第50話 あたしの中、見ないで……。
素晴らしい朝が来た。
輝く朝だ。
彼女の名前は大又蘭花。女子高生だ。
年齢は17才になる。
社交性がないので友達は少なく、クラスメイトからは『クール系』と、そのままのあだ名で噂されていた。
中には、名前の『おおまたらんか』という響きから、『男相手にすぐ股を開く淫乱女』などと陰口をたたく奴もいるが、今までの蘭花は気にしていなかった。
どちらにせよ、表立っては言われない――美人というものは、それだけでガード強化スキルがついているようなものだ。そういうことは前の世界の蘭花は知らなかったけど、今の蘭花は知っていた。
蘭花は、地球の日本の晴天市にある、築浅一軒家である自宅洗面台の鏡に映った自分の顔を見ていた。
思わず、吐息が漏れる。
「あぁ……夢じゃないぞ……傷一つない、真っ白な肌……お姫様みたいだ……」
銀色の髪。長いまつげ。ピンク色の唇。大きな目。瞳は青みがかっている。
風呂で確認したが、体のどこにも傷はなく、それどころか、できもの一つすら確認できなかった。
ウエストも細い。手首も折れそうなほど細い。筋肉もまったくついていない。
異世界ならゴブリンにさらわれて、飼われて、毎日好き放題されて終わっていくレベルの戦闘力――なのに、男を知らぬキレイな体であるのは、戦いの中を駆け抜けてきた『女戦士・ディーナ』からすれば、奇跡的な事実であった。
登校前の朝の準備中だったが、同時に異世界の記憶の整理中でもあった。
不思議なことに、先日、急に異世界の記憶を思い出した。
名前はディーナ。とある事件で、カゲヤマに文字通り命を救ってもらい、それから『勇者カゲヤマ』の肉壁となるべく、パーティー加入を熱望し、しぶしぶ了承された。カゲヤマは、自分のために命を落とすことを、良しとしていなかった。
だが、結果的にディーナの想い通り、強敵に負けそうになった景山蒼汰の肉壁となり、体を十六分割されて死亡した。
首が地面に落ちるまでの数秒、まだ視神経と脳は生きていた。景山が呆然と自分を見ているイメージが、昨日のようによみがえる――が、不思議と絶望感はない。
おそらく、日本で大又蘭花として生きてきた記憶も存在しているからだろう。
日本のクールJK『大又蘭花』
異世界の女戦士『ディーナ』
同一人物でありながら、互いに他人事の記憶。
二重人格ではない、不思議な状況だった。
ディーナは、借り物のようにも感じる顔をペタペタとさわりながら、一人ごちる。
「やっぱり日本って、すっげえなあ。カゲヤマ様が言うように平和なんだ……こんなのゴブリンたちにあっけなく捕まるような女たちより、さらに弱いし、さらに可愛いじゃねえか――じゃなかった。かわいいよね……だった」
粗暴な言葉遣いに気が付き、自分をたしなめる。
ついでに、手に持っていた、クシを握りつぶしていたので、慌ててゴミ箱にすてた。
「記憶が戻ったせいか、スキルまで戻ってる……ああ、まさか、地球人が、アタシの中身が『身長2メートルの大斧使いの女戦士』だって知ったらSNSで拡散――するわけがないよな。絶対。信じるわけがない。アタシだっていまだに信じられないし」
スカートを慎重に巻いて、ミニにする。
記憶は二つあるし、これまでの手癖も残っているので、考えずとも朝の用意は済むし、スマホやらネットやら、すべてを理解できていた。
それもそのはずで、異世界人のディーナは、すでに大又蘭花として生まれ変わっているのだ。
過去の記憶など、関係あるわけもなかった。つらいことは忘れて、日本で楽しく寿命を迎えればいい――が、当のディーナは、そうは思わなかった。
リビングに移動して、朝ご飯を食べる。
何が影響しているのか、記憶が戻ってから、やけに腹が減る。体重は今のところ増えていないので、スキルが影響しているのだろう。
蘭花は知らないが、魂が戻された景山蒼汰は、成長速度があがっており、体つきも異世界の時のモノへ近づいていた。
蘭花は魂を再利用した生まれ変わりでしかないので、そういった現象は発生しないのだ。もし、そうなっていたら、大変なことになっていた。
閑話休題。
蘭花は一口でパンを食べようとしたが、小さな口が開かないことに気が付き、ハムスターのように小さく、食パンをかじった。食べなれていたはずだが、しかし、異世界には存在しないふわっふわの五切り食パンは、まるでデザートのように甘い。
なにもつけなくても、うまい。
二枚目の食パンを飲み込むと、蘭花はつぶやく。
「ああ……どうしよう。緊張してきた。だって、夢、叶うかもじゃん……? ライラ姫とか、リーナ姫とか、ルカ姫とか、レイア姫とか、ロロア姫とかがされていたみたいに、景山さまに……勇者、景山様にィ……アタシもお姫様抱っこされて、守られたい……! アタシ、いっつも抱える側だったけど、この体なら、景山様に包んでもらえちゃうよね……! ね!? やばくない!? そのまま、あの、あれ……つ、つまり、抱えられたまま、ホテルとか、連れてかれちゃったら、どうする……? ゴブリンたちにされちゃうみたいに、景山さまに……きゃあ!」
三枚目の五切り食パンをそのまま、一枚、口につっこむ。
まるでSMの口枷をされて、景山蒼汰に抱きしめられているような、みだらな気持ちになり――。
「ふぁあっ、ふぁふぇひゃふぁふぁまぁ!(かげやまさまあ!)」
ビクンビクンとはねる体を抱きしめた。
一般家庭の朝の光景ではない。
どう見ても異常である。異世界でも異常だ。
しかし、蘭花の想いは止まらなかった。
「……ら、蘭花?」
同じ食卓でパンをかじっていた、蘭花の実の母――18才で蘭花を生み、元クールJKであり、スタイル抜群である――は、初めて見る娘の痴態に驚きつつも、それ以上の言葉は出せなかった。
クール系は、こういうとき、内心では困っていて、動けないものなのだった……。




