親友の部屋
大学の昼休み、美玖から突然メッセージが届いた。
「今日……泊まりに来てほしい。お願い。」
珍しいほど言葉に勢いがなかった。
数時間前、彼氏と別れたらしいという噂を聞いたばかりだ。
気丈な美玖にしては珍しい。心配になった私は、授業が終わってすぐに美玖のアパートへ向かった。
***
「来てくれたんだ……梨花。」
ドアを開けた美玖は、妙に静かな笑顔を浮かべていた。
いつも明るくて、少し押しが強いのに、今日は別人のようにおとなしい。
「大丈夫? 本当に辛いなら無理に話さなくていいよ。」
そう言うと、美玖はふっと目を伏せ、私の腕をそっと掴んだ。
「……梨花の声、聞きたかったの...」
触れられた指先が、やけに冷たい。
部屋に一歩入ると、空気がひんやり重く感じた。換気していないのだろうか。
夕食を作ると言ってキッチンに立つ美玖の背中を見ながら、私はずっと落ち着かなかった。
さっきから、美玖は異常なほど優しい。
まるで私が壊れ物で、少しでも強く触れば割れてしまうと思っているような扱い方だった。
そして夜――。
「ねぇ、梨花。手……握っててもいい?」
美玖は布団の中で、私の手をそっと触った。
戸惑いながらも断れずにいると、ぎゅっ、と指を絡められる。
「離さないで……お願いだから」
寝るまでずっと、美玖の手は私の手に絡みついていた。
***
朝。
美玖は買い物に行ってくると言い、一人で部屋に残された。
なんとなく部屋の隅を見た時、視界にクローゼットが入る。
昨夜は気にも留めなかったが、妙に気配がある。
……気のせい、だよね?
わざわざ確かめる必要なんてなかった。
でも、吸い寄せられるように手が動いた。
私はゆっくりとクローゼットを開ける。
その瞬間、息が止まった。
壁一面に――
私の写真が、隙間なく貼り付けられていた。
笑っている写真。
授業中に横顔を撮られた写真。
そして、
寝ている私の写真まで。
「……何、これ……」
足が震えた。
背筋に冷水を流されたような嫌悪と恐怖が、一気に押し寄せる。
逃げなきゃ。
靴を履こうと玄関に向かうが、扉に手を伸ばす前に背後で物音がした。
振り返ると――
美玖が立っていた。
ショッピングバッグを落とし、蒼白な顔で私を見つめている。
「……見たんだね。」
声は震えているのに、瞳だけがじっと私を捕らえていた。
「違うの……みんなが私を置いていくから……男の人も、友達も……みんな離れていくの。
みんな、私を捨てるんだよ……! 梨花も私から離れようとしてるんでしょ。お願いだから離れてかないで。私には、もう梨花しかいないの。」
美玖は泣きながら近づいてくる。
袖の隙間から覗いた腕には、無数の細い傷があった。
爪でつけたような、自傷ともつかない痕がいくつも。
だけどそれだけじゃない。
もっと深く、もっと荒れた傷跡が幾重にも刻まれていた。
それは——まるで誰かと掴み合った“痕跡”。
美玖が過去に疎遠になった友達の顔が、頭に浮かぶ。
まさか……全部、美玖が?
「梨花までいなくなったら……私、もうダメなの。
だからね……」
美玖はゆっくり右手を背中へ回し――
細い包丁を取り出した。
震える私に、微笑みかけながら言う。
「大丈夫。痛くしないよ。
梨花がずっと一緒にいられるように、してあげるから」
後ずさる私に、美玖はまっすぐ進んでくる。
包丁を持った手は、優しい恋人みたいに揺れていた。
扉に詰められ、逃げ道が消える。
美玖の顔が近づく。
「梨花は……私だけの親友だよね?
ねぇ、そうでしょ?」
喉が固まって声が出ない。
美玖の笑顔は、泣き顔よりもずっと恐ろしかった。
「……返事してよ、梨花...」
包丁の先が、そっと私の胸元をなぞった。
その瞬間、私は悟った。
幽霊よりも怖いのは——
“親友”という言葉に縛られた人間そのものだということを。
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