彼方がたてば此方がたたず
「――助かりました。護衛対象が突然尿意を訴えたため、危うく」
いやいや本当マジヤバかったぜ。流石に、冗談抜きで小便臭ぇガキ連れて歩くのは御免だ。
俺の腰よりやや上程度の華奢なガキに、割と切実な礼を言う。
「いえ、お役にたてたのならよかったです」
礼を云われた少女は、どこぞの腹黒双子やらデカくなったりするガキやら、今し方じゃばしゃばと水弾いて遊んでる漏らし未遂幼児やらとは根本的にタイプが違う、しとやかにはにかむ表情で目を細め、そばかすが目立つあどけない頬を染めた。
捏造した子供好きキャラで、俺は頬を緩める。
しかし何故かそれに件のガキは、赤みが強い紫のさらさらを揺らし、片眉をひそめた怪訝な表情。
そのまま無言で、孤児院のお姉さん的存在は、じーーー、と。街中で居ない筈の魔物を見掛けた隊長のような目で、俺をガン見する。
何だ。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
……頼むから、そこのボロバケツの水で遊ぶ沈黙デフォ幼児張りの三点リーダー連続の空間は勘弁してくれ。ここ数日でもお食痛気味なんだよ。
「……あの、何か?」
沈黙に耐えきれなくなった風を装う……いや内心でもだが。
まあとりあえず、眉をひそめつつ怪訝を口にすると、
「――わわ?!」
と、十秒近くの沈黙を打ち破り、タダでさえ丸い目をさらに丸くして一・半歩後ずさり。
なんだそのリアクションは。そんなキャラじゃないだろお前。
「……いえあの、えーっ……と、でもその……あのっ!」
自分で出した回答に狼狽えるような仕草、しかしそれでも、もじもじと薄汚れた小さい指先合わせつつ、
「……ラディお兄さん、ですか?」
そう、意を決したように、俺的に致命的なコトを尋ねてきやがった。
「……は?」
「ラディお兄さんですよね……?」
うわ断言に切り替えやがった。
詰問手前の口調の上、俺を見上げる瞳も微妙にだが、確信の色がありやがる。
引きつりかけた口元を抑えるのに、少々の労力を必要とした。
「誰のことです?」
ちなみに、わざわざ語るまでもないが、ラディお兄さんとかいう愛称であって略称ではない呼び名は、ラディというダレソレのコトでなく、まあ普通に俺の事なワケだが。
心胆寒からしめつつ、ワタシ何もしりません無関係でーす的な感じを意識しながら、平素を繕ってすっとぼける。
――一応の利はあれど、割とその場な疾走の先、糞餓鬼の表情と振動に焦燥し、街角でぶつかるという古典的な再会の仕方をした、とある暴力沙汰で多少知り合ってしまった仲の――今の俺の冗談じみた格好を鑑みれば、それを悟られるワケにはいかない――人の髪を引っ張り服を汚し飯をたかるプチ隊長のクソ餓鬼ドモがひしめき蠢く孤児院の、お姉さん的少女。リリアは、赤紫の素朴な瞳をまばたきさせつつ、小首を傾げた。
「え? でも、ラディお兄さんですよね?」
「……どなたと私を勘違いしているか解りませんが、私は――」
知り合いにこんな姿と俺をイコールで繋げさせてタマルカ……!
という、さっきとは異なるような大差無いような悪化してるような一念から弁明をしようと口を開き、
「……らでゅ、ああったょ……」
――スローテンポの割によく耳に入る、若干に成長の兆しが見える舌っ足らずな声と、視線を向けるまてもない薄桃のちっこい塊が、俺の横腹に不意打ちで衝突してきた。
衝撃は大した事がなく、踏ん張る程度で転倒をこらえられた。精神のほうは盛大にズッコケたが。
…………らでゅ、ねー。
以前と比べりゃ、随分と俺の名前の原型に近付いたじゃねぇか。
んで、手を洗ったから誉めろとそういうことかそういうことなのかこの糞餓鬼。
「……やっぱり、ラディお兄さんじゃないですか……!」
……ああ全く、なんて可愛いらしい成長だろうね?
頬摺りに入った馬鹿餓鬼の不本意極まりない感触を感じつつ、潤みと確信を帯びた眼差しを向けてくるリリアを見返し、蓄積した鬱を吐くように、嘆息した。
「……何で分かった」
確信に満ちた眼差しの前に、もはやごまかしは不可能と判断。逃走したら……泣くよな、隠れ泣き虫。
そう思ったら自然、観念の言葉を吐いていた。
「わかりますよ」
それに対するリリアは、生真面目な性格らしい面で一度頷き、
「以前、隊長さんが『見てみるがイイ、コレが副長の女装姿だ』と、一枚くれた写真の姿とよく似て――」
台無し以前に聞き捨てならないセリフを告げてきた。
「燃やしてしまえンな汚物」
――あ、ンンんのォ糞ヤロォオ!! 写真なんぞいつの間に撮ってやがったあ?!
……やばい、あまりの怒りと絶望に、本気で頭痛くなってきた。
道理で以前、隊長や双子を筆頭とした阿呆共が引き起こした、部隊内男女反転酒池肉林とかいう、罵詈雑言もない程の惨劇から生還した二日後、偶然道端で遭ったお前が、なんか妙な感じだったハズだよ……
「それにその……小さい女の子を連れてますし」
「そのネタももうとっくに食痛気味なんだよ!」
どいつもこいつもあいつもそいつもお前も!
なんだアレか、そんなに俺をロリコなんたらにしてぇのか!?
俺そんなにガキ連れて歩いてるか話してるか密集率高いか!?
――連中が憑いてくるだけなんだよ概ねエエエ!!
「……あの、ラディお兄さん、大丈夫ですか?」
頭を抱えて天を仰いだ俺に、おずおずとした声が掛かる。
ああ……そういう言葉を掛けてくるのは、俺の周りでは希少だよな。悲しいコトに。
視線を戻すと、上目でこちらをうかがう二対の金と赤紫。それぞれ不安と無心が浮かぶ。
その二つの内、不安が口を開く。
「あの……それで、何で女の人の恰好なんか……?」
それは俺も詳しく訊きたいところなんだよ。他ならぬあの畜生いつかマジブチ殺す腹黒暗黒魔境双子共に。
「それにラディお兄さん、騎士団から脱走した、って、わたしは信じてないけど、みんな、街のみんながぁ……」
――そりゃ、本当だ。
とは言え無ぇなあ……流石に。
拙い途切れ途切れ口調と、水気を帯びた目で、泣きそうになりながら何か伝えようとしている……んなガキに、なあ……
湧き出た正当な怨念がナリを潜め、何とも云えない予感が、冷静な思考を鈍らせる。
「それに、それにそのっ……ふぇ、っぅええ……っ」
「あー……なんだ、その、だ…………泣くなよ」
……ガキが泣くのってのは、どうにも苦手だ。キンキン五月蝿ぇし、目障りだし。なんか落ち着かなくなる。気にいらない気に食わない。
目をそらし、コメカミの辺りを苛立ち紛れに掻く。
「だって……っ、だってぇ…………!」
イイコちゃん気取りのこいつにしては非常に珍しく、人前で素直にぐずり始めた。
――余程にアレだったのか……ね。
やべ、こういう時こそ、口八丁でなだめるべきなんだが……
「……っ、らでぃ、おにぃさんが、わた、いなく、いなくなっちゃ……っぅう……っ」
――どうにも、なんも思い浮かばん。
あー……なんか、悪かったな? 違う。何が悪いんだ。泣かすほど不安にさせたからか?
つっても、連絡する隙が……そりゃこいつからすれば、ほどほどに親交があり、とある暴力沙汰での恩人と言えなくもない俺が、部隊ごと唐突に王国から消えた上、追われる身になってるわ、噂は色々と耳に入るわ……
まあ、気にするよな……普通は。
普通、まあ普通なんだよ、この少女は、リリアは。
普通ってのは俺からしたら、馴染みが無いというかやりづらいというか、異常者共のせいで苦手通り越して新鮮になりつつある。普通。
普通に真面目で、普通にガキ相手にお姉さんぶって、普通に気張って、普通に弱い。
親が居ない、普通の孤児。
一番身近な、親という繋がりが無いから、他の繋がりに必死になるという心理――あー、クソヤリヅライ……
若干乱れた思考をごまかし紛れに頭かきむしろうとして、女装してるってのにセットを崩す訳にはいかないと踏みとどまり、感情共々手持ち無沙汰になった右手。
それでなんとなく。
嗚咽を堪えるリリアの頭を撫でてやる。
それに、目を覆うちっこい手が僅かに下ろされ、赤味が強い紫の潤んだ、というか水が溜まった目で俺を見上げ、
「――らでぃ、おにぃさん……っ!」
そのまま、俺にしがみついてきた。キツくキツく、丈夫な造りになっている旅人用のコートを通し、悲痛な握力が皮膚に伝わってくる。
……おいおい。
「……っく、ひっく、……ぅぇぇ……っく」
余裕の無い嗚咽は続く。
まるで、親に泣きつく子供そのもの――って、殆どまんまだな。親以外。
あー……しかしどうしたもんか。どうにもこういうのは、てかこういうのもあれだ、苦手だ。
手持ち無沙汰になった両手で、とりあえずリリアの背中と髪を撫でてやりながら、掛けるべき言葉も思い浮かばず、対応に困り果てていた。
丁度、今は睡眠時なのか、都合のいい乱入者・他の孤児共の喧騒は、今のここ、孤児院には無く。
ただ普通の、小さな少女の小さな嗚咽が小さく響くばかりである。ああ畜生。
どうしろってんだ。
――しかしふと、気配を感じた。
視線だ。粘り気のある、視線。
それが、敵意や悪意の類は無い、んだが……なんだコレ?
感じた覚えの無い視線の質に内心で首をひねりつつ、実際にも首をひねって視線を視界の端にいれると…………リー、何やってんだお前。
何か、最近では視界の端に映らないことのが珍しい間抜け面が、何とも形容し難い、無表情とは何か違う、呆然に近い表情で俺と……嗚咽を継続させながら頭をこすりつけるリリアに双方に、形容に困る、呪われた宝石のような妖しい金色の瞳を向けていた。
そんなガキらしくもない瞳と目が合って、数秒。
無表情に似た顔の形が、露骨に歪む。今、俺の鳩尾あたりに顔をこすりつけてるガキと、類似した表情だ。
そしてそのまま、緩慢なガキとは思えないほどの勢いで踵を返し、薄桃色の糸が宙を艶やかに舞い、駆け出していった。
…………駆け出していった――ァア!?!
――俺らとは逆の方向、おんぼろ孤児院の庭を抜け、そのまま外に――ってヤバい!?
追われる身の上を忘れたかあの馬鹿――って元から本能で生きてるような赤子ガキだったよド畜生!
とかく、俺と違って一般人やら一般騎士やらのカタギに面が割れてない以上、捕まる事はあんまり無ェだろうが、カタギ以外だって居るんだぞ……!
不明瞭な焦燥と理不尽に対する憤怒に駆られ、急ぎ追いすがろうと踵を返し進み、
「――ぇ……?」
必然、抱きついてたリリアをどかす事になる訳だが。悲鳴に反響する軋みのような感情を感じる、背筋が泡立ち脚が止まる程の、悲痛。
物理的にではなく、精神的に後ろ髪引かれ、振り返る。
――わけがわからない、と。
信じていたものに振りほどかれたような呆気にとられ小さい顎が小刻みに上下し震え、最大まで開かれた瞼から垂れる涙を気にしてないような泣き顔と、わけがわからないと言外に訴えるガキの赤紫の瞳と、面が合った。
「………………あ、ぃ…………ァあ……」
読み取りたくない類の感情に染まっていく表情が、丁度……異様と云えなくもなかったさっきのリーと、既視感。
虚しく危険に力無く伸ばされたか細い栄養不足の手は、病にうなされ誰かに懇願するような瞳は……俺に向けられている。
そこに、平常のあどけなさやらメッキぶった気丈さは無く……非常の、危険。
今、コイツを独りにするのは、間違いなく危険。
しかしそれは、リーの糞ド阿呆の方も一緒であり……てかむしろ追われる本命の分際で独断単独専行という、暴挙を通り越し暴虐に出てったリーのがヤバいんだが、かと言って……何か、妙なスイッチが入ったっぽくヤバい表情をしてるガキを放って行くわけにも――――ア゛ーッたく、なんだっつーんだっ!!
髪の乱れなんぞ知るかとばかりに頭掻きむしり、リリアとの距離を無造作に再び詰め、呆気にとられたその、栄養と発育が不足したほっそい腕を掴み、僅かに生気を取り戻した赤紫のどんぐり眼を覗き込む。よし、多少回復したな。やはりガキには他人の体温が重要らしいと再確認しつつ、声をかける。
「説明してる時間は無い……付いて来いリリア」
「……はぇ…………?」
痴呆並みの間ぬけた声に取り合わず、そのまま走る。
独りにしちゃヤバいなら……連れて行きゃいい。
どうせ暗部連中やあの糞爺にゃ洗われてる繋がりだ。
直接巻き込まれない限りは……あー、ややこしいというか腹がたつ。
「――ぇぅ、ちょっ、らでぃおにいさ――」
「あの馬鹿餓鬼は狙われている、一人にしてはマズいのです…………つーかその名前で呼ぶな」
狼狽える平常のリリアに、作った口調で大雑把な説明を加えながら、視界と頭ン中を回す。
人混みの一部が、息をきらす女旅人(外見)と孤児、というあんまり見ない組み合わせを見て眉をひそめているが、全員カタギだから無問題。
というにもあまり目立つのはいただけないんだが、それよか肝心の薄桃頭は……身長の関係か単純に居ないだけか、ピンク色の端も見当たらない。
……クソ、どこ往きやがったあンの阿呆餓鬼ァッ!?
力の限り吼えたい気分を抑えつつ、まだ近くに居る筈だてか居ろ畜生、と、リリア共々に、煉瓦やら木材やら錬金術やらでそこそこ豊かに建ち並ぶ街中と、まばらな人波を垣根を再びひた走りはじめ……
「……ぜっ、はぁ、ぜっ……はっ」
「だ、大丈夫ですかラディお兄さん……?」
――ある程度進んだところで、ある程度に息が乱れただけのリリアに気遣われる、頭脳労働専任故に何時ものごとく単純にバテて息をきらす、体力枯渇気味の俺であった畜生。
とりあえず、発見したら問答無用で拳骨。
家の共用パソコンが壊れました。携帯オンリーの執筆のため、しばし更新速度が落ちるやもしれません。と一応報告を。