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79.カナン大平原を越えよう(6)




 五百年前、ラグナス帝国に虐げられていた亜人族を救った者がいた。


 名はコーキ・クリス。ふらりと現れた素性の知れないその男は、奴隷狩りの手から逃げ隠れして生きていた亜人族をまとめ上げ、解放軍を作り上げた。


 コーキの率いる解放軍の勢いは凄まじく、人族至上主義を掲げるラグナス帝国の征服から各地を解放。差し向けられた征伐軍を打ち破り、退け続けた。


 望まず奴隷となっていた亜人たちは次々と救い出され、コーキは虐げられていた亜人たちの希望の光となった。そして、その輝きに鼓舞された亜人たちは、自由と尊厳を求めて立ち上がり声を上げた。


 怯えるな。嘆くな。屈するな。主の下に集え。コーキ・クリスが我らの主だ。


 国を持たぬ英雄との戦争により、非道を行い続けてきたラグナス帝国は、メリセーナ大陸西方の領土をすべて失い、国力を大きく落とすことになった。


「――というのが、クリス王国が建国される以前の英雄譚でーす。しかし驚きましたー。まさかアチシの代で予言の英雄様が来られるなんてー」


「族長、お座り」


「デネブ兄様ー、アチシは犬ではないのですよー?」


 デネブさんが片手で目を覆う。如何ともし難いと言いたげに。


 俺たちはユオ族の集落に招かれ、族長の家で歓待を受けている。絨毯の敷かれた石造りの広い部屋。


 調度品は装飾華やかだが小さく数も少ない。時期によって拠点を移すからこその無駄のなさ。簡素ながらも趣きある生活感に好感が持てた。


 訪問前、デネブさんに礼儀作法について伺ったところ、特にないとのことだったので失礼のない程度の姿勢を保って床で胡座を掻いている。そのときに「礼儀など族長には不要なものです」とげんなりした様子で言われた意味がよく分かった。


 この族長、アープ・ユオ・シーは敬うのが難しい。心で呼び捨て決定だ。


 というのも落ち着きがない。話し方が早口で独特。そして信じられない程に若い。デネブさんの妹で、まだ十六歳とのこと。体格に見合わない豊満な胸と尻の持ち主で、着ているのが民族衣装にも拘らず目の遣り場に困るのもまた理由の一つ。


 この小柄で活発そうな獣耳少女が族長に選ばれた理由は、部族で最も美しい青い毛並みだそうだ。


 ユオ族では、代々青色を神聖視しているのだとか。この情報を与えてくれたのはアープ本人。聞いてもいないのに、自己紹介のときにペラペラと喋り倒した。話している間もあっちへこっちへと動き回って忙しない。


 話が済んで間もなく、侍女らしき女性が二人、果物の入った籠や酒などを運んできたが、誰も酒は飲まないし、もう夕食は済んでいるからとお断りした。


「わふー、英雄様はお酒を飲まないのですかー?」


「飲みませんね。あまり好きではないので」


「残念ですー。酔ってくれたらどさくさ紛れに子種をいただ――」


 デネブさんが素早くアープの背後に回り込んで拘束し、その口を塞ぐ。


「英雄様。失礼致しました。お忘れください」


 アープがもがもがと声を上げ暴れようとしているが、デネブさんは足まで絡めて完全に動きを押さえている。もう手慣れたものなのだろう。


「それで、俺が予言の英雄というのはどういうことですかね?」


「それについては族長が。族長、もうおかしなことは言いませんね?」


 アープがコクコクと頷くのを確認したデネブさんが拘束を解く。


「ぷはっ、ちょっとお待ちをー。何だかお家が傾いている気がするのでー。デネブ兄様、ちゃんと壁は真っ直ぐに整えてくれたんですかー?」


「はぁー、それがおかしなことだと……整えたと言いましたよね。何度も」


 額に手を当て、盛大に溜め息を吐くデネブさん。その様子を見たサクちゃんが苦笑して立ち上がり「俺が見よう」と言って部屋の壁に手を当てる。


「サクちゃん、何するの?」


「昔取った杵柄……ってほど昔でもないが、壁の補修をやってたときにちょっとな。均整が取れてない建物が多かったから。よし、分かった。少し揺れるぞ」


 直後、地響きが鳴って家が揺れた。アープとデネブさんが目を丸くする。いや、俺もヤス君もフィルもだ。サクちゃんそんなことまでできたのか。


「僅かだが傾きがあった。補強もしておいたから倒壊の怖れもない」


 そう言ってサクちゃんは元の位置で胡座を掻く。少し誇らしげに見えた。


 その間、アープは「おおー」と前のめりで目を輝かせていた。あちこち飛び回り、部屋の壁を撫で回す。尻尾が喜びを表現するように激しく振られている。


「すごー。真っ直ぐー。やっぱ英雄様のお連れー」


「サクヤ殿、ありがとうございます。族長、もういいでしょう。お座り」


 デネブさんが床を二度叩く。アープが「はーい」と返事をして、示された場所に行儀悪く座る。デネブさんと違いズボンを穿いていないので下着が丸見え。


 俺はそっと目を逸らす。見ていられない。何なんだこの娘は。


「族長、はしたない」


「あ、ごめんなさーい」


 デネブさんが膝掛けで覆ってくれたので視線を戻す。それにしても一体いつになったら話が始まるのか。段々うんざりしてくる。


「はーい、それじゃあさっきの話の続きなんですけどねー、初代様は、大勢の人から王になってくれと願われたんですねー。それでクリス王国が建国されてー、私達のご先祖様がー、このカナン大平原の支配を認められたんですよー」


「いや、訊いたのは俺が予言の英雄って呼ばれる理由なんですけども」


「わふー。英雄様はせっかちですねー。いいでしょー。ではー、色々すっ飛ばしてお話しますとねー、初代様は予言の力を持ってらしたんですー」


 アープがふらふらと体を横に揺らしながら話す。


「未来が見えたってことっすか?」


「そうですー。そう伝わってますー。ユオ族に伝わる予言は『カナンを血の憎悪が襲うとき、緑の鎧を纏いし男が現れる。名はユーゴ・カガミ。森の向こうの海よりいでしその男は、白き衣を纏いし貴人、青き衣を纏いし賢人、黒き衣を纏いし武人と共に、カナンを襲う血の憎悪を打ち払う英雄となるだろう。ただし、英雄となれるか否かはその男次第。無邪気で警戒心がないままであれば、血の憎悪の闇に囚われ、頭と心の病に罹るだろう』というものですー」


「え、なんか……最後の方、ちょっと馬鹿にしてなかった?」


 フィルに訊かれたが、俺はコーキのことを思い出して笑っていた。


 頭と心の病気、無邪気、警戒心がない。確かに昔そんな会話をした。


 そうか、こっちに来てたのか……。


 しかも国まで作って。なんて奴だよ、お前……。


 忘れたい過去が溢れてくる。辛く、悲しい、悔しい思い出。


 だがそこに、この世界で戦う成長したコーキの姿が混ざり込んだ。


 雄叫びを上げ、剣を振るい、味方を鼓舞し、術を放ち、勝鬨を上げる英雄。


 大勢の人を解放し、名を呼ばれ、感謝され、謳われ、讃えられる初代国王。


 最後はあの日の幼い笑顔を思い出し、気づけば涙が溢れていた。


「ど、どうしたんすか⁉」


 俺は照れ笑いしながら、鼻を啜って涙を拭う。


「あー、いや、話してなかったけどね、俺にはクルス・コーキって友達がいたんだよ。一文字違うけど、クリスとも読める漢字だったから本人で間違いない」


「ってことは、ユーゴは初代国王の友達?」


「そういうことだね」


 えーっ! という声が揃う。質問が色々と飛んできたので、俺はコーキと自分の関係について話した。コーキの家族がどうなったのかも、すべて。


 不思議と胸に穴が空いたようだった。コーキがこちらで生きていたことを知って嬉しかったが、既にこの世を去っている。それが無性に寂しかった。


「結構、複雑っすね。せめて時代が俺たちと重なってたら」


「悲しいよね。そんな事件があったんじゃ、ユーゴも会いたかったよね」


「いや、それだと俺とヤス君は死んでるよ。リンドウさんもいないし」


「それだが、五百年前なら、イノリノミヤとも関係があるかもな」


 心臓が大きく脈打った。サクちゃんの言う通りだ。


 もしかしたら何らかの繋がりがあるかもしれない。


 俺は口を開きかけたが、俺より先にヤス君がアープに話し掛けていた。


「族長さん、イノリノミヤ神教とクリス王国についてなんすけど、何か口伝が残ってたりします? もしあるなら聞かせて欲しいんですけど」


 アープは頼まれて嬉しかったのか、フフンと鼻を鳴らして胸を張った。


「イノリノミヤ様はー、初代様と共に解放軍で戦った二人の聖女様の一人ですー。戦場では獅子奮迅の大活躍をしたと言われていますー」


「繋がった! ユーゴさん、これ、あり得ますよ!」


 ヤス君が興奮気味に言って俺の肩を掴んで揺する。


「ヤス君、分かったから落ち着いて。二人の聖女って聞いたでしょ? そこにもっとヒントがあるかもしれないから、喜ぶのはちゃんと聞いてからにしよう」


「ハハハ、そっすね! 族長さん、もう一人の聖女様について教えてください! そこに俺たちの知りたいことが詰まってるかもしれないんで!」


「もう一人の聖女様はー、サーヤ・シンドゥー様ですー」


「サーヤ・シンドゥー様っすか。またオリエンタルな……」


 突然、ヤス君が動きを止めた。あれほど興奮していたにも拘らず、完全に静止。笑顔も消え、まるで凍りついたように硬直している。


「サーヤ様はー、クリス王国建国後にー、遥か東方のシッダーマリ皇国を滅ぼしー、シンドゥー王国の初代女王となられた女傑ですー。イノリノミヤ様と並んでー、クリス王国二大聖女と呼ばれていたそうですー。今は――」


 俺は説明を続けるアープを手で制し、ヤス君の肩を揺する。


「ヤス君、大丈夫? どうしたの?」


「どうされました? お加減でも悪くなられましたか?」


 デネブさんが心配そうに様子を見に来る。


「進藤沙綾……。山で死んだ、俺の、友達です……」


「え?」


 ヤス君の顔がくしゃっと歪む。笑い泣きしている。


「サアヤ・シンドウっす……。生きてたんすよ……! こっちで……!」




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