58.千年の恋も冷める娘に嫌われる父のような臭い
ゴブリンを処理して再び街道に戻った俺は、リンドウ邸を去ったときに森を抜けた位置、つまりスミレさんの案内で着いた場所まで走り続けた。到着後は休憩。何が起こるか分からないので、しっかりと息を整えてから歩いて祈りの森に入った。
それにしても臭い。
俺は体についたゴブリンの臭いが取れなくて困っていた。
休憩中、水球に両手を突っ込んで擦り合わせて洗ったが、何度繰り返しても臭いが取れなかった。それで、現在も歩きながらの手指洗浄を続けているのだが、臭いが落ちたという実感が得られず段々と不安になってきていた。
これ、鼻の奥に臭いが染みついてるんじゃないか?
もし本当にそうだとしたら、どれだけ手を洗おうが意味がない。
となると、まずは鼻を洗浄するところから始めるべきか。
そう思ったところで結界を越えたのが分かった。どうして今まで気づかなかったのか不思議に思うほどに空気が変わったのを感じた。
そして、気配。
俺の拙い探知が生物の気配を捉えた。この結界は魔物と悪心を持つ者を阻む。
ということは――。
「ユーゴ!」
木陰からサイネちゃんが飛び出し、俺を見るなり駆けてくる。表情がすごく嬉しそうで、こっちまで嬉しくなる。
「サイネちゃん」
俺は受け止めようと両手を開いた。が、五メートルほど先でサイネちゃんが立ち止まり、眉根を寄せて鼻を覆った。
「え……ユーゴ?」
信じられないものを見たかのような表情で言われた。
「誰や誰や! この千年の恋も冷めるような臭い撒き散らす阿呆は!」
声を荒げながらリンドウさんが姿を現す。そして俺を確認するなりサイネちゃんと同じ仕草と表情を見せて硬直する。
「え……? なんや、お前、肥溜めにでも落ちたんか?」
「違いますよ!」
リンドウさんが鉄扇を開き、顔に向けて扇ぎながら可笑しそうに笑う。
「冗談や。大方、ゴブリンとでも遊んだんやろ」
「えぇ、失敗でした。物凄く後悔してます」
「せやろな。まぁ、立ち話もなんや、行くぞ」
リンドウさんとサイネちゃんに先導されて歩く。サイネちゃんはリンドウさんと手を繋ぎ、チラチラと不安げな視線を俺に寄越してくる。
俺が笑顔で手を振ると花が咲くように笑った。多分、俺の気分を害したかもしれないと思い心配だったのだろう。
「リンドウさん」
「んー、なんや?」
「悪臭を消す術とかってあります?」
「せやなぁ、光術で《浄化》があるな。不浄を消してくれるけど、わしもサイネも光属性持ってないから使えへんぞ」
浄化か。
俺は体に纏わりつく不浄を祓うイメージを思い描く。
神主のお祓いは違うし、坊さんや神父の説教も違うな。どうにも浄化という言葉に引き摺られて、明確なイメージを邪魔されている感がある。
臭気の原因を消滅させるイメージに切り替える。臭いの原因菌を死滅させつつ、人体には一切害を及ぼさない光。
いや、臭いを発する菌だけじゃなく、ありとあらゆる菌を死滅させる光にしよう。ああ、そうか、殺菌光か。紫外線殺菌装置っていうのがあったな。
それを頭の中でより都合の良いものに変えていく。人体にまったく悪影響を与えない、強力な殺菌力。元々強い光は発さなかったはずだが、強力と念じると想像上の光も眩くなったので、その光量を抑える。目を閉じ、思いを術として固める。
殺菌効果は強く、目に優しい穏やかな光。
んー、腕を折られたからか、戦って興奮したからか、ちょっと体が熱いな。
眉間に痛みが走るほどのイメージと集中。得られる実感。これはいける。
やがて、カチリ、と頭の中で術を掴んだ感覚があった。
だがまだ完成してはいない。感覚が確かなうちに行使しなければ、折角まとめたものが霧散してしまう。それが分かる。過冷却水球のときも、回復術のときもそうだった。俺はそのまま自分の体を対象に術を行使する。
仄かな青い光が全身を包み込む。ひんやりと心地良い。十秒くらい浴びてから、深呼吸。森の清々しい良い香りだけがした。うん、成功だ。
こちらを見ていたサイネちゃんが目をぱちくりさせて足を止め、リンドウさんは「ん?」と呟いて立ち止まり、何度か空気を嗅ぐように鼻を鳴らす。
サイネちゃんが、とてとて近づいてきて、俺をくんくん嗅ぐ。
「臭くないのですっ!」
サイネちゃんが飛びついてくるのを笑顔で受け止める。よしよしと頭を撫でてから、地面に下ろし、手を繋ぐ。
顔を上げると、リンドウさんが納得いかないというような表情をしていた。フィルで見慣れているのでよく分かる。俺はまたおかしなことをしでかしたらしい。
「ユーゴ、今のは?」
「浄化……です」
「違うのです。浄化はもっと光るのです。それに青くもないのですよ」
「もっぺんやってみぃ」
言われるまま、自分に術を掛ける。今度は手を繋いでいるサイネちゃんまで仄かな青い光に包まれる。
「はぁー、凄いのですぅ。ひんやり涼しいのですぅ」
「ユーゴ、その術、二属性混ざっとるぞ」
「え⁉」
意識を魔力の変化に向ける。確かに、水属性と光属性が混ざり合っている。
あー、体が熱いって部分まで反映されたってことか。けどそれは光属性だけだと無理だったから、無意識に水属性を混ぜ込んだってことね。
魔力を分離してみる。白い光に変わる。水属性だけで試すと、光は放たれずに周囲の温度が下がった。
「これは、今のところユーゴしか使えん術かもしれんな」
「そうなんですか?」
「見たことないのです」
ありそうなものだが。
「帰ったら、スズランに見せたってくれ。あいつは光水土の三属性持ちやから、使えるかも分からん。あと、もし他にも使える術あったら見せてくれ。どんくらい成長したんか気になるからな」
「分かりました」
返事をして、歩き出すリンドウさんに追従する。サイネちゃんは偶然の産物であるひんやり術が殊の外お気に召したようで、リンドウ邸に到着するまで何度か可愛くねだられることになった。




