来世の嫁が、心中に誘ってきた
――――キイッ!
開いた屋上の扉は重い。
屋上が普段使われないせいか、扉も錆びついており、嫌な音と共に開かれた。
僕がここ屋上に来たのには、何も特別な用事なんてない。
いつも通りのことである。
何がいつも通りだって?
そりゃ、高校生である僕のランチタイムさ。
人気のない屋上で、僕はいつも腹を満たしている。
――けして、ボッチ飯をしたい訳じゃない。
どうしてこんなことに?
その説明のために、少し僕こと大室洋の自分語りをしよう。
どういう訳か、僕には『偶然か必然かわかる』能力を持っている。
第六感とでも言えばいいんだろうか。
この能力はいいことばかりじゃない。
例えば夏祭りのくじ引き屋で、くじでも引けば、当たりくじが入っていないことがわかってしまったりする。
当然、直感に過ぎないので、指摘するのに証拠が出せない。
そんな訳で、僕はこの能力に気付いたばかりの頃、やらかした。
高校二年、一学期の席替え。
学園一の美少女と呼ばれる鏡夏音の隣の席に、学園一カッコいいと呼ばれる早崎蒼が選ばれた……が、それは『必然』だった。
不思議に思った僕は、早崎蒼を注意深く観察した。
そして知った。
彼は友人から席を譲ってもらっていたのだ。
僕は謎の正義感から、早崎とその友人に指摘した。
鏡夏音の隣の席を狙っていた男子達が、嘆きの声を零していたから。
だから指摘してしまった……それも、鏡夏音の目前で。
結果、僕はハブられたのである。
当時はよくわからなかった。
僕は何も悪いことをしていないと思っていたから。
でも、後々になってすべての真実を知った。
早崎蒼は以前より鏡夏音に惚れていて、男子連中の殆どは知っていたらしい。
ではなぜ、男子連中は嘆いていたのか。
皆、早崎と裏で繋がっていた。
もしも鏡夏音と隣の席になったら、その席を早崎蒼がお金で買ってくれるというのだ。
それも結構な大金……金持ちの家に生まれた早崎の財力というものを知った。
みんな――金目当てだった。
そんなこと、僕は知らないことだ。
でも、そのすべての真実が、鏡夏音の耳に入ってしまった。
金目当ての男子の誰かが、逆恨みでバラしたんだとか。
誰かが……匿名で。
その責任のシワ寄せは、当然僕にきた。
クラスのリーダー的存在である早崎に嫌われた結果、ボッチになるのは当然だった。
と言う訳で、僕はこの屋上で寂しくランチタイム……もといボッチ飯なのである。
……と、食べていた弁当が半分もなくなった時のこと。
――キイッ!
屋上の扉が開いた。
誰かが来たのだ。
突然のことに驚いた僕は、塔屋の裏に隠れる。
こそこそと陰から覗いていると、現れたのは同じクラスの女子だった。
――森日南子。
クラスではあまり目立たないが、ある意味で有名だ。
……学園一胸が大きい女子として。
確か彼女は鏡夏音といつも一緒にいたはず。
何が目的で屋上に来たのかと様子を伺っていると、その足は一直線に進み、やがてフェンスの前へとたどり着いた。
「……は?」
屋上の空気でも吸いに来たのかと思えば、そんな動作に思えない。
彼女はそのまま――フェンスを飛び越えようとしていたのだから。
『偶然』じゃない……その行動は、『必然』だった。
その先の行動を予測するのは、さすがの僕でもわかる。
彼女は――飛び降りようとしていた。
「急ぐな! 森!」
また正義感かもしれない。
それでも、見ていられる状況じゃなかった。
僕は駆け出して、姿を現し、慎重な足取りで近づく。
「止めないで!」
森はパッチリ丸い目をこちらへ向けて、そう言い放つ。
いつも鏡の横で目立たない彼女とは思えない存在感。
青空の下で、いつもよりよく彼女の顔が見えた気がした。
「大室くん……だよね?」
「ああ。森……は、死のうとしているのか?」
「………」
僕の質問に、どういう訳か森は一度押し黙った。
けど、彼女はすぐに言葉を返した。
「次は……次は私をやめられるの。だから、止めないで」
何を言っているのかわからない。
ただ、今すぐにも死のうとしている勢いがある。
……何故だ?
何故死のうとしているのか、そんなことはどうでもいい。
その疑問は、彼女のあまりに不気味な表情から受け取った考えだった。
森日南子の顔は……希望に満ち溢れていたから。
「…………え?」
そんな時、素っ頓狂な声があがった。
僕じゃない……森の声だ。
同時に……奇妙なことが起った。
森日南子の行動から……『必然』の匂いが消えたのだ。
突然の心変わりで死ぬのが怖くなったのだろうか。
こんなことは初めてで、僕は戸惑った。
その時――。
「洋……くん?」
「は?」
森が僕の名前を呼んだ。
けど、おかしい。
僕と森にそもそもの接点はなかったはずだ。
それも、さっきも彼女は、僕のことを『大室くん』と呼んだのだから。
突然、僕を下の名前で呼んだのはどうして?
というか、知っていたことに驚いた。
そして――森の次の言葉に驚愕した。
「ねえ洋くん……私と、心中しない?」
「…………は?」
心中……?
なんてとち狂ったことを言うのだろうか。
森は、片目を手で抑えて、笑っている。
……頭がおかしいのか?
一人で死ぬのが怖くなった……ようには見えないけど。
「する訳ない……だろ。森さん、頭おかしいんじゃねぇの」
当たり前の返答をすると、今度は森さんの方が「頭おかしいの?」みたいな顔を見せる。
訳がわからない。
「なんで、僕が死なないといけないんだよ」
「洋くんは、来世で私の夫になる人だから」
どうやら本当に頭がおかしいらしい。
とはいえ自暴自棄になって自殺されても困る。
どう言い返したものか……。
「それと……森さんって言うのやめて。日南子って呼んでほしい」
「え? あ、ああ。わかったよ、日南子」
とりあえず、彼女の機嫌を取るのが最優先だ。
そう思い彼女に手を伸ばすと、僕の手を取ってくれた森さんはフェンスの内へと戻ってくれる。
一先ず、これでいい……そのはずだ。
すると――。
「ごめん、洋くん。何も言ってないから、わからないよね」
「ん? そうだな」
何か言われたところで、森さんの言う事は何一つわからないと思うけど。
「実は私、『未来が見える』の」
何だ……そりゃ。
そう思いつつも……僕は心の底で揺れていた。
そんな不可思議な現象は、普通信じない。
でも、僕だって不可思議な能力を持っている。
信じ……………………。
「未来が見えるって言っても、好きな時に好きな未来が見えるわけじゃなくて、その未来が近いのか遠いのかもわからないけど」
「それって、能力に確証が、あるんだよな?」
「当然よ。三回も当たったんだから」
偶然……じゃないのか?
いや、恐らく彼女も最初はそう思ったはずだ。
僕もまた、最初は自分の能力を疑ったものだから。
「それで、私はついに……来世を見たの」
だとして……僕はまだ信じ切れない。
疑問点が多すぎる。
思考の渦に呑まれそうになりながらも、森さんは饒舌に話を続ける。
「来世で幸せになれるって知って、すぐに死のうと思った。でも、洋くんに声をかけられたついさっき……洋くんが来世の夫なんだって『見えた』の」
「変じゃない……か?」
森さんの言うことには、わからないことが多すぎるが、その中でも明らかにおかしいことが一つある。
「変じゃないけど……どうして?」
「どうしてそこが、来世だってわかるんだよ」
「…………」
そうだ……おかしいのだ。
来世が見えたとして、どうして僕がそこにいる?
それも森さんは、僕のことを夫になる男だと言った。
普通に未来で、僕が森さんと結婚するって話じゃないのだろうか。
「だって来世で私は……鏡夏音なんだから」
思考が止まった。
森日南子が見た未来を来世だと思った理由。
それが、『自分が自分の姿をしていない』のだとしたら、そう思い込むのも理解できてしまうから。
だから森さんは『次は……次は私をやめられるの』などと、訳のわからないことを言っていたのだ。
その言葉通りなら、森さんは自己評価が低くて、鏡夏音に憧れている。
自殺に思い切った理由に、合点がいった。
だけど――。
「だったら尚更、心中には乗れない」
「どう……して? あの鏡夏音と付き合えるのよ? 中身が私でも、悪くなくない?」
「違う。日南子に文句なんて一切ない」
「え……?」
すると、みるみるうちに頬を朱く染め上げてくる森日南子。
否定のつもりが、とても恥ずかしいことを言ってしまった。
僕は喉を鳴らし、切り替える。
「お前は思い違いをしているんだ」
「思い……違い……?」
「確かに鏡夏音は可愛いし、彼女と結婚できるなら死んでもいいかもしれない。でも――――そこにいる大室洋は、本当に大室洋なのか?」
「…………ッ」
そう……森日南子が鏡夏音に生まれ変わるとして、だ。
ならば、僕は本当に僕に生まれ変われるのだろうか。
その保証は、どこにもないのだ。
いや同じ学園の生徒に生まれ変われるとして、今の僕以上に悲惨な男子もいないだろうけど。
「それにしても、日南子。僕のことが好きなのか?」
「っ、それは――」
彼女の話が本当だとして、一つわからないことが、これだ。
鏡夏音と僕に接点はないどころか、釣り合っていない。
それが、どうして……僕と鏡夏音が結婚することになるのか。
「早崎くんの裏の顔、洋くんがバラしてくれた……でしょ?」
「……それが?」
「それが……その……カッコよかった、から」
「お、おう。ありがとう」
彼女の顔を見れば、嘘を言っているようには見えなかった。
というか、本当に森さんは僕のことが好きだったなんて……ぶっちゃけ信じていなかった。
「そ、それで……心中、してくれない?」
「いや、えっと……」
……どうしよう。
森さんは本気だった。
僕のことを好きな女の子が、僕と幸せになろうと言ってくれている。
ハッキリ言って、来世の僕が僕である保証はない。
でも――――賭けてもいいんじゃないか……?
そんな考えが、脳裏に浮かんだ。
その時――。
「し、心中……!? 日南子ちゃん!?」
屋上の扉の方から、声が響いた。
そういえば、扉は森さんが開いたまま……誰かが着たら扉を開閉する時の嫌な音で気付くと思っていたから、油断した。
しかし、そこにいた人物の存在に、そんなことはどうでも良くなった。
「……夏音」
現れたのは、鏡夏音だった。
そうだ……森日南子はいつも鏡夏音と一緒にいるから、当然ランチタイムも一緒の関係。
時間が過ぎていけば、鏡夏音が森さんを探しに来るのは、『必然』だった。
「心中なんて、日南子ちゃん……だ、ダメだよ……!?」
「人気者の夏音には、わからないよ」
流石の鏡夏音も、親友が死ぬと聞けば落ち着いていられなかったみたいだ。
慌てた勢いのまま、森さんの元へと駆け寄って、その手を取った。
「やめて日南子ちゃん。日南子ちゃんがいなくなったら、あたしどうすれば――」
「夏音は私がいなくても、何も困らないでしょ」
「困るよ! だって――」
鏡夏音は必至だ。
なんだ……森さんは目立たない自分を嫌っていたけど、こんな友達がいるだけでも、充分幸せじゃ――。
「だって日南子ちゃんは、日南子ちゃんの身体はあたしのモノなんだから……!!」
……なんて?
目を丸くしているのは、僕だけじゃない。
森さんもよくわからない顔をしている。
「な、夏音……まさかそういう趣味が――」
「ややっ、違う! 内緒にしていたけど……あたし、『他人と身体を入れ替える』ことが出来るから。それで……日南子ちゃんになりたくて……死なれたら困るよ!」
『身体を入れ替える』能力……だと?
普通だったら、妄言だと思って信じていなかったかもしれない。
でも、ここには『偶然か必然かわかる』僕と、『未来が見える』森さんがいる。
「夏音……?」
「あーっ、信じてないでしょ! あ、大室くんも、これから起こることは内緒だからね?」
「あ、ああ」
その瞬間、鏡夏音は突然として、森さんにキスをした。
彼女達はすぐに離れると、お互いの姿を見てからあたりを一周するように眺め……鏡夏音は自分の頬をつねった。
「ちょっと日南子ちゃん、頬つねらなくても本当だって!」
「……キスされた仕返しに、夏音の顔に罰を与えているのよ」
お互いの口調が変わり、自分に対してのような言葉を掛け合っている。
どうやら、『他人と身体を入れ替える』鏡夏音の能力は本物らしい。
そんなことより……だ。
僕は鏡夏音の姿をしている森さんに顔を向ける。
「おい……来世まで『見えて』ないじゃないか」
「…………」
見えた未来を来世だと森さんが思った理由は、森さんが鏡夏音になっていたから。
しかし、その理由に説明がついてしまえば、来世という仮説は否定される。
危うく、森さんの思い込みで僕は死ぬところだった。
そういえば彼女は……思い込みが激しかったな。
「来世……? なに……それ」
戸惑う森さん……の姿をした鏡夏音。
それも当然だ。彼女は今さっき屋上に来たばかりみたいだからな。
そんなわけで、鏡夏音に先ほどのことを説明することとなった。
「――もぅ、日南子ちゃんのバカ!」
「わ、私はバカじゃないもん……」
さっきまで毅然とした態度だった森さんが、鏡夏音に正座させられていた。
鏡夏音は再び能力を使い、彼女達は元の姿へともだった。
勘違いとはいえ、死体が2つ出来上がるところだったからな。
鏡夏音からしても、天地がひっくり返る衝撃だろう。
「それにしても、ふーん。日南子ちゃん、大室くんのことが好きだったんだぁ」
「ちょっ、夏音……!?」
「でもあれ? 大室くんは、もしかしてあたしのことが好きなの?」
「へ……?」
森さんから間抜けな声が零れていた。
鏡夏音の疑問は当然そうなる。
森さんが僕のことを好きなのはわかったけど、僕が鏡夏音と結婚するならば、僕が彼女を好きだということになる。
だけど、それは違う。
「いや、まだ好きじゃない」
「そうなんだ……ふぅん」
「……なんだよ」
僕の顔を覗いてくるように見る鏡夏音。
如何にも自分に自信がありそうな女子だし、まさか僕が好きじゃないことが信じられないのだろうか。
「いやさ、早崎くんの件……あたしのことを好きだから、それで早崎くんを裏切ってバラしたのかと思ってたから……」
「そもそも僕は早崎くんと裏で繋がってなかったし、あれは成り行きだから」
未熟な正義感だった。
それが原因で森さんに好かれたとしても、アレは僕の黒歴史に等しい。
忘れたい過去だ。
「へぇ…………ちょっと、あたしも大室くんのこと、気になってきちゃったかも」
「は……?」
「だ、ダメよ……!」
思わせぶりなこと言う鏡夏音に、即座に反応する森さん。
「日南子ちゃんがダメって言うなら……諦める」
……諦めるの早くない?
なんか、ちょっと悲しい気分になった。
まあ彼女と僕が釣り合うはずもないし、サービスだと思っておこう。
「……そうだ大室くん、ちょっとあたしと身体を入れ替えてみない?」
「え、なんで突然……」
「男子の身体に興味あって、ね?」
そう言われると、僕も女子の身体に興味が……いや、変態的な意味ではなく、単純に異性として。
すると、森さんが鏡夏音の身体を背後から抑えた。
「夏音……洋くんとキスしようとしないの」
「あ、バレちゃった?」
鏡夏音は小悪魔のように微笑む。
諦めたと言いつつ……僕とキスをしようとしていたのか。
いや……多分これは、森さんの反応を見て楽しんでいる様子だ。
「で、大室くんはどうしたいの?」
「何を……?」
続いて鏡夏音さんから問われたことに、何のことかわからずに訊き返すと、答えてくれたのは森さんだった。
「私、洋くんを好きだって言ったじゃない。言わせないでほしいんだけど」
「…………」
森さんは自ら勢いで誤魔化していたけど、元より彼女が僕にしていたことは告白だった。
正直、他の能力者が2人も現れて……戸惑っていたけど。
でも……答えは決まっている。
「……心中しないって約束してくれるなら」
「ほ、本当……?」
「ああ、本当に」
心中……はイヤだけど、そこまで言ってくれる森さんに、惹かれている僕がいる。
森さんのことは全然知らないし、このまま告白を受けて良かったのかわからなかったけど。
まあ端的に言えば、僕は……森さんの想いの強さに根気負けしてしまったのだ。
「……じゃあ、キス……しない? ファーストキスじゃなくて、悪いけど」
森さんは一瞬、鏡夏音の方を睨んだ。
すると、わざわざ僕の視界内に入ってきて、小悪魔の微笑みを浮かべる鏡夏音。
「日南子ちゃんの関節ファーストキス、あたしとする?」
「…………」
「しない。いいね?」
「……はい」
森さんの言葉に応えると、そのままキスをされてしまった。
そして唇が離れると、森さんは鏡夏音に見せつけるように、僕の腕に抱き着いてきた。
「これからは、わ、私だけ見ていればいいの……!」
「ああ、もちろんだよ」
彼女が自分自身に自信を取り戻せたみたいで、なんだか僕も嬉しくなった。