予想外にもほどがある
静か。
静謐とすら言っていい静けさ。郊外でもちらほらと人影が出始め、住民の話し声なんかが聞こえておかしくない時間帯だってのに。
空が黒い。暗雲の類じゃなく、青空であるべき青をそのまま黒に入れ替え、得体の知れない――人の情念的な混沌を混ぜたがごとき空模様。
端的に言って、異常だ。
「あーっ、やっぱり静流さんだ」
「黙りなさい司。というか名前を……」
上ってきた女男が開口一番に口にした名前は、どうやらあのやたら気配が剣呑な似非メイドのものらしい。シズルさんね。流石に本名てことは無いだろうが。
どこまで虚偽か計りようはないが、知り合いらしい気安さは見て取れた。
まあこれはこの際どうでもいい。
「……まるで天変地異だな。高位竜の怒りを受けた別の大陸は永劫の暗闇に閉ざされたという逸話があるが、ああそういえばラディル君。以前貸した酒代だが――」
いるよな、混乱すれば口数が無駄に多くなる奴。こいつは何時も多いんだがな。
つぅか落ち着けキーリ。だんだんおかしくなってる。脈絡が無い。
「しっかしどうしたもんかね」
状況が掴めん。暗黒空はこの際シカトするにして、体内時間的には早朝。ちらほらと人の姿が見えていい筈なんだが、
「ねぇ、あの建物の影とかで蠢いてるのはなんなのかな……?」
柏木 司が気味悪そうに自分で肩を抱き、言う。
街並み自体に変わりは無いってのに、文字通り影しか見えないのはどういうことなのやら。
気配も無しに佇むぽつねんとした黒一色の人影は、ただ物陰に居座るだけ。まばらな視線みたいなものはそこら中から感じるんだが、人間らしい気配じゃない。魔物、というよか亡霊にでも包囲されてるような。
ってかなんだこれ、まんまホラーじゃねぇか。地下をさ迷ってる間に何があったってんだ。
ったく。
「……とりあえず、城に行くぞ」
三対の視線が追加される。
「理由を訊きましょう」
メイドの皮を被った抜き身の刃物みたいな女が、ブレの無い声で真っ先に問う。
異常な状況で真っ先に下された判断への純粋な疑問。の類なんだろうが、無意味に威圧的でその辺の亡霊もどきとは別のベクトルにアレだ。実害がリアルに想像できる類。
「何故か空が黒一色で人間が見当たらず変なのが居る。どこまでそうなのか知らんが、此処ら一帯は閉鎖された領域である可能性が高い」
「多次元世界論だね」
何だそれは。錬金術師用語か。いっとくがそういうのには疎いぞ。
「目に見えるものだけが、世界の全てじゃないってこと」
「えらくアバウトな要約ね」
てか詩的というか痛いというか。
「理論はいい。打開するアテがあるのですか?」
偉く男らしい率直さに肩を竦めつつ、何とはなしに上を見上げた。
ここ最近、嬉しかないが馴染みができちまったアリューシャの闇。
ガキ風情が背負うには些どころではなくか教育上に宜しくない。
それが空を、見えん所で王国を囲うように覆っているのだろうか。見えるはずの山々が見えないからして、有り得ない話じゃない。
アリューシャが何かしたのか、されたのか。分からんがその辺りだとは思う。
なら、甘ったれなガキをなだめりゃ、コレは済みそうな気がする。
それを馬鹿正直に言っても頭の心配されるだけ。根拠を説明する手間をかけるのも面倒。だがいざという時の盾はあった方がいい。
ならどう話したものか……と迷う最中。
「――みぃいつけたー、のダっ」
女とか男とか以前、人間が出せないだろう雑音が混じった声――らしきもの。
一斉に視点を向ける。
てか後ろに回るなキーリ。俺は盾にならんぞ。
「やぁヤあ、ヤっかイな状況ニなってルみたいナのだ」
「……なんだ貴様は」
メイドもどきが警戒滲む詰問をかける対象は、完全に黒一色"だった"人影。
今、話し掛けてきた対象だろうのっぺらな異様は片手を上げて他の人影の最前に立つ。
影を人間状に凝固したような異様は同じく、だが人間なら口元に当たるだろう箇所に赤い曲線が画かれているのが他との外見的な違い。
あたかも知人に笑い掛けてるように、だが化け物にそれをされても友好関係は築けんだろう。気味悪い。
しかめた眉に反応するように、赤い曲線が更に深々と孤を画く。人間なら頬が裂けてる所で、黒い人影が宙を撫で――そこから現れた長杖を抱えた。
杖……ってあれ蛇装飾の。
「……てめえ」
思い返すのはつい先日、非常識を実行した法則無視の錬金術師。なぜか戦災孤児みたいな格好をしていた変質者。
「くフふ、はっキンぐにはナカナカ手間取ったノだ……」
俺の理解を待つようなタイミングで意味不明な単語を吐く。
その声は、先日耳にした声からもかけ離れた人間味の無い音。姿も当然違う。
わけがわからん。
「何なんだ」
「こコら一帯はクらわれタノだよ」
口を吐いた言葉をどう誤解したか、意味がわからん音が続けられた。
「……何だって?」
「彼ノ魔人に、王国周辺ゴト、君タちは呑まレたのだ」
…………のまれた?
「……まさか?!」
柏木 司が戦慄くように息を吐く。事態の深刻さを把握したように。
いや、まあ……深刻、だな。
――アリューシャに呑まれたのか、サーガルド王国。
そりゃ風景とか変になるわな……深刻とかいうレベルじゃない気がするなどうも。
「まダ、量が量だけニ喉を通ってないようだけど」
異様が更なる異様を起こす。
のっぺらな頭に、目玉が浮いた。
人間サイズの目玉が一つ、人間の目玉がある場所に浮く。
キーリが悲鳴をあげた。
「まだ吐き出される可能性があるのだ。暴走による迷走故に、現と異の境が曖昧……」
「なにが言いたい」
「彼女を探したまえ。ただし心するべきなのだ。此処で存在を保てているのは、彼女と多少なりと関わりが合った者。そして君の周辺に居た者」
雑音じみた声は、多少なりと流暢な人声に成り代わっていた。生えた目玉が関係あるんだろうか。
吐き出され……まだ喉を通ってないってなんだ。コレは口の中だってのか。あれの。
つか彼女を探せ? それが打開になるってのか?
てか存在を保ててるって、保てて無いのはまさか……
説明する異形の後ろで蠢く異形の群が、まさかそうなのか?
つーかなんで俺の周り?
……ああ、因子がどうとかってやつか。
「そして肉と魂のレベルが高い者」
目玉がぎょろと動き、指差すような眼光を送る。
対象は、シズルとかいう偽メイドか。
当人は戦闘態勢通り越して殺意を送り返してるが。まあそれは仕方ない。俺でもそうする。
「そして、神器のかけらを持つ異端審問か――」
台詞の途中で、頭がはじけた。
真横からの衝撃。影が拭われ目玉と杖が転がり――影に沈むように消える。
「――……手応えが無い。違うか」
嗄れてる癖に力有る声が場に低く静かに、威圧するように浸透する。
唐突な気配の出現。あまり気を張ってなかったとはいえ、ナニカをするまで気付かなかった。
舌打ち交え見れば、修道士のような白と紫の法衣を揺らす、黒鉄を思わせる髪と髭の、初老の剣士の姿。
銃火器が蔓延るこの時世、軽装は兎も角、時代錯誤とも言える剣を腰に差すのは余程の酔狂か、常軌を逸した使い手かに限られる。
視線が向けられる。出現から意識は向けられていたが、更に増大。
どこか覚えがある、強烈に練磨された威圧感。
というか面にも見覚えがあった。
そうか、飛竜を斬り落としたのはテメェだったのか。
「……"剣聖"、ゼルノード=リヴェリー」
「如何にも」
目尻に皺を寄せた厳つい視線はそのまま、鬼気を滲ませた柏木 司に反応し、剣の柄に手をかけた。
「……先程斬り捨てた飛竜の乗り手。この異常な状況で尚立向かうか」
「その説明しようとしてたアンノウンを潰したのはあんただぜ」
「異端の言など信にあたわず」
横から口を出すも、にべもない。
頭の固い爺さんだ。いや、審問官だからと解釈すべきかね。狂信者。
「……虚ろな気を感知してみれば、外れか。童姿の異端はどうした?」
「意外ですね。異端と話す舌があるとは」
いやまあ確かに、審問官のスタンスは、「異端の身内も協力者も同罪だみんなまとめて吊し上げてやんよ!」に尽きるが、よりにもよって剣聖相手に、何で挑発的に言うかね?
「異端――それもそうだな。問答も無用。斬って捨てるのみ」
ほらみろ。なんかヤる気になったじゃねぇか。
とりあえず、剣筋どころか踏み込みから腕の動きすら視認不可能な剣の化け物だった。
間合いの内に入るイコール即死というのは疑いようもなく、また間合いの外から弾幕を張ろうにも手持ちが心許ない。というか弾幕でどうにかできる気がしない。
だのに、折り畳み式の脆いだろう寄剣と、人間かどうか疑わしい体捌きと技量だけでギリギリ拮抗できてるあのメイド擬きはなんなんだろうね?
「……ラディル君」
「なんだ」
「アレは本当に人間なのかい?」
知らん。というかお前が招いた暗殺者だろうに。
隊長やらアリューシャやらの完全な規格外と違い、人間の範疇から何とかの一念の類で抜け出したような質を両者から感じる。
腰が引けてるを通り越して呆れた風情のキーリをよそに、半径十メートル程を目まぐるしく行き交う、援護する隙間もない殺陣は続く。
鳥肌がたつような剣戟の折、偽メイド側がごく薄い鮮血を飛ばすものの、放つ剣聖に一撃がかする様子もない。
ジリ貧か。
メイド擬きは阿呆みたく強かった。
アスカ辺りでも向き合えば十秒と持たないだろう技量、キレ、殆ど人間をはみ出してる身体能力。
しかし剣聖はそれよりも強かった。
力量とかは殆ど拮抗してるっぽいが、相性と戦場の差か。
遠目で成り行きを見てれば解るが、剣聖はその名に相応しく、剣という武器を扱うに、俺じゃ想定もできん領域を見せつけている。
メイド擬きは、どことなく最近逝った異母弟を発展改良させたような動き。一切の雑念無く殺す事だけに特化最適された殺人の達人。
両者ともが達人の域にある使い手であることは一目瞭然だが、これはどちらかと言えば剣聖の土俵だろう。真っ向勝負とか。
つまりは、いずれメイド擬きが負ける殺し合い。それだけの事だが、なら次は誰がアレの相手するのか。
とりあえず、現状打破のため柏木 司のDSPで諸とも吹っ飛ばしたらどうかと目伏せしてみたが、その持ち主からにべもなく却下、否決される。
そんな隙にも高次元な殺陣は動き移ろい、獣を超えたアクロバティックな動きを交えはじめたメイド擬きがジリ貧な戦況を五分にまで持ち直しかけていた。
「人間というよりは魔獣だね」
感嘆半分戦慄半分な声をよそに、草食獣的な二重目を怜悧に細め戦況を見守っていた女男が、音もなく踵を返す。
「往こう」
「いいのかよ」
他ならぬテメェが援護すべきとか言うから逃げ難かったってのに。
非難がましい視線にも、刃と人体が風切る音を掻き消す怪鳥音と哄笑にも振り向かず、歩を進める。
「静流さんがあの調子なら、大丈夫」
信頼とも切り捨てとも取れる簡素な説明。
まあ俺としては奴がどうなろうと、明らかに障害でしかない狂信者を足止めしてくれるというなら一向に構わない。
――捕捉さえされてなけりゃ、やりようはあるしな。
剣聖が飛竜を斬り捨てたと思わしき技――というか伸縮自在っぽい謎な武器を"空間"から抜き、辺りを瓦礫に変え始めるのを尻目に、戦略的撤退は極めて速やかだった。
二人の世界に突入した、人間かどうか疑わしいメイド擬きと妙な得物を持ち出した剣聖を捨て置き、何故か笑い始めたメイド擬きの声と建築物が倒壊する音も僅かばかりしか聞こえなくなった所。
よくよく見れば生活臭は漂うのに、廃墟のように陰鬱な気配ばかりが先立つ不気味な街中。
心境的に走りたい所だが、目的地は遠い。足もないので自然、のたのたと歩く他ない。
郊外から表通り、ちらほら見当たる野ざらしのままな露店、遠くに見える高台や城まで。
見慣れた街中はやはり構造そのものは変わりなく、だからこそ薄皮隔てた異常という間違いが浸透しきってるのが余計にアレだ。気色わるい。
「しかしアレだね。見慣れた街並みがこうも歪だと、気が落ち着かないね。ラディル君」
「ビビりの言い訳なら、も少し自分の日頃を鑑みて選んだ方がいいぞ引きこもり」
別にこんな異常空間でびびるのは仕方ないと思いはするが出る悪態。
まあ、現実逃避に付き合ってやるのもいいだろう。
「相変わらず失礼な。文官や貴族という職業及び身の上で仕方ない事だよ」
いや、それだけじゃねーだろ。
城と家を往復する、仕事だけの生活だだのいい男欲しいだの潤い欲しいだのと管をまいて嘆いてたのは一度二度の話じゃないだろうに。変なところで意地を張る。
びんぞこ眼鏡にさして宜しくないスタイルに、ズボラな癖に何考えてるかわからん本性。
およそ異性的な意味では近付きたくない類の女であることは間違いない。
某隊長やら某双子やら某幼児やらほどじゃないが、それは比較する対象が悪い。
「君のような性癖と体質が合致してかつ面が良いなんてド畜生は三回くらい死ねばいいんだ。犬にでも内臓貪られながら苦しんで死ねばいいんだ」
「……手、離していいか?」
「逃がさないよ逃がさないんだ君は巻き込んだんだ友達じゃないかはなさないで一蓮托生だ私は友達僕は私はぼくは」
「いや、悪かったから。取り乱すな」
びんぞこ眼鏡がズレた先から覗く、ぐるんぐるんした青目が詰め寄り迫る。抑揚の無い早口相俟って、思わず謝罪してしまう程のテンパり方だ。
着心地やら着脱の機能性やらを犠牲にして耐久機能を追求したボディスーツでなけりゃ爪先で穴が空いてたやもしれんね。
それくらいの火事場的な握力で掴まれた腕が地味に痛い。
「ふーっ、ふーっ……」
「ひっひっふー、ひっひっふー」
「ところでラディル君」
出産寸前の妊婦がすべき呼吸法を交えた女男はスルーされ、ヒステリーと平常の落差切替が異様に早い文官が平常な面で向き直る。無論歩は進めてだが。
「実は、例の孤児院の生き残りの、リリアという少女を引き取る予定だったのだが」
話題の突拍子ぶりからしてまだテンパってんなとまず思い、
「……あ?」
意識の外から殺意が洩れた。実際、女男が警戒して振り返るくらいは出たっぽい。
ギスギスというかつつけば破裂しそうな剣呑に腰を抜かしそうな表情のキーリが弁解を抜かす。
いわく、どういうわけが少女を預かっていた人物(元俺の部下)が謎の失踪を遂げる前、一応のコネがあったキーリに少女を預けたのだとか。
んでその少女、リリアはどこに居るのか。テメェの屋敷には居なかったじゃねえかと高ぶるモノを抑えながら問うと、脂汗流しながらも上っ面だけは整えたキーリは答える。
お爺様に連れてかれたんだ、と。
最悪。余計に煩雑になりそうだ。やっぱ無理してでも連れて行きゃ良かったか?
あんまりな状況に以前の判断を疑いたくなるが、流石に酷い精神状態じゃ軍行動は自殺行為だ。
ならどうすればよかったか。
結論は直ぐに思いつく。
どうしようもなかった。という、それこそどうしようもないへたれた真理。
せめてまだ無事……だろうな?
人質なら生かしてこそ意味がある、が――猟奇的に惨殺された他のガキ共が連想して思い浮かぶ。思い浮かんでしまう。トラウマの上書き。
埒のあかない思考の空白に滑るように、柏木 司が背を向け、前を見た。
その先には、
「おう副長。本当に居たか」
呑気に獰猛な笑顔を浮かべ、見慣れぬ鈍器を片手に空いた手を振る、見間違いようのない気配に見慣れた巨漢――もとい大女。
敵意も殺意も害意もない自然体に、怒るべきか殺気立つべきか笑うべきか逃げるべきか、そのどれもが不正解で相応しくない気がする。というか先日ボロクズにされてたような気がしたが……ああ寝たら治るよな。そういうやつだったよなはははー。
とりあえず溜め息をひとつ。
「フォ、フォリア=フィリー?!」
キーリが目を剥いて叫ぶ、サーガルド騎士団第十三部隊隊長の姿がそこにあった。
で、
『ひゃっはー! こぉの我様にかかれば機能阻害された異能力者風情が捉えられぬ気配探索など朝飯前の断食――いたいたいたいおれるおれるのだ!』
響く謎の甲高い悲鳴。
異様に軽い声質に独特のリズムから、先程妙ちくりんな影と同化してたっぽいとある変態を思わせる。
というかまんまその変態の杖じゃねぇかアレ。隊長がへし折ろうとしてる鈍器。なんで野郎が持ってんだよ。
『のぅ、ノーゥ! たすけてくりゃんせまいフレンズ! 似非女ザ筋肉達磨にへし折られちゃううううううーっ!! のだ!』
頑なに特徴的な語尾を入れようとする無意味な根性。ふざけてるとしか取りようが無い喋り口……実は杖が本体だったとかじゃねぇだろな?
「……知性ある剣ならぬ知性ある杖? 凄いなー、はじめて見たよ」
「というかマイフレンズて誰だい?」
女男と文官がそれぞれ絶妙にブレたツッコミを口にする。
てか知らん。知りたくもないわ友達とか。少なくとも、アレの前で身体的特徴を口にする命知らずと関わり合いたくないしな。
何故か胡乱な眼差しを向けてくるキーリに、肩をすくめる。
しばし、隊長が物言う鈍器を黙らせるべく打ち下ろし、それより脆いらしいアスファルトを瓦礫に変えていくのを傍観。
で、ようやく静かになった頃。
「まず、すまんと言っておく」
わずかにひん曲がったような気がする喋らなくなった杖をそこらに投げ棄て、とても謝ってるとは思えん態度の隊長。
謝る。なにをだ、というよりなぜ……謝る? この傍若無人な破壊魔が?
恐慌をきたしかけた脳内を取り繕いつつ、聞く。
「といっても副長が危惧してるだろう最悪じゃない。まあ、現場に行けば解る」
おざなりな説明だな。つか現場て何処だ。
「副長の部屋だ」
……何故そんなピンポイント?
とりあえず、争う気は無さそうな隊長と、独りでに――浮遊する杖を指してそう呼ぶのは適切か知らんが――ついてくる無機物を加え、暗黒の空の下。
多くを語らぬ――観察してると、何故か見た事のないくらいおとなしい――弱ってる? 様子の隊長から一応話を聞きつつ、一路王城へ。
なんでも、城の内部は酷い事になっているとか。
どういうわけか本調子の十分の一の力も出せないらしい隊長が、殺されかけて逃げ出すような所になっていると。なんかあの影っぽいのが無数に襲ってきたんだとか。
それに関しては、無機物が注釈を入れてきた。無機物は何故か弱々しい様子だったがそこはまあ生暖かい目で流したが。
曰わく、生霊と死霊の差だとか。
街中の影にたむろしてるのは生きたまま飲まれて肉体を維持できず、ただ漂うだけの実害無しの元住民たち。
んで城の中のは――どういうわけ大量の、死んだ直後の悪念を剥き出しにした悪霊が肉を求めてたむろしてる、と。
なんだ死んだばかりのって。隊長に聞いても、妙な首輪をはめられたアリューシャと俺の部屋にぶち込まれてたから知らんと。
相変わらずそっちにゃ使えねぇ脳筋が。
口には出せぬ悪態を脳内で流し、ふと、なんで俺だけ無機物と隊長の応対してんだろうかと疑問が頭を掠める。
遠巻きに観察してる女男とびんぞこ文官はそれが君の役割だとばかりの嫌な目を送ってくるばかり。
……思考を誘導し、戻す。城の内情。
飛竜の上から感じた印象、異様な静けさと何か関係があるんだろうか。
……まさか。いや、流石に関係ないだろと、つい先日見たばかりの血溜まりを一時忘却。テメェの本拠地で虐殺など、無意味にも程がある。
てかそんなあからさまにやばい所になってて、ガキ共は大丈夫なんだろうな……? ついでに投下させた連中も。
「どうにも、副長の部屋は例外らしい」
また俺の部屋かい。
なんなんだ。異空間化した国の魔窟に該当する城の、そのまた更なる例外って、いったいどうなってんだ俺の部屋。
いわく部屋から一歩でれば即座に襲撃されたが、その中に居る限りは扉を開けっ放しでも影たちは侵入できないとか。
一種の聖域と化してるのだ。とか無機物は口もないのに口を出すが、聖域て。
城の中でも十指に入るくらい血みどろに汚れてる場所だと思うんだが。何度ハゲを呼んで洗浄させたことか。
……洗浄? ……まさかあの時、マーキングの類でもしやがったか?
連れ出す直前の惨事を思い出し、頭を振るう。なんぼなんでもそれは無いだろうと思いたい。信じてもいない何かに祈りたい心地の中、無機物からの解説が入る。
『ここは彼女の夢想の歪み、元の世界の殻を被った通り道。故に彼女が救いと定めた君の残り香に満ちた場は現状、聖域と言って過言ではないのだよ、ロリコン』
途中、何故だか気になった壁のシミを勝手に憑いてくる無機物でごりごりにぎゃーとこそぎ落としつつ、さっきから気になっていた疑問点を隊長に問う。
「何でアリューシャを連れて来なかった?」
「珍しくも空気を読んだからな」
「……んん?」
「行けば解る。聞く限りでは、副長なら容易と思えるが」
『ぶっちゃけ、彼にとっては元の世界よりも安全なのだ』
マジでか。いや全く嬉しくないが。
『けど、タイムリミットは長くて三時間と思いたまい』
「タイムリミット?」
キーリが聞き返す。
タイムリミットて、厭な予感しかしない。
元々この無機物の本体――がどっちかはわからんが――錬金術師は、何を目的としていたか。
ああなんかうっすら予測できちまうのがなあああ……
『それ以上この状態を続けたら多世界規模でエラいことになるのだ。よって三時間後には、この領域ごと彼女を抹消するのだ』
やっぱり碌なことじゃねぇし。
現実味の無い単語が並びたてられた。普通なら一笑に付すか頭の中を疑うか辺りだろうが、アレは普通から対極と言って言い足りんくらいの――或いは幼児になったり脳筋大女になったりな奴より――異常者である。
どれだけ不可能というより把握できない不条理を口にしようと、できるか馬鹿野郎、と否定できる要素が無さ過ぎる。
俺の常識はここ数日で大分壊されてる所だし。変な風に適応しちまって……
諦め半分な俺の横で、腰が引けたキーリが無駄な事を聞いている。
それだけの大口を叩くならばなぜさっさと事態を収拾しないのかとか。
返す無機物は予想通り、なんか俺や糞爺が発端になったんだから収拾する義務は彼らにこそあるとかどーのこーのと。正論かもしれんが言い訳にしか聞こえん事を口にする。
俺の見解としちゃあ、愉快な演劇を最後まで茶化したいという所だろうと思うんだがね。
「なら、せめてどうすれば事態を収められるか。具体的に教えてくださらないかしら」
足取り緩めず、ちょうど城の城門付近までさしかかった頃、キーリが言う。
演目を身も蓋もなくぶち壊せる傍観者が、タイムリミットというギリギリまでそれをしないのは何故か。
そも傍観者は何が為に傍観しているのか?
様子見とか隙を伺うとかいう常識的な理由の中には、面白半分に事の成り行きを見届けるという長生きしないタイプが極たまに存在する。
アレはその典型に思えた。少なくとも確実に半分は面白可笑しく傍観してる。憶測だが。憶測を続けるなら、それは何故か?
嗜好にもよるだろうが、仮説をあげるなら――終焉まで、覆りうる見所があるという事ではないか。
詰まるところ、少しはマシな終わりが観たいなら、方法を教えろとキーリは問う。
それに対する回答は、
『魔人の彼女に逢いたまえ。そして抱き締めてアイラビューと囁きつつベッドに押し倒せば万事解け』
最後まで、否、最初から聞くに値しないものだった。
喋る無機物ひっつかみ、聞くにたえん戯れ言を強制終了。
『おやん、生身より無機物が好みだったりするのだ? 残念なのだー色々と』
「隊長」
「ん」
不愉快な何かをのたまい垂れ流す物を、何故か腹ただしい苦笑を浮かべていた隊長に手渡す。
交わされる無言のやりとりに頷き一つ、古傷だらけの歴戦面は凶悪に歪められ、眼光と鬼気、それだけで撃ち貫くように閉ざされた城門見据え。
ほぎゃああああとか喚く無機物が振りかぶられる。
距離はあるし、隊長の不調とか無機物の硬度の不確定さとかもあるが、まあ問題ないだろう。多分。
『いやいや、手段としちゃ強ち間違いじゃないのだがねええええええええええぇぇー!!』
疾く投擲。
足場が砕け、豪快な風切り音。消失したとしか思えん射出をされた無機物が城門に突き立ち炸裂音を伴い、銃撃はおろか砲弾とかも防ぐ堅牢を、高位錬金術の産物を穿ち破る。
身も蓋も無くとりあえず破壊。これぞ隊長クオリティ。
よし城門突破。別に砕く必要は無いというのは気にしない方向で。最短ルートには違いないし。
「…………十分の一以下?」
「それが異能力者というものだよ」
「というか、国家重要建築物破壊……」
あまり隊長の非常識を見る機会がない文官がひきつった面でずれた眼鏡を修正し、おどけて肩を竦める女男が見たまんまを口にする。
訳知りな口振りは、東西における異能力者比率の差によるものだろうかね。どうでもいい思考を払い、ぱらぱらと飛散する破片の中を進む。
やっぱりそこかしこの物影に謎な影が蠢くが意識から半分外し、起こるかもしれない驚異に存在しない感覚を尖らせる。
城の敷地内は問題ないらしいが、不確かな聖域だの謎な影だのといったアンノウンがどこまで拮抗してくれるか。
生憎と糞の役にも立ちそうにない常識じゃあ計れそうもないからやっぱり行き当たりばったりに逝くしかないのだったド畜生。
何時ものように悠然と聳え、人から見れば堅牢に写る王の城。
しかし異能力者とか竜とかの災害の前にはあっさりと瓦解する、そして今なお国単位で一人の魔人に呑まれ沈む、砂上の楼閣。
月も太陽も存在しない、夜よりも暗い暗黒に昼の明かりを伴うという有り得ざる混沌な空の下。
普通なら門番やら見回りやらが居るだろう場には変わりとばかりに蠢く影。
普通に不気味で覗くことすらはばかられるおかしな気配。開けた場内への入り口を見据える。
当初の作戦からすれば有り得なかった、正面からの侵入。しかも人間の妨害は無い。なんか蠢いてるような、私室のタンスの中でかさかさと蠢くなにかに気づいたような、嫌な感じはするが。直接的な予感は特にないのが地味にくる。
想像の斜め上から三回くらいは直角に曲がりくねった現状。作戦ってのはどこまで想定外を許容に入れるかも肝だが、ここまで予測できるわけがない。というかここまで予測が狂いきれば笑うしかない。まったく。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。