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小学生の頃、プロ野球選手を夢見て念願のプロ野球選手に。しかし、プロ野球選手は長くは続けらなかったが…。

 少年ハルトは小学3年生の頃、テレビに映るプロ野球選手に憧れていた。

 小学校で放課後にソフトボールのバットを振っていると教頭先生に声を掛けられ、ソフトボールの授業で指導を仰ぎ、後に少年野球チームに参加する事を勧められた。

 小学五年生から軟式のチームへ参加し、その後硬式のチームへ移行しショートを任されるようになった。

 中学のクラスメイトの女子ナミにイジられながらも仲良くなり、付き合うようになった。

 その後、ハルトは高校へは野球で推薦入学する事が決まるとナミも同じ高校へ進学する事を決める。

 ナミはハルトをいろんな面でサポートしお互いの絆は強くなっていった。ハルトは甲子園に出場する程、注目される選手になり、ついに念願のプロ野球選手になった。

 ナミはハルトをいつでもサポートできるように大学に進学してもハルトに寄り添っていた。

 後に二人は結婚を意識し「二十歳の成人後に結婚する」とお互いの両親にも伝え、結婚した。

 ハルトはプロ野球選手として徐々に活躍するようになり、ナミはいつも応援していた。

 ハルトは一軍で活躍するようになり、二人に第一子が誕生し順風万端となって行くと思われたが、ハルトは試合後に倒れてしまい病院へ救急搬送された。そこからハルトとナミの生活は一転してしまう。

 第一話  ハルト 野球選手を目指す


 俺、山田春斗ハルトは、小学三年生の頃、テレビに映るプロ野球選手に憧れ、家にあったホーキをバット代わりによく振り回していた。

 その頃、小学校ではソフトボールを体育の授業で行っていたが、四年生から授業に組み込まれていて、三年生の俺には無縁だった。

 体育館横の倉庫にはソフトボール用のグラブやバットがいくつも置いてあった。

 ある日の放課後、「バットを振ってみたい」という気持ちが強く、体育館横の倉庫に行き、バットを持ち出し倉庫の外に出ると運悪く先生と出くわしてしまった。

 「バットをどこへ持ち出すのだ」と言われ「バットを振ってみたかった」と怒られる事を覚悟で話した。

 するとその先生は「そうか、振ってみろ、見てやるから」と言うのだ。

 何か拍子抜けした俺は先生の前で思い切りバットを振って見せた。

 先生は「バットはな・・・」とバットの素振りを教えてくれた。

 そこから俺の野球への思いが日に日に強くなり、「目指せ、プロ野球選手」という人生の大目標ができた。

 その先生はあまり見かけなっかったが、六年C組の担任で教頭の大石先生だ。

 後に先生は昔、中学・高校・大学で野球選手として活躍していたと聞いた。

 四年生からのソフトボールの授業では大石先生が専属で教えているそうで、「君も四年生になったら教えてあげよう」と言われた。 

 俺はそれが何より嬉しくて、教えてもらったバットの素振りを毎日放課後にここの倉庫横で行っていた。手には豆ができ、靴は汚れ布部分が破れ掛かっていた。

 家に帰り、おかん(母)から「靴、随分痛んでるな」と言われ、素直に「ソフトボールやりたくてバットを毎日振っていたからだよ」と言うと「勉強もしないとダメだよ」と言われた。おかんの言う通りである。

 俺は勉強が大の苦手で、兄い(にい)は勉強ができるので、おとん(父)やおかんにいつも兄いと比較されていた。

 ついに俺の靴にも限界が来て、布部分に大きな穴が開いてしまった。

 おかんにも言えず、家にある布ガムテープを靴の内側から何枚も貼り、何とかごまかしてしばらく履いていた。

 おとんが久しぶりに家に帰って来た。 

 おとんの仕事は長距離トラックの運転手で一度家を出ると五~七日は家に居なかった。

 おとんが帰って来るなり俺の靴を見て「何だこの靴は?」と言うのだ。

 「俺のだけど」と言うとおとんは「ハルのか?」と言い、「新しい靴すぐ買えよ」と言い出し、俺に五千円札一枚を差し出し「これで買え、つりは要らねえ」と気前が良く言うのだが、おかんは何も言わなかった。

 おとんは曲がった事や礼儀正しく無い事や身なりが悪い事は大嫌いで、そのしつけは厳しく、その代わり褒める時はとことん褒めるメリハリのあるしつけだ。

 また、困っている人にはとことん優しく接し、面倒見の良い所が周囲からの信頼も厚かった。そんなおとんだが、たばこは吸わず、酒好きなのだ。帰って来た時に冷蔵庫にビールや氷が無かったりするとアホのように怒りだしていた。

 翌日、俺は下校途中の靴屋で靴を買いおとんに「靴買ったよ、有難う」と言うと「ハル、野球好きなのか?いいねえ」と言っておとんは夕方から仕事へ出掛けた。たぶん、おかんから聞いたと思う。

 兄いは、勉強はできるが運動はあまり好きでは無いが、足は早く、運動会ではいつも一番だった。

 俺は四年生になるとソフトボールの授業が待ち遠しかった。

 俺はいつも素振りをしていたので「投げた球を打ちたい」という思いが強かった。

 ついにソフトボールの授業となり、大石先生に手取り足取り指導していただいた。

 バットの振り方、グラブの使い方等、丁寧に教えてくださるので、皆も覚えるのが早かったと思う。

 大石先生と目が合うと「おう、君か?いつも素振りしているのを見ていたぞ」と言うので照れくさくなった。

 先生は「振ってみろ」と言うので振ってみると「いいネ、かなり良くなっているぞ」と言われ、俺は調子に乗って「早く投げた球が打ちたい」と言うと「焦るな、まずは基礎をきちんと覚えてからだ」とキツく言われた。

 当然の事だがまだ幼い俺は、どうしても気持ちだけが先攻してしまっていた。

 結局、授業ではキャッチボールもしない基礎学習的な事が多く、俺の中ではモヤモヤ感が募っていた。

 今日も放課後に素振りをしていた。

 家に帰ると今日は五日ぶりにおとんが帰って来る日だ。

 「おとんが帰って来た」となり、「ハル、お土産だ!」と紙袋が俺に飛んできた。

 「痛てぇなあ」と袋の中身を取り出すと野球のグラブが入っていた。

 「ハル、これ使って上手くなれよ」とおとんは嬉しそうに言うのだ。

 兄いには、真新しくカッコいい靴だ。

 「兄いは足が早えからこれ履けよ」と渡していた。あまり喜怒哀楽が苦手な兄いも少し微笑んでいた。

 おとんは普段は厳しいが突如俺達を喜ばせる所があり、それが何とも言えぬ嬉しさと喜びがあった。

 ソフトボールの授業二回目はキャッチボールの基礎だった。學校の汚いヨレヨレのグラブで皆キャッチボールを始めた。

 デカいソフトボールを投げるのは初めてで凄く投げ難かった。

 大石先生が投げ方を教え、皆真似をして投げていた。球の捕球はいいけど、球を投げるがコントロールが定まらないのだ。

 すると同級生の一人が「自分のグラブ持って来ていいですか?」と先生に聞いていた。

 すると先生は「グラブを持っている人は今度の授業で持って来てもいいぞ」と話していた。俺も「今度の授業ではグラブを持って来よう」と思っていた。

 帰ってから兄いに「キャッチボールしないか?」と言うが「しない」と言われ、近所の壁にボールをぶつけて遊んでいた。

 次の体育の授業ソフトボールで俺はグラブを持って行くと同級生のほとんどはグラブを持って来ていた。

 今日はバッティングが中心で先生が投げ、一人が打ち、他の生徒はグラブをはめ、守備に着いての球拾いだ。

 俺が打つ番になると先生は早めの球を投げて来た。「球、早くね」と言いながらも球に喰らいつくように打っていた。

 打球が早く同級生のほとんどが怖がって球を避けていた。

 また遠くにも球が飛び、球を追いかける同級生はイヤがっていた。

 先生は「毎日の素振りのおかげで打球が早いなあ」と言われ、俺は照れくさかった。

 今日の授業が一番面白く、何か打つ事の満足感でいっぱいだった。

 それからも体育の授業ソフトボールで内外野の守備を教わり、守備の難しさを知ったのだ。

 さすがに守備の練習をしたくても一人ではできないため、俺はモヤモヤしていた。

 俺は放課後に素振りをして帰る時、大石先生とばったり会った。

 俺は先生に「守備の練習は一人でできないので何かないですか」と話すと先生は「放課後に練習をしたい人だけ先生と一緒に練習しようか」と話してきた。

 俺のモヤモヤが吹っ飛び、明日クラスの皆に声を掛けて廻っていた。

 すると、俺のクラスでは五人、他のクラスが八人で十三人が集まった。

 大石先生に話し、来週の放課後からソフトボールの練習をする事になった。

 俺達四年生が放課後に一丁前に練習をしていると五年・六年からも「俺も参加したい」と人が集まり、何と二十八人が練習する事になった。

 大石先生は他の先生にも協力してもらい、父兄にも話しが伝わると何とコーチをしてくれる父兄が四人来てくれる事になった。

 また、土日曜日のどちらかで他校との練習試合も組まれるようになり、一挙に一大イベントとなって行った。

 俺のおとんも野球好きだから練習試合がある休みの日は応援に駆け付け大声で応援してくれ、父兄達と友達のように盛り上がり酒を酌み交わすようになっていった。

 おとんが喜ぶ姿を見ていると「上手くなりたい」が強くなり、勉強にうるさいおかんを横目に遅くまで練習していた。

 翌年、兄いは中学一年になり、部活は陸上部の短距離をするらしく、俺は五年生になりソフトボールのレギュラーでショートやサードを守る事になった。

 おとんは喜び、練習試合に応援に来ては「あれ、俺の息子」と誰にでも教え、自慢げに話していた。

 おとんの期待に答えれるよう打ったり守ったりと頑張るのだが、なかなか思うように試合には勝てなかった。

 しかし、夏を過ぎる頃、俺は成長期になり飯を大盛りで食べるようになると身体は徐々に大きくなっていった。

 おとんは「体力をつけるには飯をもっと喰え」と成長期の俺達に腹いっぱい飯を喰わせてくれた。

 兄いは、県大会の短距離で一年生ながら準優勝したらしく、おとんの喜びは凄かった。

 兄いは勉強でも学年で二番目の成績で文武両道だった。おとんは誇らしげに近所の人達に自慢していた。

 その後、兄いは中学二年生、俺は六年生と俺の方が兄いより身長が高くなり、声変わりもした。

 足もデカく、おとんは何か誇らしげな感じだった。

 おとんは誰もやりたがらない仕事でも率先してやっていたようで、その代わり休みを多く取り、俺達を色んな意味でサポートしてくれていた。

 俺は両親のおかげでデカく丈夫な身体になり、六年生でも体格は一番良かった。

 しかし「勉強は・・・なのだ」

 大石先生は俺に軟式野球を勧めてくるのだが、その軟式野球チームは隣町にあり、小学五年から中学二年までの生徒が所属しているとの事だ。週末の土日を含め週五日練習があるらしく、大石先生が責任を持って送り迎えをしてくれると話していた。

 

 最近は野球人口が減少しているとか聞きますが、メジャーリーグで活躍している日本人は多くなっている。少年野球チームは今と昔とでは指導方法は異なると思うし、ハングリー精神の持ち方も違うと思う。

 子供達や子供を持つ大人にも野球を好きになって欲しくて、私なりの世界観をもって描いているものです。興味を持っていただけると幸いです。

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