月、来ル
飛竜。
竜種の一種ではあるが、もっぱら竜騎士の翼としての名声が高いため、民間にも広く好意的に知られている魔物。
個体としての戦力が高いのは竜種の端くれとして当たり前だが、低級竜認定の割に知能も高く、ある種の人間に対しては友好的という一面と、総ての魔物の中でも間違いなく最高の総合飛行能力をあわせ持つ。
銃火器が発展してなお、巨大で圧倒的と称される、皇国竜騎士団の要。
知性は高いが、野生のそれは凶暴で獰猛で肉食。
何が言いたいかと言えば、野性的な行動をしない飛竜は、その大概が人間に飼い慣らされたやつである、ということ。
ならば俺らを襲わず、出来たてのクレーターに降下した飛竜の意味は。
それに、報告もある。似非野生児は、帝国の航空戦力に狙撃された、と。
僅かばかりの暗い念と、後押しするような状況から、状況進展と情報収集を兼ねた偵察を慣行することにした。
ある程度進んだ道程を巻き戻した先。
気配は消していたし、傍らのちんちくりんも天然ながら似たような希薄さで追従していた。物音をたてず、かつ慎重に警戒して目的地にへ向かっていた。
だのにどういうわけか、クレーターの前、或いは今の俺より見事に気配を消してる、明らかに待ってましたポーズのシスターが突っ立っていた。
いや、シスターといっても姉妹とかの意味じゃなく、教会とか孤児院とかに生息する類のアレだ。
黒を基調とした法衣に、髪を丸ごとしまいこんだフードもどき。
多少なりとかさばらんよう改造されたそれは、女性的な体躯に似合わん隻腕に、そんな体格的に持ち上げる自体が現実的でない剣を背に、眉あたりから鼻の下あたりまで覆い隠す黒いバイザーと相俟って、外見だけでカタギじゃないと判断できる。
ちなみに雰囲気は――それ以上にカタギからかけ離れている。
寒気、恐れというより畏れに近い圧迫感。肌が粟立つ、苛烈で静謐で穏やかな存在感。
正直に評価すれば、隊長との初対面を思い出させる。それに近い差を感じさせる。
「――『透刃』ラディル=アッシュに『魔人』アリューシャ=ラトニーと見受ける」
女の口から出た諸々――余りの驚愕に、言語と思考が吹き飛んだ。
何故、魔人だの透刃だのと、知っている。アリューシャのラトニーってのは、コイツが誘拐された家の家名だったが……どこまで調べが?
余りの情報漏洩っぷりに立ち眩みを起こしながらも、警戒だけは最大まで高めていたため、十メートル以上間をおいて対峙する聖職者の紛い者の所作に、一切の敵性も見られないことが理解できた。
そこから何となく思い至る。
「……交渉か、勧告か」
「……前者だよ。話が早くて助かるね」
恐らくは、石ころを蹴り転がすような労力で俺を殺せるだろう似非シスターは、髪の毛を丸ごと隠蔽する黒い囲いを髪の代わりに揺らし、隙だらけの背中を見せた。
「ついてきなよ」
しかし、達人がちらりと隙を見せる時は、大抵が後の先を食らわすためというのが常識だ。
その約束に洩れてはいないが、距離と状況、位置関係からして、今ならば背後から撃ち殺せると現実的な打算が囁く。
しかしそれ以上の大音響で、本能と直感が力の限り絶叫している。
それをすれば、俺は死ぬ。と。
気は乗らないが、素直に誘いにのることにした。
この局面、この状況であんな情報をこんな奴が持ち出すとは……それなりに腹立たしい交渉の席があるんだろう。
鮮やかな翠色の飛竜は、非常識が蠢いていたクレーターに降り立ち、全体の半分以上を占める翼を畳み、攻撃的で威圧的な偉容からして滑稽に感じるほど大人しく鎮座していた。余程波長が合う相方がいるらしい。
それに近寄っていく似非シスターから一応の警戒を残しながら気配を探ると、飛竜の背に二――いや、三人は居る。
異業が創ったクレーターのちょっとした急斜を、アリューシャの手を引きつつ転倒に気を配りながら降り……って言ってるそばから転けんな。ぐずるな。
おら立て、とあえて手は差し伸べず起立を待っていると、敵意の類ではない視線を感じた。
怪訝に思いつつ、それとなく目線を傾けてみるも、背を向けたままの似非シスターが飛竜に近寄り手招きしている所なだけだった。
何かとグズで手間のかかるガキが一人で立ち上がるのと、身をより小さくかがめた飛竜から人影が飛び降りたのは、ほぼ同時だった。
転倒で生じた汚れと擦り傷の簡易措置を終え、改めて堂々と視線を向ける頃には、人影は似非シスターのそれを合わせ、合計三っつになっていた。
……まだ飛竜の背後に居るな。
「こんにちは、ラディル。そしてはじめまして、アリューシャちゃん」
一応警戒しながら、不遜な足取りで相変わらず硬質な感触を脚に感じつつも近寄り、面々と顔を合わせる。
第一声、名乗ってもいないファーストネームを気安く呼んだのは、三人組の中央に立つ、下手をすれば傍らのチンチクリンよりチビかもしれん、まるで最高級の人形が立っているみたく小綺麗な、小娘の外見をした――ナニカだった。
いや、知らない。会った覚えはないが、その外見的特徴には覚えがある。諜報や暗部の人間で知らないやつはモグリ。そういう類の女が――下手をすれば先に見た暴走体のそれより肌寒い目を笑みの形に細め、俺とアリューシャをミつめる。
それだけで、背筋を冷や汗が伝った。
信じられん。
こいつの素性以上に、まず人間のしていい眼じゃないことに……揺れる。揺さぶられている。
――まともな神経をしていない評価がある。
例えワンミスで拷問よりヒドい目に合う状況下でも、その気になれば平常以上の冷静さで切り抜けてきた自負がある。
知人友人兄弟、その断末魔を聞いて尚揺るがなかった精神制御の精度には自信がある。
だが……コレほどに、タダの視線にこれほど気圧された経験は、ない。
「――はじめまして。月城……聖」
乾いた口を吐いた声は、やや硬質だった。
月城――帝国の知恵。国守貴族。その現当主。二十代にも届く娘を持つ、視点を変えれば魔女とも聖母とも呼ばれる女。
その外見は天使の如き。とち狂ったどっかの誰かの妄言を妄言と思いきれんほどに整い、俺の腹辺りに頭があるくらい小さい。
しかし――人は見掛けによらないという真理を、俺の後ろでガタガタ震えてるガキと同じくらいに体現している存在感に、その眼。
「うふふ、不思議かしら?」
少なくとも、所在だけは上品に笑う月城 聖。日常でも社交場でも裏取引でも使えそうな類の笑み。
弱められる圧迫感。出鼻を挫き、己の片鱗をさらして十分と考えたからか。
しかし、不思議……不思議なことなんぞ在りすぎて、どれを差しているのやら、正味よくわからんとこだがね。
「不思議、とは? アナタがこの場にわざわざ出向いた事ですか?」
「それはこの場にいた脅威ほどの不思議じゃないわ。なにせ、山ほどに膨らんでいたんですもの」
……まさかあの内臓色のグロテスクが?
飛竜の厳つい頭がある空間より上を見る。特に強い風は噴いてなさそうだが、見通しは良さそうに思える。例えば、その空間一杯に……
そりゃ、確かに先行偵察くらいはするだろうがよ。裏大将が出ばるには弱すぎる、てかありえない動機だぜ。
「言葉遊びをしにきた訳じゃないでしょう」
「半分はね」
慇懃無礼の仮面で詰問するも、錬磨を感じさせるほどに冗談めかした笑みの形を継続させるだけ。
「人間観察はね、それなりに得意な趣味なのよ」
「ならサーガルド辺りに行ってください。私たちなどより余程愉快な観察対象が居ます」
隊長とか爺とか隊長とか。
そして消し炭にされてしまえ。
「うふふ。多分だけど、君ほどじゃないと思うわ。それに、実益も兼ねているしね」
――実益?
口をつきかけた間抜けた返しは、既視感を伴う程度に微弱かつ、覚えのある気配。
それを感じた方角に、俺とほぼ同じタイミングで似非シスターが注意を傾け――凄まじい勢いで、クレーターの土砂が吹き上がった。
「――なっ」
突然発生した錬金術の発破に似た現象に、誰かが小さく呻く。
噴水のように、しかし噴水などとは比べものにならん規模で噴出した無数の土砂は、クレーターの周辺をまとめて霧状に覆うほど。
砂漠地帯の砂塵に似た光景を、北西地方の端で再現された。
それを成した人物に当たりを着けつつ、飛竜のくぐもったうめきと鈍い金属音が響き、視界を潰す砂塵が舞う中。
目を覆いながらも、気配を頼りに最速で駆ける。
誰かの号令――声は随分と高音で聞き覚えがない、似非シスターでも外見ロリでもない、並んでいた三人目だ。多分。
その号令で飛竜が羽ばたき、生じた突風で粉塵を吹き飛ばす。
視界は、瞬く間に晴らされた。
「――うふふ、珍しい人員を使うのね、ラディルは」
俺の腕の中、首筋に投擲刃を突きつけられて尚、余裕を絶やさぬ月城 聖。
身長が低すぎてちょっと抱える羽目になってるのだが、体重までアリューシャと大差ないのは、どうなんだというよりなんなんだコイツ。
「……ち」
「くくっ、良い反射神経に体捌き。オマケにあの隠遁術。すごいもんだね」
いつの間に乱入したか、少なくともテメェで発生させた砂塵に乗じて乱入してきたらしい、仮面をつけていないが装備と所作でわかる、朔が舌をうつ。
仮面をどこに落としたのかと思えば、当人の足元に真っ二つになった残骸が。
それを成したらしい当人は――砂嵐でよりいっそう荒んだ改造法衣を身に纏う、隻腕の女剣士。
砂塵に曝されてなお鏡ほどに煌めく刀身は、意外なほどに長大。時代錯誤で趣向的な、飾り気のない大剣。それを惚れ惚れしたくなるほど堂に入った――しかも当たり前のように片方しかない腕で構え立つ以上、剣士なんだろう。
その隻腕剣士と朔の両者は睨み合い膠着状態。どちらかと云えば、気配を感知され不意打ちをしのがれ、仮面を割られ額を浅く突かれた朔が形勢不利か。
んで一番小柄で黒そうな大将は俺が抑えてるが、その俺も三人目から真横から拳銃で狙われてる。
アリューシャのみフリーだが、目眩ましである粉塵を唯一眼球に食らったせいか、突風を不意に食らったせいか知らんが転倒して吹っ飛ばされた挙げ句、ぴーぴー泣いて座り込み俺を呼んでへたれてる。はい役立たずっと。
飛竜は、羽ばたいた翼を畳み、再び静かに座している。
あの図体が暴れられる状況じゃないためか。その背にはも一つ人間らしい気配はあるが、まだなんかしている様子は無い。
――さて、現状をまとめてみたが、どうしたもんかね。
ちらりと、俺に照準を合わす三人目――真正のガキと外見だけガキみたいな女を度外視すれば、随分と華奢な体格をタイツに近いぴったり黒スーツで包む、中性的な男。多分男。あくまで多分。
しかしこいつも女みたいな外見によらんらしく、針のように研ぎ澄まされた殺気に、照準の付け方や間合いから、結構な……ん、んん?
なんかこいつ、俺と……ああ、成る程。そういう経路か。
得心しつつ、煙にまくのは無理そうだと嘆息。
「打ち合わせ、してないでしょ?」
「ああ……とっさに反応してこのザマだよ」
別に誤魔化す理由もなく、なんとなく月城に応答。
奇襲にしちゃ中途半端すぎた。アリューシャは無駄に喚いてるが、月城 聖の首を押さえたのはいいんだがな。グダグダだ。見透かされもするわな。
「視界が潰れたとっさの対応で交渉相手の首に刃物をつけるなんて、どういう野蛮人ですか」
野蛮人とは失敬だな女男。抜け目がないと言え。
と、口から出かけた意味もない事の代わりに、
「逃げ惑うガキを撃ち落とした野郎に言われたくないね」
「――ッ?!」
かまかけを兼ねた皮肉を口にすると、飛竜騎乗者と思しき女男は、おかしな反応を返した。
まるで、悔いるような悼んでいるような。カタギみたいな反応だが、はて。
「――ふっ、ふくちょおおおおおぉーうッ!!」
不可解に首を傾げてる間に、飛竜の背中に存在していた最後の気配が、飛竜の背中で絶叫した。
なんか、やたら聞き覚えがあるソプラノ。
つーかふくちょ……副長?
とっさに視線を傾け――言葉を無くしたのと同時に、ソレは跳んだ。
ソレのスペックを考えれば、生来のドジ属性さえなければ可能なのか知らんが、ソレは飛竜の肩あたりから、盛大に勢いよくいっそ清々しいほどあっさりと――跳んでいた。
仮にも――糞餓鬼無駄にぐずっているのをシカトすれば――緊迫した場に、やたらとひらひらふわふわした純白のドレスがより一層ふわりと舞う。あまり長くはないが女連中に羨ましがられネタにされていた髪を結う、薄い水色のリボンがなびく。
細く白い両手を伸ばし、涙ぐんだ目を隠そうともせず、頭から――俺目掛けて、跳んでくる。
それに対して俺は、色んな意味での困惑に思考を半分硬直させつつ――迫るソレから見て一歩分、月城という荷物を抱えたまま横に動いた。
「へに゛ゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」
そのまま着地クッションを見失ったソレは、若干土砂で柔らかくなったクレーター内の地盤に突っ込み・絶叫しながら転がる。
それを見下ろしながら、嘆息をひとつ。
色々言いたいことはあったが、まずは。
「喧しいぞ、ミソラ」
「鬼ですかアナタはあっ!?」
取りあえず口にした妥当な非難に、何故かツッコミをいれてくる。さっきからしつこい奴、名も知らぬ女男。
先程より殺気だった目で銃口を向けている女男に、溜め息も出ない徒労感に呆れと苛立ちを交えた視線を向ける。
「いや、戦場でとっ捕まってたっぽい部下が、何故かふりふりの女物着て跳びついてきて、できる対応なんてそう無いだろ」
「受け止めて頬摺りか抱き締めて撫で撫で以外に選択肢がある?! この鬼畜っ!」
五月蝿ェよ変質者。
照準は固定したまま、うめきを発し始めたふりふり野生児に、ああミソラちゃん大丈夫ーっ?! とかほざきながら駆け寄っていく、まごうことなき変質者。
なんだコレ。
「彼、司はね、可愛いもの好きなのよ。取り返しがつかないくらい」
俺の腕の中から注釈を入れた月城 聖の口調は、飄々としながらもどこか虚ろなものをも含んでいた。
微妙な親近感だ。
「……それでふりふりか」
「そうなのよ」
死ぬまで、いや死んでも判明せんでいい事実は易々と暴露される。
正直、あんなもんで着飾られるくらいなら舌でも咬み千切る方を選択するが。そんなもんを着せられていると今更把握したのか、司という変質者にハンカチ――やたらふぁんしーな色合いのだ――を渡されたミソラは、顔面を朱に染めつつ羞恥に頭を抱え喘いでいた。
「みっ、見ないでええっ!? なんかよくワカンナいけど見ないでーー!!」
「恥ずかしがることはない。とても似合っているよ、とても」
「……ん」
確かに野郎は、ぱっと見女にしか見えん容姿をしてるし、体格も相応に華奢。某真性幼女愛者から色目使われているくらいだ。
似合ってはいるよ。何がどうあろうと某真性幼以下略には見せられんくらいに。
……んで、何で睨み合ってたテメェらがそれをこっち来てガン見してんだよ似非シスターに変態元仮面。
まだ月城抱えて銃口向けられたままの俺が阿呆みたいじゃねぇか。なんだこのグダグダ。さっきまでの空気を返せ。まだましだ。
「そう思うんならそろそろ降ろしてくれないかしら? 不毛よ」
うなだれる俺を見て機会ととったか見かねただけか……前者であって欲しいところだ。まあ多分そこは裏切って無いだろう月城 聖が、己の解放を提案した。
「んん、そーだな……」
それに、少し迷う。
交渉、というからには対価の代わりに、それなりに有益なもんを期待できる。
例えば――大国の英知に値する知識から、魔人に関する何らかの情報。
魔人という鍵はこちらが持っているが、差し方から開け方までイマイチ不明な現状。まずは情報が欲しい。
それに対した対価は、多分あの暴走体に関する情報と、その対処。
魔人を――アリューシャを引き渡せ、とかいうなら突っぱねるだけだし、そもあっちから持ち掛けてきた交渉だ。話を聞くだけでも一見損は無い。
逆に、突っぱねて押し通す場合は……結果的に全滅の可能性が高い。
――だが……
「――お前は、この機会で殺しといた方が良いような気がするんだよな」
軽い調子で吐いた、どろりとした箇所から排出された言葉に、自分で何か違和感。
いや、場が緊迫したのとは別に何か、口にしてはいけない単語を口にして、一瞬頭ん中が痺れたような……拒絶反応?
再び、ガキ共は置いてけぼりに緊迫を始めた場で、俺までもが場違いな戸惑いに眉をしかめる。
何故だか、月城 聖の首筋に当てた刃を動かせそうにないというか、したくないというか……そういう観念を無理やり植え込まれたような。
このままでは、万一俺の頭が吹っ飛ばされた刹那でも、とっさの殺害はできないだろう意識。これは――洗脳、心理誘導に似ている。
ならば、と。
頭のナカ、――かちりかちりかちかちかち――、何回も何回も、複雑に配置されたスイッチを、決められた間隔と順番で押していくイメージ。それを延々繰り返していき……
錯覚。自分の脳内が整理されていくような。
頭の無意識、或いは意識的にそれを繰り返すうち、違和感はゆっくりと消えていく。
「……コワいなあ」
「あ?」
「その気になれば、ラディルは誰でも殺せるのね。お母さんびっくり」
けらけらと、砕けているのにどっか品のある笑い声が不快に不気味に聞こえる。
……やっぱし、なんかしてたなコイツ。
「そんなに私を殺したい? アリューシャちゃんの情報を不意にしてまで」
「……ああ、理論的じゃないな。タダの勘だ」
幼少期から、そういう理屈以前の感性やら直感やら……そういう、説明し難い箇所は、よーく磨かれてんだ。
その説明し難い色々がだ、今までにないくらい大音響で云うんだよ。
――殺せ。今、今しかない。今ここで、何もかもを捨て措いてでも。今ここでこいつを――
「でも、今回ばかりはあまりに代償が大きすぎる。自分だけではないものね」
手元を数ミリでも動かせば、喉を抉れる。
そんな殺害対象は、いっそからかうような口調で冷静に、俺の深層を口にする。
「アリューシャちゃんは分からない。いっそ生存率が高いくらい。だけどミソラちゃんは? それに、あなたが死んだら――」
「黙れ」
言われるまでもない。
まず俺が死ねば、逆転の一手を打つ前に頓挫。軍勢か規格外かにやられて、部下達は全滅。アリューシャもどうなるかわからん。
碌な結果は産まないことは確かだ。回避しなけりゃならん。わかってるさ。
それでもそれでもと……理性と本能で表返り裏返り回転を延々繰り返す思考。精神制御してなおこれか。
しかし最終的な目は……やっぱり言うまでもない。
未練がましい重力を感じる刃を振り払うように捨て、忌々しいと舌打ち。何故か目眩がする位に腹ただしい。
月城 聖をぞんざいに解放しながら、さり気なく向けられていた銃口を避ける。
司とかいう女男は、ミソラに傾けていた気色悪い微笑みを維持したまま、ゆっくりと黒い塊を下ろした。
「おいミソラ、いつまでも悶えてないで、あそこでべそかいてるガキ回収してこい」
俺が声をかけてやると、唐突に緊迫した空気に当てられたか自分の醜態に当てられたか、フリーズしていたミソラが、やかましく再動する。
「ふくちょおおーうっ! なんでおれこんなひらひら着てるのお!?」
俺が聞きたいわ。つーかきせられてる段階で気付け――とは、何故か脳裏をよぎった某性悪双子のせいで、口にできなかった。
「つーかその服に爪たてるな脱ごうとするな。なんかその生地上等そうな感じがするからな。後で売っ払う」
えー?! 私のコレクションがあっ?! とか引きつった声をあげる変質女男はスルー。
俺の手下に回した異物をどう扱おうと俺の勝手だ。うちの隊長もそう言っていた。
だいたいアレだ、ちとポケットマネーがやばいんだよ。どっかのちんちくりんとボッタクリのせいで。
「がめつっ! というかならおれの服は?!」
「着替えるまで我慢しろ。似合ってんだし、カワイインダカラ?」
最後のおぞましい台詞は完全な棒読みの冗句だったのだが。
「……ううっ、副長がそういうなら我慢する……っ」
なんだそのどうとでも取れる反応は。
おい、せめてツッコむか気色悪がってくれ。逆にこっちが困る。そして今更小走りでアリューシャを回収にいくな。タイミング的に……
「……かっ、可愛い子ちゃんたらし……!」
黙れ変態。そしてドロドロとした粘い視線を送るな。
「…………あなたは、小さければいいの?」
何故若干遠ざかりながら在らぬ疑いをかけるか。飛竜の影に潜む変態元仮面の分際で。
「まあ、人に言い難い性癖の話は置いといて」
テメェは奥歯にモノ詰め込んだような言い方しかできねぇのか、月城 聖。
「とりあえず、あの不定形の肉塊――仮称ディ・ベルゼブの対処について」
「……ベルゼブ?」
ディといすのは発音から、反逆、裏切り、猛り狂うを意味する遺失文字……ってことはわかる。特徴的っつーか大袈裟な仮称のような気もするが、もう片方は。
遺失言語にはそこそこ詳しいが、学者とかの専門家ほどのレベルというとそうでもない。
「ベルゼブとは、悪食、暴食、悉くを喰らい尽くすもの、という意味の遺失言語よ」
しかしその翻訳後は、聞きかじりがあった。
暴食。それはあれか、他に嫉妬やら憤怒やら傲慢やらの、アレか。
そしてそれの意味することは……
「どういうことだ」
「――忌むべき七つの罪。人が持ち合わせる七つの悪徳。それの原型が、魔人だもの」
大仰な話だな。魔人の起源は現在の歴史より、遥か以前を遡るはずだが。原型だ? わけがわからん。
「七人の魔人は、一人一つの大罪に対応した特性を持つ」
――それには、思い当たる節がないわけじゃない。
アリューシャは度々、異常な場面で"食"を口にしていた。あの暴走体もだ。
合成獣を消し、このクレーターを形作ったのが、悪食という特性。
それ自体は納得できん非常識じゃあない。リアリティに欠ける嘘を吐く局面でもない。
しかし、
「待て。テメェの言葉通りなら、魔人ってのはあのガキ以外にも」
「――ええ、もっと居るわ」
微笑みながら告げられた新事実。流石に、頭が痛くなってきた。
「でも、一度に出現するかと云えばそうでもないのよ。一つの時代に、滅びの因子はそう多く必要ないのだから」
どっちにしろスケールがデカいことに変わりないな。つーか、
「……滅び?」
口を開いたのは朔。心無しか、平常のリズムからは外れた声だ。
「この世界に数多存在する、世界を崩壊させる因子の一端なのよ。七人の魔人は」
冗談、と言い切るには……アリューシャの得体の知れん能力も、それを元にしたという暴走体――月城 聖の仮称ではディ・ベルゼブという存在も、明確どころか朧気にも理解してない――いや、理解しきれてない俺では、否定も肯定もできはしない。
盾になるような常識や法則も、案外ちょっとしたことで粉砕されることは理解しているが、
「未成熟なアリューシャちゃんは兎も角、あのディ・ベルゼブを放置したら。いずれ大元であるアリューシャちゃんを取って代われる力を得るかもしれない。そうなれば――」
世界の崩壊。
スケールがデカすぎてピンとこない、つーか正直国とか世界とか知ったこっちゃないが……そをいうのは洩れなく、俺らの全滅もイコールで結ばれるコト。それはいただけん。
「その対処方はなんとなく分かるが、テメェん所の化物はどうなんだ」
「戦いにはなるかもしれないけど、完全な抹消は無理ね」
根拠はなんだ。
うちの隊長だって、その気になりゃ山くらいぶっ飛ばせる。それよか強いと評判の、帝国最強の規格外が。たかが山程に膨らむグロテスクを抹消できない道理は?
なんとなく、というレベルでならわからんでもない。だが、そこには理論やら情報やらがすっぽ抜けている。
テメェは、それを補うような情報を持っているんじゃないのか?
「アレの捕食範囲に捕まったら食べられるわ。"暴食"の捕食は、神器や異能の本質より上位の概念だもの。無理よ」
…………このアマ、さらっととんでもない事を……
異能と云えば、うちの隊長が隊長たらしめているあの姿それ自体が異能という異質の力だし、それより強力と評判の衛宮もまた異能の使い手。
双方とも、それだけで銃弾の嵐を薙ぎ払い軍勢を踏みにじり国を滅ぼせるだけ戦力を持っている。
んで、その異能に唯一対抗できてるのが神器という、アイテム。
どういうわけかその異能に対して絶対的な優位性を持っているとかいう、神からもたらされたとかいう宗教的な説が一般的な、出どころ不明の武具。
その双方より、上位……言い方は気になるが、それは単純に勝ち目が無い、という意味でとりあえずは通ると思う。
「まあ、あなたも魔人の因子を植えられてて、オマケに変な風に根付いてるみたいだし。その意味もいずれ理解できるわ」
…………本当に、どこまで筒抜けなんだよ……
いや、情報漏洩は大分致命的な問題だが、弱みになるそれらを何故こうもポンポンポンポン簡単に口にする。
交渉に観察と言っていたが、交渉カードにしては切りすぎだし無闇に強力すぎる。牽制かそれとも……飄々としちゃいるが、いくらなんでも俺の反応を楽しんでるってわけでも……
「――らでぃるうううううーっ!」
――ずさっ ひょい ーどしぃしゃあああああっ!!
効果音にするなら、そんな感じの流れだった。
復活したらしいアリューシャが俺に飛びかかり、無意識で身をかわし、標的を失ったちびガキが、さっきのフライング・ミソラみたく地面にダイブした流れ。
土砂が、小さく舞った。
「ーっ、この鬼畜生!!」
「……っく、ひぐ……うっく……」
司とやらが何故か怒号をあげ。盛大な自爆ダイブを仕掛けたバカがぐずり始める。
……なんだ、何故俺が悪いみたいな空気になってる。
ところでなんで、アリューシャがさっきまで転がってたと思わしき所で、向かわせたミソラが膝を折って悶絶してるんだ。
他の面子からの白い目にもめげず、不可解な現象に首を傾げていると。
月城 聖が、丁度自分の側に転がりぐずりはじめたガキの方に手を伸ばし――
「――触んな」
その、冗談みたいに細く白く人形的な腕を掴み、阻んだ。
唐突に距離を詰めた俺に驚いたか、意外な程にあどけなく見える所作で、月城 聖が俺を見上げる。
夜の海を思わせる目に、今は最初のような畏れは感じない。純粋に綺麗な目だな、と頭の隅で思った。
「助け起こそうとしただけなのだけど」
「なんとなくだ」
さっき、俺が刃を首筋に当てていた時に感じた奇妙な感覚。
心の中の模様が、預かり知らぬ所で模様替えされていたような。そんな違和感。
――月城 聖は、死者に干渉できる双子とかとは系列の違う、生者に干渉できるタイプの――云うならば、精神系とでもいうべき類の、能力者ではないのか?
直感から派生した只の仮説だが……否定する材料が少ない。
そして、生者の精神に干渉できるなら――
「うふふー……正解」
思考くらい読まれていても、不思議じゃあない。
すすり泣きながら俺の脚にしがみついてきてるチビガキでもできることだ。
それに、その能力なら――
「ラディルが考えている程便利な能力じゃないのよ。お母さんのは」
「どうだかな」
首筋と頭に向けられた剣先と銃口を気にしないようにつとめながら、嘲り肩をすくめる。
「あらあら、血を分けた我が子に信じられなくて、お母さん悲しいわあ」
と、おそらくは単純馬鹿くらいしか騙せないだろうわざとらしい泣き真似を始める月城 聖……んん?
「……おっ、お母さん?」
引きつった声をあげたのは、俺ではなく司とかいう変態であった。
お母さん……ああ、確かに言ったな。この女狐。
お母さん、母、母親、産みの親……そういえば、会ったこともない片方を確かめる術はないな。戸籍データなんぞも残っちゃないし――
現実逃避に取り留めのない事を考えていたら、
「あら、会ったことはあるわよ。ほら、まだラディルがアウレカと呼ばれる前。丁度司を引き取った頃だったかしら」
…………ああ、やっぱしこの変態、同じ施設の出だったか。
面識はないが道理で、俺と似た構え方だと思った。
我ながら分かり易い現実逃避を継続させ、納得し易い所を納得しておく。
ほら、アリューシャちゃんにははじめましてしたけど、ラディルにはしてないでしょうと要らん伏線を回収している奴はスルーだ。
ついでに、記憶という引き出しから、無意識が無断で提出してきた該当事項――眼前の、外見だけなら十代で通用する姿と寸分も変わってないような妖怪っぽい女から、頭を撫でられ何かを囁かれる幼少期の……
「あの頃、初めて見たラディルは我が子ながらとても可愛いかったわあ。首輪なんか付けられて」
「ド頭かち割るぞ妖怪ババア」
つーか嘘だな、嘘だろ。認めんぞ。否定も肯定もできる材料がなくとも、うん十年前から外見変わってない妖怪の首ねじきってでも否定、てか拒絶するぞ?
「あの、嘘ですよね月城様。こんなのが燐音さまの異父兄妹だなんて」
「ええ、普通に嘘よお?」
ほらよかったやっぱし嘘じゃねぇか。朗らかな笑顔で舌出した本人がさらりとそう言うんだから間違いねぇよ、うん。よかったヨカッタ。さりげにこんなの呼ばわりされたことも気にならんくらいの安堵が、とりあえず胸を満たした。
さて月城 聖。首か心臓か頭か、どこがいい? 掴んだままの細腕をへし折るってのもありだとは思うんだが。どちらかと云えば一瞬のが良いだろ?
「おこっちゃやーよおぅ、らでぃるうう……」
「……まあ、捻キられたいなら止めはしないが」
幼児のような背丈と妖怪的に度を越した童顔で、まんま幼児じみたぶりっこを見せる月城 聖に淡々と告げた。
――筋力やスタミナはジャンルじゃないが、瞬発的な握力には自信がある。
具体的な事例をあげるなら、以前に軍用小銃の銃身を捻曲げた要領を、今ここで再現しようとした矢先。
俺の所在や気配から気取ったらしい剣士の剣先が首の薄皮をミリ単位で裂いた。
込み上げ吹き出ていた獰猛な獣性が、死の予兆を敏感に嗅ぎとった理性に縄括られる。渋々と両手を天に向け、降参のポーズ。
――ち。
まあ盛大かつ自己主張激しい舌打ちくらいは許容して欲しいもんである。
「……いのちびろい、しやがってー?」
余計なことを抜かすんじゃねぇ糞餓鬼。
例え思ってはいても口にしてはいかん場面が、長い人生には夥しいほどにあるんだよ。長生きの秘訣だぞ、コレは。
コートの端にしがみつき、小首を傾げながら上目で俺を見上げる相変わらずなちんちくりん。
んな様子から、世界がどうこうとか七つの悪徳とかを連想することは、至難を通り越して不可能だった。
「さて、諸々はさておきそろそろ」
そのちんちくりんなんぞより余程"ソレ"に近い印象を植え付ける存在感をかもし、本元であるヘタレ魔人をビビらせながら、
「――お話を進めましょうか?」
月城 聖は、静かな微笑みを浮かべた。