25.忘れてしまうことと思い出したくもないこと(2)
「ちくしょう!」
「わぁ⁉ 何、起きてたの⁉」
「ん? あ、うん。ハハ、今起きた」
フィルが俺の寝ているベッドの側に立っていた。起こそうとしてくれたのだと覚る。俺は自分の顔が濡れているのが分かり、慌てて袖で拭く。
なんだかとても寂しい夢を見ていた気がする。どうにか思い出せないか試みたが、肝心な部分を忘れてしまったようなもどかしさが晴れることはなく、あの詐欺商品が出てきた悔しい場面しか思い出せなかった。
まさか夢にまで出るとは。
唯一思い出せた光景が非常に癪に障り、俺は思わず舌打ちした。フィルが反応したので事情を説明すると、お腹を抱えて笑われた。
「アッハハハ、寝言で『ちくしょう』って叫んじゃうくらいだから、よっぽど根に持ってるんだね」
「それがまたこの上なく腹立たしいんだよ。あんなくだらない物のことを一体いつまで記憶してるんだよってさ。もう思い出したくもないのに」
「夢とか記憶って思いどおりにならないよね。僕は鳥みたいな恐竜に襲われてる夢を見てさ、必死になって逃げて、真っ暗な部屋に隠れたところで目が覚めたんだけど、現実も真っ暗な部屋だったから目が覚めてるって気づかなくてさ。ルームメイトが鼻をかむ音で悲鳴を上げたことがあったよ。鳥っぽい恐竜の鳴き声に聞こえなくもない感じだったからさー。ホント、心臓痛かったもん」
俺は声を上げて笑いながら着替える。フィルが俺の左胸にある印を見ていたようなので、着物を開けて見せる。
「これがホウライの印です。そしてこちらが乳首です」
「どっちを見せたいんだよ……。へー、本に載ってたから知ってるけど、ホントにお洒落タトゥーみたいなんだね。もう少し痣感があると思ってたけど」
「うん、俺も海外のミュージシャンかよって思った。もう名前忘れちゃったけど、結構好きだったんだよね。なんていうバンドだったっけなぁ」
「分かるー。忘れてしまうことって意外と多いよねー」
「そうそう、思い出したくないことはしっかり覚えてるんだけどねー」
言いつつ、着替えを済ませる。着流しは楽でいい。しかもありがたいことに、アルネスの街ではさほど珍しい格好ではない。
人族、亜人族、獣人族の人種のみならず、和服、洋服、民族衣装もごちゃまぜになっているのがこのアルネスの街の特徴なのだと昨日知った。
まぁ、そうじゃなきゃリンドウさんも登録させないよな。
「ユーゴ? 準備できたら出るけど」
「ああ、うん、行こう」
ステボで時刻を確認すると七時と表示された。結構早く出るんだなと思いつつ、部屋を出て向かいの扉をノックする。フィルの紹介も兼ねて、どうせならヤス君とサクちゃんも誘おうと思った。だが反応がなかったので、諦めることにした。
「呼ばなくてよかったの?」
「約束してた訳じゃないしね。寝てるのを無理に起こして引っ張り出すのって、かなりの迷惑行為でしょ」
確かに、と苦笑するフィルと一緒に寮を出る。食堂で朝食をとると思っていたが、フィルから途中の屋台で買った物を食べ歩きしようと提案された。
「ついでに街も案内したいし、お店で挨拶なんかしてると時間なんてあっという間に過ぎちゃうからね。あ、僕が奢るからお金は心配しなくていいよ」
「んー、何というか、非常に複雑なんだが……」
「言わないでよ。僕も自分の外見のことすっかり忘れてたけどさ……」
まだ早い時間ということもあってか、通行人の数はまばら。屋台もほとんど出ていなかったので、先にフィルがよく行くという薬屋に行くことになった。
「海外子役みたいな見た目のフィルから薬屋をよく利用するって聞くと、ちょっと色々と大丈夫なのか心配になるよね」
「ブラックジョークが過ぎるよね、それ。聞かせる人によってはぶん殴られてもおかしくないレベルだと思うよ」
「誠に申し訳ございません。忘れてください」
「素直でよろしい」
フィルに俺が頭を下げている様が異様に見えたのか、少し人目を引いた。俺もフィルもそれに気づいて速歩きで場を離れた。
そりゃそうか、目算一四〇センチくらいしかないもんな。
適当に会話しながら歩いていると、料理を始めている屋台を見つけた。店主は狼のような獣人の男。フィルが指差したので、並んでその屋台に向かう。
売られているのは箸巻きのような粉もの料理だった。フィルが二つ注文し、お金と引き換えに受け取る。その間、俺は非常に居心地の悪い思いをした。堅気っぽくない雰囲気の店主から物凄い目で見られていたからだ。おい兄ちゃんよぉ、こんな小せぇ子供に食い物たかってんじゃねえぞこの野郎、とその目が語っていた。
「はい、なんか……ごめんね」
「いや、うん、いいよ。ありがとう」
思い出したくない記憶が一つ増えたが、こうなることは予想していたので、それほど大きなダメージはなかった。
いや、本当に覚悟しておいてよかったよ……。早く忘れてしまおう。
フィルから箸巻き風の料理を受け取り、一口かじる。少し甘めの醤油と魚粉の風味がある。ところどころ、粗めの挽き肉みたいな食感と千切りキャベツのような歯触りがある。生地ももっちりしていてそこそこ美味しい。
「僕、割とこれ好きなんだよね」
「うん、美味いね。なんか、この街に来て初めてまともなもの食べた気がする」
「昨日、エドワードさんのとこで食べたでしょ」
「あれは俺が作ったものだからね、この街のものとは言えないよ。ディーバラのムニエルは食べたけども、二度と食べたいとは思わない代物だったね。思い出したくもない過酷な罰ゲームだよ。少なくとも二人は脂汗浮かべてしゃくれてたし。あ、そういえば魚って高級品じゃないの? これ魚粉使ってるみたいだけど」
「カラッカラに乾燥させた、小指の先くらいの小魚は安く売ってるよ。でも粉はちょっと怖いね。悪くなったものとか粉砕して使ったりしてそう」
食品衛生や公衆衛生に関して、日本は非常に優れていた。ただ、それをやり過ぎだと思っていた俺からすると、こちらは黒光りするアレが普通に出た食堂が少し危ない印象。屋台飯は温度管理とか大丈夫なのか結構危ないという認識。
簡潔にまとめると、二十年こちらで暮らしているフィルが屋台飯で嫌な顔をすると、本気で怖ろしくなるということ。味が良くても一気に食欲が失せる。
「魚粉の良し悪しなんて俺には分かんないから、あんまり怖いこと言ってほしくないんだけど。本当に大丈夫なのこれ?」
「アハハ、ごめん。余計なこと言っちゃったね、忘れて忘れて。でも美味しいってことは大丈夫でしょ。僕、結構これ食べてるけど何ともないし。魚粉使ってるとかも気づかなかったよ。あ、あそこだよ」
フィルが残りの箸巻きもどきを口に放り込み、もぐもぐしながら小走りになる。俺も食べ終え、フィルがしたように異空収納にゴミを入れて後を追った。
看板にはこちらの字で薬の一文字。周囲は似たような建物が並んでいて、日本の商店街を思い出す。別にアーケードがある訳でもないのだが、大通りから外れたところにずらっと店が並んでいるのを見ると、少し懐かしい気持ちになる。
寂寥感というか、どうしてこんな気持ちになるのか分からないが、胸が風を通したような感覚に襲われる。歳をとってから昭和を思い出したときのようなノスタルジー。あとは夕焼けでも絡めば泣いてしまいそうな気がした。
冗談抜きで午前中でよかったわ。何か感傷的だな今日は。
先に呼び鈴を鳴らしつつ薬屋に入ってしまったフィルの後を追い、俺も中に入る。店内はカウンターと商品置き場が一体化した造りでほとんどスペースがなかった。調理や調合を行う為に奥が広く取ってあるのだと覚る。個人経営のケーキ屋や餅屋などで見る店頭販売のショーケースがそのままカウンターになっている感じ。そのカウンターの向こうで、白髪のエルフらしき女性が椅子に腰掛けていた。
「ヨナ婆ちゃん、こんにちは」
「おお、フィル。よく来たね。そっちの大きい人は友達かい?」
「同居人のユーゴだよ。ユーゴ、この人はヨナ婆ちゃん。このお店の店主で、僕と同じ里の出身なんだよ。僕はヨナ婆ちゃんを頼ってこの街に来たんだ」
「へぇ、あ、昨日からフィルと同居することになったユーゴ・カガミです」
ヨナさんがにこやかに笑って立ち上がる。確かに老いているとはいえ、婆ちゃんと呼ぶのがはばかられる年齢にしか見えない。
中年を少し過ぎ、初老に差し掛かったくらいの印象。立ち姿もすっとしていて翡翠色のローブがよく似合っている。耳が尖っていることを除けば人と何ら変わりない、やや痩身の美しい女性だ。
俺が気づかなかっただけかもしれないが、街の中ではエルフを目にする機会に恵まれなかった。それらしいフードを被っている冒険者は見掛けたが、あれがエルフなのかもしれないと思う程度。まともに見るのはこれが初めてで、フィルのときとはまた違った意味で見とれてしまった。
「姓があるってことは、貴族様かい?」
「あ、いえ」
「ユーゴは平民の冒険者だよ。僕と同じで訳ありってだけ」
「まぁそうだろうね。なるほどね、属性は?」
「水です」
フィルに肘で軽く小突かれる。ヨナさんがホッホと可笑しそうに笑う。意味が分からず困惑しているとフィルに溜め息を吐かれた。
「今のはほとんど誘導尋問だよ。貴族でもないのに姓持ちで訳ありって言ったら、もう渡り人ですって言ってるようなもんでしょ。属性聞かれたら嘘吐かないと完全にバレちゃうよ」
言われてハッとした。俺の反応が可笑しかったのか、ヨナさんが眉を下げ、一頻り笑った後で口を開いた。
「自分から訳ありだなんて言うことも早々ないだろうけどねぇ。ホッホ、素直な子がフィルの同居人になったのは喜ばしいことだよ。しかし、長生きはするもんだ。生きているうちにホウライまで拝めたんだからね」
「え、ヨナ婆ちゃん、クンルン見たことあったの?」
ヨナさんが沈痛な面持ちになる。
「子供の時分に一度ね。当時住んでいた村を帝国兵に襲撃されたときに、若い女のクンルンが連れて行かれるのを家の窓から隠れて見たよ。抵抗して、途中で首を落とされてしまったけどね。あんな非道いことはなかったよ。その後のことは、思い出したくもないさね」
訊かなくても分かる。その女性は動物や家畜のように解体されたということだろう。俺は気づかないうちに眉間に力が入っていた。
「印があるってのは、厄介なことだよ。検めるから服を脱げと言われたら、もう抵抗する他ないからね。ユーゴも十分に気をつけないといけないよ。フィルと一緒ってことは、危険がより大きくなるってことでもあるんだからね」
俺はヨナさんの心配そうな顔に向かい「はい」と軽く頷いて答えた。誘導尋問に気づかず浅はかな返答をした自分を省みて、身が引き締まる思いだった。
「予行演習できてよかったね」
「いや、まったく」
返す言葉もないと思いつつ、苦笑して頭を掻く。その様子がやはり可笑しかったのか、ヨナさんは穏やかに笑った。
「それで、今日は顔見せかい?」
「まぁ、そんなところ。あ、それと、何かユーゴに助言とかあったらしてほしいかな。僕じゃ言えないようなこととか」
「そうさねぇ、助言と言われても、この歳になると忘れてしまうことの方が多いからねぇ、今思いつくのは魔力切れくらいなもんかね」
「あ、そうだね! ユーゴ、魔力回復薬はいくつか買っておいた方がいいよ!」
フィルがぐんと顔を近づけて興奮気味に言った。一気に距離が縮んだので、商品を見ようと腰を屈めていた俺は少し仰け反った。
「あ、うん。それはいいけど、魔力切れ?」
「そう、僕は随分前にならなくなっちゃったから忘れちゃってたけど、保有している魔力が底をつくと、自然回復するまで物凄い倦怠感に襲われるんだよ。ほんの数秒程度だけどね」
「いや数秒はまずいって。すいませんヨナさん、魔力回復薬をもらえますか?」
「はいはい、ちょっとお待ちよ。いくつだね?」
「これで買えるだけください」
俺は異空収納から巾着袋を取り出し、金貨を一枚カウンターに置く。
どれだけ買えるか知らないが、あって困るものではないだろう。術の鍛錬もするつもりなので所持している金貨三枚のうちの一枚を使っても構わないと思った。
ヨナさんは飴玉ほどの大きさの丸薬を十個トングで摘んで小さな封筒状の紙袋に入れて俺に手渡した。俺はそれを《異空収納》に収める。
「ありがとうございます」
「ホッホ、こちらこそ。薬屋の私が言うことじゃないんだけどね、回復術は早めに身につけるようにしなよ。フィルとパーティーを組むのなら当分は問題ないだろうけども、傷薬を買いに来る冒険者は延々足踏みする羽目になるからね」
「肝に銘じます」
頭を下げて言うと、フィルが「じゃあ、僕ら帰るね。またねヨナ婆ちゃん」と別れの挨拶を笑顔で済ませ、扉を開いた。呼び鈴の音を後ろに外へ出る。
「次は武具店だよ。ちょっとゆっくりしすぎちゃったね。これじゃお昼に間に合わなくなるから、急ごう」
薬屋を出るなりそう歩き出すフィルに並ぶ。
「素朴な疑問なんだけどさ、ヨナさんて何歳なの?」
「んー、確か二百四十歳くらいだったはず」
「にっ――! そ、それって人だとどのくらい?」
「五十代後半から六十代前半ってとこかな」
ああ、やっぱりその辺りね。俺の感覚だとヨナおばさんって呼んでもおかしくない感じだったもんな。美人だし、むしろお姉さん呼びでもいいくらいなんだが。
「どうしたの?」
「いや、別に……」
俺たちは武具店に向かい足を早めた。




