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災害災禍を見下ろし


 ――風が流れていく。

 突風、いや、空気抵抗ってやつだろう。相対的に、強風を真正面から受けるより酷い抵抗。

 多分、ヘルメットじみた分厚い帽子からはみ出してる髪と愛用の防寒マフラーは、真後ろで垂直にたなびいてることだろう。首を回して確認するまでもない。前方がまさにそんな感じだし。

 接触部ゴム製の軍用ゴーグルが、顔にめり込むような錯覚さえ起こる風圧。このゴーグルがなけりゃ、薄目でも開けられていたか微妙だろう。

 体感した事のない速さ……かは微妙だが、雲を突き抜けるような高さとの両立は間違いなく初めてだ。

 上空は空気が薄く、冷える。防寒対策がなくば凍死する可能性が高い。故に寒いを通り越して肌を多少さらしている面が痛い。

 視界のすぐそばで羽ばたく蝙蝠みたいな、しかし蝙蝠を何十何百と集めればこれくらいになるのかという巨大な翼。それは風を掻き分け風に乗る、質量法則をシカトした竜種族の翼。蜥蜴っぽい外見のクセに、寒さだろうと暑さだろうと問答無用に強い、飛竜の竜鱗。


 黄昏時。彼誰時ともいう時間帯は、他者の顔が判別できない暗がり始め、または明け方、彼は誰かと問うたのが起こりともいう。俺は月の無い夜でも人の顔くらい判別できるからよくわからん話だが。

 そんな由来などどうでもいいくらい、地上は茜色に染まる。

 大自然の摂理という片鱗。

 人間など、それに比べれば所詮ちっぽけで矮小なものだとでもいいたげな雄大さだ。

 ――間もなく消え去る雄大さだ。


「……はぁー……」


 経験した事のない体験からくる気だるさを隠す為、辺りを見回し風景を楽しもうと画策したが、そこにあるものを見て何かプラスっぽいのを感受する程、俺は若くはないらしい。感受性が枯れていると誰かに言われた記憶もある。

 俺の前に座るアリューシャはさっきからきょろきょろと、俺にはわからん何かを感受しているらしいが。


「ただの高所恐怖症の地獄じゃねぇか。乗り心地も悪いし」


 銃弾とか刃物とかの外的要因を(ことごと)く遮断する強固な竜鱗を叩いた。音はしない。俺の骨が鳴るだけだ。

 錬金術師(ヒト)が精製できる限界の硬度を持つ模造オリハルコンに匹敵するソレは、微妙な振動を伝えることさえない。

 竜が災害と見なされる理由のひとつであり、銃火器が不況した現在で尚強力と見なされる竜騎士の、機動力と征空力に次ぐ強みである。

 しかし今ここに至っては、乗り心地が劣悪にもほどがある乗り物でしかない。

 飼い慣らされた飛竜でも装飾品は嫌うというが、せめて(クツワ)くらい付けてほしいもんだ。


飛竜(ワイヴァーン)に乗った初見でそんな風情もなく言う人、初めて見た」


 騎乗でいうところの手綱を握り締め、首の付け根辺りに座る変態が皮肉を口にした。

 愛玩動物のようなふざけた名前を付けられ、気の合った相方(ライダー)が変態という世にも哀れな飛竜の背で、溜め息を吐いた。


「しかしまあアレだ。思った以上に空気抵抗が少ねぇな」


 結構尋常じゃないスピードで上空を飛んでるってのに、突起物に近い鱗をひっ掴み、低姿勢で踏ん張るだけで、俺もアリューシャも乗れてる。

 いや、有り得ない。

 馬にだって、騎乗して走らせてる最中に立ち上がったらぶっ倒れる。強い地震で人が立っていられないのと似た理屈。安定した足場ってのは重要なんだ。

 それを飛躍させた次元で、俺やアリューシャが吹っ飛ばされてないのは、つーかこらえられるレベルの抵抗ですんでいるのは、


「タマちゃんが融通をきかせているんだよ」


 やっぱりか。体感するまでは眉唾だと思ってたんだが。

 犬猫のようなふざけた名前は気にしないようにしつつ、


「周囲の風に干渉だかどーたらか。そこまで便利なもんなのか」

「さすがに戦闘中はそこまで気が回らないみたいだけどねー」


 魔物は往々にして一つ以上の固有スキルをもっている。

 例えば、単純ながら筋肉の質から見て有り得ない馬鹿力だとか、生物の度を越した再生能力だとか、明らかに質量配分を間違えてるくせして重力に逆らい飛行するだとか。

 自然の摂理に逆らうような特性。怪異。

 魔物が魔物と呼ばれる所以。或いは超自然的な力の恩恵だとかいう説もある。魔物の固有能力。

 飛竜(ワイヴァーン)も魔物の一種である以上、それを幾つか持ち合わせている。

 その時々で頑丈さが微妙に変動する竜鱗だとか、ちょっとした軍事バリケードくらいなら一吹きでぶっ飛ばせる炎吐息(ファイアブレス)だとか、明らかに飛び辛い図体で飛行する為に周囲の風諸々を弄くる、だとか。


「……ま、確かにこれなら狙撃くらいはできそうだな」

「タマちゃんは優秀だからねー」


 狸が。

 冗談にも程がある俺の言葉を、背中ごしでも笑顔とわかる陽気な声で同意を返した変態に、腹中で毒づく。

 狙撃とは、酷く繊細な作業だ。

 対象の頭を高性能照準機(スコープ)で捉え、発砲。

 言葉にすればそれだけだが、まず綿密な計算と感覚が必要。

 長距離を正確に射抜くまで。弾道から空気抵抗、距離から重力気圧気象風の流れ、何から何まで可能な限り計るのがまず基本。それをこなしてもミリ単位、ナノ単位のズレだけで、不発という命取りになる。

 ――それでミスって"処分"された兄弟を、何十と見てきた。

 狙撃というのは難しい。それだけに、実際の竜騎士連中でそれをできる奴は居ない。

 だのにこいつは、空気抵抗が激しく、高速で移動する最悪な足場で、劣悪な体勢で。

 それを推して尚の、先日の狙撃。怪鳥に乗ったミソラを撃ち落とした。という。

 見たわけじゃない。報告のそれだけで判別すべきことじゃないが、それは人間の為せる業じゃない。少なくとも、俺は聞いたこともない。

 飛竜に騎乗できて、最高峰の飛翔速度で滑空しながらの狙撃。それができるだけで、ある種の規格外に値する。離れ業。


 ――柏木(カシワギ)(ツカサ)

 あの秘匿施設から、月城に引き抜かれただけのことはある、か。


「そろそろ、時間だね」

「ああ」


 上空からの捜索から四十分少々。炙り出しまで、後少し。

 脳裏に浮かんだのは、何故だか朝方の対話。







「包み隠さず言うとね、軍部はいずれ転進するわ」


 明朝。件の場所(クレーター)で飛竜から――隻腕の似非シスターにしがみついた形でだが――降り立った月城 聖は、欠伸しながらそうのたまった。

 欠伸したいのはこっちだ。よく考えずともあのグロテスクがビビってんのはアリューシャだけ。ならそのアリューシャが無力な時――例えば、暗殺者お得意の寝静まった時の襲撃を警戒してはいたが、取り越し苦労だった。おかげで寝不足だってのに。


「其方の"忍"に頼めばすぐ判るだろうけど、」


 俺の背後に控える部下の――大方、昨日武力制圧はどうだろうとか無謀極まりない事を口にしていた馬鹿だろう。多分そいつが足を鳴らしたが、月城 聖に一瞥され、止まる。気圧されたか。

 それなりの使い手からの明確な害意を取るに足らないように視線を戻し、続ける。


「近隣に住まう魔物が、まるで怯えるように進行上の障害を排除しながら大移動をしているのよ」

「……まさか、樹竜(フォレストドラゴン)やら、森巨人(エント)やらもか」


 前者は飛竜と同じく低級竜指定。竜である以上強力ではあるが、空を飛べない上に足が遅いため、逃げる分にゃ問題ない。後者は竜でない上、余程の手だしをしない限り害は無い、極めて温厚という希有なタイプ。一度キレればそこらの低級竜よりタチが悪いという性質はあるが、そこまでのヘマを踏まなきゃ問題になりえない。

 ちなみにこの両者は、それなりの規模の森の最奥部で共存してるっつー話で、遭遇率の低さ、てか困難さからも、強力さの割にあまり問題になってなかった魔物だが。


「さすがに、災害に暴れられちゃあ軍事行動は難しいわ」


 どうやら表に出てったらしい。まじか。いや、なんか昨日から異様に周辺の気配が薄かったとは感じていた。ミソラも、鳥くんたちに嫌われたーとかでふりふりのまま泣きついてきたし。

 しかし、森の主まで?

 魔物は自然に隣接する分、人間より遥かに敏感というが、竜が逃げ出す程の…………脅威、だろうなあ。

 朝日に照らされ、見るだけで寒くなつてくるクレーターを見回し、常識から下した判断を撤回させた。


「と、いうわけで。軍は魔物への対応で手一杯。軍事的な要因はあまり心配しなくていいわよ」


 まあ、その話が真実なら、当面はな。


「疑い深っ」


 おいこらハゲ。小声だったが聞こえたぞ。

 謂うに事欠いて疑い深いだあ? この妖怪外見ろり女狐相手にゃ、これでまだ甘いくらいだっつーに。


「それで、交渉材料が一つ減ったからどうしたってんだ」

「ひどいわあ、そんなツンツンしてっ。お母さん悲しくて泣いちゃう!」


 と、朝日に照らされて尚黒く輝く長髪を振るい、口元に人形みたいに小さい手を当て、冗談みたいに白い頬に涙を伝わす。

 可憐な乙だか甲だかを演じたナニカ。前提として対象には百八本くらいの狐尾が生えている事を知っている俺からすれば、大変に……あー、殴っていいか?


「……やさしく、してね?」

「…………」


 目を伏せ、白い頬を変色させる不快生物に対し、自然な動作で裾に仕込んでいたダガーナイフを手に滑らせた。


「おおおちついてくださいよ副長! ここで手をだしては交渉がっ」


 が、すぐに誠一に止められる。何故止めるか。

 止めますよ普通!? とか面白みの無い事を叫ぶ誠一から視線を外し、不快な生物を見下ろす。


「協定を結ぶにあたって、条件がある」


 副長?! と、後ろに控える面々が、信じられないとでも言いたげな声をあげる。

 譲歩しまくってる大国の頭脳を相手に、まだ条件を架そうというのだから。

 普通は正気を疑うだろう。

 しかし、


「何かしら?」


 やはり断らんか。

 ガキの我が儘を容認する母みたいな笑みがムカつくと言えばそれどころの話ではないが。

 この女、こっちはさっきから殺す気満々だってのにニコニコと……まるで、警戒がない。悪意がない。


「一つ。ウチのガキにちょっかい出すな」

「ええ、良いわよ」

「二つ。行方不明の俺の部下を捜索し、引き渡す事」

「ええ。いいわよ」


 とるにとらない些事を片付けるような気軽さで、いっそ好意的なまでに無理難題を快諾する女狐。

 捕虜返還じみたやりとりが気軽に扱われ挙げ句了承され、絶句しているだろう奴の顔が目に浮かぶ。


「三つ」









 概ね穏便に、協定は交わされた。こちらの沸点を悟られた所以にせよ、協力体制になった。

 それで今、竜騎士が見るような風景を、これといった感慨もなく眺め一応捜索していたわけだが。


『多分、見つからないわよ』


 どこか確信をもった月城 聖の言。

 根拠は何かと聞くと、見つからない所に隠れているから。

 しかしそれと同時に大量の"補食"ができて、且つ最大の脅威(アリューシャ)を排除する隙を――それも睡眠以上の決定的な機会を、いつでも狙える場所。

 そんなポジショニングを思いつく知性があるのかよと訊くと、取り込まれてベースになった者の知恵が反映されていたら、可能性は高いらしい。

 俺の記憶が確かならば、イルドというできそこないな暗殺者は快楽と感情を挟む気があるが、それが絡まない限りはそれなりに頭が回る。

 でなけりゃ、あそこで生き残れていない。


「……イルドちゃん、」


 月城 聖が提案し手配した炙り出しまで、残す所あと僅か。

 雲が近い高度。アリューシャが恐る恐るといった慎重さで、茜色に染まったふわもくに手を伸ばすが、あっさり通り過ぎる。

 目測を誤り過ぎたちまい手が悲しげに震える中、同郷の元(がつくかどうかは不明の)暗殺者は、陰のある声でイルドをちゃん付けした。


「あの子だったんだね。あんなに、アナタに懐いてた子が」

「イルドまで知ってたのか」

「そりゃあ、私が引き取られる前に"イルド"という記号(なまえ)を与えられた子だもの……いや、違うね」


 女じみた顔に相応しい髪が、真後ろから僅かに下がる。

 飛竜が高速飛行を止め、僅かに停滞した故に、空気抵抗も僅かばかり止んだ。


「懐いてたイルドちゃんも、懐かれてたアナタも、可愛いかったんだ」


 意味がわからん。


「あの、死に満ちた空間の中で、とても可愛いかった。だから印象に残してたの。でも」


 何故、このタイミングでこんな昔話じみた事を?

 飛竜が横飛行を止め、上昇を続ける。総勢三人の人員を乗せたまま、ただただ上に。雲が下になる程上空に。


「イヤだね、時の流れって」


 独白にも似た囁き。


「可愛いものがそうでなくなっていく。可愛いものを産むのも時間なのだろうけど、殺すのも時間だよ」

「何が言いたい」


 一端の真理を口にするのは結構だが、それを聞いてやる理由もない。てか鬱陶しい。舌打ち交え言外にそう言う。


「大切にしてあげてね」

「ああ?」


 柏木 司は答えず、ただ女性的な微笑を浮かべ、安定した飛竜の上で振り向いた。

 その視線の先、アリューシャが感嘆にも似た溜め息を吐く。多分、雲の上から見る夕日に感じいったかそんなんだろう。

 上空、故に酸素が薄い。高山病なんてもんがあるくらいだから、その高山より高いとこにいるのはどうなんだ。飛竜がなんかしてくれてるのだろうか。

 取り留めのない愚考が頭を掠めた。


「」

「あ?」


 何か囁かれた気がした。さして集中してなかったとはいえ、俺が間近で聞き取れない囁き。

 怪訝にしかめた先で、柏木 司が表情を変えず、言う。


「来た」


 ――ぞわりとした。

 至近にいる柏木 司でもアリューシャでもなく、もちろん飛竜でもない。

 遠く、距離にして遥か遠く、予定通りなら眼下の雲の更に下の密林、その中心。

 胃が竦みあがる気配がした。いる。そこに居る。圧倒的に、威圧的に、絶対的に、存在している。そこに居ることを声高に無言で叫ばれているような、存在の訴え。存在感が極まればそうなるのか、馬鹿な考えが浮かんだ。


 ――それを遥かに上回る、ばかばかしい現象が起こった。


 まず、眼下の雲が吹き飛ぶ。

 雲を突き抜けた衝撃に、安定して浮かんでいた飛竜が揺れる。

 鼓膜が破れて耳鼻から血が噴出してもおかしくないような轟音、暴音。

 そして景色が変わる。変わる変わる、一変にも程がある。

 密林が枯れ葉のように吹っ飛び、砂塵みたく岩盤が巻き上がって、そこらの山々にぶつかり潰れていく。

 木々はどうなってか、流れていた小川とか広大だった自然とか、全て。一瞬で眼下に収まった異常に、もういっそ渇いた笑いくらいしかない。

 前だった知識と説明がありながら動揺しかけた精神を鎮め、見下ろす。

 雲が消えてクリアになった視界。場所はあまり変わってない筈。眼下には、密林が無かった。地形の表層が無くなっていた。文字通り根こそぎ、消しとんでいた。

 死んだ地形。殺された地層。隊長も幾つか創った景色ではあるが、そもそもの規模が違うし、真上から眺めるたのもまた格別だった。

 ――破壊を通り越した、いっそばかばかしいまでの"暴力"に曝された跡。

 軍勢を蹂躙し、竜を殺し、国を脅かし、地形を踏みにじる。

 余りに身も蓋もない、ふざけた異能(チカラ)。帝国の頭脳に誘導された、帝国最悪の暴力。現行の爆弾の破壊力をどれたけ増大させればこれだけの災禍が成せるのか。考える気にもならん。

 変容した光景の中、新たに夕日に照らされていたのは密林があった場所に空く、巨大を通り越した寒々しく広大なクレーターと、


「――居た!」


 隠れ簑にしていたのだろう地中から、死ぬ程豪快で不条理でメタな方法で炙り出されたのは、


「……ディ・ベルゼブ」


 死んだ大地の中、地中から顔を出す土竜(モグラ)のような静けさで、しかし視界に収まるだけで吐き気が込み上げてくる、地形を変える暴力を受けて尚揺るがない、不気味で不条理に蠢く、世界の敵の姿だった。


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