71.ドグマ組長のお見舞いに行こう(5)
待っている間、ミヅキさんがお茶を淹れてくれた。こっちに来てから初めて飲む急須からの緑茶で、心遣いを感じる飲みやすい温めのものだった。
部屋は障子戸が開け放たれ、縁側の板度も取り外されている。残暑の厳しい日が続いているとはいえ、日が落ちるのは随分と早くなってきた。
既に日は傾き、辺りが赤く染まっている。「そろそろ夕餉を支度してまいります」とミヅキさんが場を離れようとしたので、不要だと言って留めた。
「ユーゴ、まさかとは思うが」
「そのまさかだサクちゃん」
俺は《異空収納》から食事セットを取り出した。宿場町で一度昼食を食べそびれてしまった経験から、稼いだ金にものを言わせて、器から鍋から調理器具を大量購入し、食材や調味料、香辛料に至るまで市場でふんだんに取り揃えた。
そして、訓練の後にエドワードさんの邸宅にお邪魔して、厨房をお借りし、連日の如く調理を行い続けてきたのである。
という訳で俺の《異空収納》にはカレー、シチュー、ポトフ、豚汁などの汁物に炊きあがった白米を入れたお櫃やパンが幾つも入っている。おかずも焼き魚から焼肉、ステーキ、ハンバーグ、添え野菜やサラダまでバットに入れてある。
どこでもバイキングマンだ。ただ、麺類はパスタしか用意できていない。ラーメンと素麺が恋しいので、いつかどこかにないか探したいと考えている。
何を食べたいかを訊いたところ、ミヅキさんは名前を聞いてもどんな料理なのかが分からないというので、カレーを出してみたのだが、露骨に引かれた。
「まぁ、食べたことがないとそうなるよな」
「鍋にそんなものを入れて煮込む訳がないでしょうに」
器に盛って出すと、香りに惹かれたようで、すんなり口にしてくれた。
「これは……大変美味しゅうございます!」
「美味いよなぁ、本当。毎日食べれる」
感激してもらえたのが喜ばしい。幸せ愉快犯の本領発揮といったところ。
ドグマ組長にも、米から炊いた塩粥が用意してあったのだが、目を覚まさないことにはどうにもならないので、食事の後は静かに待つことにした。
「そういえば、こっちは虫の音がほとんどないよな」
「そうだね。蝉も鈴虫も蟋蟀も鳴かないもんね。いないのかな?」
「お義父様も、よくそう言っておられました。聞こえているうちは煩わしく思っていたものが、いざ聞こえなくなるともの寂しくなると」
俺もサクちゃんも首肯した。
「あちらでは、そんなに虫の音が響くのですか?」
「それはもう。こちらとは真逆です」
「朝早くから物凄い鳴くからな。夜は風情があっていいけど」
「そうなのですか。一度は聞いてみたいものです」
ミヅキさんが微笑んで言った。俺も微笑みを返す。穏やかな一時。
だが、それは飽くまで表向き。俺は内心、物凄くそわそわしていた。サクちゃんがいる手前、俺が訊いても良いものかどうかとずっと悩んでいたのだが、サクちゃんが訊いてくれない。色々と気になることはあるだろうに、訊く気配すら見せない。たった三ヶ月の付き合いだが、もう分かる。この男は訊かない。少なくとも今日は絶対に訊かない。もうしょうがないので、俺が訊くことにした。
「不躾ですが、ミヅキさんは、ドグマ組長とはどういったご関係で?」
「義理の親子です。私は、三十年前に人攫いに拐かされたところを救われて、それからはミヅキと名を付けてもらい義理の娘として育てていただきました。当時は十八歳になったばかりで、森から出る怖ろしさを弁えておらず、もしお義父様が通りがかっていなければ、と今でも怖ろしく思います」
「故郷の森に帰ろうとは思わなかったんですか?」
「ええ、お義父様についていこうと、救われたときに決めましたので」
表情が決意に満ちている。義理堅い人なのだろう。
「サクちゃん、こんなにしっかりした義理の娘さんがいて良かったね」
「ああ、本当に。それも、父さんが救ったなんてな。誇らしいよ」
サクちゃんが嬉しそうに言って、ドグマ組長を見つめる。記憶の中の父親の姿と重ねているのかもしれない。少し、寂しげにも見えた。
「お義父様は『自分は人生を濁らせてしまったから、名前も濁らせて戒めにする』と言っておられました。それで、トクマをドグマにしたのだと」
え? とサクちゃんが呟く。俺も急にミヅキさんが語りだしたから驚いた。ミヅキさんは、俺たちの反応を見て察したようで、口元に手を遣り苦笑した。
「すいません。サクヤさんを見ていると思い出してしまったんです。本当によく似ていらっしゃるので、つい……」
サクちゃんがミヅキさんと向き合う。
「他には、何か言ってましたか?」
「はい。お義父様はこう言っておられました。『馬鹿なことをして、一緒になった人と二人の息子を幸せにできなかった。かけがえのないものを失ったことを悔いている。だが、もうやり直すこともできなくなってしまった。戻れないほど遠くにいるのは天罰が下ったからだろう』と」
「そうですか……」
サクちゃんはまたドグマ組長の方を見て黙り込んでしまった。俺はミヅキさんと会話を続け、ヒューガさんから聞いた話との擦り合せを行った。
ドグマ組長は、元々は街のスラムの孤児やゴロツキ共を雇い入れて面倒を見るつもりだったそうだ。それで孤児院となんでも屋のようなことを始めた。
下水掃除や、堆肥運びなど、誰もが嫌がるが、誰でもできるような仕事を率先して引き受け、それで得た賃金を雇い入れた者たちに渡す。
ただそれでは皆を食わせることは難しい為、自分は冒険者ギルドの依頼を受けて魔物を狩りに行き、それを買い取ってもらった金を従業員の給料へ回していたという。自分の儲けはほとんどない、言わば慈善事業に近いことをしていたらしい。
当然、最初は感謝されていた。慕われてもいた。だが雇い入れた者たちの中から不満を言う者が現れるまでさほど時間は掛からなかった。それで娼館を始めた。酒場を始めた。元が気性の荒い者ばかりなので、用心棒集団も出来上がった。
つまり、ドグマ組長は孤児院以外は、実質何も運営していなかったのだ。ただ人を集めて金と衣食住を与えたら、勝手に話が進んで、娼館や酒場が建ち、そちらの方が割がいいからと、なんでも屋から従業員が流れていったという話だった。
それでも賭場と金貸しは話が出る度に反対していたそうだ。自身の経験を重ね、どういうことになるかが目に見えていたからだろう。『賭場は他がやっているから、うちでやることはない』と、やめておくように言って聞かせたらしい。だが、ハンが経営の大半を取り仕切るようになった頃、ドグマ組長は遂に折れた。
『親父さんの思ってるようなことにはならないと約束します。世のため人のために一生懸命、働きます。どうかお願いします。賭場と金貸しをやらせてください』
ハンの真剣な表情と熱意に負けて、承諾したとのこと。
それが、いざ始まってみれば他所の賭場は荒らす、イカサマはする、高利貸しが現れる、と舌の根も乾かぬうちに悪事が横行することになる。
ドグマ組長は唖然としたが、自分が招いたことだと苦悩し、猛省し、とにかく自分が育てた子どもたちを諭すことに努めたそうだ。
だが何を言っても分からない奴はいる。もうその頃には随分と疎まれていたらしく、ハンが若頭を名乗ってからは、誰からも相手にされなくなったとのこと。
そしてドグマ組長は病に倒れた。そのかなり前から具合が悪いのが一目瞭然だったそうだが、無理を押して動き続けた結果、遂に起きれなくなったそうだ。




