88.やみつきスタンディングオベーションと成長する賢人(1)
翌日。秋一期十四日。魔物化の呪いを受けた者すべてが任意暴走の対象となるまで残すところ半月。移動時間も含むと猶予は少ない。否が応でも危機感が募る。
急がなければ――。そんな思いに駆られるように、俺たちは朝から夕方までダンジョンに潜り、休憩を挟みつつ三十九階層まで攻略した。
だが怖ろしいことに、宿泊しているビジネスホテルのような外観の宿へと帰還する頃には、朝に感じていた危機感もどこかへ飛び去り、緊張感も何もなくなっていたのである。
それが顕著に表れたのは、食堂で夕食に舌鼓を打っているときのこと。チーズ、串焼き肉、各種野菜のピクルスやナッツ。
流石ドワーフの街というか、昨日同様、酒飲みが好むような物が小皿に載せられて細々と運ばれてきたのだが、なんとその中に昨日出なかった物があったのだ。
枝豆。アルネスの街では見掛けなかったので、フィル以外は大感激。店主にお願いして、大皿山盛りで持って来てもらった。
「何か、豆がいっぱい出てきたんだけど、君たち何がそんなに嬉しいの?」
「フィルよ、これはな、嫌な上司や先輩のいる飲み会で大活躍する不思議な豆なんだよ。延々と食べ続けることで愚痴や説教を聞き流せる上に、飲んだ量を誤魔化してアルハラを回避できる可能性があるんだ」
「その説明はどうかと思いますけど、会話しながらちょこちょこ摘める感じがいいんすよ。間が持つというか。塩の振られた焼き海苔とかもそうだったなー」
「まぁ、食ってみりゃ分かる。美味いんだこれが」
一度手を出したが最後、フィルは枝豆を食べる手を止められなくなった。
「地獄へようこそ」
ヤス君が言い、渡り人組で悪い顔をしていると「危険薬物か! 依存性のある!」というフィルのツッコミが久し振りに炸裂。それを待っていたとばかりに渡り人組が徐ろに席を立ち、拍手しながら笑顔で頷き合う運びとなった。
「久々に聞いたねー。敢えて置き換えて付け足した感が素晴らしい」
「間の取り方が良いよな」
「もう非の打ち所がないっすね。枝豆も喜んでますよ」
「もうこれ病気だよ。こうなるって分かってるのに、僕って奴は……」
フィルは赤面して落ち込んだが、ウェズリーの街の宿でも、四人掛けの席の周囲で小さなスタンディングオベーションが巻き起こることとなった。
ふざけている。明らかに。だが、とても楽しい思い出ができたから良し。
この危機感や緊張感のなさは進捗状況にある。本当に良くやったと思う。ダンジョンは苦痛だった。分かっていたことだが、張り合いがなかった。
ヤス君が凄すぎて俺とサクちゃんはずっと照明係。フィルもほとんど手を出していない。褒賞値をもらいつつ散歩をしているだけの状態だった。
そんな中、唯一パーティーで戦うことになったのは三十階層の主ジャイゴーレム。動く巨大な岩人形。通常のゴーレムは二メートル程度なのに対し、一回り大きく、ちょっと気圧されるくらいの存在感。難敵の気配に胸が踊った。
「これは強そうだね」
そう思わず呟いてしまうくらいに期待したのだが見当外れ。
守りが堅固で力も強いが如何せん動きが遅かった。俺が慎重を期して様子見している間にサクちゃんが突進。二刀流のトンファー連撃と《地縛槍》で滅多打ち。
ジャイゴーレムが怒り狂ったように地団駄を踏み、腕を振り上げたところでサクちゃんが飛び退き遠距離組が攻撃開始。フィルが《烈風刃》で切り裂き、ヤス君が《氷柱舞》で刺突を繰り返しているうちに消滅した。
そう、俺は何もしていない。「えぇ……」と顔を引き攣らせて呟いただけだ。
三十階層からは気温が高くなってきたので《冷涼薄霧》と名付けたひんやり術を使ってどうにか貢献することはできたが、戦闘での活躍は一切できずフラストレーションを溜めることになった。
それもこれも、ヤス君が強すぎるからなんだよなー。
今回のダンジョンで、ヤス君はとんでもない活躍を見せた。罠は見抜くし解除するし、敵がどこにいるかも、どれだけいるかも探知してしまう。
しかも、これまでは弓矢で真っ直ぐにしか攻撃できなかったのが《氷柱舞》で曲がり角にまで対応してしまった。「その先にいますね」とヤス君が言ったら、もう敵は死んでいるような状態だったのだ。
まったく役に立てなかったなー。
宿の部屋でベッドに座り溜め息を溢していると、隣のベッドに寝転がって読書をしていたフィルが「どうしたのさ」と顔だけ向けて声を掛けてきた。
「ダンジョンのこと考えてたんだよ。何もできなかったなーって」
俺が肩を竦めて答えると、フィルは苦笑した。
「そんなの僕だってだよ。ユーゴは照明と《冷涼薄霧》だっけ? 環境整備っていうかさ、快適さを提供できる分まだいいじゃない。僕なんて《烈風刃》を数発撃っただけだよ。何もしてないのと同じだよ」
「いやー、攻撃がねー、一回もできなかったことがちょっと悔しいんだよね。そりゃ楽でいいんだけどさ、パーティーに貢献している感が薄くてね。攻撃する隙間の見極めが下手なのかなーって」
「そんなことはないと思うよ。ナッシュさんとクロエさんとやった模擬戦のこと思い出しなよ。自覚してないんだろうけどさ、僕はずっとびっくりしてたよ」
フィルが口を尖らせて言葉を続ける。
「君たちと違ってさ、僕は壁を超えられない。教えられた通りにやってみても、ユーゴの《陰陽盾》もヤスヒトの《箱庭》も、皆が使える《念動力》でさえ使えない。元々、本を読むのは好きだったけど、今は必死だよ。このパーティーでは知識でしか居場所が見つけられないんだから」
言われてみれば、ダンジョンの魔物に関する知識はすべてフィル頼み。どの階層に何が出るか、名前や適正階級までほとんど答えられなかったことはない。
ダンジョン外ではポイズナプリーとスパイキークラブを知らなかったくらいで、ほぼ網羅していると言ってもいい。
それに加えて素材の価値まで知っている。《異空収納》に収めるべきかどうかの判断はフィルがいないとまずできない。魔石にしか価値がないものや、羽根などの一部分にしか使い道がないものなど、知らなければ無駄に容量を圧迫してしまうだろう。
冒険者ギルドで買い取りに出したとき、儲けが大きくなっているのはフィルの指示で無駄が省かれているところにあるという訳だ。
「読書家だとは思ってたけど、そんなこと考えてたのか」
「そりゃそうだよ。僕が一番追い出される可能性が大きいんだから」
それはない。と言おうとしたところで、部屋の扉が控え目に三度ノックされた。




