砂漠から響く笑い声
「またですか、サトル先生?」
助手のマリコが呆れ顔で、砂まみれになった私を見下ろしていた。私、田中悟は三十二歳、考古音響学という超ニッチな分野で生計を立てている変わり者である。
「今度こそ本物だ!」
私は興奮で震える手で、割れた粘土の破片を掲げた。アナトリア砂漠の奥地で発見されたこの遺跡は、紀元前後の集落跡とされている。そこから出土した数百枚の粘土の皿――正確には破片だが――は、どれも妙に丁寧な造りだった。
「先生、お忘れですか? 去年はエジプトの壺で『古代のいびき』を発見したと大騒ぎして、結果は風の音でした」
「あれとは違う! 今度は理論的根拠がある!」
私は砂を払いながら熱弁を振るった。十九世紀のフランスの詩人シャルル・クロが提唱した
「フォノトグラフィー理論」
――粘土をこねる際の振動や、ろくろの回転音、そして何より制作者の声や息づかいが、粘土の表面に微細な溝として刻まれているかもしれないという仮説だ。
「当時の技術では再生不可能だったが、現代なら!」
研究室に戻った私は、最新の量子レーザー走査装置「アコースティック・リーダー MK-VII」の前に立った。この機械は粘土表面の一ミクロン以下の凹凸を読み取り、音波に変換できる。開発費三億円。研究室の予算を三年分前借りして購入した代物だ。
「もし何も聞こえなかったら、先生の研究費は向こう十年凍結ですよ」
「心配ない。必ず何かある」
粘土片をセットし、スキャンを開始する。レーザーが赤く光り、表面を舐めるように走査していく。コンピューターが解析を始め、ノイズフィルターを通して音声データが構築される。
そして――
「あはははは!」
突然、研究室に響き渡った明るい笑い声に、私とマリコは飛び上がった。
「きゃー! 幽霊ですか!?」
「違う! これは...これは二千年前の笑い声だ!」
私は震える手でボリュームを上げた。確かに人間の、それも複数人の笑い声が聞こえてくる。男性と女性、そして子どもの声も混じっている。
「マジですか...」
マリコの顔が青ざめた。
「信じられない...本当に音が記録されてる...」
その夜、私は一睡もできなかった。歴史的発見だった。粘土に音が記録されるという仮説が実証されただけでなく、二千年前の人々の生の声を聞くことができたのだ。これは考古学を根底から覆す発見だった。