拳銃と令嬢
目覚めたのは、どこぞのお屋敷の応接室らしかった。
「……しくじった、か……」
「気がつかれまして?」
小坂井淑子が入って来た。手にティーセットをのせたお盆を持って。
「申し訳ございませんでした。こちらの場所を知られたくなかったものですから」
ティーカップに紅茶を注ぎ入れて、彼女が言う。
「だったら、あのまま車内で話せば良かったんだ。伝言を伝えるだけなんだから」
「いえ。お嬢様がそれをお許しになりませんでしたから」
「お嬢様?」
思わず問い返した時だった。
「目が覚めたんですって!」
ばたん、とドアが開く音がして、若い女性が飛び込んできた。
「お嬢様!お静かになさいませ」
淑子さんが立ち上がって女性を制する。女性は不満そうな顔をして、俺の向かい側のソファーに座った。
「突然申し訳ございません。ご紹介致します、連妙寺美幸様。私がお仕えしているお嬢様です」
そう紹介された″お嬢様″は、年の頃なら二十歳そこそこ、長い髪を馬の尻尾みたいに一つに纏め、それなりに金のかかっていそうな格好をしている。それより気になったのは、名字の方だった。
「連妙寺?あの?!」
「はい。ご存じでしたか」
「そりゃ……」
連妙寺家。
生まれてこの方、ごく真っ当に生きていれば耳にすることはないと思う。だけど、俺みたいに世間の裏を渡り歩く存在には知らない者はない名前だ。
企業や反社の組織ではない。
言うなればそれらを統制する一族だろうか。
「連妙寺にこんなお嬢様がいるとまでは知らなかったけどな」
「ああ、違いますわ」
淑子さんが否定して来た。
「つい癖で″お嬢様″とお呼びしてしまうのですが、この方は現当主でいらっしゃいます」
「は?当主?!」
「…そうよ」
ティーカップに口をつけながらお嬢様が言う。
「先代から引き継いでまだ半年足らずだけど、確かにあたしが当主だわ」
「連妙寺の代変わりなんて、聞いたことないぜ」
「『表』じゃないもの」
お嬢様の科白に、一瞬背筋が寒くなった。
「『表』じゃないって……まさか」
「ええ『裏』でございます」
連妙寺の『裏』。
「……嘘だろ、おい」
茶道の表と裏ではない。
この国の裏社会に君臨する連妙寺家。その連妙寺を牛耳るのが目の前にいるお嬢様だと言うわけか。
「そんなことより、伝言とやらを聞かせて頂戴」
「いや、それは宛先が違う」
俺が頼まれた先は淑子さんだ。
いくらその雇用主でもそれは違うだろうと思った。
が。
「構いません」
淑子さんが言う。
「お嬢様は言い出したら聞きません。わたくしを通して耳にするより、直接お聞きになった方がいいと思います」
そこまで言うなら、と俺は口を開いた。
「…″こんな形で去ることを許して下さい。私のことは忘れて、お嬢様のことをお願いします″…以上だ」
俺の伝言に思うことがあるのか、淑子さんは少し涙ぐんでいたようだった。
「有り難う、ございました」
そう言って、淑子さんは頭を下げた。俺としては、それだけで充分だったのだが。
「…じゃあ、報酬を受け取って」
それまで黙って聞いていたお嬢様がスッと立ち上がる。その手に握られた拳銃に、俺は目を剥いた。
「お、お嬢様?!」
淑子さんも悲鳴を上げる。
「征木の仇、思い知れ‼」
「ちょっと待……」
制止する間もなかった。
お嬢様の指が引爪を引いた途端、銃声と同タイミングで、彼女の身体はソファーを飛び越え、壁に設置されたガラス棚を引いためがけたように吹っ飛んだ。
「きゃあぁぁ‼」
「やっべっ‼」
躊躇っている暇はない。
俺は間のローテーブルを飛び越え、お嬢様の腕を掴んでそのまま床へ転がった。
「ちょっと!何すんのよ⁉」
「何すんの、じゃねえ、この馬鹿野郎‼」
俺の怒鳴り声に、お嬢様は怯えたように身体をびくりとさせた。
「一つ訊くがな、お嬢様。あんた、射撃の経験はどのくらいだ?」
「……ないわよ」
「はぁ?!」
「だから生まれて初めてよ。これが」
予想はしていたが、ため息が出る。
「……あのなぁ。コルトガバメント、44マグナム。こんなヘビーガン、お嬢様の華奢な、それも片手でなんて扱えるもんかよ。腕や肩が砕けなかっただけでも奇跡みたいなもんだ。それどころか、俺が抑えなきゃそこのガラス棚にぶつかって、その可愛い顔がぐちゃぐちゃだ」
「お嬢様、なんてことを……」
淑子さんが震える声で言う。
「だって!淑子さんは悔しくないの?柾木の仇討、したくならない?!」
「この方は違いますわ」
「何でわかんのよ、そんなこと」
「この方は、柾木さんの伝言を伝えるために、連絡を下さったのですよ」
淑子さんの声は穏やかだが、きっぱりとしていた。
「柾木さんが、今際の際の伝言を、自分を殺そうとする相手に託すとは思えません。むしろ、救急車を呼んで下さったのでは?」
「……」
当たりだ。
答えることも出来ずに黙っていた俺に、淑子さんは微笑んで、ゆっくりとお辞儀をしてくれた。
「礼を言われるほどのことじゃない」
俺は言った。
「ただ、仕事先でその対象から″頼むから殺してくれ″って言われたのが気に入らなかっただけだ」
「それでも、です。感謝致し…ます」
「だったら、調べて」
雰囲気を壊したのは、お嬢様だった。
「柾木が誰に、どうしてこんな目にあわされたのか、調べて教えて頂戴」
「俺は面と向かっての依頼は受けない主義なんだ。正規の手順で依頼してくれ」
「正規の手順、ね。わかったわ」
お嬢様は頷く。その後を引き取って、淑子さんが声をかけた。
「いつまでもお引き留めするわけにはいきませんわね。先ほどの場所までお送り致しますわ」
車を回して参ります、と淑子さんが部屋を出る。俺もその後に続いた。
家の中を詮索するのはやめにした。どうせ二度と来ない場所だ。
玄関の前には連れて来られた時と同じ、黒塗りの高級車が停まっていた。促されるまま、後部座席に乗り込む。
「お送りする前に、一箇所寄りたい所がありますの」
どこと訊ねる前に、淑子さんが続けた。
「柾木さんを、迎えに行きたいんです。お付き合い頂けます?」
驚いたが、否やはなかった。