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第四章 美しき“更生”の儀3(最後の鏡)

ネイルが終わると、剛はふらつく脚を半ば引きずるように前へと運ばされた。

連れていかれたのは、最初に案内された“美容室”――あの、始まりの場所だった。


三面鏡と化粧台、柔らかな照明の下――そこは仕組まれた檻であり、いまや剛の“最後の姿”をお披露目する儀式の場になっていた。


すでにその部屋には、剛に関わってきたスタッフたちが静かに集まっていた。


髪を整えた美容師・大沼梨沙、メイクアップを担当した派手な女性・城ヶ崎梨亜、ギャル系のネイリスト・綾瀬 ひより、そして無機質な視線を投げるエステティシャン・三宅真由。彼の“変身”に関わった全員が、静かにそこにいた。


三宅は部屋の隅に立ち、何も言わず、腕を組んだままじっと剛を見つめていた。その表情は読み取れず、ただ一つ、評価というより確認をしているような冷たいまなざしだった。


その視線は、まるで“完成度チェック”のレーザーのように、剛の首元から爪先までを無言で射抜いていた。

声なき評価。それは賞賛でも軽蔑でもなく、“この身体はもう、女である”という冷酷な判定だった。


柔らかい照明が降り注ぎ、壁際に設えられた三面鏡の前。

椅子の前に立った剛は、思わず立ちすくむ。


鏡にまだ白布がかけられていることは、もう意味をなさなかった。

その向こうに隠されたのは、確実に「自分」ではない誰か―

―そう、心の底から突きつけられた。


(……ここで、全部、見るんだな)


心のどこかで予感していた“その瞬間”が、いま確実に近づいている。

掌には、まだ乾ききらぬネイルの光沢が乗っていた。


「さあ……見せてあげる。あなたが“女の子として完成した”その姿を――ちゃんと、目を逸らさずにね」


そう囁いたのは、美容師の大沼梨沙だった。声は落ち着いていたが、その目は鏡の向こうの“成果”を確認しようと静かに光を湛えていた。

それは、慈しみでも賞賛でもなく、手がけた“作品”に対して期待する者のまなざし――否応なく、従順を求める者の確信だった。


すでに数人の女の子たち――この施設の“先輩たち?”が周囲に立ち、嘲りとも羨望ともつかぬ視線を剛に注いでいた。


「じゃ、いっちゃいましょ。……鏡、オープン♡」


声を上げたのは、ネイリスト・綾瀬 ひよりだった。わざとらしいウィンクをしながら、軽く指を鳴らす。


まるで空気が止まったかのように、部屋の時間が一瞬だけ、凍りついた。


そして次の瞬間、その手がゆっくりと白布の端に伸びた。

かすかな布擦れの音とともに、それは何のためらいもなく――まるで刑の執行を淡々とこなす者の手つきで、静かに、丁寧に剥がされていく。


ぺら、ぺら、と音を立てて白布が剥がれるたび、何かが一枚ずつ“男”だった自分から剥ぎ取られていくようだった。

最後の一枚が落ちた瞬間、剛の眼前に――もはや“自分”ではない誰かの姿が、映し出された。


「ほら、見てごらん。……可愛いでしょう?」


鏡を軽く押し出したのは、メイクを担当した城ヶ崎梨亜だった。満足げな笑みを浮かべながら、まるで自分の作品を鑑賞させるように、剛にその姿を突きつける。


正面の鏡がくるりと向けられた瞬間、剛の呼吸が、止まった。


映っていたのは――“造られた可愛さ”に支配された、どこか他人のような女の子だった。


ツヤのある栗色の髪がふんわりと肩を撫で、ぱっつんの前髪が額に整然と並ぶ。

頬にはほんのりとチークが施され、唇は湿ったように色づいていた。

そして、瞳。

驚きと怯えを湛えたその目が、剛の目と――完全に一致した。


剛の視線が、左右の鏡にぶつかる。

正面ではない、自分の“横顔”がそこに映っている。


──そこにいたのは、どの角度から見ても完璧な可愛い女の子だった。


逃げ場のない多面の視線が、彼の中の“剛”を次々に剥がしていく。


「……あらぁ……完成しちゃったわね」


大沼が、目を細めて低く呟く。


「この子、ほんとにボクサーだったの?……ふふ、信じられないわ」


その声は、プロとしての誇りと、どこか異常な愛着を混ぜた響きを帯びていた。


「やっば〜〜♡ 見て見て、爪の艶っ、やばくない? しかも肌、超映えてんじゃん」


ひよりがスマホを構えかけて止め、ぱちんとウインクする。


「もう彼氏連れて歩けるレベルなんだけど。……ってか、普通にモテるでしょ、これ♡」


「ふふっ、いいわね──」


城ヶ崎梨亜は、軽く微笑みながら剛の顔に視線を落とした。


「……完成、ね。

 照明、角度、目線、全部が“女”として仕上がってる。

 あんた、もう自撮りしてもバズるわよ? SNS映え、間違いなし」


「いや、正直ここまで綺麗に仕上がると……少し怖いわ。私、やりすぎたかしら?」


背後から大沼が優しく語りかけ、剛の髪を指ですくい上げながら囁く。


「ね、すっごく可愛い。自分って、わかるよね?」


そして肩にかかる内巻きにされたカールをくるくるといじりながら、まるで“完成した商品”を確認するように笑う。


鏡越しに、彼女は剛の輪郭と首筋、肩のラインを指でなぞるように見渡した。


「この髪型、すごく似合ってる。女の子の中でも上のランクよ、これ」


剛はその言葉に、心の中で強く抵抗した。


だが鏡の中の“自分”は、不思議なことにその称賛を拒めず、じっと従うように存在していた。


「アイドル顔負け。守ってあげたくなる……ていうか、抱きたくなる系だよね」


「この前髪がまた……えっち♡」


その言葉に、剛の肩がピクリと震えた。即座に否定したかった。

けれど、鏡の中の“自分”が、その言葉を拒絶できるような見た目をしていなかった。


艶やかな前髪。丸い輪郭。

爪先を揃えて座らされている自分の姿が、何より雄弁に“女の子である”と告げていた。


「うーん、チーク、もうちょっと濃くてもいいかも。ほら、恥ずかしそうな顔がもっと映えるし♡」城ヶ崎が筆を手に取って近づいてくる。


そう言って、頬にそっと筆が当てられる。

ただそれだけで、剛の背筋はこわばり、喉の奥がひくついた。


呼吸がうまくできない。頬をなぞる指に、唇を撫でるリップの感触に――

身体が勝手に反応してしまう。


「目を伏せて……そう、それ。まつげの影が、すごく綺麗」大沼が、どこか満足げに呟く。


ふと鏡を見ると、伏せた自分のまつげが頬に影を落としていた。

それはまるで、“自分自身の所作”でさえ演出の一部となり、女として成立してしまっている証拠だった。


「……ちょっと、微笑んでみて? うん……ダメ、それは反則。

 その笑顔ひとつで、男の子、簡単に落とせるわね」


城ヶ崎が、歓声を上げた。

その瞳は、まるで“自分の仕上げたものが商品以上になった”とでも言いたげに、満足と興奮で輝いていた。


その声はどこまでも軽く、悪気など欠片もない調子で、剛の“存在そのもの”を上書きしようとしていた。

まるで、“それが自然で当然”というように。



「“剛くん”だった〜? ……ぷっ、誰が信じるの、今のこの顔見て♡」


ひよりが、にやっと笑いながら片目をつむる。


「ねぇ、今のアンタ見てさ、“男だった”なんて誰も信じないって♡」


その言葉に、胸の奥で何かが砕けた。

声にならない叫びが喉でつっかえ、剛は膝に置いた自分の手を見つめる。

艶めくピンクに彩られた指先。

もうどこにも、“一条剛”の形跡はなかった。


(こんな姿……俺じゃない。認めるわけに、いかないのに……)


それがどれほど危うく、どれほど“自分”を裏切ることなのか――わかっていても、もう抗えなかった。

心の奥で、“女の子になった自分”に、ほんの少し……甘く、酔わされていたから。


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