ひらめかない
読んで頂けたら幸いです。
「あれなのよ。…あれ」
私は両手をわなわなとさせながら、隣で一緒に歩いている横川かなでに言った。
「あれってなに?」
かなでが特に興味もなさそうにそっけなく言った。
かなでは幼稚園からの幼馴染で、今も同じ高校に通っている。
低めの身長に、綺麗な長い髪、整った顔立ちが印象的な美人である。
ごく普通の顔をもって生まれた私としては、とても羨ましい。
今は下校中で、私たちが慣れ親しんだ通学路を歩いていた。
どこにでもあるような住宅街で、私たちは白線で区切られた歩道を歩いていた。
「なにっていうか…、あれなのよ…」
私が再び同じことを繰り返した。
「なにかを思い出そうとしてる?」
やはりそっけなくかなでが答えた。かなでは声を出すときにあまり口を大きく開けないで話すためなのかはわからないが声がちょっと小さめである。
発音がいいからなのか聞きやすいから問題はないし、私は好きな声だ。
「そうそう!よくわかったね!」
私は大げさに頷いてみせるた。その時に自然と体がかなでの方に寄ったのだが、かなではその分私から離れた。これは、(私たちの間には特別な見えない絆があって、それは糸ではなくプラスチックでできているから、その長さの分だけ距離を開けないといけないのよ)というアピールなんだと思っている。なにせかなではいつもそうするのだ。
「あれがなにか気になる?」
「気になってるのは陽子のほうでしょ?」
陽子とは私の名前である。
「そうだけどね…。かなでも知りたいんじゃあないかなって思って」
私はちらっと横目でかなでを見た。
「別に。まったく。全然」
かなではやはり興味なさそうに答えた。だがこれは機嫌がいいというか、返事としては良いほうである。なにせ三言あったのだ。機嫌が悪いときは絶対に無視されてるタイミングだ。
「そう言わないでさー。なにか気になるのよね。こう喉につっかえて出てこないの」
そう言って私は実際に首をおさえる動きをした。
かなではちらりとこちらを見て、嘆息でもするような溜息をついた。
これはかなでとの長年の付き合いから言って、(しょうがない、付き合ってやるか)といった溜息なのだ。かなでの溜息には、ほかにもバリエーションがあるのだが、私も数えるくらしか見たことがないやつを言えば、うつむき加減にして、拳をぷるぷると震わせたまま、お腹にたまった息を全て吐き出すような、彼女の体格からは思いもよらない大きな溜息をついたときは危ない。なにが危ないかというと命が危ない。
「それってなにが思い出せないの。単語?」
「うーん。単語じゃないわね。なにかを忘れてる感じかな」
私は右手を顎に手をあてて考えるようにした。
「心で引っかかってる?」
「そうそう!そんな感じ!」
私はまたかなでに詰め寄った。やっぱりその分かなでは寄った。
かなでは住宅街側を歩いていて、私は道路側を歩いていたのだけど、寄ったおかげでかなではあと一歩で住宅にぶつかりそうなくらいになってしまった。
それに対抗するため、かなでは眉間に皺をよせて、唇を少し尖らせて、掌を軽く私のほうに押してきた。少しどけという意味だ。
私はこの少し不機嫌な時のかなでの表情が可愛いと思うので、へへへと笑いながら道路側に寄った。気持ち悪いとかは言わないように。
「不安?楽しい感じ?」
かなでから聞いてきた。意外とのりきである。でも、それを言うと絶対に機嫌が悪くなるのでここは言わないけど。
「不安かなあ」
私は空を見上げていった。
「不安なの?」
かなでは少し目を見開いた。驚いたみたいだ。
「不安だよ」
「ふーん」
「見えない?」
「まったく」
「えー。不安なのにー」
私はふてくされたように頬を膨らませて抗議した。
「そういうふうだから見えないの」
かなではなんだか諭すように言った。同級生なのにかなでのほうがお姉さん的な立場になることが多い。
「いつから気になってるの?」
「今週に入ってからかなあ」
「そんなに前から?」
ちなみに今日は木曜日である。
「うん。なにかをしないとって気分になって、でもそれがなんだかわからなくて…」
「そうなった時はどうしてたの?」
「走ったり、うろうろしたりしてたらそのうち気にならなくなってた」
私が答えるとかなでは呆れた顔をした。
「馬鹿じゃないの?」
あたしはしょぼくれた顔をした。
「なにか思い当たることはないの。どういう時に気になるの?」
「うーん…。あ!そういえば!」
私はパンッ!と手を叩いた。かなりの大きさの音だったので、横のかなではびっくりして肩を上下させて、こちらに抗議の視線を向けた。
「ごめんごめん…。いや、そういえば学校の時間割を見てる時によく気になるなって思って」
私はにっこり顔で言った。
「時間割ねえ…」
そう言うと、かなでは少しあごをあげて上を見るような仕草をした。
「じゃあ学校のことが関係あるのかな」
「そうなんじゃない?」
私は他人事のように言った。
「今週から気になったってことは、先週からなにかあったってことかな…」
かなでは焦点の合ってない目線でぶつぶつと言った。かなでは考え事をする時は、だいたいこんな感じになるのである。
「時間割…、学校…、先生…」
連想する単語を並べているみたいだ。私はその独り言に耳を傾けておく。
「授業…、テスト、物理…、宿題…」
かなでがそう言った時に、私はぱっとひらめいてしまった。
「あ!思い出した!」
私の声が大きかったので、かなではまたびくっと肩を震わせて抗議の視線を向けた。
「なに?」
「思い出したの。大変なことを!」
私は大きな声で言って。またかなでに詰め寄った。当然かなでは逆に寄った。
「だからなにを?」
「宿題だって!物理!佐藤先生の!」
私がそう言うと、かなではなんだそれかというような表情をした。
「明日提出するやつよね」
「そう!明日!」
「佐藤先生が都合で一週間休んてるから、その間に授業のかわりにやっておくようにって言われたやつよね?」
「そう!それ!」
「みんな授業中にやってたと思うけど陽子はやってなかったの?」
「私が授業中になにをやってるかなんて知ってるじゃない」
「かなではいつだって寝てるからね」
「いつでもじゃないよー」
「で、どこまでやってるの?」
「全く!全然!これっぽっちも!」
「ふーん」
「ふーんって、絶対に佐藤先生怒っちゃうよ!怒られちゃうよ!」
「私はやってるから怒られないからね」
そこで私はまたぱっとひらめいた。優等生のかなではちゃんとやっているのである。
「あ、そうか!」
わたしは片方の掌を上に向けて、もう片方を拳骨にして軽く叩くというお決まりの仕草をした。かなでに写させてもらえば万事解決なのである。
「ダメ」
かなではなにも言ってないうちから拒否をしてきた。写させてと私の顔に書いてあったのかもしれない。
「お願い!写させて!」
私は掌を合わせてかなでにお願いをした。
「ダメだから。明日まで時間はあるんだから帰ってから陽子の力でやりなさい」
「私の力でできるわけないじゃない!」
自慢ではないが、物理は毎回、赤点なのだ。
「そんなことに自信をもたないでよ」
「お願い!」
私はまたお願いをした。かなではちょっと上を向いて肩を動かしながら溜息をついた。
私の経験で言えば、これはお願いが通る時の溜息である。
「いいの?!」
私は目を輝かせた。
「ダメよ。写すのはダメ」
「じゃあなにがいいの」
「陽子の宿題を私が見てあげるよ。ごはんを食べたら陽子の家にいくから一緒にやりましょう」
私とかなでは家がかなり近い。歩いて数分といった距離である。
かなでの提案は、私にとってかなり嬉いことだった。昔から私が勉強で困った時は、いつもかなでに助けてもらったし、かなでと一緒にやっていれば、勉強というやつもあまり苦ではなかったからだ。
「本当?」
「もちろん。ちゃんと真面目にやりなさいよ。寝たりしたらほっといて帰るからね」
かなでの言葉に、私は顔をぶんぶんと縦にふって頷いた。
「かなで!」
「な、なに?」
私はまたかなでに寄ったが、かなでには下がる場所はもうなかった。
「ありがとー!」
そして私は感謝の想いを伝えるために、かなでに思いっきり抱きついた。
「っちょ…!やめなさい…!陽子……」
かなでからの抗議の声は聞こえたが、私はかまわずにそのままにしていた。
その後、散々謝りたおしてなんとか宿題をみてもらいました。
ありがとうございました。