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46.マッドピエロ戦とアルネスの街への帰還




 俺の勘は外れる。嫌な予感がすると思って、結局あまり眠れないままに朝を迎えてダンジョンに潜ったが、何も悪いことが起こらない。起こらなさ過ぎる。うちのパーティーでは、悪いことが起こらなさ過ぎるのだ。


 ダンジョンで不意打ちを食らっても、エノーラさんの防具が優秀なので大したダメージは入らないし、少し痛いなと思ったらすぐにフィルが回復してくれる。


 毒を食らっても「あちゃー、毒食らっちゃったよー」と頭を掻いて済んでしまう。ヨナさんの解毒薬は中層までの魔物の毒はすべて解毒可能だからだ。


 下層以降は個別に作ってもらう必要が出てくるそうだが、そんなことはどうだっていい。対策が万全に立てられてしまうということが、俺は納得できないのだ。


 危機がない。


 これは非常にありがたいことなのだ。だからこの状況に不平不満を持っている俺の頭がおかしいというのも分かっている。ただ、ここまで何も起きないと、腹が立つ。ちょっとくらい悪いことが起きてくれたっていいと思ってしまう。


 公営競技でまったく見当外れなところに賭けてしまったときの気分。それが俺の今の心を言い表すのに最も適している。なんとなく閃いて自信がある、あの根拠のない自信がみなぎっているときに外してしまった『何だよ……』という苛立ち。


 せめて掠れよ! 三艇全部外れるとか逆に難しいだろ! むしろ当たりだろ!


 そう叫びたくなる気持ちに俺は支配されていたのだが、それも四十階層の凶悪な愉快犯的な階層主と対峙したところで掻き消えた。


 マッドピエロ。ケラケラ笑って大量のナイフをジャグリングしながら投げてくるピエロ。それがなんと毒ナイフ。しかも動きが素早く、変則的で捉えづらい。様子を見ながら慎重に戦っていたのだが、中々こちらの攻撃が当たらない。


「くそっ、捉えづらいな」


「ちょっと自信なくしそうっす」


 ヤス君の矢も、サクちゃんの棒も掠る程度。俺は攻撃にすら参加できていない。フィルを守るのを優先しているから仕方がないのだが、非常にもどかしい。


「ごめん、助かるよ」


「気にすることないよ。これが最善手なんだから」


 俺が飛んでくる毒ナイフを拳で弾き、フィルの術発動を掩護している。一度掠って毒を受けたので刃には触れないように注意して打ち払う。こんなときでも解毒薬の補充費用と装備品の修理費用を考えてしまう自分が憎い。凄く痛いのに。


 フィルは《風刃》を細かく広範囲に放ち、現状最もダメージを与えている。


 それが煩わしかったのだろう。いや、或いはそういう行動を取る仕様になっているのか、マッドピエロがとんでもない闇魔法を放ってきた。


 術を食らってしまったのはフィル。《ラヴァーズマリオネット》とピエロが甲高い声で口に出した途端、フィルの体が硬直し、ガクリと脱力。あやつり人形のように宙に浮いて、マッドピエロの側に連れて行かれてしまったのだ。


「フィル!」


 俺だけではなく、ヤス君もサクちゃんも叫んだ。皆、心の底からフィルを心配したに違いない。だが俺は、俺一人だけは、ちょっと掠ったことを喜んでいた。


 ほら、やっぱ悪いこと起きたじゃん!


 すっかり気が晴れた俺は、単身マッドピエロに突撃し、攻撃を躱されることを見越してピンポン球サイズの《過冷却水球》を配置。サクちゃんとヤス君の攻撃で躱すであろう場所にもどんどん配置。もう絶好調。まだまだ置ける。


 気づけばマッドピエロの周囲が《過冷却水球》だらけ。マッドピエロは周囲を見回し驚いた顔をしたが、すぐにニヤけてナイフを投げた。それは《過冷却水球》に命中し、弾け飛んだ氷の欠片で《過冷却水球》の誘爆を引き起こす。


「あー、そうくるか! くっそ、間隔が狭すぎた!」


 今度は目をピンクのハートにしたフィルが動き出し《過冷却水球》に衝突。体を凍りつかせていく。俺はすぐにフィルの氷結を解除するが、また身動きできるようになったフィルが、仕掛けた《過冷却水球》に体当たりしに行く。


「絵面はコミカルだが凶悪で笑えんぞ!」


「本当だよ! こいつ! 面倒くさっ!」


「ユーゴさん、フィル君の氷結解除せず放置で! 転がしておいた方が安全です! あと《氷球》の投擲も絡めてください! サクやんは隙を見て槍投擲で!」


「分かった!」


 俺とサクちゃんでヤス君の指示に声を揃える。マッドピエロの毒ナイフを躱しつつ、地道にコツコツと遠距離から攻撃を行う手筈ね。心得た。


 俺が《氷球》を投擲すると、マッドピエロが横に跳んで躱す。その位置にヤス君が矢を放ち、ストンと胸に直撃。驚いてヤス君を見ると小さくガッツポーズ。


「よしっ!」


 狼狽えた様子のマッドピエロが移動した先には《過冷却水球》。触れた瞬間に弾けて水を被り氷結。混乱したように動き回り、多くの《過冷却水球》の餌食になる。好機と見た俺は追加で《過冷却水球》を設置。マッドピエロを小さな円で囲む。


 マッドピエロの体はほぼ氷結。動きが鈍くなる。さっきまでの人を小馬鹿にしたような顔つきが焦りで満ちてゆく。が、ふとニヤけ、宙に浮いた幾つかの毒ナイフを氷結状態で倒れているフィルに向かって立て続けに発射した。


 こいつ、いやらしいっ!


 俺はフィルに向かって全速力で走り手を伸ばす。思い切り魔力を注ぎ込んで念じ、フィルの手前で《異空収納》を広げる。イメージは黒い円盾。


 このまま維持! 維持しろ! 消えるな!


 強く念じると、カチリと嵌まった感覚があった。


 よし、完成の感覚!


 漆黒の円盾が宙に留まる。が、魔力が凄い勢いで消費されていくのを感じる。


「なっ、なんすかそれ!」


「なんかできた! けどキツい!」


 《異空収納》で作った盾に毒ナイフがパチンッと弾かれて消える。


「あれっ⁉」


 俺は吸い込まれると思っていたので困惑。毒ナイフを《異空収納》から取り出して投げ返そうと考えていたのだが、思惑が外れてしまった。


「くっそ、予想外」


 しょうがないので《氷球》を作って投擲する。マッドピエロは避けるが、その位置目掛けてヤス君が矢を放つ。ほぼ同時にサクちゃんも槍を投擲。


 矢は太腿、槍は深々と胴体に突き刺さる。


「よっしゃあ!」


 二人の歓喜の声を聞きつつ、俺は転倒したマッドピエロに駆け寄り蹴り上げる。《念動力》を加えて、ニ発、三発と蹴りを入れて持ち上げていく。


 こいつ重いな! あ、氷の分か! 氷結解除! よし、ある程度浮いたな!


「サクちゃん!」


「任せろ!」


 サクちゃんが助走後に跳躍し、マッドピエロの顔面を棒で捉え、そのまま地面に叩きつける。するとパーンッと風船が割れるような破裂音。


 辺りに色とりどりの紙吹雪が舞い、ファンファーレが鳴った。


「おー。演出もピエロっぽいな」


「そっすね。あー疲れた。初苦戦じゃないすか?」


「攻撃は大したことなかったけど、鬱陶しかったね。フィルもいなかったし」


 階層主の部屋は、倒した魔物が姿を残さず消えてしまう仕様になっている。ドロップアイテムなるものがあるそうだが、まだ一度も取得できていない。


「おーい、フィル、大丈夫か」


 声を掛けると、フィルはすぐに目を覚ました。ハッとした顔で周囲を確認する。戦闘が終了したことを教えると愕然とした顔をする。


「ごめん……。僕、役立たずだった……」


「いや、今回はフィル君のお陰で勝てた感じっすね」


「あー、やっぱそうか」


「どういうことだ?」


 怪訝な顔をするフィルとサクちゃんにヤス君が説明する。それは俺が予想した通りのものだった。俺たちがマッドピエロの《ラヴァーズマリオネット》に掛からなかったのは【魅惑無効】スキルを持っていたからだ。


「つまり、俺たちが操られなかったのは、フィルの神樹もなんたらかんたらの笑顔のお陰ってことだよ」


「神樹も花咲く絶世の笑顔だろ」


「サクやん、よく覚えてたっすね。まぁ、今回ばかりは真面目に危なかったっすね。【魅惑無効】持ってなかったら詰んでた可能性大っすよ」


 ヤス君の深い溜め息を聞いて、ようやく事の重大さに気づかされた。急に血の気が引いて、背筋が凍ったような感覚に襲われる。


 そうだよな、誰かが死んでたかもしれないんだよな。


 俺だけかと思ったが、サクちゃんもフィルも、笑顔ではあるが青褪めていた。俺たちは調子に乗っていた気がする。


「まぁでも、これでシルバー階級までは上がれる条件が整いましたね。これからはまたじっくり鍛えて対策練っていきましょう。まだまだ先は長いっすよ」


 ヤス君が上手くまとめて締めてくれたので、おかしな空気は払拭された。


 俺たちは決意を新たに、次の階層へ進む部屋の扉を開け、そこにある転移装置を使ってダンジョンを脱出した。そして、ビンゴさんの解体屋に向かった。


「普段は面倒でやらねぇけど、今回は一部目録用意したから、そこの積荷はお前さんたちの《異空収納》に入れてくれ。そしたら全員乗れる」


「ありがとうございます。今回もお世話になります」


 俺たちは指定された積荷をすべて《異空収納》に入れたが、まだまだ積荷を入れる余裕があった。それを伝えると、ビンゴさんは「じゃあ頼む」と目録に新たに積荷を書き込んでいった。そうこうしているうちに、幌馬車の積荷は空になった。


「こいつはたまげたな……」


「どうします? 積荷を追加しますか?」


 ビンゴさんは驚いた顔を一変させ、微笑んでかぶりを振る。


「いや、馬にも楽できる日があった方がいい。いつも頑張ってくれてるからな。お前さんたちなら、いつでも乗せてやる。馬も喜ぶだろうさ。なぁ」


 ビンゴさんが馬に呼び掛けると、馬は頭を下げてビンゴさんの手に自ら頬擦りした。ビンゴさんは両手を伸ばして馬を撫でる。なんとも微笑ましい光景だった。


 宿場町を出たのは昼。俺たちは幌馬車の中で、宿で用意してもらったサンドイッチを食べていた。朝食時にお願いして《異空収納》に入れておいたものだ。硬いパンにレタスとチーズと塩漬け肉が挟んであるだけの、さして美味くもない、ただ腹が満たせるだけのものだが、マッドピエロ戦の後だからか妙に美味しく感じられた。


 フィルは積荷がないからか落ち着かない様子だった。気に入る定位置を探して、幌馬車の中をうろうろしていたので、俺が後ろに回って抱えてやった。


 最初こそ恥ずかしそうにしていたものの、フィルはそのうちウトウトし始め寝てしまった。サクちゃんに「本当の兄弟みたいだな」と生暖かい目を向けられ苦笑したが、ヤス君の「でも中身おっさんなんすよね」の一言で心が凪いだ。


 道中、何事もなく平穏な時間が過ぎていったが、俺たちは重大な失敗をしていた。そのことに気づいたのは、アルネスの街の冒険者ギルドに着いてからだった。


「は? 四十一階層、ですか?」


 受付で依頼品を納入し、ミチルさんから達成報酬を受け取って昇級の話を受けていたときに事件は起こった。俺たちはマッドピエロを倒した後、すぐに転移でダンジョンを脱出したが、それでは下層到達扱いにはならないという。


「ええ、そうなんです。下層は四十一階層からなので、四十階層到達ではシルバー階級への昇級条件が満たせたことにはならないんですよ」


「うわー、マジかー」


「二度手間だー」


 苦笑するミチルさんの前で、ヤス君とフィルが頭を抱える。


「そんなになること? 俺らまだアイアンになったばっかじゃん」


「それはそうなんすけど、ここからダンジョンまでって六時間くらい掛かるじゃないっすか? だから、シルバーの条件までは達成しときたかったんすよ」


「考えてみなよ。下層到達まで済ませてれば、こっちで依頼こなしてるだけでシルバーになれてたってことだよ? それがまた往復しなきゃいけないって、それだけで一日無駄にしちゃうってことなんだよ? 二度手間でしょー」


 俺はサクちゃんと顔を見合わせ、一緒に肩を竦める。


「まずはブロンズ。それから鍛えてゴールドまで狙えばいいだけの話だろう。マッドピエロの件はもう忘れたのか?」


「そうだよ。正直俺も驚いたし残念だけどさ、やれること増やす良い機会だとも思ったよ。調子に乗る怖さってのも学べたしね」


 ヤス君は思案態勢に入り、小声でブツブツ言いながら頷き始め、フィルはどんよりとした空気を身にまとい顔を暗くした。


「フィル、いつまで気にしてんの? フィルのお陰で、こうして誰一人欠けることなく帰ってこれたんだから、落ち込むことはないんだぞ」


「んー、そうじゃなくてさ、帰ってきてすぐ調子に乗ってたこと忘れてたって気づいたら、自分の馬鹿さ加減に嫌気が差しちゃってさ」


「忘れても仕方ない。寝てたからな。股ぐらで」


「サクヤ、倒置法やめて」


 その後、思案から復帰したヤス君も交えて皆で談笑しつつ食堂へ移動。夕食に突入。いつものステーキセットを食べながら、サクちゃんのブロンズ昇級と残り三人のアイアン昇級を祝いながら、楽しい時間を過ごした。




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