが気になって仕方がない」

「僕は、諦め慣れているだけだよ」


 事も無げに投げかけられた言葉の、意味を判じかねて、ラグナは無言でウルスと目を合わせた。

 ウルスが、すっと視線を外す。


「僕は、普段から多くの選択肢を持たない、いや、持てない人間だからね。僕が選ぶことのできない選択肢は、僕にとっては存在しないのと同じだから、考慮に入れないようにする癖がついてる。そして、今、僕には家で待機するという選択肢しかとり得ない、と、ただそれだけのことなんだ」

「選択肢、か」

「僕がもっと腕っぷしが強ければ。もっと声が大きければ。もっと人々と渡り合える話術があれば。もっと胆力があれば。もっと、もっと。もっと、もっと――」


 ウルスの口調は、あくまでも穏やかだった。穏やかだからこそ、彼の言葉は、ラグナの胸に深く突き刺さる。


「――もっと僕にできることがあれば。ならば、君みたいに、色んなことで悩んだんだろうけど」


 ラグナから顔を逸らせたまま、ウルスは静かに目を伏せた。

 むやみにおのれを卑下するな。そう言うことは簡単だった。だが、ラグナは何も言うことができなかった。ただ息を詰めて、(おの)が従兄弟を見つめ続ける。

 と、家の表側で砂を蹴散らす足音がしたかと思えば、次の瞬間、悲鳴にも似た声とともに、玄関の扉が激しく叩かれた。


「ラグナ、ウルス、いるんでしょう? あけてちょうだい!」


 二人は弾かれたように戸口へと向かった。

 ウルスが鍵をあけるなり、髪の毛を振り乱したフェリアが、家の中へとまろび入ってきた。


「どうした」


 荒い息で床に膝をつくフェリアを助け起こして、ラグナが問う。


「さ……サヴィネさんは……」

 必死の形相で、フェリアが二人を交互に仰ぎ見た。「サヴィネさんに……お屋敷へ……」

「サヴィネは、ここにはいない」


 ラグナが簡潔に答えた途端、フェリアは愕然と目を見開いた。そこに絶望の色を見て、ラグナは、みぞおちの辺りが縮み上がるような気がした。


「何があったの?」


 ウルスに促されたフェリアは、まだ治まらない息の下で、ぽつりぽつりと言葉を吐き出し始める。


「選鉱場で、鉱車が、転落したのよ」

「なんだって」


 ラグナとウルスの声が重なった。それから「どこで」「怪我人は」と口々にフェリアに質問を浴びせかける。


「二層目よ。ズリ(廃石)を積んだ鉱車が下の層に落ちて、五人が……」


 声を詰まらせ俯くフェリアの頭上で、ラグナとウルスは、互いに青ざめた顔を見合わせた。

 選鉱場とは、三号抗の東南にある、鉱山で一番大きな施設だ。平たい建物が、階段状に山の斜面に貼りつくようにして建つ姿は、湖の対岸からでも一際よく目立つ。

 坑道から掘り出された鉱石は、軌道(レール)を走る鉱車で坑外に運び出され、その選鉱場に集められる。鉱石を水で洗い、こぶし大に砕き、そうして選鉱婦と呼ばれる女性達によって手作業で、鉱石は廃石と選別されるのだ。

 全部で四つある各階層は、水力を利用した帯式運搬装置(ベルトコンベア)で繋がっていた。流れ作業で除去された廃石は、階層ごとに鉱車に集められ、鉱山の隅のズリ捨て場へと運ばれることになっている。その際、往復の手間を惜しんで、鉱車に廃石を山と積んでいたであろうことは、想像に難くない。


「怪我人の状況は?」


 ラグナの問いに、フェリアは、小刻みに首を横に振った。


「イスルさんは自分には無理だ、って! ロスも、高位の術は使えないって言って、エステラ先生ならば、って! でも」


 鉱山付きの癒やし手達の名を順番に挙げていく、フェリアの声が震え始めた。


「でも、そのエステラ先生が、この事故に巻き込まれてしまってて、だから、サヴィネさんに、ルウケのお屋敷にリキ先生を呼びに行ってもらおうと思って……」

「ロスが駄目だと言うのなら、若先生にも無理だろう。確か若先生のほうが、使える術が少なかったはずだ」


 ラグナが苦渋の思いでそう告げると、フェリアは小さな悲鳴を上げた。

 両手で口元を覆い、真っ青な顔で立ちつくすフェリアを見ながら、ラグナは必死で考えを巡らせる。


「隣町は? 隣町から術師を連れてくるというのは、どうだ?」


 ラグナの思いつきは、即座にウルスによって叩き落とされた。


「この辺りの町村で、唯一の高位癒やし手が、エステラ先生なんだ」

「なんてことだ……」


 癒やし手は、神の加護を受けて、医者や薬師の領分を超えて傷や病を治すことができる。だが、その技は決して万能ではなく、症状の軽重(けいちょう)によっては、一時しのぎがせいぜいということも珍しくなかった。


「ああ、どうしよう、どうしよう……!」


 おろおろと取り乱すフェリアに、ウルスが、ぼそりと問いかけた。


「もしかして、フェリアのお母さんも怪我を?」


 返事の代わりに、フェリアの瞳から、大粒の涙がぽろぽろと零れだした。

 高位の術師でなければ手の施しようがない怪我とは、一体どのようなものなのか。想像もしたくないそんな悲惨な状況を、フェリアは目の当たりにしてきたのだ。それも、自分の母親の身の上に。

 それでも、フェリアは、涙をこらえてここまでやって来た。何とかして母親を、怪我をした皆を助けようと、必死で気持ちを奮い立たせて。それなのに――!


 ラグナは、思いっきり奥歯を噛み締めた。希望を失い、今やくずおれんばかりのフェリアを、夢中で胸にかき(いだ)いた。

 ラグナの傍らで、ウルスが大きく息を呑む気配がした。

 ラグナは、ひたすらフェリアを強く抱きしめる。

 フェリアの手が、ラグナの胸元をそっと掴んだ。そうして彼女は、ラグナにしがみついて、声をあげて泣き始めた。


「おか……お母さん……! お母さんが、死んじゃう……!」

「大丈夫だ。安心しろ。俺が必ず助けてやる」

「どうやって」


 間髪を入れず、ウルスが静かに問うてくる。

 ラグナは、決意を眼差しに込めて、ウルスを振り返った。


「領主に援助を要請しよう。確か、あそこの城の癒やし手は、老先生と位が同じだと聞いている」


 領主の城は、ヴァスティの東隣の町から少し山を登ったところにある。馬を飛ばせば、宵のうちには帰ってくることができるだろう。つい昨日見たばかりの、ブローム公の顔を思い浮かべて、ラグナは僅かに口元を歪めた。いけ好かないやつだが、この際、背に腹は代えられない。

 だが、依然としてウルスの表情は晴れなかった。


「ブローム公が、お抱え癒やし手を、一介の領民のために簡単に貸してくれるとは思わない」

「王太子の頼みなら断れまい」


 その言葉を聞くや否や、フェリアが涙声のまま「待って」と顔を上げた。まだ激しくしゃくり上げているにもかかわらず、両手の甲で涙を拭いながら、ラグナの腕から逃れようと身をよじる。


「私、ラグナに、いえ、殿下に、そんな身勝手なことを、頼むつもりは……!」


 フェリアを抱えていた腕が、振りほどかれる。即座にラグナは、空いた両手でフェリアの肩を掴んだ。少し身を屈めて正面からフェリアの目を覗き込み、思いの丈を言葉に変える。


「お前がどういうつもりかなんて関係ない。俺が、お前を助けたいんだ!」


 みるみるうちにフェリアの頬が赤く染まった。

 杏子の花びらのような肌の上に、新たに生まれた涙の雫が、光る筋を描く。


 たっぷり一呼吸の間、ラグナとフェリアは互いに見つめ合った。

 涙を(たた)えた鳶色の瞳が、物言いたげに揺れている。切なそうに寄せられた眉も、微かに震える唇も、彼女の全てが今、ラグナに、ラグナただ一人に向けられていた。

 一瞬にして胸の奥が燃えるように熱くなり、ラグナは思わず息を詰めた。口の中に溢れてきた唾を呑み込もうとしても、喉の奥が引き攣れてしまっていて上手くいかない。

 ラグナが喘ぐように息を継ぐのと同時に、フェリアもまたそっと息をついた。僅かに顔をラグナから背け、か細い声で「駄目よ」とたしなめる。


「一国の王太子が、そのようなことを軽々しく口になさっては……」


 その瞬間、ラグナは、見えない手で頬を思いっきり張られたような気がした。叫び出しそうになる衝動を必死で抑えて、フェリアの肩から両手を引き剥がすと、爪が手のひらに食い込むのも構わずに、両のこぶしを力一杯握り締める。


「ラグナ、確かに君の言うとおり、現時点でとれる最善の策は、ブローム公を頼ることだと思う」


 ウルスの、普段と変わらぬ落ち着いた口調が、ラグナの心を少しばかり鎮めた。

 辛うじて我を取り戻したラグナに、ウルスは小さく頷いて、それからフェリアに向き直る。


「フェリア、君は今すぐ事故現場に行って、ブローム公のことをサヴィネさんに伝えるんだ。サヴィネさんにルウケのお屋敷に戻ってもらい、ヘリスト先生に一筆書いていただいて、それを持ってブローム公の城へ……」


 ウルスが説明し終わるよりも先に、ラグナはウルスに食ってかかっていた。


「待て、何をそんな回りくどいことをする必要がある。俺が直接城へ赴けば、時間も手間もかからないだろう!」


 だが、ウルスも、一向に引く様子がない。


「君を取り巻く状況は、君が考えているよりもずっと複雑だ。ここはまずヘリスト先生の指示を仰ぐべきだろう。それに、もうすぐ日が暮れる。危険だ」

「俺を取り巻く状況なんかよりも、フェリアのお母上が直面している状況のほうが、遥かに危険だろうが!」


 胸倉を掴まんばかりに距離を詰めるラグナを、一切意に介すことなく、ウルスはフェリアのほうを見た。


「フェリア、行ってくれ」


 泣き腫らした目に強い意志を宿して、フェリアが外へと駆け出してゆく。

 後を追おうと踵を返したラグナの前に、一歩早くウルスが立ち塞がった。


「そこをどけ」

「嫌だ」


 ラグナは、ぎり、と、歯を食いしばった。


「解った。俺が、先生に知らせに行く」


 全てを見透かしているかのような眼差しが、ラグナを真っ向から貫いた。


「サヴィネさんに任せるんだ」

「俺が、一番(はや)い。サヴィネよりも」

「君が(はや)いんじゃない。君の乗る馬が(はや)いんだ。そして、これからゆかねばならないのは、真昼間の馬場ではなく黄昏時の山道だ。サヴィネさんに任せたほうがいい」


 ラグナがありったけの力を込めて睨みつけても、ウルスは怯まなかった。どこにこれだけの胆力を隠していたのだろう、と驚くほどに、彼は真正面からラグナを睨み返し、低い声で、一言一言を吐き出していく。


「君は、王太子であるということの重みが、解ってるのか」

「ああ、解ってるさ。王太子というだけで、分不相応な名馬を与えられている、ということもな」


 つい口をついて出た皮肉に、ウルスの眉が不快そうにひそめられる。

 ラグナは、大きく嘆息すると、足元に目を落とした。


「皆が、自分を犠牲にしてでも俺を守ろうとしてくれているのは、知っている。それがどういう意味かも解っているつもりだ」


 胸の奥まで深く息を吸い込んで、ラグナは顔を上げた。腹の底から気迫を絞り出せば、さしものウルスも気圧されたか、僅かに半足を引く。


「だが、これは王太子だからこそ務まる仕事だ。今まで与えられたもの、そしてこれから与えられるであろうものの対価を、俺に払わせてくれ!」


 一息に言いきって、ラグナはウルスを押しのけて外へ飛び出した。

 

 

 


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