火災のち吹雪
――体全体が、頭が、脳がガタガタと揺れているのに気付く。
外部からの不自然な刺激に、尋常ならざる過労に否応なく微睡んでいた脳が、徐々に覚醒していき。
「……らぁ」
意味不明の舌っ足らずな声に、瞼をゆっくり開く。
……ぼやけた視界にまず焦点が合ったのは、幼いくせに人形みたく色白い、絶妙に整った輪郭。半分以上閉じ、生来っぽい垂れた眦と長い睫から伺うように覗く金眼、デコを丸出した真ん中分けの長い薄桃髪の、
「……アリュー、シャ…………?」
……回らん頭で、封印したハズのリーのフルネームをうっかり口にした。
「……らぁー」
それにリーは、意味のわからない事を舌ったらずに口走りながら、人が動けないのを良い事に頬を寄せすり寄ってきた。止めろ。つかなんでテメェが目の前にいる。
……ところでその、らぁ、ってのは俺の事か? 舌っ足らずにも程がある。
「あー、副長起きたのかー」
次に、陽気に馬鹿っぽく、間の抜けた高い声。
目を向けると、見知らぬ黒装束の男の背中がある。その小脇には、抱えている男が走っているせいで上下に揺れ、半ばボロ布を被っただけに見える、女の下半身が見えた。
…………あー、思い出してきた。
確か俺は、あの火にまかれたっぽい、間抜けな暗部女があんまりにも哀れっぽく泣き叫ぶから、気紛れと打算、習性も含めて救助に向かい、半分くらい火が燃え移った木に足を挟まれた暗部女を発見。
梃子の原理を利用し、火事場の馬鹿力を――本当に冗談抜きの火事場だったが、別に笑えない――考慮に入れなければ救助不可能な状況下。あの暗部女があんまりに情けない事ほざきやがるから意地になって、なんとか梃子の原理と火事場馬鹿力を上手く併用し、燃え木を瞬間だけ退かし、その隙に暗部女を這い出さして……んで、なにやらフラッシュバックが激し過ぎたのか、あわや焼死という危機から脱出できたからかその両方か、若干精神的に幼児退行した暗部女が抱きついてきて……
…………なんか、あんまり泣きじゃくるモンだから、こっぱずかしい事を口にした気がする。
ま、気のせいだろう。そうに決まっている。
んでその前後で記憶が途切れてる、てことは、その辺で敢えなく力尽き、気絶したらしい。あわや自分で放火した火災で焼死しかけたわけか。
つーかあの文字通り嘘偽り無く火中ン中、どうして俺も暗部女も助かってんのか……それはまだ解るが、なんで俺ぁ、薄桃幼児に横抱されてンだ?
なぁ大の幼児が倍くらいある大人チャンをなんで抱られて汗一つかかず走ってんだ? 文法がオカシイのは気にすんな。混乱してんだ、てかそれ以前に色々可笑しいだろオカシイだろオカシイんだろ、前でケタケタ笑ってる外見死体の、中身双子死体操りのガキ。
「……で、どういう状況だこりゃ」
「助けにきたのだよ貧弱副長ー」
死体の体を乗っ取ってんのに少女特有の高い、間延びした声。
そりゃテメェら双子の能力を考えりゃ単独での救出作業に来てんのは当然わかる。
つーかどさくさに貧弱言うな。ちっと全力以上で動いただけで、先から指一つ動かせんくらい筋繊維がイカれてるが、わざわざ言われると腹がたつ。
「そりゃわかってる」
こいつら双子の能力――死体の遠隔同化式操作――脳死した死体を乗っ取り、自分の体の代わりに動かす事からそう呼んでいる――と、その補助誘導能力。
なんでも、実際に行使してる双子曰わく。目標まで幽体離脱紛いの事をして、死体に取り付き、限界以上の性能で操作するという能力。
ちなみにその過程、幽体時には当然実体が無い訳だから、偵察とかに便利じゃね? と誰もが思うだろうが、なんでも幽体時の記憶は曖昧で霞み掛かっていて、どのような経路を取ったかすら定かでは無いらしいので、実体無しの偵察はできないそうだ。その幽体時という移動の過程が必須な、遠隔支配という能力の都合上、どうしても本体への行きと帰りが必須。
その補助をしているのが、もう片方の双子。因みに姉妹どっちがどっちでも構わんらしいが、片方の肉体を離れた姉か妹かの精神を誘導し、基の肉体へ無事帰還させたり、死体を支配する際に、残留思念とかいうのに精神を蝕まれないよう、精神補助するのが残った片方の役割だとか。
それをしとかないと、能力者当人たちも、本能的にどうなるか解らないらしい。
つまり、二人セットでの運用が前提付けられている、微妙な変態能力。
それで、俺が殺した手頃な死体を支配したんだろ。
この手の変な能力者は、人里離れた辺境の一部の一族には、稀に居るらしい。
魔女の末裔な魔術師とか、半分獣な野郎とか、旅してた時の知り合いに数人ばかり居る。
そんな感じの血筋に遺伝された能力者が、一族根絶され、実験動物として連れて来られたのが双子な訳だ。
中には趣味とか、自主的に悪用する奴も居る。さっきの屍人形師がそれだな。
ま、所詮どいつもコイツも人間。悪用するかされるか、排斥するかされるかってのが大概な、少数派の枠組み。
閑話休題。
そんな単独特攻とかに役立つ双子だ、合図を出した――森を放火した――俺を救助に来たのは解る。だが、
「なんでリーまで来てんだ」
「リーちんねー、なんか銃声が聞こえた瞬間、とんでもねぇ勢いで走ってったのだよー。愛力ってやつかー、コレが?」
いつから愛ってのはそんな万能な概念になったんだ。てかさっきから尋常じゃない速さで木々が移ろっていくんだが、これ俺を抱えてないと考慮しても人間的な速さじゃないんだけど。
「リアがねー、副長背負おうとしたらリーちんすげー邪魔してきてなー。リアが仕方なく副長が庇ってたっぽいおねーさん抱えて、リーちんが副長抱えて離脱してんのだー」
……庇ってたっぽいて。どんな態勢だったんだ?
てか下手すりゃ敵を運んでるかもしれんて、気付いてんのか?
いや敵だが……良いか、情報引き出せそうだし。
「ほめれー、ほっめれー」
俺の懸念と自己完結を余所に、相変わらずすっとぼけた妙なイントネーションでお礼を要求する双子の妹の方。
確かに、下手しなくても死んでたシチュエーションだ。礼を要求されれば答えるのが筋なのかもしれん……だが、
「へいへーい、心を込めて、ありがとうまいラヴおーまいはにー、きみはいのちのおんじんだよえぶ」
「あーはいはい、よくやったなリア。感謝感謝」
頭の大事な部分が何らかの寄生虫に侵されているとしか思えない口上の途中で、適当に礼を言っておく。てかなんだよー、愛はーラヴはーとかぶつくさほざくアレに、まともな礼とか無理だろ。
「んだよー! ちょっと戦っただけで過労のあまりぶっ倒れる貧弱副長のくせにー」
「貧弱言うな。てかもう副長じゃねぇ」
視界の先、操作された死体の背中あたりの空間から、不可視の何かが――多分だが、双子の精神体――首を傾げたような、気配がした。
というのも、双子"自体"が観ている視界と、死体の眼球から見える視界は別らしい。
でなけりゃ、顔面がまるまま潰された死体を普通に操作できる筈が無いからな。いや、今動かしてるのじゃないが。
「じゃあ元ミジンコ副長」
「誰がミジンコだ?」
何だろう。前振りからして、既に碌な事を言わん気がする。というか大概碌でもないことしか言わんよな双子。
「リアになんて呼ばれたい? アナタ、だーりん、ご主人さまぁ、豚野郎、お兄ちゃん、お兄様、兄貴、お義父さま、ぱぱ、おじさま、おじちゃん、だんな様、どれがお気に召しかー?」
「なんだその多様なようである方向性が定まってる単語の羅列は!? テメェ俺をどんな変態だと認識してんだ?!」
やはりどれ一つとして俺ら的にマトモな呼び名が無ェ、てか一個明らかに侮辱用語あったよな!?
「あははー、ちょっとは気が紛れたかー?」
……ああ?
唐突な、いつもとは毛色の違う発言に訝る。
それに双子の妹、リアは、死体の片手をぷらぷらと振るわせ、
「なんかさっきまで、何時もより若干違ったからなー、ちっと戻って安心だー」
そう、心無し何時もより間延びた声で言った。
……確かに、玄人との殺し合いはやってなかったから……引き出した感覚に、昔に引きずられてた、か?
ちっ、十代かそこらの小娘に気取られるとはな。らしくもない。
「……あんまり不用意に目立つ発言すんな。モブキャラが突然目立つのは死亡旗だぞ」
「うははー、シャレになるか微妙な皮肉だなー」
かんらかんらと、馬鹿っぽく笑い。
「――でも、そん時は副長が護ってくれるんでしょ? あの時みたく」
突然、馬鹿っぽかぁない類の、なんぼか大人びた抑えたような、背伸びした感のある少女の声音。
青紫の髪を右に結わえ、厭な方面に活発な吊り目を和らげ、薄い唇を緩い曲線のを描く、性悪には似合ってないのに何故かしっくりくる、双子の、リアの微笑み。
そんな幻影が見えた気がする。
あの時――地竜襲撃事件、俺がぶっ飛ばされて、あの馬鹿が手下宣言したあの日。
俺が地竜から反射的に庇ったガキ、この双子姉妹の妹、リアだ。
あの異変ともいえる大掛かりな襲撃事件の後、双子姉妹は揃ってヴァルカの計らいで、暗部組織から十三隊に入ってきた。
「……あんま期待、てか過剰評価すんなよ……つーかそれ以前に、またあんな大怪我は御免だ」
「おー、おーっ?」
……なんか、ニンマリとした腹立たしい笑みが見えた気がする。
「デレた? 今一瞬デレた?! ひょっとしてもう少しとか」
「…………らぁ、らぁー」
「いでででで?! テメ、何しやがふ!?」
何か不愉快な事を言いかけた瞬間、何故か頬を真っ赤に膨らませ、微妙に眉間を強ばらせた薄桃幼児が、俺の頬を引きちぎらんばかりの勢いで抓って、いや掴んできたいでででで爪、爪が食い込み刺さる!?
てか今どんな態勢?!
俺今爪たててるクソガキに前抱きされてたよな認めたくないけど、えーと何? 背中から回した手か?! マジで今どんな体勢だ俺!?
「……これは、ふぉーちん並みだな。ったくロリータホイホイめ」
なんだその裏人格っぽい冷たい声は。そしてロなんたらってどういうことだ!?
つーか見てるんなら止めろっつか腰が、腰が曲がる!?
「つーかそろそろ皆の集合地点に着くぞー」
余りの筋肉過労で麻痺している筈の痛覚が痛みを訴える状況、アホ双子の笑っているような発言の内容に、更に背筋が凍るような事に気付く。
「ま、待て!? この奇天烈な格好のまんま合流地点に連れてく気か?!」
それあの連中全員の網膜に今の奇天烈態勢を刻むってのか?!
「仕方ねーぢゃん。リーちん離してくんないし、副長にもなけなしの男の子的見栄とか意地みたいなのがあると思うけど――まあガンバ」
「笑いを堪えるような声でほざくな――いででででで!!? ーつっとろーがっの糞ガキャアアアアアアア!!」
「……う〜」
うーじゃねぇテメェは人の頬を引きちぎるつもりなのかこの馬鹿力!
つーか離せ! せめて幼児にお姫様抱っこハッグされて帰還した男、よりは自分が殺した死体に背負われて帰還した男の方が万倍マシだ! テメェは頬と一緒くたに俺の精神すら引きちぎる気か?!
呪われろ、その辺で焼け死んだテントウ虫かフンコロガシの幼虫あたりに!
そして走った勢いのまま転倒して泣き叫びやがれ!
半ば以上何かが沸いて錯乱気味にハイになった頭で呪詛を脳内配信したのが、魑魅魍魎的な何かに通じたのか、
「――あぅ?」
なんて気の抜ける声と共に、依然全く力の入らない体が傾いていく感じを、
視覚と三半規管で理解し…………
――横抱きの態勢で前倒れに思っクソ転けたら、先ずどちらが致命的なダメージを受けるか。
ハイになって失念していた当然の理屈法則を、致命的な脳への衝撃と共に闇に堕ちていく意識が再度認識したのは、
「おお! 童顔姫がお目覚」
と、起きがけに、致命的なまでに阿呆らしい笑みを浮かべた色黒ハゲの鼻っ面に、中指だけ突き出した右拳を叩き込んだ直後の事だった。ド畜生。
…………つーか、動いた?
殴った、て事は、そういうコト……筋肉痛で節々地味に痛ェが、若干回復している。
気絶したのは解るが、どれだけ寝てたんだ、俺?
鼻を抑えて走りながら悶絶する器用なハゲから、背中に掛かる妙に生暖かく柔らかい重みと、聞き覚えのある鼾を無視しつつ、寝ぼけ眼で辺りにを見回すと……
横殴りに頬を殴りつける寒風――いや、吹雪か。焼死とは真逆の凍死さらせそうな、そんな大雪だ。
それでも気絶してる間に余程防寒着を重ねられていたのか、背中の無駄な体温と、正面の微妙な暖かさと相まって、体はほとんど冷えていない。
しかし、ハゲは見えたがある程度先の風景はほぼ見えない、見事なブリザード。銀世界だな。
――気絶する前より若干高く、それでいて遅く流れる視点で、とりあえずそれを理解した。
「――で、状況は?」
「いきなり仲間ぶん殴って第一声がそれって……」
良く云えば柔和な、悪く云えば弱気な、とても悪く云えば貧弱な声。けれども聞き慣れたソレより若干棘のようなものが含まれた声が、吹雪く風に紛れ得ない、えらい近くで聞こえた。
ぱっと脳裏に浮かんだのは、草食動物と小動物を足して二で割って何かを足したような雰囲気と性格の、東方生まれの生真面目な優男。
「誠一か」
「はい」
「あたしもいるよ」
声で判る、そりゃ大概お前と誠一はセットだろうよ、キャリー。
「状況は。それとなんでガキが俺の背中で寝てる」
お前が俺を背負ってんのは移動の為とかで説明できるし納得できるが、なんでガキまで一緒くたに背負ってんだお前。
挟まれてる俺が殆ど重みを感じない程度にガリガリで軽い――顔は見えんが、この重みは多分リーだと思うが――幼児といえど…………防寒の為かね。と、吹きすさぶ吹雪が頬を撫で、寒いというより痛いレベルの天然自然の冷気を感じ、そう推測した。
「その子、副長が倒れてから三日間ずっと、寝る時まで副長から離れないんだよ。だから一緒くたに運んだ方がいいかなって」
離れない……三日間……俺と、プラスアルファを背負い疾走する誠一、その隣に併走するキャリーの、どこか微笑まし気な言い回しと、その台詞中の単語に、肉体的にではなく精神的に、何故かどっかで身に覚えがある類の、無数の蛆虫か百足に体中を這われる類の寒気を感じ肩を震わせた。
具体的に云えば、フォリアやリアから以前感じた…………
……三日間かあー、道理で筋肉痛は和らいではいるものの、体がしんどい筈だ。と現実逃避気味にぼやく。別に俺的には、筋繊維及び全感覚を局地的に全力以上を出した後、三日や五日昏睡状態になる事はそう珍しいコトじゃないが。
「今、氷雪狼をベースにした合成獣に追われて、散り散りに撤退してる所です」
相も変わらぬ生真面目な奴が生真面目な報告をするよな誠一。
しかし、氷雪狼……防寒着にも使われている真っ白なふかふか体毛、大型の動物でも食い殺すに不自由しない牙と爪。吹雪の中でも獲物を逃さぬ眼孔を思い描く。
それベースの合成獣、ときたか。また違法物を……合成獣は、所有が発覚したら異端審問で磔にされる代物だぞ。
「……数は?」
短命で運用に問題点が多いものの、その分強力な合成獣だが、テメェらが処理できない相手じゃない筈。なのに撤退してるって事は……結構居るのか?
「確認できただけで十以上」
「多っ!?」
十三隊は、腕だけはたつ連中で構成されている、王国最強の爪弾き者集団だ。
その実力は異能力者の隊長抜きでも、合成獣程度片すのは訳無い。だがそれは専用の装備で固めた上で五、六体ぐらいまでと分析する。
合成獣は、単純戦闘力だけなら一体だけで、軍の一部隊の戦力を超えている。
しかし隠しもってんのがあるってんなら、禁忌を持ち出した奴を、なんとしても潰したい。ってのはわかるが、製造自体にも難があり、維持にもバカにならない手間と金が係る合成獣を、そこまで製造し秘匿しているとは……あの糞爺以外居ねぇか。そんな手腕を持ってる奴と言えば。
ならリーを、最大の秘匿を確保奪還じゃあなく隠滅――俺らごと合成獣に喰わせる気か。畜生。
「被害は?」
「死者は俺が確認した限りではゼロです。ただ、キャリーが右腕をやられました」
あー、それでいざとなれば生体錬成も可能なハゲ錬金術師と同行してるワケか。合成獣は大概大型だから、負傷ってのはかなり深い筈。早いとこ治療なり人体錬成なり、しなけりゃならんワケだが――
「……おいハゲ」
「ん゛だよ副長」
俺の呼び掛けに応答したのは、十三隊唯一の錬金術師、筋骨隆々のハゲオヤジ、現在防寒具に身を包み、鼻には紙を突っ込み鼻血対策してるバリーだ。
……しかし、どいつもこいつも副長副長と、俺はもう副長じゃないというに。指揮権が俺にあるという、無言の信頼なのか知らんが、軍を抜けても俺があの隊長の下が基本というのが何より気にいらん。
「幻覚の可能性は? この吹雪なら、何か錬金術の産物が紛れ混んでても不思議じゃないだろ」
「いや、少なくとも俺が"見た"限りじゃそういうのはなかったな」
低く、珍しく真面目ぶった声で語るが、鼻に何か突っ込んでちゃ格好付かねーな。
しかし、人格に問題は在ろうと一流の錬金術師の言葉だ。アテにしてないワケじゃないが……さて、そろそろ頭も回ってきた。
「――おいバリー。そろそろキャリーを処置してやれ」
「……ああ?」
不可解そうな唸りをあげたのはバリーだ。そりゃよりにもよって複数の、それも適例地で合成獣に追われている最中、足を止めて負傷者を治せっつーたんだから。
「え、イヤでも副長、大丈夫――」
「応急処置してよーが、止めないかぎり血の匂いを嗅がれて追跡される」
やせ我慢見え見えの言葉を遮り、俺は有無を云わさぬ口調。
合成獣は、その素材に使った多種多様な魔物の特性を持つが、一つ一つの特性は野生のソレよりショボくなる。だが基盤に使用した魔物の特性は、そのまま残される。
つまり俺らを追っているのは、氷雪狼。氷原地帯に生息する、狩猟のプロだ。自分らのホームで血の臭いを辿るくらい訳無いだろう。
「だけど、医療処置するにも護衛は……」
確かに追われている最中に足を止め、処置する奴と要処置者の二名が戦闘不能になるんじゃあ、後は足手まとい背負った誠一しか残らんだろう。それじゃ襲われた瞬間にかなり悲惨な事になる。
さっきまでの話だがな。
「俺を降ろせ。まだ全快じゃねぇが、足手まといくらい背負える」
それでフリーになった誠一ならば、何とか合成獣相手でも護衛が務まるだろ。
かくてキャリー自身は渋ったものの、俺の論理的効率的意見と誠一の説得、三・七くらいの割合でキャリーも従い、処置は始まった。
「――どれだけ掛かる」
錬成陣――自分の力量以上の錬成を行う時に使用するとかいうヤツ、雪を引っ掻き回して描いたソレの中心、手頃な木陰に寄り掛けた患者を看る錬金術師は、少しだけ測るように黙り。
「……三十分は要る」
「十分で仕上げろ」
ギャアギャア喚くハゲに蹴りと喝を入れ、黙らせた。
そんな時間は無ぇ、無理でも何でもやって見せろ!
「――そういや、」
神経を尖らせている訳ではないが、気配は無い。錬成が始まり、積雪の窪み、もとい錬成陣が燐光放つ中、ふと頭をよぎった項目を、隣に立つ妙にむっつりした誠一に問う。
「あの暗部の女。どうなった?」
「……一緒に戦ってくれてます」
どこか陰気なモノを含んだ発言は、吹雪に阻まれ聞きづらかったが何とか聞き取れた。内容としては、予想の範疇だったが。
そりゃ、合成獣に暗部は殺すなとか目標以外殺すな、とか其処までの複雑な命令はできんだろうからな。多分、この氷原――多分、あの森から北にある雪山付近の氷原だろうが、その氷原内の人間を皆殺しにしろとか、そんな感じの命令だろ。
つまりあの暗部女が、とりあえず合成獣に殺されない為には、少なくとも安全圏内までは共闘するしか無いだろうよ。
「……あの女の人、敵なのに何で助けたんですか?」
「気まぐれ」
なんだその冷たい目は。只でさえ吹雪いてる上襲撃の恐怖と戦って心胆寒からしめてんのに、コレ以上の冷却要素はいらんぞ。
「…………」
「冗談だ。偶々アイツだけ無力化できたから、情報絞れる捕虜として助けてやった」
「……自分で捲いた火に捲かれて死にかけたのに」
「俺にも騎士根性ってもんがついたかね。助けを乞う奴を見殺しにはできんわけよ」
と、我ながら心にもない事を口走ると、
「……森は灼いた癖に」
予想通り、吐き捨てるような台詞が返ってきた。
流石に警戒中、向き合って話す程馬鹿じゃないから解らんが、この時誠一はどんな顔していたのかね。
寒冷地用のゴーグルに付着した雪を払いながら、用意していた台詞を放つ。後はアドリブで。
「――やっぱし、ソレを気にしてたか」
「だって、森を放火したんですよ? どれだけの動植物が死んだか……それに朝方だったとはいえ、いや、だからこそ燃え広まって――」
「近場の村に火が移る、民間人が、関係のない人間が死んだかも知れない、か?」
生真面目なコイツの考えそうな事だ。
「……幾ら逃げ延びる為とはいえ、酷い事です」
「そうだな」
流石に、俺も関係無いカタギは極力巻き添えにしたくない。森林放火が倫理的道徳的にどうか、駄目に決まってんだろが! ってのも判る。
「――ッ、他人事みたいに!」
「別に、それに関しちゃ言い訳するつもりは無ェよ。俺がやったのは、そういう下醜いコトだ」
客観的に自分を見る事は、割と重要だぜ? 度が過ぎると人間として駄目だがな。
「だが、そういう下醜い事をしてでも、維持しなけりゃならん物もあるだろ」
「――それは、ですけど……」
視界の端で、誠一が後ろ――キャリーの方を見たり、何故か俺の背中あたりを見たりしているのが見えた。
……ってアレ、言い訳かね?
「……すいません。副長は、俺たちや子供を逃がす為に、只でさえ真っ黒な手を余計に汚したのに、俺」
なんか感窮まったような中に、ちらちら天然の悪意を感じるんだが。ワザとじゃねぇだろうな?
「ま、お前もアレだ。気が起ってたんじゃねぇか?」
国や合成獣に追われて、それで恋人が負傷したり元上官が森林を放火したり。気の弱い奴は堪えられん状況だろ。どう考えても。
「あんまり気にするな。お前は間違っちゃあ無い」
俺のいたわりに、誠一は無言。それもやむなしか。
しっかし、維持しなけりゃならんもの……か。
合成獣が放たれ、それに追われている……あの体長が居れば発生しない問題。
隊長は――あのバカガキは、三日経ったという現状で、未だ帰還していない……てことは、捕まったか。多分、俺の薬を材料に。
あの、糞爺の製法不明の薬がなけりゃ、禁断症状が起こり、俺は数日と保たず、死ぬ。
薬の元が判明した今となっては、最早俺を束縛し得る材料じゃないが、それをあのバカガキは知らない。
其処を突かれた。
この小賢しい手口は、あの糞爺だ。
俺とバカガキを分断し、バカガキを封殺しやがった。
……生かしてある事だろう。でなけりゃ、人質としての価値が消える。
薬漬けにされて洗脳されるパターンもあるか知らんが、あの"隊長"なら、そもそこまで出来ないだろう。
だが、小さい方はそうもいかない。
――推測でしかないが、検証は必要だろうが、多分間違いない。
お互いに、急所を握り合ったって事か。
「――上等だ」
吹雪にかき消されるくらい小さく、無意味な啖呵をきる。それに反応するように、俺の背中に固定され眠りこけるリーが、俺の首に回した細い手に、小さく力を込めた気がした。
「――らぁ……」
場違い極まる、安らかな吐息。
しかし子供はそうであるのが、笑って泣いて寝るのが、安らぎの場に居るべきなんだよ。お前も、フォリアも。
だのにあの糞爺は、合成獣をけしかけて俺ら諸ともリーを殺そうとするわ。俺の薬を餌にフォリアを隔離するわ。それ以前にも辺境のガキ共を――双子やらフォリアやらリーやら――誘拐してくるわ。俺を使役するわ……
――もう、俺にはクスリもクサリも無ぇ。
リーが居れば、取り敢えず少量の体液……唾液か血液か、そのあたりで俺の禁断症状は収まる、らしい。
サイは投げられている。俺がリーをあそこから連れ出した時点で、あの糞爺との対決は避けられ無ぇ。
望むところだ。
合成獣が放たれた氷原を離脱したら、まず真っ先に、糞爺の首をトる……!