51.実感を伴わなければ浸れない苦痛と恋心の側で触れられぬ汚物
「――ということがあったんだよ」
ギルド併設の大衆食堂のテーブル席で、俺は合流したヤス君とサクちゃんに先ほど起きたことを話した。二人はなにそれ怖いという反応の後、リンドウさんにも知らせるのが良いのではないかと提案してきた。俺もフィルも賛同する。
「動くなら早い方が良いと思うよ」
「それじゃあ、明日の朝一に出ようか」
「あのー、ちょっといいすか? こう言っちゃ何ですけど、二人とも何か軽くないっすか? なんかそういう感じで話を進められても、まったく実感湧かないんすけど、マジでノッゾさんたち死んじゃったんすか?」
「それは俺も思った。本当にノッゾさんたちだったのか?」
二人に怪訝な顔で問われるが、正直なところ実感がないのは俺も同じ。まだ半信半疑な気持ちを抱えたままでいる。それはフィルも同じようで、俺がしているように、腕組みして難しい顔をしている。気持ちは分かる。そうなるよな。
「んー、まぁ、こればっかりは、実際に現場にいた人にしか分からない。としか言いようがないんだよね。俺が戦ったのは確かに魔物だったし、ノッゾさんたちとは似ても似つかない外見だったんだ。少しでも似ていたらこんな風にはなっていなかったと思うんだけど、辺りに落ちてたゴミみたいな装備品の残骸が唯一の証拠って感じだからね。どうも感情がついてこないというか」
「本当、そうだね。それは僕も見たけど、どこの武具店でも取り扱ってるような量産品の残骸だからね。ノッゾさんたちが使ってるのは、確かにそういったものだったけど、それだけで決めるのは難しいし、実際に討伐した人たちも、まったく容赦せずにとどめを刺せるくらいしっかり魔物だったからね」
「放置して街や領民に被害が及ぶことは避けなきゃいけないから、結局は討伐しなきゃいけなかったんだろうけど、何というか、あれがノッゾさんたちだったってハッキリ分かれば、感傷的になれたと思うんだよ。だけど、それがまるでないんだ。まだノッゾさんのパーティーはどこかにいる気がするんだよ」
「あ、それ分かる。僕もそうだけど、討伐した当人たちですら、ノッゾさんたちがもういないって実感を覚えないんだよ。これって怖ろしいことだよね。仕方ないにしてもさ、自分たちで殺しておいて、まだ生きてる気がするんだもん」
話しているうちに、気分が萎えてきた。多分、フィルも同じだろう。何一つ罪悪感めいたものを感じていないのが辛い。一時、混乱こそしたものの、それが解けたら、ヤス君の言うとおりの薄情者に変貌した事実に辟易してくる。
俺とフィルはあの魔物たちの命を奪ってはいないが、討伐に加担したことは間違いない。それを後で実は人だったと知らされても、実感が伴わなければ苦しむことすら許されない。だが周囲はしっかり軽薄だと印象づけ、自分もまた思い悩む。
普段と変わらない落ち着き払った心に、自分でそういう考えを無理やり持ち込んで自虐する他、今の俺たちを慰める方法がないのが、非常に煩わしく感じる。
「はぁー、もっと直接的な罪悪感に苛ませてもらいたいよね」
「本当、それ。遠回し過ぎて疲れるよね。何で僕たちが好き好んで自分で自分を責めなきゃいけないんだよ。何も悪いことしてないのにさ」
「なんか……すんませんっす。考えなしに言い過ぎました」
「俺も悪かった」
妙な雰囲気になったところで、出入口から見知った顔が入ってくることに気づく。憔悴した様子の大柄な半熊人。冒険者ギルドのマスター、ジオさんだ。
ギルマスという通称で呼ばれているので馴染みがないが、俺は心の中でも面と向かって話すときも名前で呼ぶことにしている。理由は忘れると困るから。当人もギルマス引退後に元ギルマスなんて呼ばれたくはないはずだ。
この街を拠点にしようと考えている以上、ジオさんとの付き合いは長く続く。親しいと思っている相手ほど、名前を忘れられる悲しさは大きくなるに違いない。
だから、そこはちゃんとしておきたい。たとえ、単なる知り合い程度に思われていようが、そこはそれ。自分が名前を忘れられたら悲しいと思うだろうから。
ジオさんは俺に気づくと笑顔で近づいてきて「おう、久し振りだな」と当たり前のように相席になる。さっきまでの落ち込んだ顔はどこへ消えたのか。
何かあるな、と思ったところで食事が到着。
パンと添え野菜付きのステーキとスープ。いつものやつだ。ジオさんもステーキセットを持ってきた女性店員に同じものを注文する。
「疲れてますね」
「ん、俺か? んー、まぁ、どうだろうな」
俺の社交辞令に、難しい顔をして歯切れの悪い返事をするジオさん。
「何か問題でも?」
「問題と言えば問題だが」
サクちゃんの質問にも返答を濁し、うーん、と唸る。
フィル以外はジオさんに気を遣い食事に手を付けていない。
「どうした? 食えよ」
言われてようやくお先に失礼しますと食べ始める。こういうとこ日本人だよな。と、言葉にはせず、三人で視線を交わして軽く笑う。
目は口ほどにものを言う、だな。
そういやミチルもそうだぞ、というジオさんの指摘に、ヤス君が口を開く。
「ああ、ミチルさんですか、ギルマスが凹んでる原因は」
「なっ、どうして分かった⁉」
「どうしてって、そりゃあ最近、不機嫌そうでしたからね。ギルマスもいい加減に気づいてあげないとミチルさんが可哀相っすよ」
俺は凍りつき、水を飲んでいたサクちゃんが咽る。フィルは小首を捻り、ジオさんは「何のことだ?」と訊く。
ヤス君、本当に何のこと?
「いや、鈍感過ぎますって。ミチルさんと俺たちが同郷っていうのは知ってますよね? 国民性って言うのかな。例外はあるけど、割と奥ゆかしいんすよ。ミチルさんなんて完全にそうっす。下衆な言い方っすけど貞操観念の高さが滲み出てます。それがあんだけアプローチしてんだから、抱えた思いはよっぽどですよ?」
ジオさんは顔が耳まで真っ赤になる。
「てってっ貞操観念だと⁉ ま、まさか、ミミミ、ミチルは、お、おお俺に、こっこっこっこっ好意を寄せてくれているのか⁉」
途中、鶏が鳴いたな。
サクちゃんを見ると、俯いて肩を震わせていた。
ああ、多分、俺と同じことを思ってツボに入ったな。
「落ち着いてくださいよ。鶏じゃないんですから」
フィルがブフォッと噴き出し、口の中で咀嚼されていた物が飛び散る。
俺は瞬間的に食事を体でカバーしたので無事だった。飽くまで食事は。
「ご、ごめ、ぷっ、くはははは。鶏ってぇ、くははは」
俺は「別にいいよ」と馬鹿笑いを続けるフィルに言って食事を再開する。後で服を洗うのを手伝わせようと心に決めて。
しかし、酷いな。
ジオさんに説教中のヤス君のステーキセットはフィルの咀嚼物噴射で全滅だ。
サクちゃんは相変わらず俯いたままで、時折、ふっ、とか、くくっ、とか音を発しながら肩を震わせている。可笑しいなら思い切り笑えばいいのに。
「だから、もう十分でしょ? 間違いないですって」
「いやいや待て待て、本当に本当か? ミチルが俺に冷たかったのは俺が鈍感過ぎたのが原因で間違いないってことでいいのか?」
「そうですよ。悩む暇があるんなら、とっとと気持ちを伝えてあげて下さいよ。それで万事解決しますから」
「気持ちを伝える?」
「もー、素っ気なくされて参ったってことは、そういうことでしょうが。ギルマス、まだ分からないんすか? そういうとこっすよ?」
「そ、そうか、そうだな! 分かった、行ってくる!」
ジオさんが噛み締めるように決意表明をして立ち上がり、店を出ていく。それと同時に、ジオさんが注文したステーキセットを持った女性店員がやって来た。
「あ、すいません。これ下げてください。で、代わりにそれください。会計はギルマスにツケてください」
「はーい」
女性店員が気持ちよく返事をしてフィルの噴射物だらけになった品を下げ、新しいステーキセットをヤス君の目の前に置く。
ヤス君は何事もなかったかのように食事を再開する。
何それ。
気づけば三人は無傷。俺だけが汚れた着衣で席についていた。そして恐ろしいことに、食事を終えるまで誰一人として俺の着衣について触れることはなかった。




