人間、三人も集まれば
――げほ、げほっ。
軽く咳き込みながら、異様な疲労感とそれ以外の要因で重い身体を起こす。
仰向けからの視点を回すまでもなく広がる、この世の終わりじみた風景。
緑も青もなく、ただただ露出した地盤の成れの果てだけが、月の見える空の下に広がっている。
渇いた臭いが鼻につき、戦場跡みたいな空気が肌を否応なく緊張させ、吐いた咳き以前に喉の奥が苦い。
黙示の地獄じみた風景の中、俺は俺にしがみついている重しにぼんやりと視点を落とした。
しゃくりあげる薄い桃色。小さい肩を震わせ、滑稽なまでに俺にすがり泣く哀れな子供の姿。
「……どした」
がらがらに渇いた声だった。
自分で自分の枯れ声に僅かばかり驚きつつ、異様に少ない唾液で潤すべく――と隙を見て顔を近付けてきたマセガキの顎を突き上げ、喉を鳴らす。
「二重の意味でどした、クソガキ」
「…………うー、くちのなか……つらそ、から……なめてあげようかって」
涙に潤んだ目で顎をさすり、クソタワケタ風にしか要約できん事を抜かすくそガキに、頑丈と自負していた胃が痛む。今からでもハゲに胃薬を要求すべきという案が、いっそ過剰なまでに頭の中で明滅する。
人の口ん中を舐めようとすんな。どこの動物だボケ。
「一度、てめぇとはゆっくり話し合う必要がありそうだな」
「……?」
女の子座りとやらで俺の上に座ったまんまのガキは、頭突きでも入れたくなるような呑気さと愛嬌で首を傾げた。
俺の周りには常識を知らない奴が多すぎる。今更だが。
「で、」
話題を代えるのは何時も強引さが必要だ。どいつもこいつも灰汁が強すぎるから、余計に。
「仕留めたのか」
核心である。
見た所、奴の姿は見当たらない。
この世の終わりじみた光景は奴が収まっていた地下と推測できるが、姿が見えないから抹消できたってのは率直にすぎる。
何せ奴は、グロテスクと非常識と非現実の塊だ。
「……たべた」
一安心できなくもない応えは随分と、口数少ないこいつにしても、えらく力がなかった。
「……きぼちわるいー…………」
なんだ。度の高い酒でもかっくらった後に吐こうとしたゲ○をうっかり飲んじまったような面して。
まあ、モノを考えればそれに近いような気がしないでもないが。だからぐずってたんか。
……いや、吐くなよ。まじで洒落にならん。
「…………らでぃるー」
「なんだ」
「…………」
自分から呼びかけておいて何も言わず、意味が解らんがアリューシャは笑んだ。
顔色は悪いが、それでも大事を成し遂げたように。満面でも作りものでもなく、ただ笑んだ。
……ま、よくやったよ。お前は。
「――はっはっは、どうやら上手くいったようだな副長」
任務成功したアリューシャの頭を撫でてやり、悪くない手触りで若干和んだ後、立ち上がりつつ埃を払った最中である。
静かな無音なれど、明確な気配が一つ増えていた。
馴染みのある声に深々と溜め息を吐きながら、次いで渇き以外に香った馴染みのある匂いに、言葉を止める。
「……てめーよくも……何だ。随分ズタボロじゃねーか、隊長」
「はっは、久方ぶりよ。己が下にいた戦闘はな」
遥か上空から問答無用で投げ落とされた恨み言を吐こうとしたが、止まる。
それくらいには、彼の化け物共との闘争傷は酷かった。
力無く垂れ、骨が突き出て歪にねじくり曲がった片腕からは血が伝い、顔面からも派手に流血している。
銃撃や魔物の爪牙をある程度防ぐ、くすんだ色の騎士鎧は、ぼろくずに成り下がり、下着さえズタズタに裂けて焼けた肌が、痣というよりは瘡蓋に近い色合いの脇腹が、露出して見える始末。
堂々と歩み寄りながらもどこか覚束ない足取りと、額面通りに満身創痍な姿。
だというのに空いた手を腰に当て、疲れは見えても衰えは見えぬ笑みを浮かべる隊長。
流血に重傷とはミスマッチも良いとこの面構えと陽気さで、怯えたガキが更に強く、俺にしがみついてくる。俺としても対応に困るとこだ。
「希有なえきさいてぃんぐは好かったのだが、如何せんな。衛宮の奴も何故か引いたし、得物も失ってしまった」
衛宮が引いた? なんでだ? ディ・ベルゼブの抹消を確認したからか? ……しかし隊長を仕留めなかったのは……後詰めの審問官に気付いてたか知ってたか。それとも脇腹を突かれてんのに気付いて引き返したか。理由付けるならその辺りかね。
んで得物って、あの大剣というより鉄塊というのが適切なアレの事か? んなもん、テメェからして雑魚相手の解体とか虐殺とかならまだしも、同格以上の相手とまともに衝突なんぞしようもんなら、跡形も無く消し飛ぶに決まってんだろーが。神器の類じゃあるまいし。
「五代目だったのだがな。副長の給料の横流しももう効かんのに」
「待てやコラ」
現在の懐事情的な意味で、随分と聞き捨てならん事を聞いたような。
つーかそれはアレか。たまに俺の給料の桁が一つ二つ少なく渡される悪夢の真相なのかそれ。
生活費すら貧窮して、仕方ねーから隊長やら部下共やら隊長やらの給料から気付かれん程度にくすねて補っていた惨めな気苦労の真実なのか。
「どうしたもんかね、副長」
「つーか武器なんか要らねーだろお前」
そも、あの鉄塊自体が冗談みてえなもんなんだ。
何で人間が刃物だの鈍器だの銃火器だのを武器として使うかと云えば、複数ある理由の中で、率直に殺傷力増強というのが挙がる筈だ。 生身の人間の殺傷力なぞ、タカが知れている。だからこそ別な理屈を持ってくるもんなんだ。
しかし同じ人間でも、取り分け異能力者とかいう、素手で地盤を抉るような規格外に適用される理屈じゃない。
総合的に奴らは銃火器よりてめぇらのデコピンあたりの方が強力と理解している。
実際にこの大女の腕骨をべきべこにしたであろう衛宮の当主は、テメェの肉体一つで山とか消し飛ばす事で有名だ。
当然ながら山を消すような火器は存在しない為、現存する最終兵器がナニであるか等、論ずるまでもない。
鈍器的な意味で純粋破壊力水増しを考えても、山消し飛ばすだけの威力で満足し、落ち着いて青ざめでしかるべきであり、また馬鹿力とかいう次元を六つくらいぶち抜いた力で振るわれる鈍器は、どれだけの頑丈さが要求されてんだっつー話だよ。
何が言いたいかと云えば、異能力者武器要らねーだろって真理に既決する。
金と資源と自然の無駄。とある変質者の労力ぷらいすれす。
「……むー」
……で、何でお前はむくれて人の髪を引っ張るかね、アリューシャよ。
「くく、見た限り我が主と同じようであるな」
「ああ?」
「子供というのは構われたいものであろうや」
砕かれてない方の肩をすくめながらの台詞に、えらく実感こもってる感じがするのは気のせいなのか。
アリューシャを見下ろす眼差しには悪意は無いにせよ、妙な具合に生暖かい。
「つーかお前、いい加減止血くらいした方が良いぞ。常識外れな規格外だってな、出血が過ぎりゃ死んじまうぜ」
「なんの。己の生命力をなめるな……と言いたい所だが、流石に眠くなってきた」
それはヤバいんじゃないのか。
つーか痛みとか感じてんのかと思いたくなるたたずまいだがな。さっきから。
「役目も果たす為、さっさと帰るとしよう」
――帰る。
それはどこにか? その答えが出る前に、俺にすがるようにしがみついていたものが引き剥がされ、
「――日和ったかね、副長」
何時もの笑みとは明らかに質が違う、形容し難いものを浮かべた隊長。
血を吹き出しながら、骨をより露出させながら、動かない筈の肩を動かし、小動物のように硬直したアリューシャを、ズタズタの片腕で抱える。
――常識を破壊し、新たな常識を己で形成するのが異能力者。
故に有り得ない破壊を産み、成就しない守護を成し、動かない肉体は動く。
「……ぁ」
鮮血が舞う中、間の抜けた声はアリューシャが発したものであり、突然の――突然を突然と捉え予測もできず、とっさに動けもしなかった俺とどちらが間抜けか……考えるまでもない。
日和った、か。洒落にならん。
「己は振るわれる剣であり、防ぐべく盾であり、主を護る城である」
――故に、主には背けない。
満身創痍に近い隊長は言う。言外というにも安直すぎる、弁明にも説明にも似たものを、血反吐と共に吐く。
――これは異能力を行使する、異能力者――フォリア=フィリーの意思だ、と。
「……っらでぃ、」
樹木のような巨漢の脇から枝みたいに小さい手が伸びる。
痙攣するように震える指先は、限界まで開かれた金色は、この場に起こり得ない救いを求め、
――らでぃる――
何もできない俺の名を、懇願するように口にした。
夜は既に深く、危険な森を渡るには無謀も良い所な時間帯。
しかし超常現象とか諸々の事情で魔物が出払いあるいは消し飛び、危険どころか生物の絶対数が少ないだろう――少なくとも、気を張っても何の気配もしてなかった薄暗い森の中、代わりに心霊現象チックなアレと出くわした。
生首にしか見えん仮面は、風でかき消されそうな声で呟く。
「……何があった」
それは疑問ではなく、何かがあるという確信が込められた発言だった。
……まあ実際、理解できない奇跡的な何かしらが奇跡的な発生率で乱発し、無くなったものが復活したりしてる現実があるんだからそうなるわな。
「みたことない、あれだけ竜脈、歪みきって……」
「うん?」
意味不明な単語をぼやきながら、狐だか狸だかを模した面が頭を振るう。
「人間が立っていられたところ、違う。生物じゃないか、何らかの加護がなければいられないはずのところ」
……まあ、地形修復なんていう超常現象が起きてた現場だ。
何があろうとそう不思議じゃないか。例え近寄るだけで人が卒倒するような危険スポットだとしても。
「……何があったの。ありゅっ……アリューシャはどしたの」
「一言では言えんが、まあ滅茶苦茶な状況で、ガキは拉致られた」
頭を振り、要らん感情を切り捨てて平坦に言ったのだが、相対する変態仮面、朔は何故か硬直したように動きを止め、そう、とだけえらく慎重に呟いた。
何だこの反応はと頭を捻り、万全とは程遠い思考体制ながら、他愛ない回答は直ぐさま出た。
ああ、そか。そりゃ子供を拉致られて傷心してるかもって奴が普通に対応してちゃアレだな。こわいわな。
この思考事態が俺の平常からずれている事に何処かで気付きながら、話を進めるために肩を竦めた。
「いや、俺は大丈夫だぞ。本当」
「……うそ」
「いや、」
思いの外、無機質に響いた俺の声に笑おうとして、引きつり引っ込めた。
情けない、まだ混乱してんのかね、俺は。
「そういうことにしとけ。面倒臭いから」
「……ん」
納得したように首を微動させる朔に、それよりと前置き。
「あっちはどうなってる。結構ふざけた余波がいってると思うが」
魔人関連は比較的穏やかに潰し合ったが、よくある異能力者同士の潰し合いがな。
実際あの隊長、片腕から肘の骨出てたし。めっさ顔面流血してたし。
竜とか普通に根絶するような勢いで潰し合ってたんだ。その余波がどれだけかなんて、推測するだけ馬鹿らしい。
しかし被害はどうなのか。
「全員無事」
そりゃ行幸。あいつらが潰れたら、計画が根本的に狂う。
「けど、月城 聖は逃げた」
「そうかい」
帝国の最重要人である月城 聖を人質か、最低でもパイプに取っておきたかったが、贅沢過ぎたか。まあ相手があれじゃ仕方ないし、失敗は十分に、忌々しいくらいには予測できた事だ。
「それじゃあ、」
「つうしん」
とりあえず此処を離れるかと言いかけたが、意味不明に抑揚の無い一言が、それを押し込めた。
「先、定時連絡行った。代われと」
それは、例の通信機なる物を通して俺に話がある奴がいる。という解釈でいいのか?
疑問視にも動じぬ変態は変態であるが故、かどうかは解らんがとかくマイペースに、相変わらず奇特な生首まんまな姿で、同じ要領で右手を影から生やした。
篭手に近いグローブに包まれた細い腕が掴んでいたのは、これまた話題にのぼっていた四角い、先端にチューブのようなものが伸びる機械。
受け取れと視線で訴えられた気がして、当人が面倒臭そうに地べたへ放り投げられたソレを拾う。
「……で、これをどーすりゃ――」
『ん、代わったか』
うおビックリした。
突然、手のひらサイズの冷たい物体から響いた肉声とは違うだろうダミ掛かった女の声が響いた。ちょっと投げ捨てかけたのは内緒だ。
「誰だ」
『ロリコ――もといラディル=アッシュか。どうもはじめまして』
白々しく慇懃無礼な様に、引きつる頬を留める術は無い。
つーかわざとだろ。最初の間違いわざとだろテメェこの野郎。
『まあはじめましてというには一方的な見識があるだろうが、そこはおいてだ。私の名は、アルマキス=イル=アウレカという』
「アウレカ?」
かつての俺の記号に、自然と吐いた声に険がつくのは已む無いことだろう。。
つーかなんだその、長ったらしい名前。偽名にしろ貴族にしろ、妙な響きだ。ミドルまであるし。
『私のマグナやその他諸々はアルカと呼ぶ。長ったらしいならそう呼んでくれて構わない』
「……誰が誰の」
生首方面からの怨霊的なびっくり囁きを積極的に聞き流しつつ、何故か起ってきた鳥肌をコートの上からさする。
「随分親しげだが、お前、あの天然馬鹿の関係者か」
『夫婦だ』
「………………」
つい最近、聞いた覚えがあるような冗句だ。
内容も対象も同じで、発言者が違う。
だからか、この肌寒い空気は。
『まあ今後の予定はさて置き』
「寝言の間違い」
頼むから修羅場のは当事者同士でこっそりやってくれないか。激しく場違いだ。
『早速だが、情報交換を行いたい。ああ、ちなみに先までの会話は聞いていたから、そこは省いていい』
切実な祈りが珍しく通じたのか、話題は引き戻された。
落ち着きはらった声のテンポといい、いいとこの学者かまともな時の錬金術師の語りを思わせる。
「なら、そっちの――」
一応、密偵技能にも長けているらしい朔が何も反応してないから大丈夫だとは思ったが、こちらも視線と気を巡らせ、盗聴の目がないかざっと調べ、異常無しと判断し、その合図を送った。
「いいぞ」
『こっちの完遂率は八割弱、といった所か。そちらに国守の手が回されていたからな、順調だよ』
「何やったんだ。東の情勢なんぞこっちの現状じゃ把握不可能だ」
『皇帝とその側近を丸々、後は帝国上層部の黒幕三名と、ついでに近隣属国の重鎮を数名拉致した』
…………………………
言葉くらいは無くすような戦果だな。
「………………なあ、お前らの目的って、なんだっけ?」
国家転覆とか成立しそうな勢いだが。
『戦争の終結だよ。あいつがそう掲げる以上は私も従っている。全力で』
「……良妻っぷりは良いんだがな、完全にテロリストの手口だぞそれ」
しかもまず成功しない類の。かなり初手の方で潰されて然るべき手段だ。
頭を押さえて手足に命ずる。そうすれば喧嘩は物理的にできない。
理想であるが故に挫けるのが当然な……ああ、そか。
だから、不条理をまかり通す力に至れた、か。
「なあおい」
『何か』
「本当に異能力者になっちまったのな、アイツ」
若干の感傷が否めない発言だった。通信機越しに一笑された気配を挟み、手短な反応が返ってくる。
『そう説明してなかったか?』
異能力者は常識を破壊し、新たな概念を既存の世界にまかり通す。
それは人間に出来る事では無く、人間だから考える事だとしても、独りで出来てはいけない事だとも思う。
だから異端審問部なんてものに、異能力者は当面上にも、主とやらの最たる敵だとか、そも先史文明が滅んだ原因の一因じゃないか、ともされている。
神器とかいう、何かと神聖視される謎なアイテムは、特に異能力者に対して反則的な効力を発揮している事も理由の一つに挙がるだろう。神聖の敵対は邪悪だ。
実際、異能力者同士で対決すれば地形を破壊し、単独で暴走すれば神器以外に打つ手が無い。
そういうパターンが確立するくらいに、異端的で暴力的で破滅的な歴史がある。それで潰えた国があり、根絶やしにされた種族もある。
強すぎる力は害悪でしか無いと、誰が言ったかね。
天災はただ在るだけで、膨大な被害を産む。それの延長線。
そんなジャンルに片足……いや、肩まで漬かったっぽいあの馬鹿は、力を経て英雄的に馬鹿な事をしようとしている。今更だが。
英雄になんかはなるもんじゃないと、そういう願望があったあの馬鹿には言い含めてあったんだがな。
要らん所が変わってなく、変わらんでいい所を変えるのは、どんな悪意なのか時の流れ。取り留めの無い思考を振り払いながら、無機質な手のひらサイズに向き直った。
要人の拉致。そうまでごり押しできた理由の繋がりと、一つ思い至ったことがある。
「こっちは、衛宮と月城が姿を消した。ディ・ベルゼブの抹消が確認できた直後だというから、懸念事項の消滅まで待っていたとも考えられる」
『それはどういう意味と?』
「放っておけない事項にギリギリまでねばってたとしたら。次はどこに向かう。要人を通りこした皇帝拉致なんて重大事、国守に無視される訳がない」
試すような口振りに、淀みなく答えてやる。
異能力者に対抗できるのは、同じ異能力者か神器保持者か、異端審問官しかいない。
隊長だってまさしくそんな感じだ。強弱や相性の差があれど、原則としてそういう前提がある。
東方でも数少ない、そして東方最強の異能力者。それを引き戻さない手は無いだろう。
『妥当だな。意外に面白みがない』
「面白みがどうこう言ってる場合かクソガキ……待て」
言葉を止め、いつの間にか全身を表していた仮面に目を合わせ――頷き合う。
気配がした。
直感と経験に従い、隠す気の無い存在感を醸す、上――上空を見上げた。
夜の帳、夜天に浮く月の傍らに、力強く存在を誇示するように羽ばたく、蝙蝠に似た翼。
そのシルエットの名を、朔が呟く。
「……タマちゃん」
いや、そっちで呼んでやらんでも。
「アリューシャちゃんがさらわれたああああ!?」
声変わり前の子供に酷似し、限り無く金切り声に近い絶叫をあげたのは、どちらかと云えば歴戦の戦士じみた面構えの羽付き蜥蜴擬きに、猫っぽい安直な名前を付けた女男である。
ちなみに、件の飛竜からダイレクトに飛び降り、錬金術らしき技術で地盤を柔らかくして着地、開口一番にほざいた一言がそれである。
こいつ、最初から観察してやがったな。
地形修復らへんからは怪しいが、ディ・ベルゼブ抹消後から隊長とのやり取り位、覗かれててもおかしかないか。
「ラディル=アッシュ!」
「何だ」
つい数時間前、昏倒させた変態と類似しま目を見せる女体格。睨み据えるような体勢も女みたいな上目だが、結構な圧力を感じる。
「月城様からアナタの監視と事の成り行きを見守るよう言い渡されましたが、もう知ったこっちゃありません」
どきっぱりと吐かれた内容は、割ととんでもない。
東方は宗教に代わり、貴族とか王室とかの権限が幅を利かせている。
こっちでも命令違反は――当たり前だが――それなりに罰せられるが、宗教盛んな西方の主女神様とやらは寛大らしく、軽いもんならそれだけで死刑にされる事は滅多にない。
しかし東方でそれをやれば、一族皆殺しとか普通に有り得るらしい。権威を保つ為だとかで、まあ見せしめだな。
上流が下を虐げるのはどこにでもある事だが、貴族主義なむこうは特に酷い。
異端や異教にゃ地獄なこっちも大差無いような気がしないでもないが、論点はそこじゃない。
東方の国守貴族の命令を無視するとかほざいたのだ、この女男。
「何のつもりだ」
「可愛い子ちゃんがさらわれたんだよ。ならば、身命を賭してその奪回に当たるのが私の使命というものっ!」
「……なんと」
なぜか高いテンションで天を指差すバカに、なぜだか感嘆の色を吐く馬鹿仮面。
なんだアレか、噂の可愛いモノ好きってか崇拝者か。つーかなんだこの淀みのない、気色悪いくらいに真っ直ぐな目は。全力でぶん殴りたい。
「というわけで、協力するよ」
「帰れ」
も少しまともな言い訳をしろと、犬を払う仕草に紛れこっそりと飛ばした鋼糸のおとりと本命は、熟達した手つきで至極あっさりと振り払われた。
ちっ、さすが変態。スペックが高い。
「まさか、信用されるとは思ってないだろ。大将が逃げといてな」
だいたいがタイムリーすぎるんだ。連絡が"普通"ならまず届いてない速攻さで取り入ろうとは。
害意や悪意の類は感じないが、
「同じ施設出のよしみじゃない」
「尚更できるか阿呆」
そう、同じ施設の出だ。
表面上は俺から見てさしたる違和感なくとも、テメェの意識や感情くらい操作できても不思議じゃない。
というかあの施設の出な身分で、平気な面して普通人の面被った変態を振る舞ってる時点で、異常。
異常で異質で異次元なあそこで生き延びてる時点で、十二分な警戒対象に値する。
そしてそれ以上に――あの女への、本能的な警戒心がある。
「私とタマちゃんを利用できずに、奪回を果たせるの?」
穏やかな面に似合わん淡々とした声に、その温度の冷淡さに、冷笑を返す。
「ここでテメェを制圧して、強制的に利用した方がまだ信用できる。無理ならそのまま死ね」
死んだら死んだで構わない。その積もりでふんじばる積もりだ。
そういう二対一の場で殺気を受け、諦めたような溜め息を挟んだ野郎は、仕方ないですねーとでも言いたげな笑みを浮かべた。
一挙手一投足に眼を付け、頭上で旋回する飛竜を始めとした周囲にも気を配る中、再び上に伸ばされた人差し指。
「提案があります」
その体勢のまま、今度は無抵抗で鋼糸に雁字搦めにされた女男は、そんな事をのたまった。