最悪を通り越したなにか
肌に張り付くどころか締め付ける黒一色、薄いが強靭なアサッシン・スーツ。快適とは程遠い着心地と着用の手間を享受した上に、仕込み満載黒コートを羽織る。
愛用のマフラーと眼鏡は置いておく。
次いで鉄底のブーツの感触を振って確かめ、三度目の装備点検。
膨大な量の仕掛け装備を点検するのは、普通に結構な手間だ。暗器使うのも楽じゃない。
こんな事もあろうかとという仕組みは、万全を通り越した神経質な手間暇の上で成り立つ。
そんな前提が頭にちらつく再々装備。一つ一つの動作確認も怠らず、一つのズレで作動誤動当たり前の仕込み点検は終了した。
三時間の睡眠は既に済ませ、隈は多分ないだろうが体が節々痛む心地。
如何に少ない時間で体力を回復させるかという技法は、旅人の基本だ。
そもそも回復する体力自体少ないという説もあるが、まあ兎も角、朝焼け前だ。
人が寝静まり起き始める、丁度境界線。夜闇が晴れ始め、夜襲に備えた人間が油断を始める頃合い。
さして通用するとは考えちゃいないが、なにはともあれ――
作戦決行の時間だ。
密林の開けた場所は閑散としていた。
或いは竜種の端くれたる飛竜の威圧効果か知らんが、飛び立つ場所が確保できていたのは都合が良い。
鎮座した飛竜の背から、戦闘準備だの後片付けだのにおわれる連中から都合を付けた代表に向き直る。
「誠一、後は任す」
「はい。御武運を」
飛竜の背に乗る俺らに返されるのは最敬礼。
寄り添うキャリーとミソラも同様。
ついでにハゲは鼻糞ほじってる。
御武運を、ね。
どちらかと云えば帝国との矢面に立つこいつらにこそ武運が必要な気がしないでもない。
「キャリー、誠一の手綱握っとけよ」
「言われるまでもないね。そっちこそ、しっかりリーちゃんを奪い返しなよ。あんな可愛い子が泣いたままなんて、許せないんだから!」
赤ポニテが気丈に揺れ、最敬礼から姉御肌なサムズアップに。
うんうん、と飛竜の主が何度も頷く。とっさに脚が出かけた俺を誰が責められるだろうよ。具体的に云えばヤの字蹴り。
「ミソラ、ヤバくなったらお前だけでも逃げるんだぞ。最悪を知らせるのも、お前の任務だ」
「…………うん」
一番生存率が高く、また単独で逃げられる可能性が高いのがコイツだ。
故に読み違え、壊滅の展開になった場合、迅速にその有り様を報告する役目を与えている。
いざとなれば見捨てろと言われ、表情は暗いが……最悪を考え、備えられるなら備えるのは必要だ。
「ハゲ、死ね」
「おう……って何でだよ!?」
怒鳴るハゲはスルーし、柏木 司に上昇の合図を送る。
羽ばたき、草木に波紋が広がる。地表からゆっくりと離れていく。
んじゃねー、と飛竜に首と胴で括った大籠の中から、双子が手を振ってる気配。
スペースの都合上でハゲがそこらの木々から錬成した大籠はそれなりに頑丈で、小娘二人と女一人を載せる事ができた。鮨詰めだが。
そして、アスカの感嘆が聴こえたりする上空。あっという間に豆粒サイズに遠ざかる誠一達。
乗り手の号令がかかり、一度は消えた風景を滑るように、飛竜が翔ぶ。
飛竜の航空能力は、デタラメの代名詞その二くらいにカウントされる竜種の中でも最高レベルと謂われている。
馬とは比較するだけ馬鹿らしい飛翔速度、休み無しで大陸を一周できる航続距離。
飛ぶという事に傾向進化したと言われるだけあって、単純な戦闘能力は他の低級竜以下だろうが、飛ぶ事に掛けては竜種の括りの中で尚最高。それが飛竜だ。
広大な森林、王国の野営地、平原と、馬を使えば数日はかかりそうな距離を突っ切るにかけてもさしたる時間はかからず、まだ日も出てない時間帯にて目的地到着。
早速イレギュラーが起きた。
敵方の、王国のお上である皇国のシンボル付けた飛竜が二匹、丁度城から飛び立つ所だったのかまあ、出くわしてしまった訳だ。
そこはまあ、狙撃技能持ちの俺と柏木 司で一騎ずつ撃墜したが。
飛行の制御中枢たるデカい翼は比較的脆く命中させやすく、そこそこ威力のある銃ならあっさり貫通できる明確な弱点。
不意打ちじゃなけりゃどういうわけか跳ね返されるらしいが。
「――おいどうするんだアッシュ!? 奇襲にならないぞこれは!」
「そうだそうだどうすんだ副長!」
ハスキーとダミ声が煩わしく叫ぶ。
二騎とも城の敷地内に落っこちてったんだ。言われんでも解っとるっつーに。
てかマジでそっちで呼ぶのなアスカ。つーかひっつくな真性ロリコン野郎。
まあ兎も角、早速作戦に修正を加える必要が出たが。さて。
「とりあえず、手早く順次降下と行くか」
一時撤退を選びたい所だが、残念な事に、こっちに引く選択肢が無い。
色んな意味で切羽詰まってるから、是が非でも短期決戦を臨まにゃならん。
「急降下から地上間際で急停止とか、どうかな?」
提案するからにはそれなりに有効な手法なんだろうな、柏木 司。
少女じみた二重眼は、確たる自信を訴えた。
いいだろう。信頼からは程遠いが、信用くらいは出来なくもない。
「最初籠組、次俺、残りの順。降下ポイントは――」
指定し、騎乗者の命を受けた飛竜が、王国王都の家並みの上空を滑る。
見慣れた街並みは見慣れぬ位置から眺めるせいか、随分と小さく見えた。
――はっ。
引きつった笑いが漏れた。
タマ野郎の急降下は文字通り、断崖から転がり落ちるそれ以上だろうスピードでの降下だった。
籠の中で鮨詰めにされてり三人の悲鳴というか絶叫が耳に痛い。つーか五月蝿い。
ついでに最後に降ろす予定だったロリコン野郎も落ちた。馬鹿が。
ともあれ、最初の降下で比較的警備の"薄くない"箇所に籠プラスアルファを降ろす事には成功した。
きちんと籠底に仕組んでいた爆弾も順調に作動したらしく、爆発音が雲上の上空にまで届く。
静寂から俄に慌ただしさを増してきた街中。飛竜二騎撃墜あたりからちらほら出てきて、ひっきりなしに慌てふためき始める警備員。
だが不思議なことに、
「……城が静かすぎる」
気配を探れば人の気配はする。居るには居る、だが不自然に静か過ぎる。
邪魔者が排斥されてるような疑問。或いはその通りなのか。
「ですね」
視界の端、固定砲台が偶然にも飛び回る飛竜を捉えた。
迫る砲丸を柏木 司が迎撃、銃弾に穿たれた鉄片が竜鱗に触れる以前、不可思議な風がそれを弾く。飛竜の操風か。
散発的に発砲してくる奴も居るが、問題じゃないな。
「さて、次は……!?」
唐突に胃が縮み、背筋が冷えた。言葉が途切れる、殺気を感じた。
見れば、糸が在った。
重力に逆らい地上から雲を破り、天を衝くように栄え空に伸びる、細い長い糸。
薄い明けの光を反射させ、不条理なまでの存在を示すそれ。
何が何やら分からんかったが、暗殺者並みに尖れ、しかし暗殺者なんぞというレベルじゃない密度の殺気の元は、それだと理解し。
「――避けろおおおおおおおおおっ!?」
「――タマちゃん!!」
連鎖する絶叫の直後、主の呼び掛けに飛竜が反応し、見知らぬ誰かの咆哮が聞こえた気がして、ふ、と糸が消えた。風切り音。
数瞬の無言、無音。
均衡を崩したように揺れる視界の端、音もなく落ちていく緑色の――竜の鱗と翼の切れ端、ゴツゴツした尻尾から飛散した異色の飛沫がコートをうつ。
柏木 司が悲痛に叫び、飛竜が低くうめく。
――殺気の質、消えた糸、風切り音と断たれた竜鱗……――斬られた?
あほな。
感知できた情報から浮かんだ結論にそう呟きかけるが、尻尾と翼を三分の一程断たれた飛竜が墜落を始めた事で、止まる。
「……思いっきり目立っちまった」
雲より上から墜落して、どうやら何故か生きているらしい。というかこれといった損壊が見当たらない。
奇跡。なわけないな。飛竜が操風能力を使ってくれたか、柏木 司が何かしたか。
推測付けながら、被さった瓦礫を渾身で押しのけ、立ち上がる。
肩を鳴らし、腕脚を回し身体チェック。問題なし。自診しつつ辺りを見回す。
どこぞの屋敷っぽい崩れた豪華さ。派手に大穴が空いた派手な天井、砕けた金細工付きタンスや天蓋付きベッド等からして寝室の類か、とどうでもいい推測。
未だ噴煙止まらぬ室内、内壁に飛び散ってる魔物の血――えぐい紫に塗りたくられ、更に悲惨な感じに。
「タマちゃん、タマちゃん!」
破壊の根元には、瓦礫に埋もれ血を流し、苦痛に呻く飛竜タマ。埃だらけながら無傷で泣きつく主。
思考する。あの様子からもう一度飛び立つには無理があるだろう。生命力の高い竜なれど、一部の魔物が持つような再生能力は無い。
撹乱は無理。脚が退化した飛竜がここ王国を歩いて移動、逃げるにも無理がある。
逃走は不可能、なら柏木 司を離すのは困難だろうこの様子じゃあ。
なら……
「だっ、誰っ!? きゃあー!?」
状況的に考えて家人だろう。覚えのある声とへっぴり腰で小型拳銃 構えた女が、へしゃげた扉から顔を出してきた。
反射的にホルスターから銃を抜き突き付ける。素人には十分と考えながら見れば……うぉい。
「…………ららら、らでぃる、くん?」
「……キーリ」
知人だった。
びんぞこ眼鏡にボサボサ白髪、清潔感の欠片も無く荒れて痩せた肌。
その癖、年も考えず若干少女趣味入ったピンク色のパジャマ姿は尻餅つき、意味のわからんうめきを発している。
こんなんでもサーガルド王国の文官。うわばみな酒飲み仲間。
キルエリッヒ=ツェペシュ。
今日中に殺そうとしてる糞爺の、孫娘である。
「……ナニしてんだお前」
「いやそりゃ僕の台詞だと思うんだけどな?」
それは言わないお約束だ。無体な事を口にしながら銃口を下げる。俺だってまたこのパターンかとわめきたい。
だが未だ柏木 司の嗚咽も飛竜のうめきも、事態も悪化してるだけだ。
「ここはお前の家……か」
確か親類とは別居で、一人暮らしだったな。数える程度の使用人は別として。
「ああ、そうだけど……なんで飛竜が? それに君は、」
事態をまるで掴めんのは解らんでもないが、説明する時間は無い。
ライフル型を装備した使用人が侵入してくるが、発砲して牽制。また余裕が……いや。
悲鳴をあげてうずくまる友人に目を向ける。
「丁度いい、手伝え」
「は?」
当たり前だが首を傾げられた。
そりゃ、部隊ごと行方不明で色々噂流されてる友人が、負傷した飛竜ごと自宅に墜落してきて銃片手に手伝えときたら、そりゃあ『は?』だろう。
「今からこの屋敷を潰す」
「…………は?」
びんぞこ眼鏡がずり落ちる。
だが、いろんな意味で構ってる暇は無い。
王国のみならず、ちょっとした規模の街なら大概は地下水路というもんがある。
読んで字の如く汚水やら雪解け水、雨水なんかを流す地下路であり、時たま清掃の人間やら後ろ暗い連中やらも利用する、汚く暗く臭う狭い道。俺も暗殺者時代に何度か利用した。
そういうのが蜘蛛の巣状に張り巡らされ、街の清潔感の底上げに貢献しているわけだが、まあ存在理由は今どうでもいい。そういうのがひっそりとあるというだけ。
というわけで、飛竜のブレスで地盤を撃ち抜き、そこから地下水路に下り、一時身を眩まそうという案を選択。
タマ公を生き埋めにするのと、家を物理的に潰されるのには大分難癖付けられたが、そこは空気呼んだ飛竜タマ公。
使用人達を退去させた後、自発的に生き埋めになってくれた。主想いな魔物だこと。
ま、ドラゴン種族の生命力と頑丈さなら、生き埋めになっといた方が生存率は上がるだろうし。
飛行中のタマ公を撃墜したナニかに追撃されるよりは遥かに安全だ。
柏木 司への説得としてはそれで十分。
貴族邸の崩壊も結構な目眩ましになるしな。ミスディレクションとしちゃ悪かない。
んで今、ほろ暗い地下水路。
汚水で靴上まで浸すのもじさず歩く中、余りにも哀れな巻き込まれ方をした友人に状況説明なんかを施してやったり。
「……大体の状況はわかったよ」
地下水路という閉鎖空間に太陽光は届かず、電灯の類などある筈も無い。
ただでさえ錬金術師適性はあれど灯りを融通する技量がないらしい柏木 司は憤慨が先立ち、役にたたず。また手持ちもマッチ程度しかない。
故に、下りる時に回収したひん曲がった角材なんかで足下確認しつつ、百足並びに進むしかない現状。
飲み仲間の怨念入り混じった声は狭い空間で変に反響し、それなりに不気味な感じだ。
「嗚呼、我が家が……我が家……」
「お気をしっかり、主」
パジャマ姿のびんぞこ眼鏡は強制連行したが、何故か一人だけくっ付いて来た――確かえらく上背のある黒髪の――メイドが、無感動かつ職業的な声で慰めらしき言葉をかける。
そんなもんなら無い方がマシというのは俺だけだろうかね。
「あなたも、友達は選んだ方がいいと思うの」
人の台詞をパクらんでもらいたいね、柏木 司。
つぅか、家潰し案を口にしたのは俺だが、実行したのはテメェの相方だからな。タマ野郎だからな。
「わかってはいる、わかっちゃいるんだけど……僕と一緒に酒を飲んで潰れない友達は希少なんだよ」
「はは……」
言葉が見当たらない時に出るだろう乾いた声。
俺的には希少と事情以外の意味はあまり無いが、隊列の真ん中を歩く貴族らしくない女はその限りじゃない。
「それでラディル君。僕は連れてきたという事は、僕を人質に使う、という事かな」
「ああ。それもアリだな」
何故メイドが付いて来たかは別だが。
「ふふ、やっぱりね。戦力的に役立たずな僕を強制連行ときたら、そういう事でしか有り得ないからさ」
淀みない言葉には嫌みなものが無く、いっそ苦笑気味なものさえ含んでいた。
理解が早くて助かるな、宰相の孫。
「あの、あなたたちはお友達ー、なんですよね?」
辺りを警戒する小動物じみた気配で根本的な疑問を口にしたのは、最後尾を歩く柏木 司である。
「そうですよ。だから、いいように利用される事も吝かじゃ無いの。それに、抗っても無駄だろうしね?」
後半は明らかに俺に向けて砕けた言い方。
というか全体的に人聞きが悪いな。
「事実だろう? 君はお爺様を殺そうと前々から画策していて、僕はその足掛かりになる。君は主に牽制に用いてたようだが、とても合理的な事だよ。アレでいて、お爺様は僕を愛してくれてるからね?」
そっけないがツンデレ的な愛情は受けているらしい。孫爺仲は外聞程に悪くはないと、酒の肴にしてはいたいつぞや。
相変わらず想像ができんが、どんなド汚い人間でも一から全までそうとは限らん。その一部が一人きりの孫に当たるキーリだとは断定していい。
だから余計に変な感じだが。
「……その上家まで潰されて、何で?」
「言ったろう? 友達だから。いいように利用されることも吝かじゃない、と」
笑んでいるような声、虚飾を飾らん――少なくともそうは思える声。
そのココロ、精神構造はよく理解はできんが、ある程度把握してる。俺はだが。
訪れる押し黙り沈黙。なんか俺だけ悪人みたいな。いや悪人だけどよ。
「友達少ねーからな、愛情に餓えてる可哀想な奴なんだよ」
冗談めかして言いはしたが、その実シャレにはなってない。
宰相の孫。かなり悪どい噂が漂う――現実はその斜め上を往ってるが――悪徳爺オズワルテ=ツェペシュの、一人しかいない血縁者。
他は、キーリの両親含めた皆、不幸な事故で死んだとか。因みにこの不幸な、には多種多様な当て字が入る。復讐とか妬みとか見せしめとかな。
お偉いさんの血縁というだけでかなり見る目もアレになるだろう貴族社会。
一人残った爺はアレだし、親しみだの人情だのという民草的なもんとは縁遠い。
友人気取りの俺ですら、あの爺が俺の周りに対し明確に"致命的"な事をやらかせば、ダメージを与える為だけにくびり殺してやる気満々なんだから、相当だ。
糞爺も似たようなもの。確かに人質として率直に使えばある程度は有効だろうが、あんまり致命的なもんだと人質をあっさり切り捨てる気概がある。そういう場面が以前有った。俺が手をまわさにゃ隊長に消し飛ばされてた所。
自分がくたばる危険性があるなら、孫だろうと躊躇しない性質が前提にある。
んでその孫が、その方程式を一から十とは云わずとも殆ど知った上で俺を友人とかいうもんだから、まったくもって救いようが無い。
「可哀相、といえば知ってるかい? 先日の話なんだけど、とある孤児院の孤児たちが、一人を除いて惨殺された事件」
――一瞬、息が乱れた。
膨大なナにかが白く、頭の中を掻き混ぜたような、嫌悪感。忌避感。
僅かに乱れた歩調を意識して修正。
不意打ちに、持ち直すのに数秒掛かった。
「知ってる。その場に居たからな」
「……ああ、やはり関わりがあったのかい。お爺様が?」
嗅がれてたか。鼻聡い奴。まあ自分の生き死にが掛ってるから、当然か。
しかし、爺の指図かは微妙なんだよな。俺を挑発してなんになるってんだ。やっぱり現場の独断っぽかったしなぁ、という旨を口にしたら、あからさまにほっとされた。
「げほげほっ、げほ」
あ、咳きこんだ。後ろの女男が大丈夫かと声をかけ、背中をさする気配。
悪臭を過分に吸い込むからだ間抜け。
「ぼっ、僕の事は兎も角、これからどうするんだい? 今日中にお爺様を殺すというなら、ここから荒事でも?」
話題の転換で平然と祖父の死を口にするのは、情が薄いというわけじゃないだろう。
こいつは意思だの成り行きだの、割と大切なもんを他人にゆだねている。丸投げとも云う。
曰わく、お爺様もラディル君も大切で、どちらが死んだとしても悲しい。
けれど、お爺様に酷いことをされてる君の意思を止める術も無い。ならせめて、どちらかは生き残ってほしい。この身がどうなろうとも。
そのどちらに転ぶかは相対する者次第――と、完全に中立の傍観者気取り。
どこまで本気なのやら。
きっちり手に掛けられる覚悟まであると、一見まともな癖に頭のネジがどっか逝ってるような奴だ。
つくづく救えない。
はあ、と息詰まる空気を軽く吐く。
ままならん事は兎も角だ。
「地下水路はその性質上、城の敷地まで繋がっちゃいるが……」
以前叩き込んだ地下の道筋を頭に浮かべつつ、頭を振る。
当たり前だが、そう後ろ暗い手合いに便利な風にできちゃいない。
「如何せん人が通れるようにできてない。適当な所で地上に出るしかない」
時間を掛ければこの薄暗く狭い地下にも追っ手が掛かる。伏兵はいないっぽいが、追撃は時間の問題だろう。
「どうやって? 確か出入口は堅く施錠されてるだろうし、簡単な爆撃くらいは耐えられる仕様な筈だけど」
「そこら辺は問題ない。ところで、」
ちらと後ろを視た。
飛竜が空けた風穴は既に見えない。角を三つほど曲がったから当然だが。
まったく光源が無いこの場ではいくら夜目が利こうと見えはしないが、視覚以外でわかる事も多い。
「そこのメイドだが」
「おや、お姉さん系は範囲外と思っていたが、」
「茶化すな。なんか違和感がある」
地上で見た手ほどきは多少訓練された程度で、警戒し過ぎる要素もない。
歩き方に気配も普通の域を出ないが……なんか、口にしにくいレベルで妙な違和感がな。
嫌に静かだし、怯えてる気配かも微妙にわからん。
「ああ、彼女は帝国関係の間者だからね。擬態くらいはお手の物だろう」
「待たんかい」
俺が妙な違和感くらいしか抱けんレベルの擬態だと? うわ、なんか敗北感が……
つーかお前、なんで間者とわかって雇ってんだよ。俺の情報網にもかかってなかったのに。
「主、あっさりバラされては困りますね」
ようやっと偽メイドが口を開く。
静かだったのは単純にボロを出さんがためか。流暢な発言は厭に鋭い。
しかしあの爺の孫は流石というか、多分何らかの神経が抜けてるんじゃないかと思うくらいに緩やかな返答。
「いいじゃない。目的は同じなんでしょう? 薄々気付かれてたらしいし、共闘した方がいいわ」
外面の口調は礼儀正しい。案外最近の話なのかもしれんな。この間者が来たのは。
「で、目的って」
「お爺様の首だよ」
それは間者というより暗殺者の仕事だ。
というかテメェの祖父を殺そうって連中を囲い過ぎだ。理解が良すぎるってレベルじゃねぇぞ。よく今まで五体満足に無事だったもんだ。
似たような事を柏木 司が口にする。
そりゃ良識ある奴なら心配にもなるだろう。俺ですら破滅願望でもあるんじゃねぇかと探り入れた時期もあるくらいだからな。
それに対する答えは、からかうような色の笑声。
「なぁに、あんまり質が悪いのは、何だかんだで頼りになる友じ、」
「ぉぉおいもうここら辺で良いだろ。出んぞ」
丁度いい所に出入口を見つけた。
いや、壁伝いに当てた手が明確な空洞を探り当てただけだが、まあ発見した。
声がほんの僅かばかり上擦ったのは、汚水に躓きかけただけであり、別に他の要因は無い。無いったらない。
「そんなんだから君を憎めないんだよね」
何を言ってるのかよくわからんね、キーリ。
んで、柏木 司がマンホール破壊の為に、簡易解体してバックパックに積めてたDSP(対竜兵器)を組み立てようと暗闇の中でもごもごしてた最中。
「まどろっこしいですね」
「深裂さん?」
マンホールに続く梯子が軋む。
犯人は煩わしそうな声の主、偽メイドか。
「あれ、この声……」
首を傾げたっぽい女男を余所に、淡々と続く金属音。
やがて突き当たったのか、金属音が止まり――
なんか、金属が捻切られたような音。
首を傾げるよりも早く次いで、クソ重い物が擦れる音に伴い、闇に慣れた目を灼く光が視界の先からこぼれ。
「何をしているのです。急ぎなさい」
闇が動き、光を半分ほど遮っていた人影が消える。降り注ぐ天然光と冷淡な、猫かぶりも何もない正論。
どうやら地上に出たらしい。
手段に疑問は残るが、まあ冷たい声で言われた通り急ぐ必要がある。
呆気にとられた柏木 司はそれでも機敏に出したパーツを収め、びんぞこ眼鏡は変な呻きを発しながら眼鏡を覆う。
嘆息しつつ両者を促し梯子から上へ。
とりあえず先に登りきり、敵意の類が無いか確認を済ませ、身を出す。
段々と明るさに目を慣れさせつつ辺りを見回せば、舗装された道端に一目見て判る高級な家並み。
郊外か。
人並みは不思議と見当たらないが……何故か呆然と真上を見上げる謎メイドの姿。
何をやっているのかと視線の先を追い、
「――――は?」
見上げ、目をこする。
ベタなリアクションと自嘲する余裕無く、取りあえず辺りを見回す。
そう強くはない陽光の下、均等とは言えずとも秩序的にできあがってる建物の影。いやなんか蠢いてる気がするのは気のせいだろう。
マンホールからモグラみたく面を出すびんぞこメガネの角度は中空で定められ、化粧っ気のない唇は色気もなく半開き。
名も知らぬ長身の偽メイドは、何時の間にか俺を見ていた。呆然としながらもどことなく威圧的な――そういえば眼鏡をかけていた気がしたが、どこにやったのか。
今は裸眼な黒い冷やい眼差しと、視線が合う。さしたる意味は無い。
示し合わせたような同時、視線を真上に傾ける。
陽光が射す、――どす黒い空。
太陽光らしきものはあれど、さっきまで居た地下のような闇に太陽も雲も確認できず。
暗雲とも日蝕とも夜闇とも、どの自然現象とも符合しない。飲み込まれそうな黒い空。
「……なん、ですか? これは」
そんな事は俺が聞きたいな偽メイド。
てか何もかも知ってる奴がいたら是非とも一から十四辺りまで説明してもらいたい。
しかしどういうわけか、なんか嫌な。身の危険云々じゃなく、なんか見覚えがあるなあというか……
いや、誤魔化すのはよそう。認めよう、頑張って。頑張れ、頑張れ俺。
虚しいエールを頭の中で何度かリピートさせながら記憶の棚を漁る。該当事項はごく最近のもの。
それと照合してみて、改めて思う。
――あれ、アリューシャの阿呆タレの謎空間に漂ってた闇に似てね? と。