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妹を虐待していた姉は氷の公爵様に捨てられました――私は公爵邸の最上階で囲われ溺愛されています

作者: 唯崎りいち
掲載日:2026/05/16

 姉の婚約者である氷の公爵は、私だけを連れ出して公爵邸の最上階に閉じ込めた。


 冷たい公爵様の愛は、姉ではなく妹の私に向けられる。


◆◇◆


「ヴォルフラム公爵様がお見えになるんだから、もっとマシな格好をしなさい、プリシラ。あなたなんて妹とは思いたくないけど、事実として妹なんだから、みっともない格好でヴォルフラム様の前には出ていかないで。礼儀には厳しい方だから」


 美しい姉が平凡な妹に言った。


 氷の公爵様と呼ばれる姉の婚約者。


 眉目秀麗で気品に溢れて、知性と落ち着きが同居した完璧すぎる美しさが、姉の婚約者のヴォルフラム・アイゼンベルク公爵様を近寄りがたいものにしていた。


 鋭い目やその凛とした佇まいに怯える使用人もいた。


 姉もいつもより緊張してピリピリとした空気をまとって、両親も公爵様の機嫌を損ねないかと心配している。


「はい、お姉様」


 私は答えた。


 とは言ったけど、私の持っている服はお姉様のお下がりばかり。

 少しでもマシな服は、汚してから渡されるという周到ぶりだ。


『大丈夫かい? 服が破れてしまったね』


 この間、ヴォルフラム公爵様にお会いした時はちょうど目の前で転んでしまったから、そのせいで服が破れたと思われたのよね……。


 優しい方……。


 周りの反応で厳しい方なのは分かるけど、ただ私に向けられる厳しい顔を崩した笑顔にドキドキしてしまう。


 いつもこんな服を着ているなんて思われたくないわ……。



 公爵であるヴォルフラム・アイゼンベルク様と姉のエレオノーラの婚約が決まったのはつい三ヶ月前だ。


 22歳のヴィルフラム様と19歳の姉はお似合いの年頃だった。


 うちはグラハム子爵家と言って、由緒はあるけれど、権威も財力も何もかもが公爵家とは不釣り合いで、没落気味な貴族だ。


 我が家の唯一の希望が美しい姉のエレオノーラで、何処か高貴な方に見初められたらと言うのが母の口癖だった。


 平凡な顔立ちの一歳年下の私は、最初から家族からも相手にされていなくて、姉と差をつけられて育てられた。


 大っぴらに嫌味を言ったり意地悪をするのが姉だけだけど、両親が助けてくれることはない。


 実際にアイゼンベルク公爵家の当主から見初められたのだから家族は正しかったのだろう。




 針と糸で服を縫う。


 ヴォルフラム様の前で少しでも良い服に見せたいからなのだけど……。


 服の穴やほつれを繕うくらいはいつもやっている。

 それでも追いつかないくらい布が弱いから、みすぼらしく見える。


 ……。


 いくら直しても直らない服に涙が落ちてシミを作った。


 やっぱり、体調が悪いと言って遠慮させていただくのがいいと思う……。


 姉が私を会わせたくない人の前では昔から病気を理由に辞退していて、私は病弱だと思われているし……。


 姉は口ではヴォルフラム様の前に来いと言ったけど、私がまともな服を持っていないことは知っているんだ。

 “ヴォルフラム様の前には、出て来るな”と言うのが本当の意味だ。


 転んだ私に差し出されたヴォルフラム様の手は暖かかった。


 ヴォルフラム様の横の姉は、鋭い眼で私を一瞬睨んだ。


 私を立ち上げて姉に向き直ったヴォルフラム様は、無表情で冷たいいつもの雰囲気をまとっていた。


 私を見る時にだけ見せた氷の公爵様だなんて思えない、氷を溶かす笑顔にもう一度会いたいけど……。


 姉に会いにくるヴォルフラム様にとっては、私なんていてもいなくてもいいでしょう……。


 胸が痛んだけど、涙を拭いて決意する。


 今日も仮病を使います。


◆◇◆


 公爵様の馬車が到着されて家の中が一気に賑やかになった。


 氷の公爵様を迎えたピリッと張り詰めた空気の中に、姉や家族のよそ行きの楽しそうな声が、病気の私の部屋にまで時より聞こえてくる。


 慣れていることとはいえ、胸が締め付けられる。

 私は家族からも閉め出されて、ここに居なくちゃいけない。


 ……今日はヴォルフラム様にみすぼらしい姿を見せないために、自分で選んだことだけど。


 ……ヴォルフラム様と姉のエレオノーラが結婚したら、ヴォルフラム様が両親を訪ねたり、公爵邸に招待されたり、会う機会はきっと多い。


 その度にこんなふうに私は隠れる事になるんだろう……。


 姉は嫁いでいなくなるのに、私の孤独は増していくような未来しか見えない……。


 トントン、私の部屋の扉がノックされた。


「プリシラ嬢、体調が悪いと聞いたが、具合はどうだ?」


 ヴォルフラム様の声に、心臓が止まる。


 声が出せない……。


「……どうした!? プリシラ!?」


 返事のない部屋の様子を心配して、ヴォルフラム様が勢いよくドアを開けた。


 そのまま、驚いて呆然とする私と目が合った。


 私は驚いてますます息が出来なくなる。


「無事か……良かった」


 ヴォルフラム様のホッとした笑顔に、私もやっと息をつく。


 急な訪問に仮病で死んでしまうところだった。


「……仮病のようだな」


 ヴォルフラム様が私を見て言った。

 冷たく氷のような声だった。


「……」


 仮病だけど、仮病だとは言えない……。


 でも、みすぼらしいとは言え普段着で、机の前に座ってペンを持っていた様子は、仮病以外の何者でもない……。


「机の上で何を書いていたんだ? 俺に会うよりも大事な事なのか?」


 ……そ、それは言えない。


 私は机の上の書きかけの紙に上にさっと本を置いて隠す。


「ヴォルフラム様に会うより大事なことなんてありません。けど、私に会えばヴォルフラム様が不快な思いをするでしょうから……」


「避けられる方がよっぽど不快だ」


 ヴォルフラム様を怒らせてしまった……。


「す、すみません……」


 私は小さくなって謝るしかなかった。


 こんなに怒らせてしまって、姉との婚約はどうなってしまうの……?

 私のせいで婚約破棄なんてことになったら……姉はますます私にキツく当たるだろう。


「ヴォルフラム様、本当に申し訳ありません! 私はヴォルフラム様に一目でもお会いしたかったんです。でも、ヴォルフラム様の前に出て行ける服がなくて、あなたに見られるのが恥ずかしくて、仮病を使ってしまいました!」


 ヴォルフラム様の目を見ずに言った。


「……服なら送ったんだがな……」


「え?」


「まあいい、服ぐらいで仮病を使われては困るからな。今日は君の服を買いに行こう」


 ヴォルフラム様がおかしな事をおっしゃる。


「姉と両親との親交を深めるためにいらっしゃったのでしょう……?」


「婚約者の家族と親交を深めるためだ。君ももちろん含まれている。それなのに服が理由で避けられたんだ、買いに行く理由にはなるだろう」


 筋が通ってるような、おかしいような……。


「でも、ヴォルフラム様、服を買いに行く服がありません」


 前世からの悩みだ。


「気にするな。俺の隣にいれば、誰も服など気にしない。俺を誰だと思っている」


 有無を言わさず獲物を逃さない目……私は逃げられそうにない。


 圧倒的な公爵家の権力と財力、それにヴォルフラム様ほどの美貌があれば誰も文句は言ってこないだろうけど……。


 隣にいる人は気にされないどころか、注目の的で、ずっと後々まで噂のタネになる……。


(でもせっかくのヴォルフラム様の好意を断って、ますます機嫌を損ねて姉との婚約破棄なんて事になったら……ますます私の居場所がなくなる)


 覚悟を決めるしかなかった。




「ど、どこに行くんですか、ヴォルフラム様!? プリシラなんて連れて!?」


 玄関で姉と両親に会う。


 いつも以上に美しい装いをしている姉。

 所々繕った服を着た妹の私とは、同じ姉妹とは思えない。


「エレオノーラ、君の妹のために送った服が届いていないそうじゃないか……。婚約者の君に恥をかかせる所だった。君のためにも、今日の会食はキャンセルしてプリシラ嬢の為に一日を使う事にする」


 姉のためと言いつつ、冷たい表情でヴォルフラム様が言う。


 有無を言わさぬ圧力に、姉は悔しそうに唇を噛み締めている。


 刺すように冷たい瞳で正面から姉を見下すヴォルフラム様。


 私はハラハラしながら婚約者二人のやり取りを見ていた。


「プリシラ、伏せっていたのではないのですか? ヴォルフラム様にあなたの体調が悪いとお伝えしたのに……」


 母が心配そうな顔で戸惑っている。


 母は、私が姉に言われて体調不良を装うたびに、嘘を信じているようだった。

 心配はしているのに、関心がないから、すぐ治ってしまう体調に疑問がないらしかった。


 父も母と同じで、事後報告で体調不良だったが治ったと聞けばそれでおしまいだった。


 姉とのドレスの差にも、それがずっと当たり前だったから疑問がない。


 私を心配そうに見ている二人の顔に、心配させてしまっている事の罪悪感と、無関心に扱われる悲しさが、同じように胸をチクリと刺す。


 ヴォルフラム様がそんな両親にも冷たい目を向ける。


「贈った服の行方は必ず調べますから、安心していただきたい。婚約者の家に送ったはずの贈り物が届かないなど、公爵家にとって侮辱以外の何者でもない。原因を必ず突き止めて、制裁を受けてもらう。まずは、プリシラ嬢にすぐに服を贈らせてもらう」


 言っている事は配慮に満ちていると思うのだけど……まるで服を盗んだ犯人にでも言ってるような冷たい響きがあった。


 奥で様子を聞いていたメイドがビクッと身体を震わせた。

 姉と仲が良いメイドだ。


 姉と両親、使用人たちの怯えた視線を感じながら、ヴォルフラム様に手を引かれて馬車に乗り込む。


 家族との間の何かが変わってしまったようで胸が痛むのと同時に、握られたヴォルフラム様の手の熱にスッと胸がすく思いがした。


 この人に連れ去られてしまいたい——。


 熱が心臓にまで伝わってドキドキしている。


 ただ、姉の婚約者が妹にも優しくしてくれているだけなのに……。


「よく屋敷を見ておくんだ、着替えた君はもう元には戻れない」


 それなのに、ヴォルフラム様の声が胸の奥に響いて、自分が変わる予感に期待と怖さが混じる。


 ヴォルフラム様は私をどうするつもりなの?





「姉と、私のせいで婚約破棄なんてしませんよね?」


 馬車の中で、私はヴォルフラム様の目を見て真剣に聞いていた。


 ヴォルフラム様は『婚約者の君に恥をかかせる所だった』と私の服を見て言っていたし、姉を愛しているのは間違いないと思うけど……。

 姉や両親と険悪な状態にしてしまった。


「君の……せいとは……?」


 ヴォルフラム様が驚いている。


「私が平凡すぎて服がみすぼらしく見えるから、新しい服が必要になってヴォルフラム様にご迷惑をかけてしまっている事です……!」


「……逆だよ。君が美しすぎるから普通の服では君の美しさに負けてしまうんだ。それは君にせいではないだろう」


 ……!


 あまりの歯の浮きそうなセリフに真っ赤になって固まってしまう。


 こ、氷の公爵様だと聞いていたけど、冷たい公爵様じゃなくて、熱いセリフを顔色変えずに言えてしまう涼しい公爵様なの!?


 で、でも、これは婚約者の妹だからで、これも、お姉様の為なのよね……。


 微笑みを浮かべて義妹を見ているヴォルフラム様に、あなたの婚約者のエレオノーラは妹が惨めであればあるほど喜びますよって教えてあげた方がいいのかしら……。


 どんな経緯で姉がヴォルフラム様の目に留まったのかはわからないけど、妹を虐める姿を好きになったなんて事はないわよね……


「あの……姉とはどういった経緯でお知り合いになったんですか?」


 思い切って聞いてしまう。


「聞いていないのか?」


 私がうなづくと少し驚かれた様子。


「……爵位を継いで、結婚相手を探さなくてはならなくなって人を雇って探させたんだ。政敵につながるような身分の高い女性ではないが、公爵夫人として相応しい最低限を備えた女性という条件で。それで探し出されたのが君のお姉さんだ」


 涼しい顔でヴォルフラム様が言う。


「お、お姉様を見初められたんじゃないんですか!?」


 私は驚いて少し大声になってしまう。


「気に入らない相手なら断る。エレオノーラの前にも何人も候補はいたんだ。大きな問題がないければ、誰でも良かったのは事実だが、大きな問題がない女性は少ない。最後まで残ったのがエレオノーラだった」


 ロマンチックな事を期待していので少しがっかりしてしまった。

 氷の公爵様というのは恋愛面でも冷たいという事なのね。


 でも、大きな問題がない女性は少ないという言葉に、姉の価値がヴォルフラム様の中でかなり高い事が分かった。


「……問題はないと思っていたんだがな……」


 ヴォルフラム様の呟きが馬車のガタゴトという音で聞こえない。


 ただ、意味深に私に微笑む。


 私は微笑みの意味も分からないまま、心臓がドキドキと早くなる。


 勘違いしそうになる……。


 私は問題の少ない女性にはなれていないのよね。

 調査した人には病弱だって事が伝わってるのかもしれない。

 あれは姉のせいで広がったイメージで……ヴォルフラム様には仮病だってバレたけど。


 ヴォルフラム様は優しいけど、息のつけない馬車の道中は、馬車が目的地に着いた事で終わった。


 ホッと息をついてヴォルフラム様の手を取って馬車から降りると、目の前には高級なドレス専門店があった。


 高級な店ばかりが集まる通りでも、最高級の服をまとい、存在そのものが圧倒的なヴォルフラム様はあまりの美しさに浮いているけど。


 私はみすぼらしさで浮いている。


 いくらヴォルフラム様の権力で周りが黙るからと言って、私は入っていけない雰囲気があった。


 馬車の中より息が詰まりそうな場所……。


 それでも、ここまで来てしまったからには、高級なドレス専門店に入って行くしかなかった。


 ふっ!


 息を吸って吐いて、優雅さの欠片もない気合を入れてヴォルフラム様の手を取る。


「緊張するな、俺のそばにいれば何の心配もない」


 ヴォルフラム様は面白そうに笑った。


「君は美しい。エレオノーラと同じ服ばかりだから、自分で気づいていないだけだ。ちゃんと似合う服を着れば君の方が確実に美しいと思えるだろう」


◆◇◆


 店の名前は『クリスタル・リリー』と言って、この国にとどまらず、世界中で人気の高級店だった。


 話には聞いたことはあるけど、一生縁のない店だと思っていたのに……。


 比べるのもおこがましいけど、我が家だって貴族の端くれ、玄関には大きなシャンデリアがあって調度品もそれなりに整えられてはいる。


 ただ、この『クリスタル・リリー』のシャンデリアに比べたら、豆電球だった。


 王宮のシャンデリアよりも輝いているかもしれない『クリスタル・リリー』のシャンデリアの下には、高級なドレスが並べられて、奥の談話室では、店の常連らしい母娘や恋人たちが微笑みを浮かべて、ドレスを選んでいる。


 服を買いに行く服がないどころの話ではない。


 服を買いに行く服を買って、それを着てよそ行きの服を買って、よそ行きの服を着てやっと辿り着ける場所だ。


 ジャージでハイブランドの旗艦店に来てしまった感覚。

 死ぬしかない。

 恥ずかしさでクラクラする。


「アイゼンベルク公爵様、本日はどのような……」


 店主らしき女性がヴォルフラム様を見ると慌ててやってくるけど、私を見て言葉じりが消える……。


 ヴォルフラム様が冷たい視線を送る。


 店主は青ざめた。


 すぐに店主は気を取り直して、私を褒めはじめた。


「婚約されたとお聞きしていましたが、この方がアイゼンベルク公爵様の婚約者様ですか。なんて美しい方なんでしょう。こんな素晴らしい方に当店のドレスを選んでいただき光栄です」


 何を見ているの? 明らかなお世辞にいたたまれない。


「彼女はプリシラ・グラハム嬢、私の大事な婚約者の妹だ。この店でできる最高の装いを見せてくれ。彼女の美しさを引き立てる服はここにしかないだろうからね」


 もっととんでもないことを言う!


 ヴォルフラム様の鋭い眼光に店主の背筋が伸びた。

 周りの店員や、遠くから様子を伺っていた客たちの空気も一変する。


 “この男の機嫌を損ねたら命はない”そんな空気が一瞬張り詰める。


 ただし、流石にプロなので、すぐに優雅な動きに戻る。


「ドレスを持ってきますので、こちらの特別室でお待ち下さい」


 店主に案内されて、さらに場違いな場所に通された。


 わ、私なんかに気を使わせてすみません!


 ヴォルフラム様は涼しい顔で私の手を取ると一目で高級品である事がわかる特別室のソファにくつろいだ様子で腰を下ろす。


 私はガチガチに緊張して、ソファの端っこに出来るだけ身体をつけないようにして座った。


「そんなに緊張することはない、ただの服を売っているだけの店だ」


 ヴォルフラム様は言うけど、ただじゃない。

 宝石を散りばめたようなドレスは、うちのグラハム子爵家の年収以上はある。


 ……場違いすぎる……。


 服を買うと言って連れ出された時に、婚約者のために、妹にもそれなりの格好を求めているからだと思ったけど……。


 公爵様のそれなりの格好が想像を絶した……!


「お待たせしました」


 そう言って店主と数人の定員が服を持って現れた。


 光り輝くようなドレスに目が開けられない。


「彼女の美しさの前ではどれも霞んでしまうな」


「も、申し訳ありません!」


 ヴォルフラム様の言葉に店主が恐れ慄いている。

 私も、自分の身の程を知っているだけに、店主と一緒に戦慄する。


「これが一番、彼女には似合うだろう」


 そう言ってヴォルフラム様が選んでくれたのは、輝くような真っ白いシルクに白銀の糸で刺繍された煌めくような純白のドレスだった。


 私は店員に連れられて着替えた。


 ヴォルフラム様によって上げられたハードルに私も店員も冷や汗をかいていたが、後戻りできない。


 でも——。


 鏡に映った自分が自分じゃないみたいに見える……。


「すごい……高級なドレスってこんなにも人を美しくできるのね……」


 姉より美しくなれるってヴォルフラム様の言葉は嘘じゃなかった——。


 私の呟きに店員もホッと満足そうに、「プリシラ様が美しいからドレスが引き立ちます」と言った。


 繊細な刺繍がされた服の首元から続く肌が、服の続きのように白く滑らかに見えて、目鼻は刺繍で作られたように形が良く清らかだった。


 ……自分で自分にうっとりしてしまう。


 店員の言った事もお世辞だけではない気がした。



 着替えた私は、ヴォルフラム様の前に連れ出されるけど、自分で自分を美しいなんて思った事が恥ずかしくて俯いてしまう。


 そんな私にヴォルフラム様は何も言わない。


 気まずい沈黙が流れて……。


 自惚れた自分が恥ずかしくなる。


 ヴォルフラム様にとって私はただの婚約者の妹なのに……。


 目頭が熱くなって涙が滲んでくる。


「……すまない、プリシラ嬢。想像以上の美しさに言葉を失ってしまった。店主、さすがに国一番の店だけある。彼女の美しさをこれほどまでに引き立てる服があるとは思わなかった。先ほどの服は全て買い取ろう。他にも彼女に似合う服を持ってきてくれ」


 先程までは氷の公爵様の異名通りに恐ろしかったヴォルフラム様の賛辞の言葉に、店主と店員が満面の笑みで部屋から出て行った。


 私はヴォルフラム様の言葉ホッと微笑んだ。


 けど、


「ヴォルフラム様……あの、褒めていただいて嬉しいですけど……この一着で十分です……。姉のためとはいえ、これ以上は……」


「この店の店主の為でもあるし、ドレスの為でもある。一番似合う者が着るべきだろう」


 店員さんのためと言われたら、売れた方がいいのだろうから反対し辛い。

 ヴォルフラム様のお財布を心配するのも失礼だろうし……。


 結局、私は言われるままにその後も服を着替えて、大量の服がヴォルフラム様によって買われていくのを聞いていた。


◆◇◆


 高級服店『クリスタル・リリー』の特別室を出ると、入る時にいた客たちがまだ服を選んでいた。


「ヴォルフラム公爵」


 そう声を掛けてきた男性がいた。

 美しい女性とその母親とドレスを選んでいた男性で、婚約者と来ているのだろう。


「モンタギュー侯爵か」


 ヴォルフラム様と知り合いらしい。


「エレオノーラ・グラハム嬢と婚約されたと聞きましたが、妹君とお買い物ですか。僕はエレオノーラ様とは学園で一緒だったんですが、病弱な妹君にはずっと会わせてもらえなかったんです」


 お姉様の同級生?

 私は学園には通わせてもらえなかったけど……。


「紹介して貰ってもいいですか? ヴォルフラム公爵」


 紹介って、婚約者さんと一緒なのに……。


「あれは妹と母です」


 私の視線に気づいてモンタギュー侯爵が言う。


 微笑みを浮かべて見つめられてドキッとしてしまう。


「残念だが、俺にその権限はない。エレオノーラが紹介しなかったものを勝手には出来ない」


冷たく言うと、私の手を引いて店を出ていく。


 モンタギュー侯爵がずっと私を見つめていたけど、それよりもヴォルフラム様の言葉が胸に刺さった。


 “エレオノーラ”と姉を他人の前で名前を呼び捨てた。


 二人の婚約が動かし難い事実として胸に落ちてくる。




 帰りの馬車の中で私は無言だった。


「どうしたんだ、プリシラ」


 ヴォルフラム様に名前を呼ばれてハッとする。


 私の事“プリシラ”って呼んだ……。


 それだけで心が暖かくなるって、服を見繕っていただいたのにお礼も言っていない事を思い出した。


「侯爵に紹介されなくてがっかりしているのか?」


 ヴォルフラム様が不機嫌そうに言う。


「ヴォルフラム様に選んで頂いたドレスが素敵だったから声を掛けていただけたのです。他にも声を掛けてくださる方がいたらいいと思います。ずっと子爵家にいるしかないと思っていたけど、私でも誰かと結婚できるかもしれない。ありがとうございます」


 私は深く頭を下げた。


「そう言うつもりで君に服を買ったわけではないんだ。だが、君には一番お勧めの男を紹介しよう」


 え、ヴォルフラム様のお勧めって……。

 きっとすごく喜ばなきゃいけないんだろうけど、ズシっとまた気分が沈む。


「それは、遠慮しておきます。……さっきの方、姉の所に遊びに来たことがあるんです。私は会わせて貰えなかったけど、フェリックス・モンタギュー侯爵様という名前だけ覚えていたんです。他にも何人もの方が姉を訪ねてきていて、名前だけ知ってる方はたくさんいるんですよ」


 学園時代に姉はモテていたのだと思う。


 色々な男性が家に遊びに来たり、出かける誘いに来た。


 その度に仮病を使わされた私は、この頃に病弱と言うイメージがついた。


『病弱な子爵令嬢なんて、娶りたいと思う人は誰もいませんよ。プリシラとエレオノーラ、どうしてこんな差がついてしまったのか……』


 母が嘆いていた。



 馬車が止まる。


 行きよりも早く感じる……と思ったら、高級服店『クリスタル・リリー』のある高級な通りの、高級な邸宅が並ぶ一等地の一番立派な邸宅の前で止まった。


「アイゼンベルク公爵家だ」


 ヴォルフラム様の王都での自宅らしい……。


「婚約者の妹君のための部屋を用意させてあるんだ。ここまで来たついでだから見ていってくれ」


 急すぎる!


 それに私の部屋って……。


 公爵様の邸宅は宮殿と見間違えるほどに広くて、婚約者の家族の部屋だって簡単に用意できそうだけど……。


「ヴォルフラム様、グラハム子爵家からプリシラ様のお荷物をお部屋にお運びしてあります」


 侍従がヴォルフラム様に報告したけど……その内容って……。


「わ、私の部屋の荷物を運び込んだんですか!?」


 私は真っ赤になって抗議する。


 ど、どどどどうしよう!

 あの紙を見られたら!?


「酷いわ!? へ、部屋に案内して下さい!?」


 私はヴォルフラム様を思わず怒鳴りつけていた。


◆◇◆


「ここが君の部屋だ」


 ヴォルフラム様に案内されたのは階段を四階分上がった所にある西翼の日当たりのいい部屋だった。


 絨毯の深みが増して、調度品が落ち着いたものに変わり、使用人の数が減っていく。


 公爵家のプライベートな場所だと分かる。


 そんな場所のさらに一等地に私の部屋がある。


 ちょっと信じられない場所だけど、それより私の荷物……!


 扉が開け放たれると机が置いてあった。


 グラハム子爵家の自分の部屋とは比べ物にならないほど広い部屋の中央に、私の部屋から持って来た荷物が置いてある。


 机の上には、部屋を出る直前にヴォルフラム様に見られないように書いたばかりの紙の上に置いた本まで再現されている。


 読まれていない……と思えるほど、私は純粋ではなかった。


 カッと身体が恥ずかしさに熱くなる。


 さっき公爵様に私の部屋から荷物を運んだと言った従者がヴォルフラム様に話しかけようとする。


「ヴォルフラム様! 来てください!!」


 引き離そうとして強引にヴォルフラム様の腕を引いてしまう。


 ヴォルフラム様が驚いている。


 でも、にこり微笑んで、私のために用意したという部屋に入ってくる。


 いや、見せたくないものが部屋にあるんだから、部屋に入れるのはまずい……。


 侍従から私の書いていたモノがヴォルフラム様に伝わるのを恐れて、よりまずい方向に進んでしまったかも……。


 

「どうしたんだ、プリシラ」


 ヴォルフラム様に名前を呼ばれて、胸が高鳴った。


 でもそうじゃなくて……。


「……私の部屋から勝手に荷物を持ち出すなんて、いくら私が婚約者の妹だからってやりすぎです……!」


 私はヴォルフラム様の目を見てはっきり言った。


「勘違いさせてすまなかったが、婚約者の妹だから部屋を用意させたのではない」


「え……? だって、さっきヴォルフラム様が……」


 私が戸惑っているとヴォルフラム様は真剣な目を向けてくる。


「君は家族に虐待されている」


「……!」


 ヴォルフラム様は淡々と続ける。


「君は転んで破けたと言ったが、服が姉のエレオノーラとかなり差をつけられていた。だから、服を君に送ったのに、君に服は届いていなかった。仮病まで使って俺と会うことを避けていたが、モンタギュー侯爵の証言と君の証言から、昔から日常的に病気を装って部屋から出さないという監禁が行われていたことが分かった」


 ヴォルフラム様が畳み掛けるように言う。


「でも、それは……私が地味でお姉様の邪魔になるからで……」


 ヴォルフラム様が私の肩を掴んで、しっかり見つめる。


「メイドがエレオノーラの指示で服を隠した事を証言してる。今は公爵家で引き取ってメイドを保護している。プリシラ、これは立派な虐待だ」


 ……。


 ヴォルフラム様は分かっていて、ずっと調査していたの……。


「……っ!」


 私の目から涙がこぼれた。


 分かっていたけど、認めたくなかった……。


「あのままでずっと閉じこもっていても良かったのに……」


 私はそこしか知らなかったから……誰かと結婚できるかもなんて夢を見ても、結局は外に出たいと思っていなかった。


 ヴォルフラム様が机の上の紙の束に手を伸ばした。


「これは君が書き続けて来た、虐待の記録だ」


 涙の後でインクが滲んでいる紙の束。


 毎日書いていただけで記録と言うわけじゃないけど……やっぱり、見られていた……。


 引き出しの中の物も見られている?


「運ぶ時に侍従が見つけたんだ。他のものの報告は受けていない。君の持ち物を検閲するつもりは無かったが、この記録があれば王宮や社交界に正式に訴えられる。親権と後見人を君の家族から別のものに移すことができるだろう」


 親権は20歳までだけど、女性は家を継ぐか結婚するまで両親が後見人でずっと保護下に置かれ続ける。


「……でも、両親以外に頼れる人なんていないんです……」


「それなら心配いらない、アイゼンベルク公爵家の分家や親戚、他にも信頼できる後見人候補は選んでいる。特に、俺の母の姉が伯爵夫人としての義務を引退して郊外に住んでいるから、叔母に後見人を頼んだら是非に来て欲しいと返事をもらっている」


 公爵様は本当に準備を進めていてくれたらしい。


「……ヴォルフラム様が後見人にはなって下さらないの……?」


 ここまでしていただけただけで十分だけど、ここまでしたのに最後は突き放すの……?


 最上階の部屋はただの一時的な避難の場所だったの?


「俺は君を虐待した姉の婚約者だ。後見人にはなれない」


 そうだった……。


 どんなに私に優しくても、ヴォルフラム様は私の義兄になる人……。


 やっぱり、グラハム子爵家の部屋が私の唯一の居場所だ……。


「婚約破棄が正式に成立して落ち着いたら、プリシラ、君を迎えに行く。それまで、待っていて欲しい」


 ヴォルフラム様が私の手を取って見つめて言う。


「……お姉様みたいな、問題のない女性は少ないって……」


「君を虐待していたんだ、問題ある女性だよ。調査資料ばかり見て、最初に会った時の違和感を無視してしまった」


 ヴォルフラム様は、お姉様に最初から疑念を持っていたの……?


「慎重にすべき所だったが、『滅多に人前に出ない病弱な妹』という報告書の一文が気になったんだ。……昔の俺と境遇が似ている気がしたから」


「ヴォルフラム様も、家に閉じ込められていたの!?」


「俺も、子供の頃は複雑な状態だったんだ。だから、君の服が破れているのを見てもしかしたらと思った。送った服を君が着ていたら気のせいだと思っただろうが」


 ……お姉様は、服を隠さなければ、虐待を疑われて婚約破棄される事もなかったのに……。


「その場合は、どうすれば君と婚約出来るか頭を悩ませる事になっただろうけどね」


「え!?」


 ヴォルフラム様が氷の公爵様なんて呼ばれてるとは思えない、甘い顔で私を見つめる。


◆◇◆


 公爵様の屋敷から虐待の証拠を王宮の調査室に提出して、正式にグラハム子爵家と縁を切るための手続きを済ませた。


 数日、待つ必要があった。


 数日の間に姉と両親が公爵邸を何度か訪ねて来た。


 私は四階の部屋にいて、公爵様が追い返してくれたと事後報告で聞いた。


 姉は意地悪だったけど、両親はただ姉のいいなりだっただけで悪くはない……。


 両親に会えなかった事に寂しさが募ったけれど、二、三度の訪問の後に両親が来ることはなかった。


 私への無関心……。


 きっと両親は最初から姉に付き合って公爵邸に来ただけで、私を連れ戻したいなんて思っていなかったのかも……。


 私は泣いた。


 自分も虐待されていたと言うヴォルフラム様には、両親が本当の害だった事がわかっていたのかもしれない。


 ただ優しく抱きしめてくれた。



 高級服店『クリスタル・リリー』でお会いしたフェリックス・モンタギュー侯爵様が、あの時店にいた双子の妹カトリーヌ様を連れて公爵邸に遊びに来てくれた。


「プリシラ嬢を保護したと聞いたが、閉じ込めていたら君が虐待している事になりますよ」


「だから、君を追い返したりしていないだろう」


 ヴォルフラム様とフェリックス様はお話しがあるようなので、私はカトリーヌ様とお話ししていた。


「あなたのお姉様のエレオノーラとは私も学園で同級生だったのよ。美人で人気はあったけど、男漁りがひど——社交的すぎてちょっと浮いていたわね」


 姉の学園での様子を聞くのは初めてだ。


「よくお友達の男性が家に遊びに来ていたけど……」


「それはあなた目当てよ。フェリックスもそうだけど、一度遊びに行った男の子がエレオノーラの家に絶世の美少女がいたって触れ回って学園中の話題になっていたのよ。フェリックスもずっとあなたに夢中で、この間、『クリスタル・リリー』で遂にあなたに会えて、想像以上だって大騒ぎなのよ。だから、付き合わされて私が今日ここに来たんだけど、エレオノーラの妹なのに素直で素敵なあなたに会えて嬉しいわ」


 カトリーヌは率直に話す気持ちのいい女性で話していて楽しいけど、情報量が多すぎて頭に入ってこない……。


 え? 私が絶世の美少女!?


「プリシラは学園には通わせて貰えなかったんでしょう? 下級貴族なら通う子の方が珍しいけど、学園に通わない子って普段は何していたの?」


 カトリーヌ様に聞かれて、姉の習い事の家庭教師についでに教えてもらっていた事や服の補修をしていた事を話した。


「へー、他には?」


 そう屈託なく聞かれて逃げ場がなくなる。


「執筆してました……」


 言ってしまっては引き返せない。


「ええ! どんなもの!? 読みたいわ!」


 引き返せずにカトリーヌ様を部屋に招き入れて執筆した小説を読ませた。


「……素敵! 今まで読んだ小説の中で一番好きかもしれない!」


 私は顔から火が出そうだった。


「……でも、なんとなく予感はあったけど、これを読んだらフェリックスは完全に脈なしよね……」


 遠い目をしてカトリーヌ様が言う。


「フェリックスには現実を知ってもらわなきゃいけないし、私ももっと読みたいから、この小説たち借りて行っていい?」


 そんな、門外不出のものをダメに決まってる。


 でも、カトリーヌ様の押しの強さに押し切られたいた。




 フェリックス様とカトリーヌ様が帰る頃に、姉が一人で訪問して来た。


 私は外に出ていて、ちょうど姉に見つかってしまう。


「プリシラ、やっと会えたわね。地味で何の取り柄もないあなたが、ある事ない事、ヴォルフラム様に吹き込んで、私たちの平穏を壊すのね。本当の事をちゃんと言って謝りなさい」


 姉の言っていることがわからない。


「エレオノーラ、プリシラは何も言っていない。君の家の状態が全てプリシラを虐待している証拠になっただけだ」


 ヴォルフラム様が姉に冷たく言う。


 姉の名をエレオノーラと呼び捨てだけど、親しみはない。


 ただ、敬意を祓う存在ではなくなったのだ。


 私はその事が分かって——分かる自分になって、胸が熱くなった。

 ヴォルフラム様が私を家から連れ出す時に、『君はもう元には戻れない』と言ったけど本当だった。


 ヴォルフラム様に愛されて、姉より私の方が上だって確信してる。


 だから、姉がみんなから見られていた、本当の姿がわかる。


「虐待なんてとんでもない。地味で平凡なプリシラより、美しい私が優先されることは当たり前なのよ! そんなこともわからないの!?」


 姉はヴォルフラム様を見下げたように言う。

 けれど、それは姉の自信のなさの現れだった。


「当たり前のはずがないだろう。そう言う君の選民意識が学園で多くの人を遠ざけたんだ。君の周りに集まってくるのは君の妹を一目見たいという男たちだけで、そのことが返って君のプライドを傷つけたんじゃないのか!?」


 フェリックス様が、「俺も妹目当ての一人だから強くは言えないが」と小さく続ける。


 姉は悔しそうに唇を噛んだ。


「あなたが閉じ込められた病弱な妹で男を釣ってるって言うのは女子の間じゃずっと評判だったわ。本当に病気なんだと思っていたけど……ずっと病気のふりをさせてたなんて信じられない。

 けど、プリシラにフェリックスみたいな男を合わせたら、すぐにでも婚約してしまって子爵家を救ってしまうから、閉じ込めておきたかったのよね……。自分の価値をそんなふうに決めてしまって、妹の邪魔するなんてバカよ」


 カトリーヌ様が姉を憐れむ。


「……私にはそれしか価値がないのよ……。プリシラみたいに、才能があるわけでもない……」


 姉が俯く、普段からは考えられない暗い声。

 私が机に向かっていると蔑むような目を向けてきたのに。


「男くらいは私に譲たっていいでしょう!? そうしなければ、両親の愛情を一身に受ける可愛い娘でいられなくなる……」


 虚な様子で語る姉……。

 これが本当の姉の姿だった。


 私を長年苦しめた姉は、こんなに小さく薄っぺらい人間だったのか。


 私は自分の心が冷めて、冷たい目で姉を見ているのに気づいた。


「私はグラハム子爵家には、もう帰りません。両親はあなたにあげます、エレオノーラお姉様……」


 無関心で私を見ない——娘のことなんて見ていない、両親なんていらない。

 私のとってはもう無価値なもの。


 姉がキッと私を睨む。


「私だって、こんなものいらなかったのよ。自分だけ勝ったつもりにならないで、私は負けない」


 そう言った姉の目は力強かった。


「エレオノーラ、君と俺との婚約破棄は正式に成立した。俺と君は無関係だ、そして、プリシラも別の後見人の元で正式に養女になる事が決まってる。君がどうなろうと俺とプリシラにはどうでもいい、好きに生きろ」


 ヴォルフラム様が姉に言い放つ。


 一瞬だけ、姉に後悔が浮かんだ。


 けれど、ギラギラした目を私たちに向ける。


「さよなら、お望み通り好きにさせてもらうわ」


 姉は公爵邸の門を背筋を伸ばして通った。


「エレオノーラお姉様、さようなら。二度とあなたに会うことはありません」


 背中に向かって私は言った。


 冷めて行った心に虚しさだけが残った。


 ただ、


「これで、公爵邸の最上階の部屋は正式に義妹のための部屋じゃなくなった」


 ヴォルフラム様の言葉に自分の立場を考えて胸が熱くなった。




 姉はそのままグラハム子爵家には戻らなかった。


 両親がしばらく姉を探していたようだけど、すぐに忘れてしまった。


 私と姉、二人の娘がいた事など忘れて、さらに没落した子爵家を嘆いて、いつの間にか屋敷は人手に渡り、貧民街で暮らしている。

 

 戻らなかった姉は豪商の愛人になっていた。


 フェリックス様が友人から聞いて、私の耳に入れたくはないとしばらく隠していた。


「きっとエレオノーラの天職ね」


 カトリーヌ様が言ったから、私にも教えてくれる気になったらしい。


 カトリーヌ様の意見には納得させられるものがあって、姉は幸せなのだろうと思った。


 ずっと後で、何度か相手を渡り歩いて、年老いて誰にも相手にされずに一人で亡くなったと聞く。


 最後に私に会いたがっていたと人が教えてくれた。


 姉が大事にしていたと言う私の本を見せてくれた——。


◆◇◆


 私は郊外にあるマティルダ・フォン・ヴァレンシュタイン伯爵夫人の屋敷にいた。


 彼女はヴォルフラム様の母の姉にあたる方で、夫に先立たれ子育ても終えて実質隠居生活をしている。


 私は彼女に養女に迎えられて、実際はヴォルフラム様の庇護下で平和な日々を過ごしている。


「いいわね、この展開! 続きがますます気になるわ」


「マティルダ伯爵夫人にそこまで言わせるなんて、続きを読むのが俄然楽しみになって来たわ」


 遊びに来ていたカトリーヌ様が言う。


 カトリーヌ様とフェリックス様は時より私を訪ねてくれて、今日も一緒に来てくれた。


 最初は読まれるのが恥ずかしかった小説だけど、だんだん慣れて来て、どう驚かせようと言うのが最近の課題だ。


 庭園のテーブルを囲んでお茶を楽しんでいると来客があった。


 ヴォルフラム様だ。


「か、隠してください!」


 私はカトリーヌ様とマティルダ様に言う。


「もう、見せてもいいんじゃない?」


 二人はそんな顔をしているけど、絶対に見せられません!


「どうして君がここにいる」


 来るなりヴォルフラム様はフェリックス様に言う。


「プリシラは俺にとっても、最も大切な人なんだ」


 フェリックス様がヴォルフラム様の怒りを逆撫でするような事を言う。


 ヴォルフラム様は鋭い目つきでフェリックス様を睨む。


「ヴ、ヴォルフラム様は何のようですか、ずっと来なかったじゃありませんか」


 私は二人の間の緊張感を和らげようと、返ってヴォルフラム様を攻める言い方になってしまう。


 だって、一ヶ月も会えないのは寂しすぎます。


「すまない、プリシラ。次に会う時は義兄ではなく、正式な君の婚約者になってからと決めていたんだ。次に会うのは社交界での噂が消えてからだと決めたら、一ヶ月もかかってしまった」


 そう言ってヴォルフラム様は私に跪く。


「プリシラ、俺と結婚してくれ。公爵邸の最上階、俺の部屋の隣に君を一生閉じ込めたい。もちろん、君の意思のままに出入りは自由だが」


 私はヴォルフラム様の言葉が終わらないうちに抱きついた。


 ずっと待っていた言葉だ。


「はい! ヴォルフラム様!」


 ヴォルフラム様が私を抱きしめて、キスをする。


「……続きが生で見れたわね」


 マティルダ様が言って、カトリーヌ様がうなづく。




 それから、私は公爵邸の最上階に移った。


 私はヴォルフラム様と幸せな日々を送っている。


 相変わらずフェリックス様とカトリーヌ様は私を訪ねてくれる。


 ヴォルフラム様は、フェリックス様には多大な嫉妬を向けたままだ。



 でも、ある日、ヴォルフラム様が小説を持って来た。


 今大流行の、公爵と子爵令嬢の恋物語。


「君が書いたのか、プリシラ」


 子爵家から荷物を運んだ時に机にしまった原稿を見ることもなく、本当に知らなかったらしい。


「フェリックスの立ち上げた出版社から出ている……最も大切な人とはそう言う意味か……!」


 そう、私がいなくなったらフェリックス様は自社のベストセラー作家を失う事になる。


「実質的に君の価値の重さをフェリックスの方が感じていると思ってるね、プリシラ」


 そう言う形で嫉妬を向けられるとは思わなかった。


 次の小説のネタにしよう……。


 私の肩に手を置いて、真剣に見つめるヴォルフラム様の首に私は手を回す。


「私が一番重くヴォルフラム様を愛してますから、ヴォルフラム様はずっと負けですよ」


 小説の世界に、私があなたを永遠に囲い込んでる。


「それは絶対にない。君が創造する小説の世界も、全て俺が再現して、君に与える」


「え」


 それが出来てしまうのが、公爵様の権力と財力の恐ろしいところ……。


「君が俺に対抗するなら、もう遠慮は要らないな。君の小説の刺激になることはいくらでも俺が与える」


 私はヴォルフラム様の腕に強く抱かれて、低い囁き声を聞く。


「王妃がこの本の大ファンで君に会いたがっている。王宮の様子を見ると創作の刺激になるだろう」


「え」


 意外すぎて理解が追いつかない。


 ヴォルフラム様が本気で執筆に協力してくれるなんて……。




 王妃の私邸の庭にヴォルフラム様と来ていた。


 王妃様が庭のテーブルに座っている。


 周りには二人の私より少し年下の男の子がいた。


 王太子とその弟だ。


「兄上、よくいらして下さいました」


 ヴォルフラム様が兄上と呼ばれてる……え!?


「ヴォルフラム様……?」


 ヴォルフラム様は寂しそうに笑う。


 ヴォルフラム様が王子たちと話しているので、王妃と二人っきりにされてしまう。


「あなたの本、とても面白かったわ。この公爵はヴォルフラムがモデルなんでしょう?」


「は、はい……でも、まだ、一度会ったきりの時の印象で書いてるので……」


 これ、説明するの恥ずかしい。

 ベストセラーになっても一度会っただけのヴォルフラム様をモデルに書いていたなんて……。


「いつも冷たい表情で氷の公爵なんて呼ばれてるくせに、好きな子には優しくしちゃうなんて、可愛いわね」


 ……すみません、ヴォルフラム様のイメージが……!


 私が小さくなっていると王妃様が説明してくれた。


 ヴォルフラム様は王妃様と結婚が決まる前に、国王と公爵令嬢との間に生まれた子なのだそうだ。


 急な政略結婚で王妃様との結婚が決まり、公爵令嬢とヴォルフラム様は世間から隠されて、やがて公爵令嬢は亡くなったらしい。


 ヴォルフラム様が自分も虐待されていたと言ったのはこう言う事情だったんだ。


「私にはずっと存在を隠されていて、知ったのはヴォルフラムが12歳の時だったの。夫の第一子で、この国の法律では王位継承権は第一位だけど、辞退して私の王子に譲ってくれたのよ」


 そんな経緯が……。


「私があなたの本のファンなのは事実だけど、ヴォルフラムの奥さんを見ておきたかったのよ。私の息子に何かあれば、ヴォルフラムに王位継承権が行くから。多分、彼なら次の者に譲るでしょうけどね」


 ……王妃様が私のファンだと言うのも驚きなのに、ヴォルフラム様が王位を継承する可能性もあるって……。


 ……。


「あら、怖がらせるつもりはなかったのよ。ただ、書くことにも気を付けないと、いろいろ大変よ」


 私は勢いよくうなづく。


「王妃様、プリシラを怖がらせないで下さい」


 ヴォルフラム様が私を庇ってくれる。


 でもこれは怖がらせたり脅したりしたいがためのものじゃなく、王妃様の現実的な忠告だ。


 ヴォルフラム様の政治的な動きをうっかり小説にしてしまったら大変な事になる……!


「王妃様……私、ヴォルフラム様が私にしてくれたことしか書きません!」


 涙目で言うと、王妃様は微笑んだ。


「楽しみにしてるわ」


 王妃様の言葉にヴォルフラム様は複雑な顔をした。


 ヴォルフラム様は私を高級服店の『クリスタル・リリー』に連れて行ってくれたり、公爵邸の最上階に部屋を用意してくれたり、今でも私を最高に甘やかしてくれる。


 でも、全然足りない。


「私が危ないことを小説にしない為に、ヴォルフラム様はもっと私を甘やかしてくれないとダメです。これは女王様の命令です」


 帰りの馬車の中で私は言う。


 無茶なおねだりをしているけど、果たして本当にそうだったのか?


 もしかしたら、王妃が主人公が最高に甘やかされる小説が読みたかっただけかも。


 ただ公爵様は最高の味方を得たように、


「ずっと君のそばで、嫌がられても離すわけにはいかなくなったな」


 そう言って手始めに長いキスをした。

 

 どうやら、私は国家レベルの愛の檻に閉じ込められたらしい。


【終わり】

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