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魔人の片鱗




 感情をしき詰め過ぎて引きつったような笑み。

 昔の面影が僅かに残る顔で、全く別人のような――根底が別物のような表情。に、見えた。

 少なくとも目の焦点は合ってないし、どことなく光を反射してないように見える、率直に言って濁った目だ。正気だか生気だかを失って濁った目だ。

 別に、初めて見る類の目ではないが――何故かぞわりとした感覚、神経を直接這われるようなおぞましい悪寒、三半規管が揺れたような目眩に似た錯覚。

 総じて――とっさに飛び退いたのは、理論的でも戦術的でもなく、単なる直感でしかない。

 飛び退き、別人のように悲惨なうめきをこぼす双子姉の傍らに立ち、仰向けのまま動かぬ対象を観察するも、異変は異変のまま、異変からの変容は起こらない。

 しかし何故か、直感は杞憂だ、と。思う事はできなかった。


「アうレカにイさん」


 昼間だというのに、いつの間にか虫の声に鳥の声、そのどちらも瞬く不自然に消えていた。だから余計に、陰気で抑揚の無い死人みたいな声が響く。

 アウレカ。喪われた文明の言葉で、初番、一、初めを意味する。

 そして俺のかつての固有記号でもある。


「ひっ……ぃ……!?」


 双子姉が、悲鳴をあげるガキみたいに引きつった声をあげた。精神、魂、心。

 そういった見えざるものに長けた能力者は、濁りきった目のこいつに、何を見たのか。


「なぜ、俺を、ボクを、ぼクを、こロ、し、みんな、すて、スて、」


 不自然極まる空間で、究極的な不自然が――つい先日斬り殺した筈の義弟が、ワケのわからん言葉の羅列が、場を牛耳る。


「……なんだ、何が言いたい」


 ワケのわからん焦燥(しょうそう)と不可解な寒気に晒され、意図せぬ言葉を吐く。応答する者はいない。

 (いや)


「――さがって」


 なんとはなしに打開しそうな奴が、唐突に視界に割り込んだ。

 ズタ袋みたいな外套(マント)が風圧に乗り捲れ、東方の着物と装束が混ざったみたいな黒服のベルト部分がちらり。

 変わらぬ変態的な狐仮面を付けているだろう小柄な体格は、何故か地面に両手を押し当てるような体勢で、より一層小さく縮こまっている。

 が、んな間抜けな体勢の癖に、異様な雰囲気を醸す――


「――掌握、土遁」


 変態仮面の朔が、どこか厳かに呟くと――朔とイルドを挟んだ地面から、膨大なナニカが噴出した。

 驚く間もなく、冗談みたいな勢いで岩色の、流動的なナニカが――仰向けに転がるイルドに、巣をつつかれた殺人蜂(キラー・ビィ)みたく殺到。

馬車同士が正面衝突するみたいな音――の何倍か酷い音が鈍く響く。

 ――錬金術か? いや、だがこんな――


「……まだ」

「は?」


 何事か呟いた朔が、反対側で硬直している誠一の間抜けたうめきを無視し、えらく機敏にもごもご(うごめ)き、再び地面に両掌を突いた。


「五行相剋、木剋土――木遁」


 土砂の塊みたいなのが、木造のオブジェに成り代わり、


「五行相剋、火剋木……火遁、蛇息(だき)


 それを、息を吹くような動作で発生した黒い炎で、トドメとばかりに火だるまにした。

 凄まじい熱波が、朔より後方にいた俺にまで届く。尋常ならざる熱量は、常軌を逸した黒い炎は、ここが森ならば存在それだけで火災の原因になりそうな程。

 へたり込み、熱量に関するリアクション皆無な双子姉を渾身で抱え、下がる。

 錬金術……じゃねぇな。専門じゃないから解らんが、多分、違う。

 不自然を圧し潰し、燃え盛る物体を後ろ目に見届けながら、謎の能力についてあれこれ考えていると――ぴたり、とえらく不自然に、中腰の朔が静止した。

 例えるなら、達人がすべき手順、動作、一連の流れを強引に止めたような……


「おい」

「にげる」


 返答は速やかかつ、簡潔だった。

 いつの間にかガタガタ震えていた双子妹を小脇に抱えた朔は、地面を滑るように遠ざかっていく……ってうおい!


「――アリューシャドコだ!? 誠一っ! なんかヤバそうだ、とりあえず部隊まとめて逃げろ!!」


 先までぼっと突っ立ってた誠一はすぐさま承諾し、俺らとは反対方向に逃げていく。それでいい。

 しかし、問題はアリューシャだ。どこに行きやがった。

 チリチリと(あぶ)られるような――物理的にも精神的にも――焦燥に晒されつつ辺りを見回すと……居た。

 数日前の鬼ごっこが何かの間違いみたく、何の探しごたえもなくあっさりと発見した。

 双子姉が寄りかかってた巨大な岩山の隅、草場の端に存在するかもしれん不可思議物体に怯えるみたく、頭抱えて縮こまっとる。


「……おいこらアリューシャァ!」


 駆け寄ろうとして――踵は返さず、振り向く。

 心臓が息絶える前兆のような動悸に息を詰まらせ、不快で不潔で不愉快極まる感覚の命じるまま、視た。

 怨念のようにおぞましく、一定間隔で纏わりついてる、常識の外に位置するらしい黒炎の中、炙られ質量を灰だか炭だかに変えているはずの、蜷局(とぐろ)巻くオブジェが――これまた非常識に脈動していた。


「――んっ、だそりゃアあ?!」


 危険危険危険、体中の皮膚が粟立つような寒気に、裏返った声で絶叫。

 未だ続く尋常ならざる動悸と、異様な予感に半ば混乱しつつも、行動は速やかに淀みなく。

 犬猫を抱える容量でうずくまる糞ガキを回収。

 ――がたがたがたがた、と。アリューシャが、極寒の泉で水浴びしたみたく震えていることに気付くも、余裕が無い現状気にする隙間は無く、踵に更なる力を入れる――刹那。

 黒炎がはぜると、オブジェが蠢き、黒系統のナニカが、鞭のようにしなをきかせ、触手のように伸びてくる。

 明らかに、俺が跳び下がるスピード以上。目測にして数十メートルは離れていた距離が、まばたきする間もなくほぼゼロになり――衝突の手前で、停止。

 静止して、痙攣するみたく微動を続けるソレは、率直に言ってグロテスクだった。

 大型の魔物の内蔵を何本も何本も引っ張り出したらこんな感じに吐き気を催すだろうか――いや、違うな。見た目じゃない。視覚でなければ嗅覚でもなく、要は五感のどれでもない。

 第六感が、人間の本能ともいうべきトコが、未だかつてない大音響で絶叫している。

 コレは、おぞましい。いっそ親近感すら覚える程に、まがまがしい。

 近寄るだけで、見るだけで、存在してるだけで吐き気や目眩を伴うほどの、あらゆる負の感情を抱かせる。

 しかし同時に、人間ではどうしようもない、という観念も浮かんでくる。グロテスクなソレは、何故止まったのか。

 多分だが、肘先までカバーされてるグローブ越しにガタガタ震えながらもピンと支えるように横から伸ばされた小さい腕が原因だろう。


「…………ら、でぃる、を……たべぇる……なあっ……!」


 先程、誠一との間に割って入った時とは比べようもない程、無理してるのが露呈した幼い声。


「……い・ヤ・だ」


 それを一蹴したのは、イルドであった。

 いや、顔の造形は同じだが――グロテスクな内蔵だか触手だかの一つに先端から生えた、同じく臓器色をした毛髪の無いグロ過ぎる生首を仮にそう名称するなら、だが。


「あうれかニイサンは、おれガ食べる」


 意味の解らんグロテスクが、意味の解らんが何となく不愉快過ぎる事を、喉の奥に(うみ)でも溜まってるような濁声でほざいた。ので、


「フザケロ」


 アリューシャを片手抱えに変え、空いた右手で軍用ナイフを取り出し、グロテスクの眉間に根元まで刺さした。

 しかし相手が相手だからか。浴びなれた鮮血も、頭蓋を貫いた手慣れた感触も無く。

 手応えとしては、何重にも重ねたゴム塊でも突き刺したようなのが残っただけ。


「――また、ころす?」


 ――んであろうことか、今刺した頭とは別に、全く同じ造形の頭が、隣のグロ触手から新たに生えた。


「コロそう、」

「とした」


 また一つ、二つ。

 果樹から実が成るように、枝分かれした触手から人間に近い形の頭が生え、死の直前みたく濁った音声で、何かを囁いてくる。

 精神的に来るもんがある。

 アリューシャなんかは見事にヘタレており、俺に顔を押し付けてガタガタ震えている。それが賢明だ。夢にでるぞコレ。


「ぼくを」

「――っ!」


 唐突に嫌な気配が一際濃くなり、刺突に突き出していた腕を、とっさに引っ込める。

 突き刺さったナイフの柄が、盛り上がった膿みたいな肉塊に呑まれていく。沼に沈むような錯覚だが、逆だ。

 ついでに底無し沼より余程恐ろしく、おぞましい。

 声がした。人間が死ぬ間際の断末を幾重にも重ねたような、人間が出せない音が、気配もなく背後から。

 舌打ち。いつの間にか、触手に包囲されていた。ご丁寧に四方に真上まで、一面腐りかけた内臓色だ。

 四面楚歌。冥土から響く唸りみたいな呻き声は、その四方八方から聞こえる。それでも一気に絞め殺すなり喰い殺すなりがないのは、精神的にいたぶってるからか。それとも俺の胸に縋りついてるお子様がなんかしてるからか。

 打開の材料がないかよく探ると、四方八方を囲う肉肉しい壁には、人間の顔に硫酸でもぶっかけたように中途半端な人面が無数に刻まれているのに気づく。ついでに一つ一つ、割と苦悶しているようにも見えた。それらが発する呻きだろうか。

……いやまて、四方八方隙間無く囲まれてる、ってことは、日光(あかり)も遮断されてる筈。完全な暗闇で何故見える。

……いや、よく見れば光源が在る。

 無数の苦悶面が、消えかけた蝋燭並みの微光を放っていたのだ。

 ――大した精神攻撃だな。

 こっからこういう感じですはい明かり消しますねーと来られたら、流石にちょっと俺でも朝食吐き出しそうになるかも知れん。


「……ちっと見ん内に、随分と面白い顔芸を覚えたもんじゃねーか」


 冗談めかして吐いた皮肉に、返答は無い。

 いや、有ったのかもしれんが、不特定多数の苦悶声の反響でかき消され、判別ができん。

……さて、さっきからグロテスクがじわじわにじり寄ってきてる気がする。

 こういう、小手先やら口先やら小細工やらが通用しなさそうなのは、ジャンルじゃないんだが……どうしたもんかね?

 なあ、アリューシャよ。


「…………に……にげよらでぃるっ」


……まさか応答があるとは思わなかったぞ、アリューシャ。

 しかしもうちょい大声で言え。今は周りがやたらと五月蝿いだろう。聞き取り難いったらない。


「……かけらはっ……ありゅーしゃにてをだせなぃ……」


 ああ、やっぱり魔人とかそういう管轄の意味不明超常現象なのか、コレ。

 となると、"因子"なんたらが関係してるのかね。死人がこんなんなったのは……いや、今はよそうか。

 俺は成功だか例外だか言われてたが、下手すりゃ俺も"こう"なってたかもなんぞと、楽しい類の憶測じゃない。

 それでなんだ、アリューシャ。お前を持って歩けば逃げられるのか?


「……らでぃるの…………かんがえてるがとーり……あいつはありゅーしゃにさわれれば、たべれる……」


……やや声量を上げたのは良いが、一々翻訳が必要なのがな。

 つまりだ、この視覚的猥褻を通り越した視覚的暴力の肉塊、実はお前にビビって尻ごんでいると。そういうことだな?

 いい加減に腕がアレだから地面に降ろしていたアリューシャは、俺の腹に押し付けた顔面を上下させた。どう考えてもこいつのがビビってるのは気にしないようにしとこうか。

 肉壁が手をちょっと上げれば接触する距離まで近付いてることだし。

 おどろおどろしいにも限度がある声? もその分近くなり、不快指数は未体験ゾーンに突貫しそうな勢いだ。


「歩くぞ」

「…………ん」


 そんな距離感で一歩進めば普通に埋まりそうな気もするが、普通とは常識であり、常識とは大勢の暗黙が重なってかたどられたモノ。

 だがこの場に現存する常識は、残念なことに限りなく少ない。

 物理的に得体の知れないグロテスクが大半であり、その大元が死人だったり魔人(多分)だったりなのだから、こちらも常識は棄てるべきなのだ。多分。

 故に、一歩進む。

 すると阻んでいたグロテスクは、目に見える速さで触れるのを拒むように、道を空けた。

……イケるっぽいな。

 味をしめ、多分引きつってるだろう笑みを浮かべ、前進を続ける。


 が――三歩目で地面が無かった。


「――はっ?」


 驚くほどに間抜けた声が、テメェで出したものだと自覚するような時間もなく。密着していた感触が消えたのを不思議に思う間もなく。

 妙に色濃く謎物体からのうめきひしめき耳に反響する中。踏みしめる筈だった感触は空を切り、そのままそのまま――底抜けにも見える暗黒の空洞に、バランスを失った体ごと崩れていき――




『――うっ、く…………ぐぅ……っッ』



『おめでとう、俺の最高傑作(デキソコナイ)。――人の近親殺し。今日からお前は"アウレカ"だ』



『選択肢を君にあげよう。ここでお父さんと共に安楽に死ぬか。それとも、ゆっくりと苦しみぬいて死ぬか』



『ラディル……アッシュ。ラディル、アッシュ。ラディルアッシュラディルアッシュラディりゅ……いひゃいーっ』



『くくくっ、ーははははははははははははははははははははっ……今日から貴様は、私の従僕だ』



『へあ? ……ふぉりあの、ユメ、かあ? …………あっ! らでぃる! らでぃるのおよめさんがイイっ!! ――っニギャアアアアアア!?』



『うん。さて、副長。罰ゲームは寒中裸マラソンと、男装女装フェスティバル。どちらがいいかね?』



『…………らでぃる……お○っこー……』




「――アアアアアアァア゛ァ゛ア゛ァ゛ア゛ァ゛ア゛ア゛アア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーッッ!!」


 とっさに流された、隊長に味遭わされて二カ月ぶり、故に多少のなじみがあった走馬灯が、全ての怨声をかき消し塗り潰す咆哮により、打ち消される。

 咆哮。それは獣じみた、人間のものとは思えないが実は人間が出せる類の、耳を覆っても木霊する呪詛が如き咆哮。

 暗黒から内蔵色、角度的に見える筈の無いアリューシャの――見た事の無いくらい極限に見開いた金色の瞳。そして物理的に遮られ、見える筈がない蒼天色。

 視界が目まぐるしく一変していく中、状況も掴めずバランスだけが崩れていく。どういうわけか、異常極まりないな生命の危機ではなく、某トンデモ隊長からもたらされる類の危機を感じた。同時に、なんか奇妙な喪失感も。

 より具体的に云えば、受け身をとる暇もなく、精々が反射的に目を瞑り頭を両腕でカバーして歯を食いしばる程度の対処(きやすめ)しかできない、傾斜を全力で転げ落ちるような――あと少しで意識がトびそうな、体中の鈍痛と衝撃と、揺れる頭。

 ついでに騒音と衝撃が過ぎたせいか、不可思議な程に無音。聴覚を切った覚えは無い。違和感。

 それが断続的に続き、やがて緩やかになり……鈍痛はそのまま、衝撃と回転が止まった。

 多分、腕のカバーと特殊素材のコートやらがなけりゃ、永久に気絶していたところであろう距離を転がり落ちた。

 それでもそれだけにダメージは酷い。

 立ち上がるどころか、身を起こすにすら困難。鉄の味がする口内、不思議と何の音も聞き取れずぼんやりして、いっそ眠気すらする頭。

……しかし、非現実から唐突に現実的転落とは、一体?

 中途半端な仰向けで、忌々しい程に青臭い空から目をそらし、辺りを――丸々ドラゴンが寝転がれそうな、地形の"えぐれ"、言うなれば巨大なクレーター。俺はどうやら、その中心あたりに居るらし…………


「………………」


 ――なんじゃこりゃー。


 とりあえず、うまい事喋れん代わりに、脳内で気怠く驚いた。

 あの、グロテスクが出現したせいか?

 景色は、グロテスクを除いても完全に、別の場所と言い張っても通用するだろう程度に一変していた。

……って、あのグロテスクは?

 アリューシャの奴も……いや多分、専門家(アリューシャ)がなんかしたんだろうが、どこだ?

 ――いや、なんか聴覚が一時的に麻痺していたらしい。それにしちゃ以前の症状と不可解な違和感があるが、暫定そう解釈するしかない。

 無音から程なくして、俺が落下したとおぼしき地点――大体、ちょっとした建築物並みの高さの、クレーターの上部分から、ガキ特有のきんきんした高すぎる泣き声が耳についてきた。

 どうやら、無事だったらしい。それだけ鳴き喚いてりゃ、本体は無事だろう。少なくとも、声も出せんくらいぐったりしてる俺よりは。


 その後。珍種の魔物みたいな歩みでクレーターの縁から視界に映ったアリューシャ。

 らでぃるどこーらでぃるらでぃるぅぅぅーー、とかいう鳴き声から、ぐったりした(エモノ)を目にしたとたんらでぃるううううう゛う゛う゛ーという威嚇音にシフトし、機敏なのかどんくさいのか曖昧な境界線で爆進。

 割と生死の境をさ迷っていたかもしれん俺に飛びつき、トドメを刺した。暗転。


 しばし意識を失っていたらしい俺は、粘着質な音と奇妙な頭の感触、それから覚えがある感触――舌を甘噛みされる違和感で気絶やらまどろみやらという概念が吹っ飛び、覚醒した。

 目を見開く。

 間近にあるというより零距離、仰向けにされているらしく、八・二で蒼穹より視界を埋める、見慣れてきた白過ぎる肌やら薄い桃色髪やらの、とあるガキのパーツ。

 俺の覚醒に気付いたか、中途半端に力を入れた握り拳から殺気を感じたか。不意に口の中を蠢く粘着質な、どっかアレな感覚が離れる。

 蒼とガキの視界占拠率が五分五分になる。視界の感じからして、アレか、膝枕か。そんな感じに、チビジャリであるクソガキを真下からほぼ垂直に見上げるという、強烈な違和感。

 だがそれ以前に、金色に宿るなんか艶――もとい陶酔したような妖しい、幼稚な外見ながら見たことが無いくらいに将来有望なみてくれとは噛み合わない光やら、つんばった唇から延びる粘着質な唾液の糸やらに、厭でも意識が集中した。

 うっかり、頭文字か行一と頭文字か行二を思い浮かぶほど。が、浮上する前に念入りに切り刻み燃やし、脳内で棄てる。

 ――さて。

 とりあえずアイデンティティを確保すべく、未だ他者の熱と唾液が混じった口を動かし、


「――とりあえず、顔面陥没と頭蓋骨圧迫。どっちがいい」

「…………ぃにぁいーっ」


 桜色に火照ったマセガキの両頬を引っ張りつつ、問いかけた。




「…………らでぃるは、ちょっと……かじられてたの」


 それが、口ん中の流血が収まるまで延々、人様の舌を舌で絡めていた言い訳か。意味がわからんにも程がある。つーかかじっていたのはお前だぞ。

 謎なクレーターからなんとか這い出て、ざっと見覚えがある道のりの原型――クレーターという異物を除けば――俺たちが会議していた岩場と同じ。そこを辿り、散った他と合流すべく、くたびれ傷ついた体を引きずっている最中。


「……ちがうっ……らでぃるは、こえを……食べられてた」


 俺とは対照的にピンピンしてる糞餓鬼(アリューシャ)は、相変わらずわけのわからん事を必死こいて説明、らしきことをしようとしていた。

 いや、確かに声は出せんかったが……声帯が食われてた? いや、なんか違うな。


「アイツが……かじりとった、たべようとしてたのはらでぃる……けど、ありゅーしゃがあいだにはいったから、かじってた"こえ"だけ。それも……」

「お前が奪い返した、と?」


 推測を補足してやると、ガキは半分ほど眠た気に開いた瞼のまま、頬を弛めた。


「…………らでぃるは"オカシイ"から、なんとかなった」


……何か、声が食われたとか奪い返したとかいうのにオカシイ呼ばわりされた気がするのは、気のせいだろうか。気のせいだろう。そおしとこう。


「しかし、んなさっさとどうにかできるなら、何故さっさとやらなかった?」


 その経緯からして、あのグロテスクはお前が消したんだろう。ビビってたのか知らんが、んなあっさりなんとかできるんなら――


「……アイツは、まだいきてるの」


…………詰めの甘い奴って、嫌いだ。

 変わらぬ表情で吐かれたグロ残存報告に、率直な感想を零す。あうあうと喚き泣きはじめるガキ。

 無視して頭を掻く……さて、どうしたもんかね。


 糞餓鬼(アリューシャ)の話を統合していくと――益々正気を疑わざるおえん異常性が増大する。こいつに嘘を吐く知恵があるとは思えんし、魔人とかいう特性なんだから、誰も知らんオカルト知識だって自動的に増えていくくらい……ああやっぱ苦しいなあおい。

 体に溜まった痛みとは微妙に異質な、頭痛と腹痛と胃痛を堪えつつ、分かり難い説明に耳を傾け解読していく。


 曰わく、アレは暴走したアリューシャのチカラの一端。

 死人を苗床にしたらしく、なんかよくわからんが何でもかんでも無造作に"食う"らしい。

 人間だろうが金属だろうが大地だろうが魔物だろうが、生物無生物、物質非物質問わず、一切の遠慮容赦関係なく、無差別に貪る。

 とりあえずその捕食作用の、所謂食らう為の"口"はどこなのかと言えば、アレは肉体全部が"口"になるらしい。さらには接触した時点で胃袋直行。異常にも程がある。

 それは実質、あの物体にうおりゃあーと隊長あたりが斬りかかっても、弾幕で蜂の巣にしようとしても燃やそうとしても、地形や罠を利用して生き埋めにしようとしても、攻撃や仕掛け自体を片っ端から吸収されりゃ、何の意味もない。

 俺らが居たクレーターは、その暴走体――とりあえず仮にそう名付けた――の、食事痕だと。つまりは、地形を変えるくらいの質量を余裕で大食いできる、という根拠になる。

 んで、食ったモノの質と量に比例するらしく、ドコまでも肥大化し、その力と質量とエグさを増していくらしい。

 その大半は暴走体の大元であるアリューシャに喰らわれ、相当に縮小弱体化したらしいが……寸での所で逃げられた、と。

 ついでにあの時――俺が足場を失って転落した時、直前まで密着していたアリューシャが離れたのは、俺の背後へ特攻してきた触手(うねうね)をなぎはらっていたからだ、とか。それはまあどうでもいい。

 要点は、その暴走体はどこに消えたのかという事。

 あっちの方。と異常物体の専門家になりつつあるアリューシャが指差した先は、


「…………帝国軍の方か」


 岩山からは見下ろす立地、深緑広がるの密林地帯。一万と一人の敵勢が陣取り行進してるだろう方角。

 アリューシャの感覚を信じるなら、迫る暴走体(アンノウン)、壊滅し踏みつぶされ貪られる敵の軍勢が容易に想像ができた。


「……見捨てるか?」


 短期的に見れば妥当な判断を口にし、首を振るう。

 万の軍勢を貪り、下手をすれば衛宮まで食っちまうかもしれん物体。

 ならばドコまで往くのか……?

 例えば伝承に伝わる魔人は、今より遥かに進んだ技術を持つ先史文明を滅ぼしたともされる。

 どれだけの許容量が有るのか。それに反して、なんか肥大していくにつれて理性も言語も失せていったようなイメージがあるが。

 理性を失った理不尽なチカラ……異能力者の暴走を思わせるが、その異能力者である衛宮を食らうかもしれない暴走体は……そしてその、最終的に想定できる矛先は?

 そしてそれを、現状で仕留めきれなかったチビガキが打倒できるか?

 答えは、解らん。

 不確定情報が多すぎる。未確認要素が多すぎる。

 魔人のチカラの底、その本質から目的まで……一切が不明瞭(アンノウン)

 どう動くかすら分からん、肥大化し続ける上、幼児を頼るしか打倒手段が無い、危険極まりない敵。

 何よりも俺の直感が、絶叫の声高さで囁く。早急に始末すべきだ、と。


「……放置するにゃ、あまりにリスクが高すぎるか」


 しかしだからと、どうしたもんかね?

 何となく見上げた空は、やはり忌々しいほどに晴天。

 軍勢が行進し異形が犇めく昼下がりであろうと、お天道様は遥か高みでさんさんと猊下を照らす。

 しかし日も差さない暗がりは、確かに有る。

 やれやれと口にしかけて――息を止める。

 遥か高空。青いのもいい加減にしてほしい空に、蝙蝠(こうもり)みたいな影が泳ぐ。

 しかし当然だが、蝙蝠の活動時間ではないし、そもそものがたいが違い過ぎる。

 どれだけの距離があるかは目測でしかないが結構な高空であるとは断言できる。が、輪郭はおろか翠色の色彩までしっかりと判別できるとは何事か。

 しかもその、遠目から見てもはっきりと、種族の脳内図鑑に引っかかる威容のソレは、何故かクレーターの方に、思いの外ゆったりと降下していった。


…………なぜ、飛竜(ワイヴァーン)が?






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