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81.カナン大平原を越えよう(8)




 現族長はローガ・ワブ・シー。濁った血のような赤黒い毛並みの狼人。


「ワブ族は盗賊集団であるとの噂が巷に広がっていると聞き及んでおります。しかし元々はそうではなかったのです。ほんの少し前までは俺たちと同じく馬や羊の放牧をし、魔物を狩り、拠点での畑仕事をする穏やかな部族でした。それを狂わせたのが、血の憎悪。このユオ族の、恥ずべき風習が生み出した者なのです」


 デネブさんの表情は益々険しくなり、苦虫を噛み潰したようなものになる。ではアープはといえば、先ほどまで見せていた、どこか人を食ったような態度と表情が鳴りを潜め、目に見えて暗く沈んでいた。


「それで血の憎悪というのは? 予言の中にもありましたけど」


「状況からみて、おそらくローガのことです。毛色も赤く、憎悪も深いので」


「それはまた随分と分かりやすい」


 俺は予言の的確さに思わず苦笑する。そこで隣から「んー」というフィルの唸りが聞こえた。顔を向けると何やら考え事をしている様子だった。


「赤かー。僕、赤毛の狼人って見たことないかもー」


「フィルでもか。じゃあ相当珍しいんだな」


「見掛けないから印象に残るよねー。俺もバッチリ覚えてるもん」


「え、ユーゴ見たことあるの?」


「うん、アルネスの街にいるよ。イノリノミヤ信徒会の会長さん。ローズさんっていう若い女性。奇麗な赤い毛並みで凛とした美人だよ」


「へー、アルネスの街にもいるんだねー。神社なんてほとんどいかないから。あ、ごめんなさいデネブさん! 話の続きをお願いします!」


 フィルがデネブさん放置に気づいたようで、慌てて頭を下げて手で先を促す。デネブさんは表情を変えずに頷き、口を開いた。


「ローガは、元はユオ族の者だったのです」


 驚いたことに、ローガはデネブさんの双子の弟だった。デネブさんが薄く青みがかった毛色だったのに対し、ローガは暗く濁った赤い毛色で生まれてきたという。青を神聖視するユオ族では、ローガは不吉を呼ぶ忌み子とされる。


 デネブさんの父は族長ではなく、風習にこだわる人でもなかった。産婆をしたのも父方の祖母で、家族は皆、差別を嫌う心優しい穏やかな人たちだったという。


「当時の族長セイオは風習にとにかくこだわる男で、選民思想というのでしょうか。『青くなければユオではない』と毛色に青みがない同族を蔑み、虐げる奴でした。それが分かっていたから、ローガは家族に隠されていたのです」


 だが、それから六年後の冬、アープが生まれたときに悲劇は起きた。


「話は、生まれたばかりのアープをセイオが殺そうとしたところから始まります。おそらく、部族で最も青く美しい毛色を持った者が現れたことが許せなかったのでしょう。あるいは、焦りか。自身の地位を守る為にやったのだと思います」


「何だよそれ! クズじゃないか!」


「最低最悪なクソ野郎だな!」


「まったくだ! 万死に値する!」


 話に聞き入っていた俺たちはセイオに対して痛烈な批判を行った。スタジアムでスポーツ観戦しているときに、応援しているチームの選手がラフプレーを食らったときのような雰囲気に、アープもデネブさんも少し呆気に取られたようだ。


「デネブさん、固まってないで早く続きをお願いします!」


「あ、はい。セイオは、秘密裏にアープを殺そうとしていた為に、俺たち家族を外におびき出しました。そして凶行に及ぼうとしたのですが」


 俺は「分かった!」と膝を叩いてデネブさんを指差す。


「ローガがセイオを殺した!」


「いえ、そうではなく」


 デネブさんが否定した直後、フィルが「はい!」と勢いよく挙手する。


「異変に気づいてお父さんが家に飛び込んだ!」


「いえ、違います」


 今度はサクちゃんが自信なさげに小さく挙手する。


「ローガがアープを抱えて外に出た?」


「あ、惜しいです」


 クイズ大会か! と、俺が心でツッコむくらいには場が熱くなったのだが、デネブさんは普段からとぼけたアープを相手にしている為か、俺たちの馬鹿な行動にも大した反応は見せず、すんなりと話に戻った。


「ローガはアープを抱えて大声で助けを求めました。それで家の中に俺たち家族が入ったのですが、その後、セイオの言い分の方を皆は信じたのです」


 そういうことか。


「セイオは『忌み子がアープを殺そうとしていた』って言った訳ね」


「はい。そんな訳がないと、俺たち家族はセイオを責め立てました。ですが『何故ここに忌み子がいる。貴様らは災いを招く者を隠していたな』というセイオの言葉一つで、ユオ族のほとんどが俺たちの敵に回ったのです……!」


 デネブさんが歯を食いしばって俯く。拳を床に軽く打ちつけた。


「俺たち家族は、どうにかローガを逃しました。ですがセイオは止まりませんでした。たった六歳の子供を、散々痛めつけ、罵声を浴びせ、逃げざるを得ない状況に追い込み、それでも飽き足らず、あの人でなしは追手まで差し向けました。『忌み子はいつか災いをもたらす。息の根を止めよ』と、そう言って」


 デネブさんの両親はローガを守る為に集落を出たが、帰ってきたのは同胞に殺された父親の遺体だけだった。母親とローガはそれからずっと行方知れずだったが、昨年最悪な形で再会を果たすことになったという。


「会合の席で刃傷沙汰があったという報告が入り、慌ててワブ族の集落へ向かったのですが、凄惨な争いがあったと思われるその場所で、ワブ族の長コエイの遺体を腕に抱いた、自分と瓜二つの男がいるのを見つけたのです」


 デネブさんは直感でそれがローガだと分かり、危険を顧みることなく近づいた。ローガもまたデネブさんに気づいた。だが、デネブさんを待っていたのは再会の喜びではなく、憎悪に染まった弟の姿と、その口から語られた残酷な真実だった。


 ローガは追手に殺されそうになったところを母親に救われ、九死に一生を得た。そして命懸けの反撃で追手を追い返すこともできたのだが、その際に負った怪我が原因で、母親は亡くなってしまったという。


 広大無辺なカナン大平原。季節は冬。母の遺体と過ごす日々。周囲には食えるものは何もなく、また獣や虫を獲る力もなく、寒さに震え、飢えに苦しみ、魔物に怯え、もう駄目だと死を覚悟したが、気づけば母親の肉に食らいついていた。


「ローガは言いました。『俺は母親を食って生き延びた忌み子だ』と。そして怖ろしい形相で、狂ったように髪や体を掻きむしり始めました。側にいたワブ族の男たちが取り押さえましたが、喚き散らし、とてもまともではありませんでした。そのときに、幼馴染だというワブ族の男が、怒りに震えながらも教えてくれました」


 幼いローガはユオ族のような風習のないワブ族に拾われ、長い年月を経て、憎悪で病んでしまった心と、母を食ったという狂気から救い出されていた。


 しかし、そうなるように取り計らっていた大恩あるコエイを殺され、やはり自身が忌み子であるのだと思い込んでしまった。のみならず、ワブ族の生き残りの中からもローガを罵る者が現れた。


 お前さえいなければ家族が死ぬことはなかった。お前さえいなければ族長が死ぬことはなかった。お前が災いを呼んだんだ、と。


「そして、その惨劇をもたらしたのもまた、セイオなのです……!」




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