余話ですらない昔話
三度、本編とは全く関係ないお話です。オマケにオチもありません。それでもよろしければ、どうぞ。
楽団の指揮棒より幾分か小さい、半透明な硝子製の棒。
僅かばかり伝道した熱を摘んだ指先で感じながら、うっすらと透けてる文明の利器の中心部、縦に伸びる血色の色彩を眺め、嘆息。
「……三十九度、ジャストか」
俗に云う、高熱である。
ハゲからくすねてきた体温計を、数少ないこの部屋の家具である、背の低い棚に置く。
ついで、荒い呼吸を繰り返すちんちくりんのデコに当てていた魚の刺繍入り濡れタオルを回収し、清潔な水に浸けてたクマの刺繍付き濡れタオルと交換。
普段はクソ生意気に緩んでいる面は、随分と苦しそうに水分吹き出す病色に染まっていた。
それをせいせいしただのざま視ろだのと思えんのは、幼少期に同じちんけな病で死にかけた経験が脳裏にちらつくせいか。
粗末な椅子に体重を掛け軋ませながら、何とはなしに思考を止めた。
何年も前に塞がった古傷だらけの――こんなちっこいのに古い傷なぞ違和感しかないが――頬に溜まる玉になった汗が、安物でも高級でもないだろう錬金術師提供の電灯ランプの光がちらちら照らし、反射する。目障りなそれを拭き取った。しかし汗は止まらない。悪性の菌を熱で殺しているからという、風邪の発熱。その鬱陶しい副作用。
さっきまでは人の名前を連呼したり泣き言を言ったりメチャな我が儘を言ったりしていたが、今は比較的静かに安定したうなされ呼吸を繰り返している。そんな音で、この牢獄のような頑丈さを持つ部屋は充満していた。
俺の時は、大雨で風の音とか酷かったような。半分朦朧としてたからよく覚えちゃないんだが、兎に角キツかった事は覚えている。高熱で弱ってる時に野ざらしとか。本気で死ぬかと思ったし。
ああ糞。
独りぼやきながら頭を掻く。掻きむしる。
なんか陰鬱になる。腹立たしい。
ん……腹?
何か違和感。頭に湧いたそれを追及すると、答えは直ぐに出た。
そういや俺、朝昼となんも食ってねえよな、と。
朝からちっこいままでベッドから動かんちんちくりんにかかりきりだったから、食う暇なんぞ存在しなかった。全く、機密ってのは厄介だ。
しかしそうか、そうだったそういや腹減ったなおい。
丁度看病が必要なのも寝てるみたいだし、腹ごしらえといくか。
人間の三大欲求の一つを満たすべく、座り心地の悪い椅子から立ち上が――ろうとして、抵抗を感じた。
見やると、人のベストの裾を握りしめるちんちくりんな手。
往くなとでも言いたげな力強さを感じたそれを、嘆息しながら躊躇無く引き剥がし、さっさと退室した。
城壁の向こうに伸びる地平線のなりそこない、放物線を描く茜色よりは僅かばかり暗く染まった山々を見、時間帯を悟る。
食堂は微妙だな。飲み屋は遠いし、さてどうするか。城の回廊を足早なペースで叩きながら思考する。
そういえば始末書類がまた溜まってたような。山一つ分。食いながら少しは片付けるかね、と打算を働かせつつ、
『……らりぃるううぅ……』
後ろ髪引かれる情けないちんちくりんの声を頭から振り払いながら、最も効率的な手順を実施すべく、城内調理場に足を向けた。
「らでぃるー、らあでぃるうううー……ううう……」
病室と化した隊長室に再び足を踏み入れれば、そこは譫言を繰り返す屍が、ベッドからはみ出している所だった。
いや、はみ出しているというより、這い出ようとして失敗したような。
「……なぁにやってんだ、お前」
「らああでいぃるうううー……」
悲鳴にも蛙の断末魔にも似たうめきで人の名を呼ぶ馬鹿野郎。
そのまま逝きそんな感じで、ベッドから頭を絨毯につける阿呆をベッドに戻すべく手に持った物を、体温計を置いた棚に置き、ガキの汗ばんだ肩に手をかけた。パジャマがずれてる。
「何でものの数十分で悪化してんだ、お前」
「らでぃるう、らでぃるうがいなかっちゃんらっ」
呂律が回ってねぇぞおい。
「らからふおいあがしゃあがひりー」
「良いから寝てろ。釈明なら後で聞いてやるから」
「しょおいっちぇまらろっあいきゅつゅもりなんらああ!」
解読が難しい言語を鼻詰まりまくった声でまくし立て、亡者のような得体の知れない気迫で俺にしがみついてくる阿呆ガキ。ええいクソ、何だってんだ!
「だああっ、糞熱ぃ! まさかてめ、熱上がってんじゃねえだろな?! つーかまず離せ!」
ベッドに寝かせられねーだろがと怒鳴るも、熱にうなされるガキはいっそ懸命なまでに力を緩めない。なんだその執念?
「どっか、いっひゃ……やりゃぁ」
「いや別にどこにも行かんが」
「いらかっらもん」
いなかった、と言いたいのか。
いや、確かにちょっと離れてたが、その隙間に起きて、んでテンパってデコにコブを作った?
いくら何でもあんまりなダメっぷりに困惑していると、
「ダメっすよ隊長。風邪は大人を子供にするんだから、子供は余計ヒドい」
「……そういうもんか?」
文字通りの半死人やら精神に傷を負った奴を看取った経験はそこそこあるが、まともな看病の経験はほぼ全く無い。要領がよくわからん。
故に、疑わしい馬鹿の台詞にも否定する材料がない。
基本的に誰も足を踏み入れることがない隊長の部屋。その地獄的な門戸から、中途半端な下から口調で声かけてきたのは、一応の通行許可持ちの馬鹿。ちなみにその許可は隊長やらちんちくりんやらが配布したもんでない為、デカい方に発覚すると直接的な生命の危機が到来する。
くだらない生死の境に脚を踏み入れていると気付いてるのかいないのか、その馬鹿に目を向けると、さっきパシらせた品と思しき紙袋を手に、腹立たしい笑みに頬を歪ませていた。
「ま、兎も角。一緒にいてやることさね」
「いやもう一緒にいるだろう。てか密接しすぎて熱いくらいなんだが」
「あー、確かにな。アツいアツい」
そのニュアンスは何か違うだろ。
愉快にムカつく面を手扇ぎながら、つかつかと此方に近寄ってくる、部隊内における馬鹿の代名詞。
「ほいよ、頼まれたブツ」
「ああ、ご苦ろ――っづおっ!?」
社交事例を返そうとした瞬間。耳朶に鋭い痛みを感じた。
至近距離からの不意打ち。耳朶を真下に引っ張られる痛み。ブツを差し出す、ヴァルカとも呼ばれる馬鹿は間抜け面を晒しているだけ。それよりも至近に居るのは――現状で、犯人など考えるまでもない。
「ナニしやがるか糞ガキイぃ!」
「きゃまへえー!」
だから呂律が回ってねぇんだよ!
「もっ、うぅっ、ひぐ、っえ゛え゛え゛ぇぇぇ……!」
「なんで泣く?!」
より一層俺の胸にしがみつき、唐突に泣き喚き始めるガキ。喧しいし鬱陶しいし、根本的に意味がわからん。何なんだ?
あやしながら周りを打開の手を探るも、ニヤニヤと殴りたくなる笑みの馬鹿が居るだけだし。
「いや、だぁらよ、寂しかったんだって。目ぇ覚ましたら愛しの副長サマが居なかったんだから」
アルコール無しに酔っ払う奴のくだに付き合う間はねぇんだよ。
愚図るガキをとりあえずベッドに誘導すべく四苦八苦しながら、つーか手伝えやボケと怒鳴った。
「おーい、いい加減泣くな。折角作ってやった粥が冷めるぞ」
ベッドに腰掛けはしたものの、俺から離れないガキ。
その興味を引かすよう色々試みていると、粥という未知のワードに惹かれたか、かゆってなんだと解読できる囁きを発した。
「ああ、以前東部を周ってた時に訊きかじった……」
引きつった頬をなんとか抑制しながら説明してやり、それを置いた棚に視線を向けると。
「……んあ?」
蓮華の代わりに用意したスプーン片手に小ぶりな丼の中身をかっこむ馬鹿と、目が合った。
静寂。スプーンと丼が接触する音も無く貪っていた盗み食い技能だけは流石と云えるやもしれん。
さて。
「……な・に・ヲ、やらかしとんじゃこん呆ケェエエエエーッ!!」
「あーいやそ――ごっ!」
こんなこともあろうかと、密かに仕込んでいた遠隔ツッコミアイテム・かちわり君を、粗相を働いた阿呆の顔面に直撃させ。打ち倒す。
グローブと連結させてる紐ゴムをしならせ、手のひらサイズの歪な鉄球を手元に戻した。きゃっち。
……割れた丼どうしよう。中身は全部、仰向けで痙攣してる馬鹿の腹にあったらしいが、と砕け散った破片から判断。
「わっ、わあ、かっけー。なんだいまの。かっけー」
「粗相を働く馬鹿の顔面を、その場から動かず速やかにかちわれる素敵アイテムだ」
「おーっ」
喜怒哀楽がサイの目みたいな気軽さで変動するガキが、へらへらと笑いながら拍手した。
しかしさて、阿呆のせいで飯がパーになったが……と、丼の代わりに棚に置かれた紙袋に目を向ける。
「とりあえず、林檎でも食うか」
「くうーっ」
過剰な応答に苦笑しつつ、丼の破片をブーツで何片か踏み潰し、紙袋を手にあさる。破片は、後で錬金術師でも……いや駄目か、通行許可がない。
戦術を通り越し、戦略的意味を持つ隊長。その弱点が――ちんちくりんで無力な正体が露呈する寝室は、基本的に立ち入りを禁止されている。
なら、飛び散った破片はどうしたものかね?
気軽に異物分解ができる錬金術師とか、掃除が仕事の人員とかが呼べない以上……後で阿呆にでもやらすか。原因はこいつだし。掃除という一般的な行為が出来るかどうかという根本的な疑問は残るが。
とか思考しながら手に持った林檎の皮を、袖から抜いた軍用ナイフで切り剥がし、一本の細長い皮と薄い色の実に分断していく。
――ああ、肉を裂いたり抉ったり以外に刃物を使うのは、割とレアな体験だな。と、林檎を回し剥く希少な手応えを感じながら思った。
「らでぃるらでぃる、りんごはあれだ、うさぎがいいぞ」
「いや遅えよ」
既に八割方剥いた林檎で、うさぎカットなど物理的に不可能だろう。俺の刃物使いを甘く見すぎだっての。
強奪したかちわり君を手元で弄くるガキが、ガーンとかいう効果音っぽいのを口にした。
「……うー」
「我慢しろ。味が変わるわけじゃあるまいし」
再びベッド前の粗末な椅子に座り、安物の野菜と卵が挟まれただけのサンドを口にしながら、ハンカチの上に並べられた赤みの無い十分割林檎を見下ろし、膨れっ面になってるガキを眺める。
「……らでぃるのがうまそーだ」
それに気付いたか、ガキはガキで物欲しそうな視線を返してきた。
「風邪を治したらなんか飯でも食わしてや、」
「まじでか!? じゃっ、あそこあそこ、らんちとおれんじじゅーすがうまいトコっ!」
「わかったわかった。わかったから林檎でも食って大人しくしてろ」
「おう!」
思わずはたきたくるような笑顔。さっきのアレっぷりは何だったのかと思う陽気さで林檎を口に運び始めた。
きっとアレだ、頭ん中はチャチな国旗が刺さったお子様定食で一杯なんだろう。
まったく単純な。
独り言ながら、二つ目のサンドイッチを口に運んだ。
しかしさて、どう考えても拒絶しそうな風邪薬はどう飲ませたもんかね。