騎士団
物品が雑多に置かれた手狭な部屋は埃臭くは無いが、使い古された感が好かない感性の持ち主には好かれないかも知れない。
どうでもいい感想で思考を紛らわしながら、二十九台目とミミズのたくる字で落書きされたデスクを挟み、上司を見る。
「お呼びでしょうか」
慇懃に言うと、血が固まったような――ようなじゃないかも知らんが――天井のシミを三つほど数えた様子で、あ――、と。意味は無さそうに呻いた。
三十代程の大柄な女上司は、そのボサボサの髪に手を突っ込み、ガリガリと爪を立てて視線を俺に移し、犬歯を見せて笑む。
「なんて云うか、副長」
こっちはキツい視線を向けているつもりだが、相対する本人は微塵も悪びれた様子が見えないまま、呑気な声で俺を呼んだ。
「その片刃の剣、……なんつったか、確かー……東方の……かんたーびれ?」
音楽関係かよ。あんたにゃ似合わねえ。
いや、固有の単語を知っていた事に驚くべき……いや、誰が吹き込みやがった?
「東方帝国の刀、の事ですか。体長」
そんな今更な事で、仕事中断させて呼んだのかという怨念を目にだけ込め、他愛ない形式を口にする。
「ああそれそれ、って、何か今妙な発音しなかったか?」
「気のせいですよ」
僅かにズレた眼鏡を直しつつ、訝しげに首を傾げる大女に即答。
嘘は言ってないぞ。実際、この女はそこらの男より体長だ。
「ううむ。まあいいが……ともかく、その東方帝国の剣士――サムライと云ったか。それの持つ、カタナと云う剣。副長のは、そのカタナだろ?」
「安物ですがね」
以前、一人でブラリ旅を満喫していた時期、件の帝国に立ち寄った折、ちょいとした事情から捜して、値切り倒して購入した一品である。
「ならば、副長は帝国出身のサムライなのか?」
そこらの男以上に男らしいと誰もが暗黙に認める女隊長は、楽しそうに、愉しそうに。本当に愉快そうにイタズラ――否、イジメっ子に酷似した笑みを浮かべる。
危険の二文字が脳内で、今更ながら明滅した。
「違います」
負け際でブタ札が来た時のように歪みかけた表情を制して首を振るう。
生まれはここ、北西皇国の一属村だ――という事になっている――し、斬り合いとか不得手も不得手だ。
そこらを知ってるだろうにわざわざ聞くとか、趣味も性格も性質も悪い。
「というか、サムライというのは恐ろしい達人をそう呼びます、っ」
「そうなのか?」
「……最低でも銃弾を刀で斬るレベルだとか」
「何だ、その程度か」
そのレベルかと失望を隠さず、即座に興味を無くしたとばかりに表情を移す。
「ところで、何故にしかめっ面している?」
俺が嫌そうに表情をしかめているのは、己はMではないと言う証明に他ならないのだがね。
文官紛いの書類仕事に忙殺されてるところに呼び出されたかと思えばくたらねぇ話だし、訂正したらしたで、これだ。
「……そこを退いてくれませんか……?」
大女に押し倒されているという状況下でそうならない奴は大概に脳をヤられているか特殊な性癖をもっているか、どっちかに決まっているからだ。
そして俺はそのどちらでもない。それを喜ぶに喜べないのは救いなのかそうでないのか。
「おや、流石に腹に乗られては痛いか」
たりめーだ糞筋肉大女。
と、言いたい所を大分オブラートでラッピングした言語に変換して、俗名マウントポジションの解除を促す。
ヘタレと言った奴。そういう奴は、一度でもこの怪獣の世話してみろ。途中で土下座したら逃げ出して良いという条件付きでだ。
賭けてもいい。五分以内にその権利を行使するだろう。
……いや、ンな権限が在るんなら、俺がその保有者を殺してでも貰い受けたいがね。
「ふはは、」
こちらの心境を知らんが、嗜虐心に富んだ怪獣が笑う。てか嘲笑う。
「テメエが弱いのがいけないのだよ。それでも、サーガルドの騎士。それも、己の、第十三部隊の副隊長かあ?」
何を今更。
――サーガルド王国騎士団・第十三部隊副隊長。今の俺の肩書き。
サーガルド王国とは、大陸を二分する二大国家の片方の、皇国の属国にあたる中小国である。
気候は若干寒く、冬場でなくとも雪が珍しくない地域。
全十四部隊からなる、軍事組織――騎士団を保有する。国王、というより宰相の方針と腹立たしい程の辣腕により、中々に軍事力が悪くない国だ。
その中でも十三部隊はとりわけ異質で、腕だけは一流と評判の面々が集まった特殊な部隊である。いや、噂でも嫌がらせでも何でもなく。
只、涙が出る程に正しくその通りな脳筋主体の馬鹿共の副隊長、略して副長が俺。
そして、
「というか、この状況……」
鈍痛を訴える肩を無視して首だけ動かし、周囲を見る。
ひっくり返され、床に散らばる書類の山。さっきまでデスクの上にあったものだ。
てか誰だ。よりによって書類の山をこの隊長に寄越したのは。
受け身は辛うじて取れたから打ったわけでないのだが、頭が痛くなってきたぜ……
顔をしかめながら、惨状をやらかした王国最強の騎士のニヤつく顔を視た。
「……深刻なアホ、で……す、か……」
「おやおや、息が苦しそうだなあ副長? そんなに、己は重いかね?」
更に体重を乗せて、何言ってんだこのドSが……!
――いやまて、冷静に、さらりと皮肉を返してこそ――だ。
「いえ、隊長は軽いですよ。少なくとも、サイクロップス級オークよりは」
最大級=サイクロップス級のオーク。体長八メートルを超える、筋骨隆々の大鬼の異形が頭の中に浮かんだ。
云われた内容を粗食するような間が空き、大女は、不可解なまでに綺麗な笑みを浮かべた。
次の瞬間には、頭突きを入れられていた。それも、眼鏡に当たらない角度で、的確に鈍痛のはしる所を……
「ーっ、色々割れたらどうしてくれるんですか」
眼鏡とか、額とか。
「……割ってやろうか?」
ごりゴリ……頭骨の軋む厭な音。不穏な音を楽しむように継続して額に額を押し付けてくる隊長。
数センチ先には無駄に活き活きとした赤茶のツリ目。
勘弁して欲しい。いやマジで。
そう思った、その時。広くは無い部屋に響く、ノックの音。それに応える間もなく。
「――失礼しま……、……」
年若い声が不自然に、しかしこの場合は違和感無く中断された。
視界はより一層悪辣な不快感を醸し出す大女の顔面に固定されている為、誰が入室してきたかは露骨に動揺する気配と声位しか判断材料が無いわけだが、確かこの声は、最近入隊してきた新入りのモノ、のはず。
「――……え、え〜と」
困惑に満ちた新入りの声。
それもそのはずこの状況……怪物と知れ渡る十三隊の隊長が誰かに覆い被さり、額と額をくっつけて静止している絵面。
しかも此処は十三隊の執務室であり、床にぶちまけられている書類がもし臓物なら、間違い無く、大量猟奇殺人事件であり、犯人が隊長である事は状況証拠上、揺るがない事は確実だろう状況。いやまあそこはあんま関係ないか。
……俺も割合混乱してるらしいね。いや、なんか目眩とかしてきたし。
まあそんな俺でも、新入りが今どんな顔をしているかは概ね想像がつく。
そしてどのような誤解をしているかに至っては、手に取る様に理解できる。胸糞悪くなるほどに。
口を開いて弁論せねばかなり危ういのだが、それを目と鼻の先でにたにたしてやがる性悪女が赦すとは思えん。
逃げ出そうにもこの非力な俺が馬鹿力に抗える筈も無く、ほぼ全く身動きがとれない。
打つ手無し……か。畜生。
「……し、失礼しましたッ!」
予想の範囲から外れる事なく、新入りは怪物の巣穴から副長という供物を置き去りにし、敵前逃亡という騎士にあるまじき行為に及んだ。
うん。アトデオボエテヤガレテメエ……
「ふうむ。副長よ、そんなにムッツリだと案外ツマラナいぞ。主に己が」
腸が煮えくり返る中、原因が何やら更なる刺激を加えてくる。
肉体的には飽きたらしく、精神方面か。大概にしろクソアマ。
「なら、早く退いてくださいよ」
や、無論の事、口には出さんけど。
人の形をした怪物をどうにかやり過ごし、怪物の居ない十三部隊の執務室に戻れた。
時計の針は、呼び出され退室した時の記憶と比べれば太い方だけが動いていた。ジャスト一時間か。
死ねばいいのに、と嘆息を一つ。
節々が痛む体を座り心地の宜しくない椅子に落とし、欠伸をこぼしつつ、副長としての仕事を再開した。
書類に目を通し、どこぞからの請求書の計算したり、判を押したり、請求書の計算をしたり、という事務職。
ボンクラな部下共やら、災厄の隊長やらの後始末を一任されているのが、この俺というだけの事。堤の良い中間管理者な訳だ。
しかも、問題を起こしたという始末書の山脈。桁が三を下回るこたァないだろう膨大な量である。
文官になった覚えの無い身として、やる気になれる筈がない。
だが、仕事だからこなさにゃならん。しかし嗚呼、苦行……
愚痴を交えながらも、トイレに席を立ったりコーヒー持ってきたり乱入してきたバカを締め出したりトイレに席を立ったりを交えながら、単調な事務仕事をこなしていく。
そして壁の時計を見れば、三時間ばかり経過していた。
書類の山脈に羽ペンで挑んでいるんだが、半分も切り崩せてねえし。
しかも、始末できた請求書だの始末書だのという半数以上が腐れ隊長の名付けで送られてきている。
いや、なんの祟りだ。俺が何をした。
……あ、これも隊長のだ……
――かれこれ、うん時間缶詰めていたろうか?
いい加減、腕とか肩とかヤバい風に痙攣し始めた。
其処まで俺を苦しめ抜いたペラい悪魔共は、ようやく半数は仕留めた。
しかしあの隊長はやはり、前々から疑っちゃあいたが、魔王だった。
魔王は中央に住まうとかいう話だったが、こんな所にもいたらしい。
仕留めたペラ悪魔共の半数以上が奴の手先なのだから、もう確定だ。
いつか、いつかは殺してやると常々思っていた。魔王ならば殺人に該当しない。
そろそろ奴に、相応の引導を突き付けてヤるべきだろう。
だが、果たしてドラゴンを素手で殴り殺した化け物に、新入り相手に模擬戦で敗北した事務専門の俺が果たして……あ、果たしてって二回言っちまった。
あーどう殺す、殺せるか、でもなー……
――止めとこ、殺される。
そう、疲弊してグチャグチャになった思考でいつもの結論に達した時。
執務室の傷んだ扉が相応に不快な音をたてて開いた。
「お、副長だけかい?」
けったいな色合いのバンダナをした、見知ったマヌケ面が顔を出す。
マヌケ顔は、物色に来た野盗のような表情で辺りを見回し、最後にこちらを見た。
「隊長は?」
なんかいらん事でも吹きかけに来たか?
まあ、いないんだけどな。
「気晴らしにと、最近旅人の犠牲者が多数出た地域に、殺戮しに行きましたよ」
事務仕事に勤しんでる最中、訪れた部下の一人の報告から抜粋。
少数の雑魚なら兎に角、力か数のある魔物討伐に単身赴くのは世間の常識で云うところ自殺と同義だが、何事にも例外はつき物である。
魔物にとってしてみれば隊長が魔物。故に外出を聞いた反応も軽いもんだ。
事務的に二、三やり取り返すと、奴は何故か中途半端な顔を不細工に歪め、ニヤリと笑った。
最初から、早急に消えて欲しいのだが。みたいな気配を向けてるんだが……気にする野郎でもねえか……
「ンだよー、愛しの隊長様が居なくて不機嫌か?」
……何をダミ声でほざいてんだ?
未知の言語で囀り始めた部下の男を怪訝な目で観察していると、何を勘違いしたか小物風の笑みを深めた。
「いや、隊長に押し倒されたンだって?」
――手元から不快な音。
……糞、羽ペン折っちまった。
最悪だ、色々。てか、やっぱし拡散しやがった。
……新入り、夜道を歩けると思うなよ……?
「いやー、仲間内でも怪しい怪しいとは囁かれていが、ギャハハ、ンだよ。やっぱしデキてたんじゃねえか。このモノ好き! スキ者っ!」「なんの話でしょうか?」
「とぼけんなって。俺は、隊長の相手は副長しかいねえと思ってたんだぜ?」
テメエがとぼけんな。俺とて女を選ぶ権利は有るぞ。
……いや、アレを女というカテゴリーに当てはめるのは、一種の冒涜に値する。
よってその冒涜的思考を悔いながら、直ちに世界中の女から滅殺されろ。
という意味を込めた眼光に気付いた様子も無く、ニヤニヤと下品た笑みで、不細工とは云えず、美形とは程遠い顔立ちの野郎は続ける。
「聞いた話じゃあ、隠し子まで居るとか」
「有り得ねぇだろがッ!?」
思わず、地の口調で叫んじまったが、いや、なんだそりゃあ?!
噂に尾ひれ所じゃ無く、頭まで出来上がってんじゃねぇか糞が……ッ
「ああ? 違うのかよ?」
「片っ端から違う。根底から誤解だ」
……ンだよテメエ。その今にも鼻糞ほじり出しそうなつまらなさそうな阿呆顔は。
「ンだよ、詰まらんな」
――コ・イ・ツ・わああああッ!!
「……そんなくだらない与田話をしに執務室まで来たのかね?」
だというなら骨の二本や十本は覚悟出来てんだろうな?
「いんや。司令部の方から通達があったんだよ。最優先で」
怒気を受け流した馬鹿は馬鹿らしく、さらっと言った。
最優先。最優先……もっともゆうせんしましょうのさいゆうせん……
「――何故それを先に言わんかこのボンクラがあ!!」
司令部からの最優先通達をほったらかして雑談に興じようとは、減給降格モンの厳罰が下されようと文句は言えんぞこの阿呆が!
「へいへい。コレだよ副長ドノ」
面倒臭そうに、司令部の印が付いたブツを事務用机に放る糞阿呆。
……しかし、このブツは。
たむろしたがる阿呆部下を退去させ、蝋で出来た封印を切り、中身のそれを素早く拝見。眉をしかめる。
……最重要機密事項……?
「……異端の、忌児……軍事転用」
自然、目を張った。
異端の忌児といえば、生まれつき其処に存在するだけで皇国――このサーガルド王国のお上にあたる――の機関に断罪される異能力者のガキの筈。
それを軍事転用?
皇国の異端審問部が黙っている訳――いや、そうかい。
文面を頭に入れ、納得。
必要悪――毒を以て毒を制す、かよ……んの糞爺。
――隊長ドノ。
どうやら、あんたと同じ異能力者が、兵器として扱われるらしいぜ……