余話
注・このお話は外伝的な位置付けの、割とストーリーから外れた読まなくて無問題な余話です。あと視点が違います。それでも読んでいただけるならば先をどうぞ。
大陸西域にあるサーガルド王国はその日、雪の降らないばかりでなく、雪解けレベルの快晴であった。
典型的な雪国という訳ではないが寒い地域で、しばし雪が長引いたこの頃、雪かきに精を出す方々もほっと一息なお天気日和である。
しかし、十人十色に千差万別という言葉の広まる世。雪解けだの天気だの、そんなの関係ねぇとばかりに普段を過ごす人々も、当然ながら存在した。
王国の軍用拠点の一区画にある、室内訓練を目的とした頑丈な建築物の中。
武力を手に、国とか弱きとか諸々を守り外敵を打ち砕いたりする人種の方々は、今日も今日とて鍛錬に精を出す。本来ならば。
しかして本日は外の要因とは別の原因で、その様子が異なっていたのだ。
開けた広場のような中央を中心に、境界線でも存在するように十数人の集団がそれを越えない範囲で外側に立ち並び、輪になっていた。
皆口々に軽口を叩き合いながら、あるいは静かに腕を組ながら、一様に中央を面白そうに眺めている。
その輪になった集団の視線の先には、主演と思しき人物、白髪黒目に眼鏡をかけた、整った顔立ちの青年がいた。
肩が最低限防護され、胸部を丸く加工された、薄い鉄製のシンプルな軽鎧を身に付け、刃の潰された練習用の長剣を手に持っている。
そんな青年は棒立ちのまま、天井を仰ぎ見ていた。外見上は。
実質は、彼の目には何も映っていない。特徴の無い眼鏡の下は、死んで貪られる魚類の眼。
その上で、長身痩躯を微動だにさせず、何やら小声で呟き続けている。
控え目に言って不気味な姿であろう。
青年の部下である外野達は愉快そうに見ているが。
そんな青年が、悪夢にうなされるような声で独りゴチる。
「……なんでだ」
誰に言ったのか、誰にも言っていないのか、どことなく色々なものが濁ったような陰鬱な呟きであった。
外側の外野達が何だと沈黙する。ちなみに彼を気遣う色は皆無。
「なんで、」
青年は尚も独り口を開く。
先とは違い、微妙に唇を振動させながら。
「なんでこうなるっ!!」
「いや、隊長の意向だろ」
「皆まで言うんじゃねええエエえエえっ!」
「ぶべら?!」
ギャラリーの一人が不用意に返答した一秒以下の間。ダミ声が特徴的な目つきの悪い男は、絶叫と共に的確に投擲された練習用長剣で目と目の間を射抜かれ、悲鳴をあげながら地べたに転がりのた打ち廻った。
そんな彼から盛大な勢いで鼻血が噴出。しかし誰も気遣わず、うわ汚ねとか言って後ずさる始末である。
「わー、副長八つ当、」
仲間の惨状を目の当たりにしたギャラリーの一人がおどけたように口を開くが、眼鏡越しにも伺える尋常じゃない眼光に射抜かれ、顔面を硬直させた。
「――っの、……何時まで見物してますか。アナタタチもそこまで暇人じゃないはずですよ? 早急に解散して自分の仕事を片付けるように」
自分の廻りをぐるりと囲うギャラリーに、今更平常時の副長仮面[慇懃な敬語を使う、その役職っぽく振る舞う事。物理的に仮面をカブる訳ではない]を取り繕い、ギラギラと危険な光を帯びた黒曜の眼光で、この場から消えろ穀潰しの畜生共がと言外に叩きつける副長と呼ばれた青年。
逆らえば殺されそうな迫力を感じ二の足は践面々だが、命令に従い去る者は一人も居ない。なんという野次馬根性だろう。
副長は、よく十代くらいと誤解される髭もニキビも無い童顔を、思い切り凄惨に引きつらせた。目鼻整った顔立ちでやられたら、大変恐ろしい形相だとよくわかる具体例。
「で、でもっすね。新入りの実力を把握するのに丁度良い機会だと、」
「デスクワーク派の私と、新入りとはいえ十三隊に、御上から推薦で配属された人物。まともな相手が務まるとでも?」
勇敢にも副長に意見した女性は、素晴らしい笑顔で吐かれた自虐的ともとれる正論に、冷や汗を垂らして一歩後退る。
この元旅人の副長が、集団戦闘における経験や指揮とか頭を使った事はともかく、直接戦闘ではあまり評価に値しない程に貧弱であることは、この場に居る彼自身とその部下達共通の認識である。 そんな彼が、王国騎士団最強の第十三部隊――彼が副長を勤める部隊の典型的な戦闘員の新入りと、模擬試合を執り行う事になったのは……彼直属の上司、隊長の命令で。
流石に、勝てないと理解している試合を部下に見られ陰口やネタの肴にされるのは御免だし、仕事をサボらせる口実にさせる気はない副長。
その上それら全てが後に自分自身にしわ寄せが来るだろうと理解している彼は、多少強引だろうとギャラリー化した部下達を退席させるつもりだった。
だがその前に、ギャラリー達の後ろ側。
出入り口の頑強な扉が、爆撃を受けたかのようにひん曲がり、吹き飛んだ。外開きのはずの扉(残骸)は、内側に居た不運な騎士に結構な勢いで直撃する。
「うぼゥ!?」
「――フハハ、待たせたな副長ォ!」
壊した扉も、危ない悲鳴をあげ苦悶の表情で転がり回る部下もシカトし、ハスキーボイスが高らかに哄笑をあげた。
やや長身の副長より頭半分以上長身な、三十代手前位の女性だ。化粧っ気がない代わりに傷跡にまみれた顔。
身に纏う、猛獣さえそれだけで平伏させるだろう気配と相俟って、歴戦の戦士じみた感じがある。
そんな彼女は斜め後ろに、副長と同じ装備をした、背が小さく中性的な容貌の少年を文字通り引き連れ、試合の場に堂々と足を踏み入れる。
それを見届けるしかなかった副長は、露骨に顔をしかめていた。
「……ちッ」
「なんか言ったか副長」
「空耳です。それより一々設備を破壊しないでください」
「気にするな。己は気にせん」
「してください」
予算が請求が云々と小言をぼやきながらも経験から無駄と悟っているのか、割とぞんざいな気配の副長。
「それよかさっさと。新入り、紹介!」
「は、はい!」
唐突に呼ばれた新入りの少年は、びくつきながらも返答し、ややぎこちない敬礼をする。
「ほ、本日付けでサーガルド王国騎士団第十三部隊に配属されました。アルヴィス=ケィス従騎士で」
「長い!」
「ずぎゃう?!」
カチカチな自己紹介の最中の新入り少年、アルヴィスに、ケモノのごとく犬歯剥き出し笑いながら拳骨を落とす隊長。
悪びれだの前振りも道理もなく、やりたい放題である。
「隊長。慣れてない子供に理不尽な暴力奮わんでください」
流石に咎めるのは、隊長専用ストッパーで知られる副長。
その異名通りに抑止力たりえたのは全体の一割以下といえど、他の零よりマシである。故に彼が副長なのだと専らの噂である。
そんな噂と実績があるからこそ、暴君じみた扱いの隊長の舵取りとして余計遠目に見られて押し付けられているのだが、彼は彼で目の前が必死なのだ。
「ほら、立てるか立てんな脳とか頭蓋骨とか大丈夫か心配だなさあ医務室に行こうか」
「〜〜、は。はあ」
近寄って手を取り、早口でまくし立てる副長に困惑したように返すアルヴィス。
半分トンだ頭で、その台詞から滲み出る、逃亡して模擬試合うやむやにしてやろう的意図を解すには到らない。
が、副長の見え透いた台詞をしっかり聴いていた外野連中の方が意図を即座に理解し、卑怯だー、汚いー、逃げんなーとブーイングが飛び交い始め、一部の女性からは妙にギラギラした視線を送られるものだから、彼としては唐突に生暖かい赤い液体が見たい気分だった。
「失敬な言い回しだぞ副長。己とて、加減位は心得ているぞ副長」
「数日前に、捕縛対象だった新種の魔物を皆殺した人の台詞とは思いたくないですね。あと人の役職を語尾みたく使わないで頂きたい」
「気にするな副長。己は気にせん副長。と、其れよりもいい加減模擬試合を始めたいのだが副長」
うわ殺してえ。と三十割方(全力の三倍)本気で何度抱いたか解らない衝動を、いつものごとく生存本能と死の恐怖という表裏一体の冷や水で鎮火する副長。
「副長ところで副長。副長は副長の模擬剣を何処にやったのだ副長」
「……あー、紛失してしまいました。これじゃあ試合は無理ですねそれでは」
「待たれい副長」
適当な理由を見付けたと内心ほくそ笑み、素早くきびすを返した副長の、後ろで如何にも適当に縛られた長い白髪を引っ掴む隊長。
若干進んだ瞬間、固定された白髪が付け根から引っ張られ、必然としてブブチぶチと確実に何本か強制脱毛した音がした。
刹那にして場の空気と副長の表情が凍り付く。
それは何秒程だろうか、ただ当事者であるはずの隊長だけが場違いなまでに脳天気な表情をしている、不穏な数秒。
「…………ハゲたらどうしてくれんだ、糞隊長」
隊長以外の膠着を解いたのは、振り向きも微動さえもせぬ副長の、研がれた刃物のように冷たく鋭い声だった。
副長がキレたアアアアアアアアアア!!? と、あまりの激情に口調が素に戻った副長に、外野の深層が一致する。
そんな部下達のシンクロなど素知らぬとばかりな、唯我独尊を地で行く隊長様。可笑しそうに口元を歪めた。
「そうなったら責任とって嫁にでも婿にでも貰い承けてやるぞ副長」
「……真面目に勘弁してください。いやマジで」
「なんだ、詰まらんな副長」
サムズアップして似合わないウインクをキメた隊長。
対して、言われた通りの、副長からしたら最悪な未来像を想像してしまったのか、激情も氷点下と化した副長は、さっさと白旗を揚げた。
「ほれほれ副長。さっさと模擬剣を持ってこい副長よ副長」
心底から舌を打ちながら、副長は考える。
――こりゃあアホ隊長、大分本気で俺と新入りの模擬試合を観たいらしい。ならいくら煙に捲こうとしても無駄だろう。無理に拒絶したら後々何されるか判らん。
諦めるしか無ェか。
副長は方針を変更する事に決めた。決めたからには手早くとばかりに、取り巻く部下の一人に目伏せ。
それを了解したニヤニヤ笑う髪の無い部下から投擲された刃無しの模擬剣(赤い染み付き)を受け取る。
「はい副長。副長の得物ですぜ副長」
「殴ンぞ」
「スンマセン」
ネタをパクった部下にヤキをいれ、副長は新入りに向き直る。
――新入りの……何つったっけ、名前? まあさっさと終わらせたいからいいやと片付け、心底からダルそうに口を開く。
「第十三部隊副隊長、ラディル=アッシュだ」
「は、はい! 私はアル」
「隊長。ルールは先に一撃やった方の勝ちで良いですよね」
新入り少年の名乗りをスルーし、空いた手を上げた副長は、意地悪く笑う隊長に先手を打つ。
先に自分から条件を付けて、それを元に通そうという微妙な手だ。
「ああ、ただし顔面に叩き込んだ場合のみ有効だ副長」
「……えええぇえぇぇ?! ちょ、顔には防具着けて無いんですけど副長副長!?」
「ツッコんでも無駄だ新人。どうやらそれをやらねば自分達は解放されないらしい」
掛けていた眼鏡を懐にしまいつつ、
「そして隊長、さらに新人まで。いい加減その語尾ネタはヤメロ」
眼鏡の下の切れ長な目を外気にさらして細め、口元を吊り上げる。
その、神経質な印象を受ける顔つきが浮かべた営利な刃物のような表情は、初心な新人の心胆を寒からしめることに成功する。本人の意図した事でないけど。
「さあ構えろ、新人」
「……え、でも」
「どうした、副長も構えろと言っているだろう。構えろ」
副長の構えた姿を見て、困惑の面持ちの意味を少し変えた新人は、一応とばかりに模擬剣を構える。
それは丹念に練磨され、歪みなく洗練された隙の無い構え。
外野の、少年の先輩方から感心の唸り声が幾つかあがるほどには優れたものだった。
それに対するは――えらく適当に、素人クサく隙だらけの構えをとる副長。
剣をかじった者、もしくはそれとの戦闘経験に富んでいる者ならば一目で判る成ってない構えに、判る新人は怪訝な表情で戸惑う。
しかも時間を置けば、両手で構えられているはずの模擬剣の切っ先がおぼつかない振動を始めるのだ。
え、なにこれ。と新人は本格的に首を傾げて。
「あの、なんでちょっと震えてるんですか?」
「自分は体が弱くてね、長剣ともなると長い時間持つ事はできないのですよ」
「……は?」
王国最強とされる十三隊の中で二番目に偉い人物は、副長の仮面を着けたまま微笑んだ。
一見して戦闘する者のするものではない柔い笑み。
「うわ気色悪」
それに隊長を含めた一部の部隊員が小声で同じような感想を呟いたが、聞こえていても"その場は"スルーして副長は続ける。
「自分はデスクワーク派ですから」
「……じゃあ、何で模擬試合に出てるんですか?」
「悪魔怪獣ザ・クサ・レジョーシイ・ツカマ・ジコロスの陰謀です。従わなければ挽き肉にされて食されます」
困惑しつつも極めてまともなツッコミをいれる新人に、副長は変わらぬ口調であんまりシャレになってない虚言を吐いた。
あんまりな物言いに新人は思わず言葉を無くし、次いで外野が皆静まり返った事に気付く。
だからといって出来る事は無いのだが。
「おい副長。それは誰の事を言っている」
「気になさらず。それより合図を」
「……ん、まあよかろ」
明らかに気に入らないであろう発言ではあったが、それより目の前で行われる模擬試合という茶番を優先したいらしい隊長は男らしく肩をすくめて見せた。
異なっていた主演と監督の意向の摺り合わせは一応ながら済み、茶番の幕は漸く上がる。
「おい、新人君」
「……あ、了解です」
隊長は、相対する二人が剣を構えて戦闘体勢に入ったのを認め、腕を勢い良く振り上げ――
そして模擬試合は、開幕五秒で閉幕した。
新人の手加減された面打ちで勝負あり。
呆気ないぞというブーイングと野次が飛び交う中、顔面痛打した副長の狸寝入りで幕は下ろされたのだ。
そして――概ね副長の予測通りに――後々まで部下たちの雑談や酒の肴になり、対戦を強制した本人からは直接的に馬鹿にされるという、拭いきれない苦い傷を残す。
ついでに云えば新人の方は実力が見込まれ、部下達から早急に受け入れられるという、勝者と敗者の縮図が其処にはあった。
んで、
「……先ずは理由を聞こうか」
「きょーみ半分趣味半分、だってさニ゛、ニギャアアアアアアア?!!」
「お・ま・エ・ハーっ!」
「いたいいたいいたい! てかフォリアがいったんじゃねーのにいたいいたい!?」
「連帯責任」
「や、やつあたりだあっ!?」
後日、城内にある十三隊の副長の私室から、副長本人らしき怨念の声が女の子の悲鳴共々木霊したとかしないとか。
半月以上の沈黙を破り、何故か本筋とは関係ない外伝更新です。次は本筋を更新予定なので勘弁してください。