24.忘れてしまうことと思い出したくもないこと(1)
小学五年生の頃、俺はちょっとしたことでイジメられたことがあった。
原因は、友達の失敗を笑ったこと。
「何が可笑しいんだよ!」と怒鳴られて、謝っても許してもらえなかった。
翌日には、友達があからさまに俺を避けるようになった。怒らせてしまった当人だけでなく、いつも遊んでいた全員が俺と口をきかなくなった。
俺は誰からも話し掛けられず、話し掛けても無視され、近づけば逃げられた。
俺は完全に孤立した。
不愉快な気持ちが俺を塗り潰した。ひそひそと聞こえてくる嘲りの言葉と嘲笑が悲しかった。それまで友達だと思っていた者たちが、たった一度の失敗で手のひらを返したことがではなく、友達がそうなるまで気づけない振る舞いをしていた自分が憐れで悲しかった。
彼らは何も悪くない。十歳の俺は自分を省みていた。
あのたった一度笑ったことだけが、こんな状況を招く原因だったのか?
そんな訳がないと思った。
きっと自分に原因があったのだと思った。
振り返れば思い当たることはいくつもあった。これまで自分がどれだけ友達に不快な思いをさせていたのか、また傷つけてきたのか。それに気づけなかった自分に怒りを覚えた。そしてひたすら悔しくて、悲しくて、毎日のように泣いていた。
「ユーゴ、一緒に帰ろうぜ」
一週間後の月曜の放課後、そう声を掛けられた。
声を掛けてくれたのは、俺が怒らせた当人だった。俺は驚いたが、強引に促されたので戸惑いながらも従った。途中で酷い目に遭わされるんじゃないかと疑う気持ちもあったが、そんなことは起こらなかった。
「悪かったな。俺の所為で、変なことになっちゃって」
友達の名前はコーキと言った。頭も運動神経も良くて、真面目で、優しい奴。それからクラスの人気者で、まとめ役でもあった。
捻くれ者の俺が素直に自責の念に囚われたのは、多分、コーキが自分より優れているという気持ちが心の片隅にあったからだろう。
コーキが突然謝ったことで俺はより戸惑ったが、それ以上に安堵して泣いてしまった。謝りながら、自分がどれだけ嫌な奴だったか分かったとコーキに伝えた。
「馬鹿、違うよ。ユーゴは悪くないよ。俺が怒った後、あいつらが勝手にユーゴをイジメたんだよ。俺は最初は怒ってたけどさ、ユーゴは一番仲いいからさ、仲直りしたいって思ってたんだ。けど、俺が許さなかったから、怒ってるんじゃないかって思って、声掛けられなかったんだよ。だから、自分のことばっかり考えてて、ユーゴが無視されてるとか、全然気づけなかったんだ。だから、ごめんな」
コーキが泣きそうになりながら言ったその言葉で、俺は救われた気がした。自分が大嫌いになるほど思い詰めていたのに、暗い雲が晴れていくような思いだった。一番仲がいいと言われたことが嬉しくてたまらなかった。
翌日からはクラスの様子が変わった。休み時間になる度に、コーキが必ず俺に声を掛けるようになった。そして常に一緒に行動した。そのお陰で、俺は自分の心に向け続けていた目を外に向けることができた。
それが切っ掛けになり、今まで見えていなかったものが見えてきた。
「あいつら、頭と心の病気なんだよ」
コーキの言うとおりだった。卑屈で歪んだ根性で、嘘を吐いたり取り繕ったり、他人の弱みにつけ込んで攻撃して、虐げて、少しでも優越感に浸りたい。少しでも上だと認めさせたい。そんな思いがありありと見て取れた。
どうして今まで気づけなかったのか。俺は落胆した。
あんな奴らと友達だったのか。
そう口に出すと、コーキは「今やっとかよ」と笑った。
「ユーゴは皆が楽しけりゃいいって感じだからなー。周りを悪く見ないっていうか、ケイカイシンがないっていうか、どっか抜けてんだよなー」
「ば、馬鹿みたいに言うなよ! 俺は心が綺麗なの! 無邪気なの!」
「ハハハッ、それはないけど、そうなのかもなー」
仲直りして間もなかったからか、俺はこの日のことをよく覚えている。
次の日もその次の日も、こんな日が過ごせたらいいと強く願っていた。
だが翌日、コーキは学校に来なかった。そして、その翌日も。
二日後、コーキは行方不明事件の被害者になっていた。
嫌疑を掛けられたのはコーキの両親だった。家族でキャンプに出掛けた際に、コーキを殺害しその遺体を遺棄したという話がクラスで広まった。
そんな訳ないだろ! そう怒鳴ろうが止まらなかった。教師も止めなかった。
話は世間でも広まっていたから、もう誰にも止めようがなかった。
皆、晒し者にして楽しんでいるようにしか見えなかった。自分たちの退屈な日常を彩らせる為に、コーキとその家族を利用しているようにしか思えなかった。
それはとても気持ちの悪いものだった。俺は子供ながらに、世界が悪意で歪んでしまったような雰囲気を感じ取っていた。
コーキの両親はとても優しい人たちだった。要らない嫌疑を掛けて張り込んでいる警察と、押し掛けるマスコミと、近所の連中がおかしいのは一目瞭然だった。
だが俺には何もできなかった。ただ理不尽に対して憤慨し嘆いていた。
子供らしい率直な怒りは言葉になった。あいつら皆、死ねばいい。
暗い憎悪を抱えてそう思う度にコーキの怒った顔が目の前に浮かんだ。
「やめろよ、そんなこと言うの。頭と心の病気になるぞ」
毎回、想像上のコーキがそう言って俺を制した。
いなくなってからも、コーキは俺を救い続けてくれていた。
コーキには四つ下の妹がいた。カナエちゃんという名前で、コーキの家に遊びに行くと必ず俺のところにやってきて「ユーゴ兄ちゃん遊んで」と背中にしがみついてきた。コーキもカナエちゃんが俺に懐いているのを面白がっていた。
コーキが行方不明になってからは、カナエちゃんが公園で一人でいるのをよく見掛けた。マスコミが押し掛けていて家に入れなかったのだ。いつもランドセルを担いだままブランコに座っていて、ぼんやりと足元に伸びた影を見つめていた。
俺が近づくと、決まって飛びついてきて泣き出した。
「ユーゴ兄ちゃん、お家入れないの。だからコーキ兄ちゃん一緒に探して」
その言葉を聞くたび、俺も毎回一緒に泣いた。
カナエちゃんが可哀そうで仕方なくて、コーキがいなくて寂しかった。
二人で公園を歩いてコーキを探した。カナエちゃんを泣き止ませる為のごっこ遊びのようなものだった。馬鹿な子供の俺にはそんなことしかできなかった。
コーキの母親が亡くなったという話を聞いたのはそれから少ししてからだった。縊死だった。見つけたのはカナエちゃんで、ぶら下がった母親の足元に置かれていた遺書を手に、呆然と家から出てきたところを警察に保護された。
それを俺は、高校生になるまで知らなかった。同級生に面白がった噂話として聞かされた。「そんな事件があった呪いの家が近くにあるから行こうぜ」と誘われ、不愉快になって殴った。殴り合いの喧嘩になったが、事情を知った高校側からの処分はなかった。俺はクラスで孤立した。もう気にもならなかった。
コーキの母が亡くなった直前、神経が衰弱しているという話は両親の会話から盗み聞いていた。俺の両親はコーキの両親と仲が良かったので、いつも気に掛けていた。それだけに、悲しい結末と一言で済ませられるようなものではなかった。
コーキの母親が最期に書き遺した手紙には、俺たち家族に対しての感謝の言葉が綴られていた。そこには俺に向けての言葉もあった。
『いつもカナエの面倒を見てくれてありがとう。これからも仲良くしてやってね。コーキと私の代わりに、どうかお願いします』
無責任とは誰も口にしなかった。俺の両親は力になれなかったことを謝り泣いていた。遺書を持って来てくれたコーキの父はそれを否定し、十分すぎるほど力になってもらったと深々と頭を下げていた。カナエちゃんはその場にはいなかった。
葬儀に参列した。家族葬だったが、俺の家族だけは弔問に訪れることも、式に参加することも認められていた。式場に向かう俺たちにまで群がるマスコミが邪魔だった。ヘラヘラした連中に、小学生の俺の怒りはまるで通用しなかった。
棺の中にいるコーキの母は寝ているようにしか見えなかった。カナエちゃんと二人でお別れを言って花を入れた。それを『花を手向ける』と言い表すのだと大人になるまで知らなかった。『別れ花』という名の儀式だということも。
コーキの母が自殺した原因追及が始まった。連日、テレビや新聞などで報道され、警察とマスコミが非難された。あれだけ冷やかな目を向けて噂していた近所の連中は、風向きが変わったと見るとすぐに手のひらを返した。だが表向きそうしているだけで、冷笑と疑念と憶測は消えてはいなかった。
俺も、俺の家族も、言い表せない複雑な感情に苦しんでいた。両親の言い合いが増え、俺も巻き込まれることが多かった。どうすればよかったのだろう。本当に自分たちは、やれるだけのことをやったのか。後には力になれなかった悔いだけが残った。それはしばらく俺と家族を苛ませた。
コーキの住んでいた家は空き家になった。しばらくすると心霊スポットとして扱われるようになり、若者たちが無断で入り込むようになった。一緒に遊んだ楽しかった思い出も、心ない連中の悪ふざけで見る影もなくなっていった。
窓が割られ、落書きされたコーキの家を見るたびに、俺はコーキとその幸せな家族の姿を思い出して辛くなった。だが歳を重ねるごとにその思いは薄れていき、やがて風化していく寂寞感の方が大きくなっていった。
カナエちゃんはどうしているだろうか?
三十路を過ぎてからふと思った。ランドセルを担いだ子供が寂しげにブランコに座っているのを見たのが切っ掛けだった。物悲しさに胸が締め付けられた。
それでなんとなく居場所を探した。気の向いたときに一人で調べた。だが見つからないまま時間ばかりが過ぎていき、気づけば数年もの歳月が流れていた。
その頃にはかなり真剣になっていた。空いた時間はすべて使った。だがやはり見つからず、流石に自分だけではどうしようもないと諦めがつき探偵に依頼した。
一月ほどで、俺が出した情報に合致する女性が隣県にいることが分かった。栗栖海南江。調査書に書かれた名前を見て手が震えた。漢字がうろ覚えだったので、カタカナで伝えていたのだが、海の一字が記憶を呼び覚ました。
コーキとカナエちゃんと三人で近所の砂浜に行ったときのことだ。カナエちゃんが「カナエのカ!」と海を指差して叫んだことが可笑しくて、蟹のいる穴を掘っていた俺とコーキが笑い転げたことがあったな、と。
俺はカナエちゃんに会いに行こうと思った。だがそこで俺は自分のことで精一杯になってしまった。ある出来事で心が沈んでしまったのが原因だった。
それからは何年も塞ぎ込んだ。殻に閉じこもってしまった。
ふと、部屋に水面があることに気づいた。指で触れたら波紋ができた。何か忘れている気がして振り返ると、見覚えのある枕とマットレスがあった。
加齢による体の痛みを少しでも和らげたくて、快適安眠ぐっすり枕と寝返り楽々ころりんマットレスをネットで注文したのだと思い出す。だが届いたこれらの商品は、そのふざけた名前よりも酷い性能を発揮し俺の苦しみを倍増させた。




