82.カナン大平原を越えよう(9)
セイオは、アープが成人するまでは族長を続けると言い張りその座に居座った。そして昨年、アープが成人の儀を済ませた年に事件は起きた。年に一度のユオ族とワブ族の会合の席で、セイオがコエイを殺したのだ。
「ローガはコエイから息子のように可愛がられていたそうです。そして昨年ついに身の上を打ち明けたそうなのですが、その件を知ったコエイがセイオだけでなく、会合の場にいたユオ族の民すべてを激しく糾弾したらしいのです」
会合の席は騒然となった。名誉を傷つけられたとユオ族は武器を手に取り襲い掛かった。ワブ族も素手で対抗したが、そもそも会合の席への武器の持ち込みは禁じられている。それすらユオ族は守っていなかった。
「調べたところ、すべてセイオの指示によるものでした。会合の席が設けられたのはワブ族の集落でしたから、最初から武力で押さえつけ、自分がワブ族の族長になる腹積もりだったのでしょう。アープも成人し、族長の座を譲らねばなりませんから、新たな住処を求めたようです」
「分からんな。セイオが族長を狙うというのは理解できるが、何故、ワブ族である必要があったんだ? アープを殺せば地位を維持できたんじゃないのか?」
「ユオ族の目は既にアープの青毛に移っていました。ユオ族にはそれだけ風習にこだわる者が多いのです。セイオが族長であることを認めていない者も増えていましたし、もう従えることが不可能と覚ってワブ族の屈服に賭けたのではないかと」
デネブさんは深い溜め息を溢し「馬鹿馬鹿しい」と呟いてから話を続けた。
「ローガは会合の時期になると集落から離されていたそうです。思うに、コエイはユオ族の風習とローガの関わりをなんとなく察していたのかもしれません」
ただ昨年だけは違った。ローガもまた、胸に暗い炎を抱えていた。長きに渡ってセイオに復讐を果たす機会を窺っていたのだという。
「闇に紛れて、暗殺するつもりだったそうです。ワブ族の若者たちも、ローガの事情を知って義憤から協力してくれることになっていたそうなのですが、それを行う前に、先に話した通りの刃傷沙汰です。ここからは想像でしかないのですが」
会合の席の暴挙で勢いづいたセイオは、集落で新たなワブ族の長を名乗ったのではないか、とデネブさんは言う。だが、誰がそれを認めるというのか。
折り悪く、戦う力のあるローガたちはセイオ暗殺の為に集落を離れていた。
「ワブ族の集落にあった遺体は、そのほとんどが武器を手にしていませんでした。セイオは受け入れられなかったことに激昂し、皆殺しにしようとしたのだと思います。奴は自分が特別な存在だと思い込んでいた節もありましたから」
ローガたちが異変に気づいたときには、もう手遅れだった。優しくしてくれていた人々が無惨な最期を遂げていた。百人以上いたワブ族は、その数を三十数人にまで減らしていた。そして、そのうち二十数人は隠れ潜んでいたローガとその仲間たち。つまり純粋な集落の生き残りは十人足らず。もはや存続も難しい。
ローガとその仲間は怒りに任せて集落に来ていたユオ族のほとんどを殺した。その中にはセイオの姿もあった。だがセイオも、ただでは死ななかった。死の間際にローガに向けて呪いの言葉をぶつけたという。
見ろ、やはりお前は忌み子だ。この集落に災厄をもたらした、と。
「いや、どう考えてもセイオが災厄の根源でしょ。話を聞く限りじゃ、風習にこだわったのは優位に立ててたからってだけだよね。詐欺師感が凄いもん」
「それ僕も思った。セイオにくっついて会合に参加した連中も同類だよね。風習を道具として利用してるだけって感じ」
「性根が腐りきってるよな。最期の言葉で分かる。自分を殺すローガを徹底的に苦しめたかったんだろう。俺も父さんが死の間際に恨むとか言ってたら、多分、一生引き摺ったと思う。そうならなくて良かったが……」
サクちゃんが寂しげに言うと説得力があった。死の間際に掛けられる呪詛の言葉は、健やかな精神状態でも、性根がまともな者にとってはかなりの苦痛になりそうだ。話を聞く限り、ローガはまともだ。まともがゆえにおかしくなった。
ローガをワブ族の族長に据えたのは共にセイオを暗殺しようとしていた若者たちらしいが、おそらく彼らも元はまともで、ローガを慕っているように思う。
歯止めをかけようとしてくれているのか、或いは感化されてしまったのか。
いずれにしろ、生き甲斐を失ったことで自暴自棄になっているローガに振り回されている気がする。仲間意識は強そうだし、離れるに離れられないのかもしれない。或いは、野盗に身をやつしてしまったことで、後戻りができなくなったのか。
予言だと、俺が英雄になれるかどうかは俺次第って話だけど……。
どうすれば良いのか皆目見当がつかない。諸悪の根源であるセイオは既に死んでいるから懲らしめる方向には持っていけないし、ユオ族がローガの蛮行を黙認しているからこっちを止めて諭す方向にも持っていけない。
勧善懲悪には鉄拳制裁の爽快感が効果的。胸がすくような思いをして初めて心に変化をもたらす者はいる。コーキの姿で奮起した亜人たちが良い例だ。
それができないのが厄介だよな。ミチルさんの真似も無理だし。
ユオ族がローガを討伐しないのは、おそらくアープとデネブさんが止めているからなのだろうが、内情を知って同情心を抱いた可能性もあるし、もしかしたら関わることさえ忌まわしいと思っているからかもしれない。
俺たちにローガを討伐させるのが一番後腐れないとか思ってる奴もいそうなのが忌々しいが、ここまで話を聞いておいて、そちらで解決してくださいと言う勇気は俺にはない。かといってローガを討伐するのはむごいと思う。
「うーわー、これは難しいねー」
俺が頭を抱えて言った隣で、フィルはがっくり肩を落として溜め息を吐く。
「もううんざりー。僕は関わりたくないかなー」
「だが放置すれば被害は増えるぞ。事情はどうあれ、既に野盗だ」
「そうなんだよねー。情状酌量とか、被害者からすると何言ってんだって話だからねー。あー、でも一年の間に噂が広まるほど悪さをしちゃってる訳だから、冒険者ギルドでも討伐依頼が出ててもおかしくないよね。そっちに任せるって手も」
「賛成ー。もう他の冒険者に任せようよ。僕は気の毒で戦いたくないよ」
「俺は今すぐにでも討伐するべきだと思う。おそらく殺さなければ止まらないだろうが、当人たちもそれを望んでいるような気がする。楽にしてやるべきだ」
俺たちの会話を途切れさせたのは、アープの土下座だった。それを見たデネブさんまでが、居住まいを正して土下座をする。
「英雄様。すべてはユオ族の風習が原因です。私はローガ兄様に命を救われました。ですがその所為でローガ兄様は人生を狂わせました。悪事を行ったことに言い訳はできないのは分かります。でも、どうかローガ兄様の命は奪わないで欲しいのです。我儘なのは分かっています。でも、でもあんまりです。それじゃあ何の為に生まれてきたのか分かりません。私もそうです。ローガ兄様が赤い毛で疎まれたように、ただ青い毛を持って生まれてきたってだけで族長にされました。折角、助けてもらったのに、ずっと家の中に閉じ込められて育ちました。家を出るのが許されるのは、季節の移動のときだけです。何の為に生まれてきたのか分かりません。ローガ兄様が聞いたら怒るかもしれないけど、これも血の憎悪だと思っていますー。本当はアチシ、族長なんてやりたくないんですー。アチシも外でいっぱい遊びたいよー」
アープが途中から声を震わせ、泣き出す。デネブさんが引き継いだ。
「英雄様、俺からもローガの助命をお願いします。アープの言う通りです。俺も今はっきりと分かりました。血の憎悪というのは、ローガのことではなく、この風習そのもののことだったのです。アープもまた、幼少の頃より自由を制限されてきました。無理な願いだとは承知していますが、それでも通したい。俺は、弟妹を救いたいのです。その為なら、この命を捧げても構いません。どうか、この血の憎悪を断ち切る妙案を頂けないでしょうか。何卒、お力を……」
血の憎悪を断ち切る――。
何かが引っ掛かり、その言葉を反芻したとき閃いた。
「アープは族長やりたくないんだね?」
俺が訊ねると、アープは泣き顔を上げてコクコクと頷いた。
「ユーゴ、何か思いついたの?」
「そうだね。権力フル活用すれば何とか」
「何をするつもりだ?」
「それは明日、ヤス君が合流したときに話すよ。でも、多分、コーキが予言を残したのは、この為だったんだと思う。タイミング的にも、そういうことだって示してる気がするんだ。大丈夫、上手くいくよ」
その後、用意してもらった寝床に入って眠りに落ちた俺は、夢を見た。
暗闇に炎が現れて揺らめく。現れたのは、数人の男たちに囲まれた一つの狂気。血のような黒ずんだ赤毛を持つ、凶悪な顔つきの男。取りつく男たちを振り払い、頭と体を掻きむしる。目が合うと、嘲るような笑みを浮かべて口を開いた。
俺は母親を食ったんだ。飢えて飢えて、このまま死んで楽になりたいって思ったのに、母親が最期に言った言葉が『生きて』だったんだ。どうしろってんだ。獣一匹狩れやしねぇ馬鹿なガキだった俺が、どうしたら生き延びられるってんだ。この体の血肉が、半分母親で出来てるのが、俺は苦しくてたまんねぇんだ。
もう楽にしてくれ。躊躇うなよ。罰を与えてくれよ。誰でもいいから、俺を殺してくれ。そうでなきゃ皆殺しだ。何故かって、俺は忌み子だからだ。災いをもたらす化け物だからだ。神がそうあれってこの世界に寄越したんだ。だから俺はその役割を全うするんだ。早く俺を殺さねぇと、死体の数が増えるばかりだぜ。




