30.避けるべき猛者への道
「ダンジョンかー。楽しみっすけど、そうなると準備は必要っすよね」
「ダンジョンに入ることを考えると、一泊は確実にしないといけないかな」
「野宿?」
「宿場町があるから野営の必要はないんだけど、補充品とか食費込みで、金貨二枚は軽く飛ぶと思うよ。装備品とか大丈夫? ねぇ、ユーゴ?」
「大丈夫じゃないって知ってて訊いてるだろ? はぁ、まずはお金だよなぁ」
リンドウさんの計らいで、無利子な上に、あるとき払いの催促なしという破格な条件の借金を俺たち渡り人三人衆は負っている。それ自体は非常に有り難いことなのだが、問題はその借金の半分が一ヶ月分の寮費にあてられているということ。つまり、手元のお金では翌月の寮費は支払えない。宿なしになるまでの猶予が約四週間しかないということだ。
「食事は昼食分の心配だけしてればいいんすけどね。それでも一日銀貨一枚。手持ちでちょうど一月分。でもそれだけに使う訳じゃないですし」
「冒険者ギルド様々だよな。寮費にこの食堂の朝晩二食が含まれてなかったら俺ら早々に詰んでたぞ」
「その場合はリンドウ金融さんから追加で融資の申し出があったと思うよ。本当はもっと多く貸してくれる予定だったらしいし」
「それは受けたくないんだよな。十分世話になったし」
このアルネスの街では、冒険者ギルド新規登録者に一ヶ月間育成支援金が与えられる制度がある。条件は冒険者ギルドが運営する設備を利用すること。寮と大衆食堂がそれだ。本来の利用金額の半分が負担される。
リンドウさんから借りたお金が一人あたり寮費で金貨三枚、手元の金貨三枚の計金貨六枚という少額で済んだのはそのお陰だ。
とはいえ、手元に金貨三枚というのは心許ない。昼食は支援金が適用されず通常価格になるし、絶対に必要な生活消耗品だってある。
場を弁え、この場では誰も話題にしなかったが、古紙は必要不可欠だ。
お尻は大事。
木製のヘラや貝殻を洗浄して使い回している冒険者が多いらしいが、不衛生だし、その尻はきっと見るも無惨なことになっているはずだ。
先端にブラシが付いた通称ケツミガキなる道具もあるが、使った後で洗って保管する気が起きないし、毛もそれなりに硬く形状が歯ブラシなので、俺たちのみならず歯を磨くことに利用している者も多かったりする。
というか、生活雑貨を扱う店で歯ブラシが欲しいって言ったらケツミガキを出されたんだよな。
まさか歯も尻もという猛者はいないだろう。そう信じたい。
ちなみに水術で試してみようとしたこともあるが、見えない場所をピンポイントで洗浄するのが難しくて断念。
もっとも、手を近づければ狙いを定められるのだが、そんなことをすれば飛び散った汚水で諸々再洗浄の必要が出てきてしまうというのは火を見るより明らか。
元の世界なら汚れたトイレが撮影拡散されて炎上騒ぎに発展するに違いない。俺も魔力と古紙の無駄遣いでヤケクソになる危険は冒せない。
火とトイレだけにね。
言葉遊びは一先ずおいて、とにかく古紙の拭き取り枚数が増えてしまうのは本末転倒もいいところ。硬めで手触りも悪く、十枚一組で小銅貨一枚もする古紙。それを買う金が無くなれば俺たちも尻猛者の仲間入りを果たすことになる。
口には出さないが、全員思いは一つ。
まずは金を稼ぎ、健全な尻ある未来と先の見通しをつける。
これで話はまとまった。決して猛者にはなるまい。
「お金かー。単位ってイェルクだっけ? そんな単位使ったことないし、使ってる人も逢ったことないけど」
「僕もないよ。庶民の間では使われてないみたいだね。一枚とか二枚の方が分かりやすいからだと思う。こっちは加算減算でも桁が増えると混乱する人多いから」
「あー、そういえば指使って計算する人よく見ますね。紙高いっすもんね」
もう紙の話はいいよ。
「まぁ、細かくなると面倒だから俺も楽でいいけど。電卓もないし。そういや貨幣価値ってさ、感覚的に銅貨一枚百円って感じだよね」
「そうだね。僕は小銅貨が百セント、銅貨が一ドル。銀貨が十ドル。金貨が百ドルって置き換えて認識してる」
ちなみに小銅貨一枚が一イェルクで、銅貨が百イェルクになる。千で銀貨、万で金貨と日本円と感覚的には同じ。金貨以上の硬貨もあるらしいが、フィルも金貨百枚分の価値がある大金貨までしか見たことはないとか。
その上は金板で大金貨百枚分、大金板で金板百枚分。その上が最も価値の高い白金貨になるが、これは大金板百枚と等価だそうだ。
白金貨一枚で一兆イェルク。国家間での取引や金持ち貴族のオークションくらいでしか使われないものだそうだが、一度は見てみたいものだ。
「はー、そう考えると、寮って朝夕二食付きで一ヶ月六万円。一日辺り二千円ってめちゃくちゃ安いっすよね」
「しかも最初の一月は半額だからな。どういう仕組みなのかは知らんが、冒険者ギルドってそんなに儲かってるのか?」
「寮だけだったら赤字経営だって。けどこの食堂の収益を含めるとやや黒字だってギルマスが言ってたね。そう、ギルマスがね、フ、フフフ」
自嘲気味に言い終えてすぐ、フィルが急に老け込んだような顔になり深々と溜め息を吐いた。
「どうしたの急に? 薬が切れたのか?」
「何でやってる前提なんだよ! 人聞き悪過ぎだろ!」
俺はまぁまぁと言いながら手で続きを促す。
「まったくもう。人が真面目に話そうと思ってるのに」
「ハハハ、悪かったよ。で?」
「いや実はさー、そのときにとんでもないことまで一緒に聞いちゃってさー。知ってた? 僕らの入ってる寮、入居から半年で出ていかないといけないんだって」
は? 耳を疑った。ヤス君とサクちゃんも目を丸くしている。
「やっぱり聞いてないよね。僕もびっくりしちゃってさ。でもそういう通達がギルドの掲示板にあるって言われて確認したらあったんだよね」
「マジか。じゃあ半年以内に住むところまで確保しなきゃならんのか」
「フィル、一般的な宿の相場ってどんなもん?」
「一般的って言われてもピンキリだけどさ、寮と同程度の設備がある宿だと素泊まり銀貨三枚ってところかな。二食付きでその倍って感じ」
寮の三倍、と呟いてヤス君が頭を抱える。俺も気持ちが沈んだ。
まだ猶予があるとはいえ、貸家が見つからなければ宿暮らしを余儀なくされる。昼食代まで加えると一ヶ月で金貨二十枚以上の出費。
「一ヶ月の出費が二十万以上するってちょっとしたセレブだぞ」
「そうなんだよ。僕は君たちより一月ほど早く入寮してるから、実は結構焦ってるんだよね。貸家にしても、僕みたいな外見だと契約が難しいし、一人だと人攫いなんかの問題もあってさ。シェアする相手も探さないとだし」
「それは……力になりたいっすけど、現状なんとも言えないっすねぇ」
「そうだなぁ。レベルも基礎能力も低い俺たちが無責任なことは言えんしなぁ」
重苦しい雰囲気。フィル以外は苦虫を噛み潰したような顔になっている。
「なんで半年で出なきゃいけないんだろねぇ? 考えられるのは一ヶ月の支援金の回転率を上げる為とか?」
「それなら別の寮建てて欲しいっすわ。あぁ、赤字経営だから無理なのか」
「そもそも新規冒険者ってそんなにいるのか?」
「登録だけして、冒険者活動しない人もいるから。むしろ、そんな人の方が多いかも。就職活動に利用するにはうってつけの制度だし」
「あー、安定した収入が得られれば、冒険者なんてしなくてもいいもんな」
「そういうこと。依頼のほとんどが魔物の討伐や素材の納品だし、低ランク依頼でも外壁補修工事とか汚物処理みたいな、比較的危険な仕事が斡旋されるからね」
「そうか! それっすよ!」
ヤス君がテーブルを叩くようにして立ち上がり、爛々と目を輝かせた。他の者ならいざ知らず、これまで思いもよらない発想力を見せ続けてきたヤス君の閃きだ。その自信みなぎる表情を見た俺は、期待に胸を膨らませずにはいられなかった。




