喧嘩両成敗
黒。視界一面を塗りつぶす、目が眩むような黒。
それ一色、ただそれだけが延々延々続く、ここ最近遭遇率が異常な異常空間。
明かりも見当たらんというに何故か自分の体は確認が出来た。
謎空間のそれとは微妙に違う無機質でいて不純物が混ざった黒基調のコートと、肌に張り付く手袋に覆われた手のひらを握り、開く。
当たり前のように識別、認識が出来る矛盾。光が無けりゃ、どれだけ目が良かろうと見えやしないのに。
嘆息を一つ。得体の知れないモノを吸い込む抵抗は、酷く今更。そう今更。
「――聖域がどうとかは何だったんだ!?」
とりあえず発した絶叫は、遮るものが何もない空間に広がり、ねばつく闇に木霊することなく消える。
城に入っていきなり問答無用で意味不明に引きずり込まれ孤立した状態の、虚しい絶叫だった。
忌々しいと舌打ち、存在するか酷くあやふやな足場を確認。感覚としては相変わらず、前進してるようなしてないような。
再々度視点を回す。視界を埋めるものに変わりは無く、目を覆いたくなるような、神経を圧迫する停滞色。
さでどうしたもんかどぉなるもんか。
「――ラディル=アッ」
唐突に視界に現れ、人の名を呼びかけた桃色髪ちんちくりん。
その抑揚の無さに目元諸々から受ける印象により、"アリューシャ"では無いと判断。それはとりあえずどうでもいい。あの馬鹿ガキだろうとそれに似たナニカだろうと、やる事は決まっている。
全てを言い切る前にまず、足場を踏み抜く勢いで地を蹴り間合いを詰め――渾身の拳骨を振り下ろした。
「……いたい」
「おぉをッッそいわああああああああああ!!」
無表情で頭を抱える何故か全裸な幼児に取り合わず、ちまい肩をひっつかみ振るう。
心からの絶叫。しかし体感時間でかれこれ十八時間ほど待ちぼうけにされていた鬱憤は、この程度で収まる道理が無い。
今日最高潮のを通り越してここ最近最高潮のボルテージで怒鳴り散らす。
「とろとろとろとろしてんじゃねぇんのクソガキが! なんかわけの解らん所に引きずり込んだなら責任もってそこらに関する説明と理由を簡潔かつ速やかに行うのがお約束というか礼儀というか義務ってもんだろがなんだ十八時間て?! 排泄物出すのに一々全部脱がにゃならん構造してる劣悪スーツを着てる身にもなれ! 何の精神攻撃だ兵糧責めだっつぅか排泄物が再現無く落ち続けるなんて無駄法則実際に見て知りたくなかったわああああああ!!」
「あうあうあぅぅー……」
地味に目ぇ回してやがるし反応が薄いのがまたムカつく! マジどうしてやろうかコイツ……
「うう……私が落としたんじゃないのに、助けにきたのにぃ……」
知るか。
てか"私"とか。その時点で、こいつはアリューシャじゃない。よってそれなりの対応を。
一歩下がって涙上目の、色気も脂肪も足りない全裸なガキに冷ややかな視線を返しつつも、話が進まんと自覚はして罵りを収め、説明と解放を要求。
「落ちた」
「何が」
「貴方」
「……どこに」
「……知らない方がいい」
比喩じゃなく無愛想な顔が背けられ、長髪が凹凸の無い裸体を撫でる。
余計に気になる事を抜かしやがって。何だそれは。本当にどこなんだここは。
「ただ、時間軸がねじくれた領域。思念が現と交わる場所」
「意味がわからん」
「念じればいい。それが力になる。道を拓くための力に」
どんな精神論だ。
しかし異常の専門家の意見ならば試してみる余地はあるが……どうもな。常識ってなんだっけと首を傾げたくなる。
「ラディル=アッシュ」
「ああ?」
「アリューシャを、よろしく」
よろしくと言われてもな。
首全体を覆う黒い材質の下を掻き、身も蓋もない全裸のアリューシャ――の姿をした物体を眺め。返答に僅かばかり窮した。
遺言の類は慣れてるんだがな。前の焼き直しにも思えてか。
「……"私"は、アリューシャの中へ溶けて混ざり逝く残滓の拡大解釈でしかない。だから」
「だから?」
「私はかつて。幸せになりたかった」
……またずいぶんと話題がねじ曲がったなおい。
幸せって、なんか人生に疲れた風にガキの容姿で言うと違和感しか無いぞ。
「"私"の時もアリューシャとそう変わらない。誰かに利用され続けて、使い潰された」
「……そりゃ」
妙な圧力が、真に迫る独特の空気があった。というか実感がこもってる。
何であろうと、利用できるものは骨の髄まで利用する。どこの時代でも変わんねぇなあ、人って生き物は。
「"アリューシャ"は私で。私は"アリューシャ"。私は結局、"アリューシャ"のどこかに小さくなって薄れて溶けていって、それでもきっと遺り続ける」
「……お前の願望が、アリューシャの深層心理に刻まれるてるかもって?」
前世だの今生だの転生だのという話を信じてるわけじゃないが、どうも最近常識が砕かれてばかりだからか。より冷静に考えれば正気を疑いたくなるレベルの柔軟な思考ができた。
前世の残留思念だとかいうなら、今生の生体に僅かばかりとも影響を与えるんじゃねぇかなと。以前しょっぴいた宗教団体みたいな考えに欝を抱く。
しかしまじめに、深層心理の一端。馬鹿にはできん容量かもしれん。
今後の参考になるやもと保護者的思想でうねりつつ、表情をどことなく安らかにした風情の外見幼児の次を待ち。
一言。
「……私は……子供が欲しかった」
……………………………………。
小綺麗で、いっそ人間的じゃない雰囲気の幼児が、えらく生々しい事を抜かした精神ダメージは、思いの外甚大だった。頬が盛大に引きつり、完成間際のパズルが砕かれたように思考が分解していく。
視界の先、病的に白い肌は仄かに色付き緩み、総てを言い終えた半死人みたいな表情。暗い暗い闇の中、薄桃が揺れる。
「アリューシャを、お願いします」
「待たんかい!?」
なんかさっきの台詞の後にその発言は――ってなんか透けて、つぅか消えかけてないかお前!?
絶叫は、口を吐く事なく。視界が一瞬だけ明滅し、意識が白濁。
うっぷ。吐き気をこらえ、意識を保ち、視界が一変していると気付く。
異様は消え去り色が在り、見覚えがある面の代わりに見覚えがある絵柄が映る。
手狭で僅かな生活匂がして、どこか小汚い感じはするが最低限整えてある――いや、何故か備品がひっくり返ってたり替えの私服が散乱してたりするが、私物とか含めどう見ても俺の部屋だ。
……また、唐突な。
ひとりごちり、とりあえず早急な危機は無さそうだとは本能的に悟りながら、日常に潜むような僅かな汗と血の匂いを嗅ぎ分け、その元を見――
そらした。
「………………」
眉間に寄ったシワをこね、頭を振り、肩にかかった後ろ髪払い、半開きの扉先から覗く気色悪い影を無視し、とりあえず扉を閉めそこから僅かばかり埒のあかない脳内問答を繰り返し、もう一度ベッドの上を見た。
壁に激突した直後のようにひっくり返って大の字のまま目を回すガキ二匹。何故か両方共俺の私服の一部、黒のシャツにジャンパー、上だけ着ている。体格の都合か。いやそこはどうでもいい。
ともかく揃って時折うめき殴り合ったような面構えしかめ、下着も着けず人の上着をはだけさせたアリューシャとフォリアの姿がある。
……ああ、そういやあの野郎は喧嘩の空気とかは大好きだから、よく察してたよな。
引きつく頬は意識から外して関係がありそうな事を思い浮かべ、ともすればその場で腰を下ろしかねん想像を絶する脱力感を何とか奮い立たせようとする。
無駄だった。足腰が勝手に力を失い、クソマジメに機能している事をストライキした。要は小汚い床に倒れた。
錬金術師の技術と労力を惜しむことなく注がれたコートとその下は倒壊の衝撃すら吸収し、ただ頭を庇っただけでノーダメージ。
しかし幾ら鎧で守りを固めたとて、精神はそうもいかない。疲労も損傷も問題なかろうと、立ち上がるのに力が入らなかった。脱力し過ぎだ。今敵に襲われたら何一つまともな抵抗できずにくたばる自信がある。
そういう、膨大な脱力感に次いで沸いてきたのは、疑問で。
それを押し潰し踏みにじり根絶やしにする勢いで支配したのは、言うまでもなく。
「……な・に・ヲ、揃って仲良くのんきに人の寝床で高鼾してやがるかンんのォ糞ガキ共おオオオオオ!!」
俺を認め泣きわめき抱き付こうとした悶着の末、揃って涙目で均等に二つたんこぶこさえたガキ二匹。
何故か噛みつかれた首筋押さえつつ溜め息はさみ、有無を言わさず正座させて事情聴取を開始。
なんでもこの考え無しのクソボケ共は起床と同時に意識が遠のくまで喧嘩していたらしく、片方に至っては現状を把握すらしてないらしい。
十八時間も無駄に喧嘩してたのかと青筋たてて問えば、ガタガタしながら知らない知らないと首を振る。お腹減ってないし、とも。
ん、それはおかしいな。どういう事だ、十八時間ほど放置された俺は若干飢えているというのに。
頭痛が痛く……間違えた。頭痛くなってきた。
生憎と愛用の頭痛薬に持ち合わせは無く、備え付けもガキ共に破壊されて床に散らばっていた。眉間にシワ寄せ堪える他ない。
「……何で喧嘩中なガキ共ほっぽりだした?」
「ガキ同士の喧嘩は思うさまやらせてやるものだ」
とは何故か右腕を負傷し、頬から一筋の血を垂らしつつも壁にもたれイイ笑顔浮かべてらっしゃるクサレ隊長(大)ドノの弁。
聞く相手を間違えた。というか誰に聞いても間違いしかない。なんだこの包囲網。
「……で、てめぇらは城が異常というにも関わらず、意識の続く限り引っ張り合い殴り合いのくだらねー喧嘩に夢中だった、と」
くそ長い髪をぐちゃぐちゃにほつれさせたアリューシャがうつむき、鼻に紙突っ込み応急措置だけ済ました隊長(小)が唇尖らせそっぽを向いた。反省が足りないな。
つぅかよく見りゃシーツの上も髪の毛だらけなんだが。ピンクと赤系統ので。
後でてめぇらの色の分回収させてやるな。
とりあえずガキ二人に三度拳骨を落とし、
「みぎゃっ!」
「あうっ」
ニヤニヤと、生理的に蹴りつけたくなるような笑みで此方を眺める隊長(大)、次いで頭を抱え潤んだ目でこちらを見上げるちんちくりんの片方、まんまでかい方を小さくした容姿の隊長(小)を認め。
「つうか、なに分裂してんだてめぇらは」
「ふむ。不服そうだな副長」
「たりめェだ! 単独で十二分なんてもんじゃねぇくらいにはた迷惑だってのに、なに殖えてんだ!? なんだ、あれか。必殺技か。主に俺を必ず殺す新必殺技なのか?!」
「はっは、異な事を。ちょっと己が小突くだけで決殺な貧弱副長を殺すのに必殺の技など不要過分もいいとこだろうに」
てめぇに小突かれて生きてる人間が存在すると思うのか。相変わらずアッパーな発想だなおい。
「めい、わく…………めいわくなの、か? フォリア、やっぱりめいわくなのか……?」
「めいわく」
言葉尻を間に受け決壊寸前にらしくない声をしぼる隊長(小)の言に、寸分の迷いもない真顔かつ即答で悪意ある肯定をしたのはアリューシャである。
……んん?
疑問に首を傾げ訂正する隙間も無く、どうやら決壊の意味合いがズレたらしい。元々がひどく単純な隊長(小)。別ベクトルに軌道修正された震えが段々と強くなり、
「……おまえにきいてないぞちびがき」
「……アリューシャはらでぃるのことをよくわかってるもん。おまえなんかよりずっと」
…………んー、んん?
「……うがー!」
「っ!」
困惑してる間に、取っ組み合い再び。
年端がいかんガキだから兎角、後十年ほど経てば止めるのも至難だろう組み合わせは、ものの半刻程の正座で蝕まれていたらしいバカの足が引きつりほつれ転倒し、ちんちくりん同士が衝突と相成り。
「「――っ、ーーッッーっ!?」」
足が同じ事になってたらしいもう片方と仲良く転倒し、声無き声で悶え転がる。
なんて無様だ。呆れてものも言えねー、てかなんだこの組み合わせ。シリアスも糞もねえ。
「心配して損したか。副長」
人間がねじ曲がってる笑みを浮かべた隊長(大)はスルーし、嘆息を一つ。
「おまえがーっ!」
「ううう……っ!」
「というかてめぇら、なんで喧嘩越しなんだ」
悶絶涙目ながら、闘志を露わに髪やら頬やらを引っ張り合ったり痺れた足を揉みしだきあうガキ共の姿は、ちょっと普通に関わり合いになりたくない空気すら放っていた。てか俺のシャツとジャンパー……
苦痛とうめき声しかない不毛な争い。何が数日前までは無感情だったガキをそこまで駆り立てるのか。
「女の領土争いに、年齢は関係ないからな」
一応、奇声をあげながら自爆合戦を続ける内の片方は、お前と同一なはずなんだがな。
別人格というよりは完全に別人な素振りで上から目線だ。
しかし、
「領土?」
「いやいや、我ながら的確な形容だと思うのだよ」
したり顔で頷く隊長(大)はそれ以上何も言わず。睨み合ってる間に揃って不吉な事を喚き始めた非常識の根源的なガキ共を再鎮圧し、また正座の罰。
話が進まねぇだろがこの阿呆ガキ共。「だって」じゃねぇよ口を揃えて言うな。そして睨み合うな。同族嫌悪も大概にしやがれこのバカ野郎共。
らでぃるううじゃねえ。泣くな喚くな俺のジャンパーで鼻水拭くな。
ぐずりはじめたガキ二人を鎮静するのにしばし費やし、んで。
覚束ないながら情報を纏めると。
「……つまり、あの糞爺か」
まず野郎は隊長(小)にあることないこと吹き込み、アリューシャを誘拐させた。ここはいい。予想とそう外れた事じゃない。異能の産物である隊長(大)は、結局のところ性質として、本体の強い意識には逆らえない。
しかしそこから何をとち狂ったかあの糞爺、アリューシャの因子を取り込んだ挙げ句暴走して正気を失い、城の住民を殺戮し始めたとか。
それを直に目の当たりにせずとも因子とやらの感応とかでびびったらしいアリューシャが、聞く限りには魔人の力をある程度抑制するのだろう首輪を引きちぎり、王国諸ともに驚異を丸呑みして、うっかりてめぇまで飲み込まれた、と。
とりあえずこの時点で色々言いたい事はあるが、とりあえず一言でまとめる。間抜けが。
んで、脱出する方法は不確かだが……何時の間にか人のベッドの下の物理的に存在しない筈のスペースに潜り込んでいた物言う無機物曰わく、ストレスの原因を取り除けばいいのだー、とか。
アリューシャがびびった驚異――病原菌みたいに云われた件の糞爺は、未だ抹消できていない。
その糞爺が――前々からのトラウマ込みで――とにかく怖いらしいアリューシャは、あの糞爺と同じ空気を吸うことすら拒絶している。
"暴食"の特性で一緒くたに飲み込んだ現状、驚異だけを器用に残して同じ空間に戻すことは出来そうもない。
というか戻すのすら出来るかどうか解らないとか弱音を吐かれた。ふざけんなと言いたい。テメェのケツはテメェで拭け。テメェの中で果てるなど死んでもごめんだ。
昼飯を胃に留めたまま、朝飯だけ全て吐き出せと言うようなものだと、無機物な変態は語った。も少しまともな喩え方は無ぇのか。
しかしなにはともあれ……やっぱりあの糞爺が邪魔、か。
なら、取り除けばいいだけだな。
「方針は決まったようだな、副長」
「ああ。とりあえ、……」
口に人差し指を当て、声を遮る。気配を感じた。
隠す気の無い足音は軽く、足取りは普通。扉の向こうからそんな足音が聞こえる。影がうごめき隊長(大)が負傷するような城内で。
静まり返る室内、俺の視線に頷き無言で壁から肩を反発させ、扉に手をかける隊長(大)。
足音が部屋の前で止まり、緊張に耐えかねたガキ二人が立ち上がろうとして失敗し転倒、悲鳴があがるより早く、扉が破壊されかねない勢いで開かれる。
薄暗い城内の廊下、扉の先に佇んでいたのは、一人。
小さな影だ。アリューシャやフォリアよりは大きく、しかし少女的というよりはガキの成分が強い、場違いなまでに日常的なワンピース姿の痩せた体躯。
最低限だけ整えられた赤紫の髪に、血色の宜しくない唇の端は笑みの形。
目元は不自然に隠され見えんが、間違えようが無い。
「……リリア?」