災害の後に来るもの
コンパスでなぞったみたく丸い満月の下。
野ざらしで寝れば凍死しかねない寒冬の夜。
慣れ親しんだ暗闇を照らす焚き火が、小さくはぜる。
「――おい」
声を出す時に吐いた息は、僅かに白い。
険をいれたつもりはないが、想定以上に白々しい響きが焚き火のはぜる音と混ざる。
反応したのは、焚き火から最も離れた位置で、一振りのボロい剣を手に、膝を抱えて震えていた、華奢とも云える小僧。
まあ、それ以外の中年共は顔に似合わん静けさで完全に寝こけてるから、あの小僧以外に反応しようがないんだがな。
「……」
ここ、東方ではかなりレアだろう、西方特有の紫系統のはねた髪が、寝ていないと断言できる極限に細められた目つきの悪いクマの上にある薄紫色が、夜の闇に紛れそうな暗さを見せる。
身体的には疲労と眠気があるだろうに、眠れない。
そんな風にガリガリに痩せた頬と目つきに、何より雰囲気からして、不眠症の戦災孤児みたいな面構えだった。
「……もちっと火に寄れ」
「……っ」
人の親切に無言で首を振るう小僧。
言葉よりも雄弁な目は、明確な恐怖を訴えていた。
それはトラウマじみた視線。それは驚異に怯える仕草。
名も知らぬ小僧は、夜の闇やそれに紛れた脅威よりも、身を守る原始的な瞬きに怯えていた。
「…………」
人間から虐待された犬みたいな目が、頭を掻きつつ黙って立ち上がった俺を見上げる。
言葉を忘れたか知らんみたいに何も喋らず、怒鳴ってもいさめても反応希薄な小僧に、いい加減うんざりしていた所。いい塩梅である。
淡々と歩み寄り、反応の無い小僧と擦れ違う位置で、わずかに膝をかがめ手刀を首筋にオトす。
何の抵抗も反応も無い、死体を殴ったような手応えの結果は、地べたに倒れ微動だにしない小柄な姿。
はあ、と嘆息。
少ない体力を浪費し、推測するに数日前まではもう少し重かったであろう痩せこけた未成熟な体を引き摺り、考える。
手刀に反応できなかった、のではなく。厳密にはしなかったのだろう。
数時間前の夕暮れ、夜狼共に追われていた際、ボロい剣一つで乱入し――俺の介入があったにせよ――致命傷もなく生き延びた腕前だ。たかが人間ごときの手刀を防げない道理がない。まあ防がれたら防がれたでより乱暴な手段を取って安眠を提供してやるつもりだったが。
防げはした。なら何故そうしなかったのか。
無様に泣きながら、しかし嗚咽は交えても無言で、差し出された焼き魚にがっついた姿をも頭で再生しながら、痩せた体を焚き火の傍に放る。
――戦災孤児の初期症状に似てはいる。
単体でそうなり、こんな平原で生き延びていたのは魔物と張り合える戦闘能力故か。群を相手にしない限りはどうにでもなる剣技に身のこなし、年齢を考えれば異端とも言えるだろう。戦闘者の卵。
しかし、死を感じるほどの喪失感をたたえたほの暗い目つき。抱えるのは怨念か悲観か。
火を恐れているのは、焼け討ちにでもあって死んだのか。それともその身内から怪しげな儀式の生贄にでもされかけたか。関連付けるならその辺りだろう。
しかしガキは兎に角、依頼の失敗がなあ……荷どころか馬まで囮にして切り捨ててきちまったし。
あー違約金に弁償金に……残金やばいんだが、どうしたもんかね?
息を吐く。外気に触れた吐息はやはり白く、なんか肌寒くもある。
火の側に転がした小僧は、苦悶の顔で呻いていた。悪い夢でも観ているのかね。
とりあえず数少ない――馬車を切り捨てた際に必要最低限以下にも持ち出せなかった(他人の)荷物をあさり、屋内で使うような毛布を発見し、いよいよ金切り声に近くなってきた譫言を発する小僧に被せた。
これも弁償かね。
――厄介なガキを拾っちまったもんだな。
それから、小僧の名前が自身の口から吐かれるまで、五日掛かった。
――マグナ=メリアルス。
白濁の焔という、災厄認定された異能力者に村と家と身内を根こそぎ灼かれただけの、ただのガキである。
少なくとも、俺が面倒見ていた時は、そうだった。
「――……ん……んん?」
まどろみは珍しく一瞬、低血圧によどむ暇すら無い。
倦怠感と頭痛に呻き、上体を起こそうとして、失敗する。
「ーん、ああ……ー?」
気だるい欠伸をかみ殺しながら、視点を回す。
まず目に入ったのは薄暗い殺風景な岩場と、自身がくるまってる粗末な寝袋の脇で寝転ぶ、小柄な人影。
見上げれば、明けた空にうっすらと観える月の欠け方が気を失う前と違い、日取りを思い出し、気絶から一日は経過している事を把握した。
気絶……そーだ、俺はあれから連中とも合流して、説明もそこそこに真性ロリコンにぶん殴られて、気絶した……頬に微妙な違和感あるのはそれだな。
「……で、なにがどーなったんだ」
脳内報復リストに野郎の名を赤字で三重に記しつつ、寝袋から肩、腕を出し、運動がてら回す。回そうとした。
……微妙に力が入らない。
正座した後にも似た痺れ。回そうとした関節と、最低限に等しい虚弱な筋肉が軋む。ついでに衣摺れの音。
「――……ふぉ?」
物音に反応して、のろのろと小柄な体躯が身を起こす。
双子のどっちか……たぶん妹のほうだとは何となくレベルに思うが、まあともかくは双子の片方だ。
それがぼんやりと、夢を観ているようにすすけた目で俺を見。
「……らでぃ……るぅ」
甘ったるい、甘えるような、ふざけてではなく、すり寄るような声だ。
名を呼ばれた。はじめてかもしれん、フルじゃなく名だけを、こいつに呼ばれたのは。
ってなんでだ。
「…………!?」
何時もはふくちょーと馴れ馴れしく呼ぶ双子の片割れに、体ごと顔を背けられた。
何だその反応は。妙なもんでも喰ったか。ついでに背筋が氷柱でも押し付けられたみたく冷たいのは何故だ。
「……あー、リア、さん?」
「おーぅ、目ぇさめたかー、ふくちょーや」
振り向き見せてきた面構えに台詞のテンポは、いつも通りに思えた。
しかし呑気そうに見える笑顔は、先の事に触れてはいけないという死相をも感じ取れて、背筋が無駄にひりつく。
スルーが賢明か。
「……状況は」
「ん、キャリーが帰還した」
まず赤毛ポニテの馬鹿面を意図せず思い出し、眉根を寄せる。
良いことだ。部下連中は喝采をあげただろうし、誠一の奴は感涙してキスの一つでも交わしたかもしれない。
それは結構だが、唐突過ぎる。拉致ったと考えれば月城辺りが怪しいと睨んでいたが、何故このタイミング。
「どーにも衛宮に拉致られてたらしいね」
隊長を超える異能力者、衛宮家当主、衛宮 環姫。女にも聞こえる名前が気にくわんらしい、帝国最強の男。因みに四十代超え。
乱戦の中でも単独で戦闘員を拉致するくらいは造作もないだろう化け物。
「用済みだからって、解放されたとか」
「いじくられた形跡は」
「無い。帰還と同時に恋人スキンシップとった誠一も念の為一緒くたに洗ったけど、なんもね」
なら、何が用済みだ。こっちで考案した死体爆弾の類の仕込みでなけりゃ、何だ。
探ったのは暗部畑の双子だろうから、間違いは無いとして……
こっちの引き出しでも探りを入れたかったか。いや、読心能力者にゃ意味が無い。
そもそもが衛宮の独断か? キャリーは女だし……だがそういう目当てだったなら、解放した理由が無い。
それとも俺らじゃ解らん仕込みか、そもそも仕込み自体する必要が無くなったか……考えてもわからんな。とりあえず保留だ。
「他の面子は」
「出払ってる。それより……リーちんがさらわれたって、誰に?」
「さあな」
言うわけにはいかない。アイツとしても連中を害する意図は無い……ハズだ。
でなけりゃ俺が生かされてる理由が無い。
今後、内密にでも協力か合流する可能性が無くはない隊長に、過剰な不審を入れる訳にゃいかねぇ。
「体格はデカかったが、面は隠して――」
「隊長でしょ」
適当にぼかそうとしていた息が詰まり、眼球が揺れる。
やばい、と意識して止めるにもタイムラグがあった。
「は? いや、何でそーなる」
「誤魔化されないよ」
確信を持っている眼だ。カマかけ……でも反応しちまった、既にアウトだ。
眉間を指先でコネ、肩をすくめる。まあこいつならいいか。
「何でわかる」
「鬱憤が溜まっているだろうとは思ってたから」
「鬱憤?」
「隊長だよ、ちっこい方の。もう何日会ってないと思ってるのさ」
会ってない……ああそういや、アリューシャを連れ出して以来会ってないな。
目を細めた双子妹の言葉を一度だけ反芻し、何とはなしに視線をさまよわせ……咎められているような空気に首をかしげた。
「……だから?」
それが何で鬱憤とかいう話になる。
世話焼き云々とかいうなら俺じゃなくとも適当なのを捕まえて脅せばいいし、全くわからん。
何故お前が若干キレてんのかもわからん。
「……わかってはいたけど、副長は女心ってヤツが全くわかってない。デリカシーもない」
中間管理職みたいな引きつった表情で首を振り、盛大なため息を一つ挟む。
責めはしたが責め足りない、そんな風体。
失敬な。
「隊長は兎も角、フォリアは子供だよ。それはわかってるだろ? 子供が理由も告げられずに、ベタベタしてた保護者から引き剥がされたらどうなると思う」
「泣くんじゃないのか」
それは容易に想像がつく。
基本的にあの馬鹿ガキは甘ったれだ。しかし甘えられないのが現状。
隊長イコールガキという、正体を晒す訳にはいかん都合上、懐く対象も限られる。通常勤務はだいたいデカいのと一緒だし、非番だの休憩だのといったチビ時にも俺にべったりだったし、それ以外は双子かヴァルカか。いや、そいつらすらいない。
兎に角あいつはデカかろうとちまかろうと、俺にべったりだった。デカいのとチビの人格が違うとしてもだ。
隊長時が長い反動でべったりなのかね、とも考えた事はあるが、定かではない。
「んでその保護者が、自分より年下の子供にべったりな姿を見たら、どー思うよ」
そりゃ、お前…………
「寂しかったろうね。不安でしょうがなかったろうね。でも、そういうのがねじ曲がるなんて、よくある事だよ」
構わなかった。一時的にせよ、蔑ろにしていた。違うガキを構っていた。
それが、あの誘拐の、実行犯フォリア=フィリーの動機だと?
そんなもんで……いや、そんなもんかどうかは当人次第、か。
記憶にある阿呆そのものな顔とはどうしても結びつけ難い。
フォリア……制御できんという能力を強制するくらいに、そうだってのかよ。
そういやアリューシャの奴も、リリアと出くわした時にゃ危うい対応をされたな。
……似たようなもんか。
「つか、知った風に言うじゃねぇか」
「……私も、似たようなもんだからさ」
藪蛇。そんな言葉が浮かぶような顔で視線をそらす双子妹に対応し、こちらも視線を傾けて木陰なんかを気にしてみる。
影に潜む変態仮面なんかは、特に気を張ってないと存在そのものに気付けないからな。
「……副長も……ショック?」
「ああ?」
やぶらかぼうな話題の展開に意味がわからかず、とりあえず視点を戻した。
「だからさ、隊長と、こんな形になっちゃって、へこんでない? なんか、キレが悪いし」
交わされた目の色に、あの双子らしからぬ露骨な気遣いを見つけ、案外こいつのがそうなんじゃないかね、と思う。
隊長の影響力は存外に強い。
予想外に無軌道で、暴力的に破壊魔で、根っこの性質は獣。それで通用する能力を保つのが隊長だ。
実績もそこらの英雄よかあるし。その恩恵と対価のおこぼれを預かるはめになっていた連中が誰かは言うまでもなく。
予想がつかんのはカリスマに。単純な強さは恐怖か崇拝の対象に成り易い。
部隊の連中からすれば崇拝や忠誠とは違うだろう。俺自身も違うと断言できる。
しかし――ある種の、無意識の信頼を向けやすいのが、隊長。
だからこそ、敵対行動の件は伏せる腹なんだ。流石に全員とまでは無理だろうが、大半は。
「副長……あのさ、えと」
「気色悪い気遣いは止めとけ。キャラじゃねぇし、的外れだ」
「違う。違うんだよ、私は」
「……いいから止めとけ。ガキが、その時その時の思い切りをあんまりアテにすんな」
「……その場しのぎじゃない」
不味い。
なんていうか、流れが、致命的にマズい。
切羽詰まった表情、運動後とは違う荒い息遣いに、覚悟と不安の入り混じった、追い詰められ、崖から飛び降りる事を決めた逃走者にも似た目。
何故だか追い詰められてるのは俺な気がしてならない。
「私は知ってるんだよ」
「なにをだ」
「寝てる時、侵入者の気配は絶対に感知するくせに、気を許した身内には添い寝されても起きない。そんなだから、似合わないヒゲを剃られるんだ」
ほっとけ。似合わない言うな。
害意や悪意には敏感にできてるんだ。そういうのを出したら、相手がアリューシャだろうとフォリアだろうと即座に起きるっつーに。
「それに、気付いてるのに気付かないフリしてる」
「何?」
「自分の為でもあるだろうけど、やっぱり変に情が深いんだ。だから無視しようとして無碍にしようとして、お前のそれはそんなんじゃないんだと思わせたい。多感な年頃に、そういうのはつきものだからと」
「…………」
それは見間違いなく笑みであり、それは間違いようのないくらい真っ直ぐな目。
透き通った水のようなそれはいっそ、殺刃を向けられる以上の恐怖でもある。
少なくとも、言葉が見つからなくなるくらいには。
「でもねー、誰かが誰かに気まぐれや自己満足で差した光がぁ、誰かにとっての一生を示すものになることだってあるんだよぉ?」
頬に、冷たい手が添えられる。
愛おしむように侵すように、弾丸のように真っ直ぐなものを突き付けて。声は異様に甘ったるい。
引きつる頬が抑えられるハズがない。
「お前、なんかおかしいぞ」
いっそ自分で笑いたくなるくらいに上擦った無様な声に、なんら意味も力もない内容。キレが、確かにないな。
口車はそれなりに嗜んだというのに、何故だか不思議と回らない。というか頭が回らない。
「おかしい? ふふ、そうかもね……私はおかしいんだよ。だれかさんを思うと、もっともっとおかしくなるんだ」
――違ぇ、不適切だぞ! それはどちらかと云えば野郎が女を口説く時に使う文句だ! 十代半ばのガキが三十代のオッサンに囁く台詞じゃない今すぐ取り消せお願いします!?
「慰めてあげる、といってんだよ? 副長には癒やしが必要だ」
そしてあることないこと既成事実でっち上げ、色々と人生的な意味で致命的な方向にもってく腹積もりだろ?
つーか言うに事欠いて癒やしは無ぇだろ癒やしは。
こら舌打ちすな。んな事も気付けんくらい追い詰められてるとでも思ったか? 生憎と追い詰められるのは慣れてんだよ畜生。
脱力したような疲労感も未だ全身を支配しており、上から四番目に極悪度が高い痺れ薬を盛られたのを思い出す身体状況だが、意気は回復してきた。
無意識のところで致命的に下がっていたレバーを、乱暴に蹴り上げた感覚。
より具体的に云えば、腹がたってきた。
「……ふふん、そーだよ副長はそーでなきゃぁ……」
「いいから離れろやマセガキ」
息が鼻に掛かる距離、香水みたいな香りが特に鼻につく。
とりあえず、意識と神経を全集中した、フェイントも狙いも糞もない、打ち上げただけの右拳。
暗部出身である双子妹が交わせぬ道理は無く、狙い通り、物理的に離れさすことに成功。
猫みたいなバックステップを決めた双子妹は、安堵とその逆みたいなものを表情に刻んでいた。
「つーか、異様に体がダルいんだが、まさか何か盛ってないだろな」
「見損なうなよー、傷心の副長相手にそこまでのゲスい真似はしないさー」
「どーだかな」
割と本気の疑いに、肩をすくめた答え。嘘、じゃあなさそうな感じだ。大体俺が識別できないなんてレアな毒、コイツが持ってるとは思えないし思いたくない。
なら、あの異常空間に混じってた後遺症かなにかか……?
「副長副長」
「んだよ」
思案に俯いた首を戻すと、相対する双子妹は真顔だった。
嘘を含めない、絶対的なまでにどうしようもない決意を語る雰囲気。少なくともこいつからは感じた事のない空気に――そういえば意外で異常で意表を突く初体験ばかりし通しである事に思い至る。
「私は、副長の味方だよ」
はい記録更新っと。
現実逃避な台詞が脳内で虚しく木霊する。
「………………本気でどーしたんだ、お前」
「タマにはね」
一転して赤い舌出し、おどけて笑う。相変わらずのガキの容姿。中途半端にガキを抜け出せん、女未満そのものな姿、のはずだ。
だのに一々寒気がするのは何でだろうね。
例えるなら、暗がりの中で野郎が手をわきわきさせ、半笑いを浮かべた時に相当する拒否反応か。
「それにぃ、珍しく弱ってる獲物を、みすみす見逃す狩人がいる?」
…………ぴーー。
糸みたく細まった瞼から覗く視線から、血走った魔獣みたいな眼光を連想しちまった。
明後日の方向を向き、甲高過ぎて聞き取り難い高音の口笛を鳴らす。
それがどこぞの似非野生児を呼び寄せるものだと理解している双子妹は、忌々し気に舌打ちした。
駆け寄ってきた小型犬……もとい似非野生児をどこかに引き摺っていったリアを見送り。
やがてどこからともなく反響するソプラノな断末魔っぽい風音を聞き流し、やや経過した頃。
離れた場で会議でもしていたのか、見知った顔つきが二つ、集まってきた。
「よお馬鹿ポニテ、元気そうでなによりだ」
「馬鹿って言うなー!」
一ミリの本心もない社交事例に付属させた本質に、逆恨みじみたヒステリックな怒声をあげる赤毛の女は、どっからどー視てもキャリー=ケントルムその人であった。
ついでにキャリーの傍らで微苦笑を浮かべる誠一の姿も含め、随分と久しぶりな光景に思える。
「で、何だ。衛宮に捕まってたって?」
「あーっ、そうなんだよ! クソ、思い出しても腹立つううう!」
「わわっ、落ち着いてキャリー」
猛り地団太践む馬鹿を誠一が羽交い締め諌める。
相変わらずな暴れ馬を御する図式に、嘆息を一つ。
ようやく立ち上がれる程度に痺れが抜けたと思ったら、慌ただしい奴らめ。
状況報告もそこそこに、キャリー専属の翻訳家である誠一曰わく、何でも、捕虜として見れば破格の待遇で野営地の一角に監禁されていたらしい。
どれぐらい破格かと言えば、拷問はおろか尋問も無く、テントから出してはもらえずとも縛られもせず、きちんとした三食付き。
警戒も、やたら親切な女軍人が一人――しかもそいつと仲良くなるくらいだったとか。
どん底で取り乱していた誠一が滑稽に見える高待遇だな。
そう思えば誠一の笑顔にも一割ばかり引きつりが見えるような気がしないでもなかった。大半は無事でよかったとかそういうお人好しな感じなんだろうが。
「そーいや、衛宮 環姫の何がそんなに腹立ってんだ、お前」
むしろお尋ね者な俺らより待遇良いじゃねーかよ。
「……胸を触りやがったの」
……軽いセクハラじみた所業の意味が分からん。
つーか別に、ボディタッチくらいはよくうちの馬鹿共にもやられてたじゃねーか。その度に月単位の欠員出すのは勘弁して欲しかったぞ。
「そんでせせら笑われた……ウチのカミさんのがデカい、と」
……異能力者のやる事はマジで分からん。
ひょっとしたらのろけの類なんだろうかとふと思ったが、やっぱり拉致った意味が不明。
つーか阿呆恋人二人揃って殺気立つな。
――思い出しちまうだろ。
「まー、というにも衛宮 環姫が恐妻家らしくて」
「愛妻家と言って欲しいな、嬢ちゃん」
…………あーほら見ろ。なんかわいて出たじゃねーか。
何か、俺以外誰も気付かんくらいの気断で、キャリーの監禁状況を聞いてる最中から居たが……気付かないフリしてたのによ。
俺の背後から掛かった濁声に、完全に凍結したキャリーに誠一を眺めながら、深々と嘆息を一つ。
何故悠長に構えているのかという、誠一の視線を受け流す。
遭遇した時点で、害意があれば全滅確実な相手だ。
浜辺とかで昼寝中に対策無しで津波に合うくらいどうしようもない事だ。今更警戒した所でどーにもならん。
だからとりあえず気付かないフリして現実逃避――もとい、何かのまちがいに縋ってでも逃げる隙を伺っていたというのに。
「おう、そこの長白髪。オメェがラディル=アッシュか」
……しかも名指しかよ。
陰口を叩いてたのは俺の眼前で固まったまんまのキャリーなんだがな……まあ予測はできていたことか。
「おい、聞こえてんだろラディル=アッシュ」
「人違いだ」
振り向き、視る。
まず目についたのは派手なサングラス。そして寒冷地手前であるにも関わらず、花柄の半袖シャツ一丁に、すね毛丸出しな短パン、ノット靴下な草履。
貴族というよりは遊び人か観光客かという風体。無論、温暖な地域限定の。
どうやら色々沸いてる野郎らしい、というのが見た目の感想。
まあ少し前に遭遇しちまった変質者と較べればまだマシかもしれんと片付けとこう。
――隊長と闘り合って、外傷が全く見当たらんような奴、というふざけた評価も。
「人違いィ? 嘘こけ、お前さんあの親父さんと目つきそっくりじゃねぇか」
「どこのオヤジだよ」
サングラスで物理的に隠されているが、それでも隠せぬ視線はそれなりに鋭い。
しかしまだ害意は無い。
異能力者が明確な害意を持てば――その段階でまともな神経の持ち主が、立っていられる筈が無い。
対話する気がある。まだ大丈夫だと、暫定の判断。
「昔、異能に至ったばかりの頃、殺されかけた事がある」
――は?
「お前さんに似た目つきの暗殺者でな。その一回、しかも数秒くらいしか顔合わせした事無いんだが、よく覚えてる」
全くの意表を衝かれた頭が、間抜けた具合に静止する。
化け物の代名詞な異能力者が暗殺者に殺されかけたって、何の冗句だ。
って、やばい何かきな臭――
「だから、」
――唐突とまでは言わないが、突如として害意が溢れた。
表情は笑み、笑み、笑み。隊長と同じく獣の攻撃色。
空間に亀裂でも入ったように、奈落が如き異界じみた殺気。
総毛立つ、なんて間もなく一瞬にも満たない間に喉が干上がり、心臓は一瞬だけ確実に止まり――
「思い出しちまった憂さを晴らさせろ」
――その一瞬で、竜殺の鉄槌が下ろされた。