第九話『秘密の裏側』
いつものように遅刻ギリギリに教室に入った俺は、既視感のあるざわめきを目の当たりにした。
「拓斗、君でも止められなかったみたいだね」
「どういうことだ」
「ほら、あの通りだよ」
友人が指さしたのは黒板。そこには、俺がこの二週間止め続けていたはずの怪文書が貼られていた。
「俺はこんなの知らない。昨日の放課後は何も……」
「貼られたのが放課後とは限らないんじゃないかい?」
あのゲームはある程度決められたルールの中でやっていたはずだ。放課後以外には貼らないという暗黙のルールが、俺たちの中で決められていたんだ。これは奥出の仕業じゃない、生徒会長には朝の仕事があるはずだから、他のやつにバレずに怪文書を貼るなんてこと、出来るはずがない。
「朝早く、誰かが貼ったっていうのか」
「しかも全クラスにね」
「なんだって? 複数枚なんて聞いてないぞ」
「でも、初回は全員の机の中に入っていたから、ありえない話ではないよね」
怪文書貼りの犯人は生徒会長である奥出、それは間違いない。でも、これを貼ったのは確実に奥出ではない。共犯者、もしくは模倣犯……。やばい、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「なんで、なんでなんだ。俺にはもう理解できない」
「最初から理解なんてしてないじゃないか。僕もまあ、犯人の気持ちは理解できないけれど、あの怪文書を解読すれば何か手掛かりがつかめるかもね」
「こうなったら何が何でも突き止めてやる。俺の努力を無駄にしやがって、絶対に許さないからな」
「やっと君もやる気が出たのか。とりあえず、紙は先生が預かってしまうだろうから、今のうちに写真に収めておこう」
「ああ、そうだな」
俺はこっそり携帯を取り出し、それの写真を撮った。もはや文字でも数字でもなさそうだ。まあ、解読は友人に任せて、俺は奥出に話を聞きに行くことにした。
放課後、廊下を歩く奥出の姿を見つけた。
「おい、今日の事件、お前も既に知ってるだろ」
「女に向かっていきなりその口の利き方はなってないわね。ええ、知っているわよ」
「心当たりは?」
「さあ、どうかしら」
ここではぐらかすのは違うだろ。私じゃないって言ってもらわないと困るんだ。
「お前じゃないんだろ。そう言ってくれよ」
「どうして私を庇うのか知らないけれど、あなたの負けではないことは確かよ」
ということは、奥出は怪文書を貼っていない。
「ああ、それならいいんだ。模倣犯が出ても、まだゲームを続ける気か?」
「もちろんよ。私とあなたのゲームなんだから、どんなことが起きようとも関係ないわ」
本当、変なプライドだよな。先生たちは大慌てだっていうのに、呑気にゲームをしている場合じゃないだろう。
「俺以外のやつに見つかる可能性だってあるんだぞ」
「そうなったら私の負けね。あなたにとっては事件を止められるんだからそれでいいんじゃない?」
「お前、自分がどうなってもいいのかよ」
「別に死ぬわけじゃないわ、大袈裟ね」
俺は本気で心配してるんだ。お前が犯人だって知っているけど、悪意があってやってるんじゃないって思っているから。何か理由があってこんなことしてるんだって思うから、いい加減、俺に訳を話してくれよ。
「もういいじゃないか、話してくれても」
「私は何も変わらないわ。さあ、帰って」
「……分かったよ」
俺の言葉は奥出には届かない。デートだってしたのに、まだこんなくだらないゲームを続けるっていうのか。
翌日、怪文書の噂はみるみる広まっていった。
「拓斗、生徒会長から情報は得られたかい?」
「いいや、何も知らないってさ。そっちこそ、もう解読できたのか?」
「さすがに一枚じゃ真意を考察することは出来ないね。でも、内容はばっちりだよ」
「その内容って、どんなだったんだ」
今は解読しても犯人の手がかりはおそらく見つからないし、これがただの模倣犯の仕業だとしたら、そもそも意味など込められてないかもしれない。
「もうちょっと怪文書を集めてからのほうがいいと思うよ。これだけ聞いても意味が分からないと思うから」
「やっぱりそうか。分かった、何とかしてみるよ」
「君がやる気になってくれて、僕は本当に嬉しく思うよ」
友人も模倣犯を突き止めたいと思っているのだろうか。それとも、その奥にいる真犯人にだけ興味があるのだろうか。俺は興味というか、ただムカついただけだ。
貝塚拓斗の知らない間に、様々な事は進んでいる。
「会長、資料の整理終わりました」
「ありがとう。あなたは本当に仕事が早いわね」
「お褒めのお言葉、光栄です」
「あら、そんな堅苦しくなくていいのよ。はい、これ」
生徒会長の奥出早紀は、貝塚拓斗とのデートで選んだプレゼントを手渡した。
「私にプレゼント、ですか」
「あなた、9月が誕生日でしょう。少し早いのだけれど、待ちきれなかったから今渡すわね」
「会長が選んでくださったんですか?」
「ええ、まあ、少し友達に手伝ってもらって」
一瞬にやついた後輩はすぐさま表情を隠した。
「男ですか」
「別にそういう関係というわけではないわよ。本当にただの友達」
「男側はそうじゃないかもしれませんよ」
「疑い深いのね。そんな男と選んだプレセントじゃ不満かしら」
後輩は言い過ぎたと思い、すぐに頭を下げた。
「い、いえ! そういうわけでは。とても嬉しいです」
「それなら良かったわ」
「会長、一つ聞いてもいいですか」
「何かしら」
少し不穏な空気が漂う。生徒会室には会長と後輩、二人だけしかいない。
「妙な噂を耳にしたのですが、その、怪文書が三年生の教室に貼られていると」
「よく知っているわね、その通りよ。それがどうしたの?」
「会長は、その犯人を知っていますよね」
会長は目線を後輩に向け、読んでいた資料を机に置く。
「どうしてそんな話になるのかしら」
「最近、放課後によく交流されている方がいるじゃないですか」
「本当に何でもお見通しなのね。少し怖いくらいよ」
「不快に思われたなら申し訳ございません。でも、気になってしまって」
「あの男は犯人ではないわ」
会長の目が睨みに変わる。疑うべきは別にいると、そう訴えるように。
「どうしてそう思われるのですか?」
「私だって見ているもの、あの男、貝塚拓斗が何に一生懸命なのか」
「貝塚拓斗、それがあの方のお名前なのですね」
「あなたこそ、案外犯人を知っているんじゃない?」
「私は何も。そもそも学年が違いますので」
後輩は、あくまでも自分は部外者だと、軽くあしらった。
「そうだ、事件に興味があるならいいことを教えてあげる」
「何でしょうか」
「あの意味の分からない怪文書を解読しようとしている人がいるみたいよ」
「へえ、それはすごいですね」
「そうよね、私にはさっぱりだわ」
「本当にそうでしょうか」
後輩は再び疑いの目を向ける。
「ええ、嘘をついて何になるの」
「トップの成績を持つ会長なら容易いかと思ったのですが」
「あなた、内容を見たことがないはずでしょう? どうしてそんなことが分かるの」
「ただの勘です、気にしないでください。会長でも、解けない謎がおありなのですね」
「もちろんよ。どんな天才でも、人間に絶対などないのだから」
会長は資料に目を向け直す。一度読んだところを繰り返し、何度も何度も読み返す。
「何か不備でもございましたでしょうか」
「いいえ、何もないわ。完璧な資料をありがとう」
「それは安心致しました。では、私はこれで失礼します」
「ええ、お疲れ様」
貝塚拓斗はまだ知らない、まだ見ぬ嵐がこれから待ち受けていることを。