55.スパイキークラブ物語(4)
ビルさんに案内されて厨房に入る。掃除から始めなければいけないのではという不安を少なからず抱いていたが、それは杞憂に過ぎなかった。
設備は十分で、こちらも食堂と同じく手入れが行き届いている。他の場所とは明らかな違いに、何かしらの思い入れがあるのだと察するが、依頼とは無関係なので俺は気にしないことにした。
というか、気を回す余裕がなかった。俺は悪魔と呼ばれて害虫扱いされているスパイキークラブを食材にして調理するのだ。それをビルさんにどう説明したものかとずっと苦悩していたのだ。が、考えるだけ無駄だと覚った。
いいや、もう、怒られたら依頼失敗で。
設備の説明を受けた俺は、食材がスパイキークラブであることを明かした。
ビルさんは絶句して立ち尽くしていたが、俺はそれを放置して調理開始。勝手に大鍋で塩を加えた湯を沸かし、沸騰したところでスパイキークラブを投入。
かなりでかくて重いので、三十分ほどしっかり塩茹で。時刻の確認の為にステボを開き、ついでにしばらくちゃんと見ていなかった能力値の確認。
魂格は十九。魔力保有量は二千五百くらい。魅力以外の平均基礎能力値が百を超え、補正値込みだと百二十ほど。トレーニングで総合的に鍛えているから各能力値に大きな差はないが、体力と脚力が若干高い。これはサクちゃん以上に走り込んでいるからだろう。順調に上昇しているようで安心。
ちなみに魅力は九十。上がってはいるが、いまだに何に影響するのかも、どうして上がるのかもさっぱり分からない。分からないことを考えたって仕方がないので置いておく。ゲームでもよく分からない能力値はあったものだ。
スキルに関しては大量に増えていて驚いた。すべてが戦技で疾駆と砕波と剛砕波と剛力砕波の四つ。疾駆は短時間の瞬発力上昇。他は無手殴り一発の打撃威力が上がるという恐ろしいもの。
砕波が二倍、剛砕波が五倍、剛力砕波が十倍と、とんでもないものを手に入れたと少し戸惑う。ただそれぞれ溜め時間が必要なようで、一発使うと戦技ゲージなるものが溜まるまでは使えない模様。
表示された説明を読む限りでは魔力を充填することも可能なようだが、時間経過で勝手に回復するところに魔力を回すのは少々勿体ない気がしたのと、いざというときに術が使えなくなる恐れなんかを考慮すると、一日の終わりに翌朝までに全回復する見込み分の魔力を注ぎ込むくらいしか視野に入らなかった。
あとは戦闘中に判断といったところか。
取得条件は分からないが、徒手格闘で格上の相手と戦って勝利するとかではないかと推測。思い当たることは結構あるので、どれが当て嵌まるのかは不明。何にせよ、攻撃手段が増えるのはいいことだ。と、俺は腕組みしてうんうん頷く。
時間になったので、塩茹でしたスパイキークラブを皿に載せ、足をもぎ取り、殻を外して長時間硬直中のビルさんに渡す。
ビルさんはハッと目を見開いて息を漏らした。
「こ、こんなに、肉厚な身が、詰まってるのか……」
「食べてみてください」
言いつつ、俺は自分の手にあるスパイキークラブの脚肉にかぶりつく。
「うわ、うんまっ!」
驚嘆に値する味だった。日本にいた頃に食べていた蟹よりも遥かに味が濃い。
だが香りはそこまで強くない。これなら甲殻類特有の匂いが苦手な人でも大丈夫そうだ。リンドウ一家にもお土産にして振る舞おうと心に決める。
ビルさんは逡巡しているようだったが、俺が脚肉を食べたときの反応を見ていたからか、口に溜まった唾液を集める素振りを見せた後にゴクリと喉を鳴らした。
他人が美味そうに食っているのを見ると、そうなるんだよなぁ。
昆虫や甲虫ならそうはならないかもしれないが、これは蟹。外殻を外せばぷっくりとした艶めく肉がある。それも、ふんわりと優しい良い香りを漂わせているのだから、美味そうに見えない訳がない。よし、今度はカニミソだ。
俺はビルさんを気にせず黙って次の準備に移る。茹で上がったスパイキークラブの甲羅をベリベリ剥がし、カニミソを確認。ところがそこにカニミソはなく、本来それがあるはずの甲羅の内側には、一つの魔石があるだけだった。
「マジか」
カニミソがないという事実に愕然とする。あの風味が得られないとは。
まぁ、無いものは仕方ない。
仮にあったとしても、それなりに癖があるものなので、この世界で受け入れられる可能性は低いように思えた。それを救いとして早々に気持ちを切り替えた。
甲羅の内側中心にくっついている魔石を引っ剥がす。力がいるかと思ったが、コンセントを抜くような感覚でカコッと簡単に外せた。
「そうなると、脚肉だけだな。焼きと、剥き身でスープもいけるか。出汁も取れるし、外殻を粉砕できれば他にも用途が見えてくるな」
独り言を呟きつつ、ビルさんへと目を遣る。と、ビルさんが意を決したようにギュッと目を閉じ、思い切り脚肉にかぶりつくところだった。
「美味い……」
信じられないといったような顔で、食べかけの脚肉と俺を交互に見る。
「どうです? 俺、依頼達成できそうですかね?」
笑って訊くと、ビルさんは嬉しそうに「ああ、ああ」と何度も頷いた。
俺はホッとしたが、脚肉を頬張りながらポロポロと涙を溢し始めたビルさんを見てギョッとした。心臓も少し動悸が起きる。ビルさん情緒不安定過ぎだろう。
「美味いなぁ、うん。美味い」
「あ、あの、大丈夫ですか?」
ビルさんは袖で涙を拭って笑った。
「すいません。ちょっと、昔のことを思い出して」
「それって、この厨房が使われてた頃のことですか?」
ビルさんが頷いて、説明してくれた。
元々、ここは宿と食堂を兼ねていたという。奥さんが作った料理は、村人だけでなく宿泊客からも人気だったらしい。ところが、移住して最初の夏期に事件は起きた。スパイキークラブが、奥さんを襲ったのだ。
「私たちは、移住してきたばかりでした。こんなものが出るなんてまるで知らず、村長に言っても、対策も取ってもらえませんでした」
「それは、奥さんが襲われてからの話ですか?」
ビルさんが頷くのを見て俺は頭に血が上るのを感じた。
「それで、奥さんは?」
「療養所にいます」
「療養所って、そんなに酷いんですか?」
「左脚の膝から下と、右手を切り落とされてしまって、心を病んだんです」
俺は言葉が出なかった。頭でプツリと何かが切れた。
そんな状態になった被害者が出ているのに、害虫駆除依頼だと?
俺は一度大きく息を吐いて燃え上がる憤怒を鎮める。ここで怒り狂っても何も変わらない。努めて冷静に話を聞いて、諸悪の根源にぶつけなければ。
もう気が済まん。村長許すまじ。
「ビルさん、スパイキークラブの被害者は奥さんの他にもいますか?」
「はい、この村ができてからまだ四年程度ですが、年に二、三人は大怪我をしています。命を落とす場合も」
「冒険者ギルドへの依頼は?」
「何人かの村民で集まって、村長に掛け合いました。そしたら『依頼に出せるほど村に金はない、各々が気をつけていれば済む話だ』って」
「それじゃあ、依頼は?」
「被害者の家族が呼び掛けて、身銭を切って、その金で依頼を出すように村長にお願いしたんです。それで、皆さんが来てくれて」
俺は《異空収納》から害虫駆除の依頼受注書を取り出し、無言でビルさんに渡す。怪訝そうに受け取ったビルさんだったが、それを読み始めた途端に体が震えだす。
「なっ、何ですかっ、このっふざけた依頼はっ!」
顔を真っ赤にして叫ぶビルさん。俺は破かれる前に素早く依頼受注書を取り返し《異空収納》に戻しながら村に集会所がないかを訊ねた。




